なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
都市高速・黒崎IC近くにあった市瀬城(いちのせじょう)を紹介します。
訪問日は2013年6月8日です。

市瀬城/空堀
▲空堀

市瀬城は都市高速・黒崎ICの南東にありました。
割子川が流れる谷間入口の北側の丘です。
地図で見て「たぶんココから登るんだろな」という所から山に入ると・・・!
すぐに写真の空堀がありました。

市瀬城/主郭
▲主郭にある小さな祠

城域は凄まじい竹林で道はありませんが、何となく城の構造がわかる感じです。
倒れた竹を掻き分け踏み越えて、ただただ高い方を目指すと主郭に辿り着きました。
せいぜい10m四方の小さな主郭ですが、小さな祠がそこに物語があることを感じさせます。

市瀬城/主郭から見た帯郭
▲主郭から見た帯郭

祠の辺りから3、4mの段差があり、その下には細長い平場が。
どうやら主郭の周りを帯郭が囲んでいるようです。

市瀬城/虎口
▲主郭西側の虎口

どこもかしこも竹しか見えない城跡ですが・・・
主郭でキョロキョロしていると、登って来たのとは反対側に少し窪みがありました。
どうやら虎口のようです。

凄まじい竹林ですが、だからこそ遺構が良い状態で残っているように感じました。
そんな感慨にふけってみましたが、、、帰りは方向を見失って迷子になりましたw


◆お城の歴史◆

築城年は不明ですが、室町時代はじめ頃には築かれていたようです。
当時は建武の新政が崩壊し、幕府と朝廷が各地で争っていました。
そのため、後醍醐天皇は各地に皇子を派遣し、南朝勢力の拡大を図っていました。

九州には制西将軍宮として懐良親王が派遣されました。
懐良親王は肥後・隈府城を拠点とし、一時は大宰府を掌握する程でした。

香月則道には当時跡継ぎがおらず、懐良親王の付人・勅使河原小三郎の子を養子に迎えました。
これが香月五三郎則村です。
則村は市瀬城を居城としました。

しかしその後、則道に実子が誕生しました。
彼の名は香月則次で、香月氏代々の居城である畑城に拠りました。

そして・・・大方の予想通り家督争いが起こりました。
戦いは則村が勝利し、則次は大内氏を頼って山口へ逃れました。

則村はその後、近在の大勢力・麻生氏から室を迎え、子孫は市瀬麻生氏を名乗ったそうです。
・・・市瀬麻生氏の事は何もわかりませんでしたあせる

一方、山口に逃れた則次は、以後大内氏の家臣となりました。
そして、5代子孫の興則の時代に大内氏によって畑城に復帰したそうです。
年代は付近の寺社の記録から1470年代かと思われます。

・・・ということは、麻生氏の家督争いである花尾城の戦いが直接影響してそうです。
花尾城の戦いは、1478年に麻生氏の家督争いが生じ、大内氏が介入した戦いです。
その花尾城は、市瀬城から直線距離で2km程なのです。

この戦いの後、敗れた麻生家延が市瀬城のすぐ南に竹尾城を築き、一時居城としました。
そのため、この頃までに市瀬城は廃城になっていたものと思われます。


所在地:福岡県北九州市八幡西区市瀬3丁目

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