なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
花房城は岩尾山山頂に築かれた山城でした。
国道199号からは、山頂に大きなアンテナがある山が見えます。
東二島2丁目交差点から山側に入り、水上観音寺を過ぎた所から山頂への道があるのですが・・・

花房城/城址への入口
▲立入禁止

写真のとおりバリケードが。
「車両進入禁止」なら徒歩で入って行くのですが「立入禁止」
立入禁止と書いてあって、尚バリケードがあっては入る訳にも行かず。

遺構もあるらしいので、是非見たかったのですが・・・
私有地では地主さんの意向に逆らう訳にはいきませんねT_T


◆お城の歴史◆

色んなサイト、といっても片手で数える位しか花房城については書かれていませんでした。
おそらく立入禁止になる前に訪城されたのだと思います。
それらのサイトで書かれていた事は

・麻生家見が大内義弘と戦っていた。
・応永年間(1394~1428年の間)に畑城主・香月備前守盛経により攻め落とされた。
・落城悲話として、狩屋に隠れていた姫が見つかり、その場で殺された。

くらいです。
あまり詳しい話は残っていないようです。

燃・え・ま・す・ねメラメラ
ちょっと意地になって色々調べてみました。

まずは麻生家見について。
彼は麻生氏の総領・麻生上総介義助の子です。

義助の子は他に山鹿仲中、麻生家春、麻生弘家、麻生家清、北麻生資家がいました。
北麻生資家は義助の兄弟ですが、義助の養子になりました。
このいきさつも知りたかったのですが、わからずT_T

この面子の中には見覚えのある名前が。
家春と弘家です。
1436年、家春とその嫡子・家慶がそろって討死。
1438年、幕府の裁定で弘家が家督を継ぐ。

幕府の裁定に2年もかかっている所にゴタゴタを感じます。
この家督相続をめぐっては、1478年になって家春の次男・家延が謀反を起こしています。
やっぱり相当な修羅場があったのでしょう。

話を花房城落城前後の時代に戻すと、大内義弘は幕府の中でも六分一殿と呼ばれた大身でした。
「六分一殿」とは、日本の1/6を領有しているという意味です。
その大内義弘ですが、1399年に応永の乱を起こし、堺で討死しています。

・・・ということは、花房城が落城したのは応永のはじめ頃(1394~99年の間)ということに。

この頃の情勢は、山鹿仲中や北麻生資家が幕府に反抗的で、所領を没収されています。
麻生氏は大内氏の推挙により幕府奉公衆を務めていました。
奉公衆の惣領は幕府が任命するので、即ち、惣領家と争っていた事になります。

・・・ということは、義助またはその後を継いだ家見か家春と争っていたと思われます。
ここも調べてみたのですが、何も出てきませんでしたT_T

麻生氏が大内氏と戦うということは、不満があったか幕府から命令があったのでしょう。
また、香月氏が麻生氏と戦って勝ったのに、その所領を得ていません。

これらから想像すると・・・
・麻生氏惣領は、大内氏と行動を共にして上方で軍事行動をしていた。
・その間に庶流が謀反を起こした。
・その鎮圧を大内氏が麻生氏に隣接する香月氏に命じた。
ということなのかもしれません。

そして、ここで敗れているのが麻生家見で、家春が1436年に討死したということは・・・
義助または家春 vs 家見という構図になると思います。
落城後に逃亡した姫がその場で殺されたとなると、家見が生き延びた可能性も低いですね。


所在地:福岡県北九州市若松区畠田

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