なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
八王子周辺の城館めぐりが続きます。
今回は川口氏館跡です。
八王子市街から秋川街道に入ります。
しばらく走ると「川口中学校入口」の信号があり、ここが館跡の入口です。

川口氏館/交差点
▲川口中学校入口交差点

写真の左端に小さく写っている石碑。

川口氏館/入口の碑
▲入口の石碑

なんと、入口の石碑があります^^
これが目印です。

しかし・・・
この交差点、1発ですんなり入れない角度ですあせる
後続車がいる場合は一度通り過ぎ、Uターンして反対側から入ることをオススメします。

川口氏館/館址碑
▲川口兵庫介館址の碑

まるで虎口のような坂を登ると、すぐに写真の石碑が見えます。
比高5m程の川岸段丘上に築かれていたようです。

それにしても立派な石碑です。
子孫の方が建てたのでしょうか?

この碑の左脇に文章の書かれた石碑が並んでいました。
その文章を丸々写したのが↓です。
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調井台と呼ばれるこの丘には中世の頃
豪族として栄えた川口氏の館があった
川口氏は武蔵七党の西党に属し草創の鎌倉幕府に貢献した
川口氏は応永年間兵庫介幸季の時代に最も繁栄した
南北朝室町戦国時代へと歴史は移り
関東は戦乱の時代をむかえた
川口氏も一党を率いて関東の山野に戦い
管領上杉氏の争いには扇谷定正の幕下にあって勢威を振るい
山内顕定と対峙した
やがて武相の覇権は大石氏から後北条へと移り
隆盛を極めた川口氏も歴史の波に埋没していった
しかしその事蹟は今に残り
圓福寺の寺宝大般若経奥書に願主兵庫介幸季の名が見られる
これは大幡宝生寺の住職明鑁らの書写に依り
鳥栖寺へ納められたものである
又長楽寺の都重要文化財薬師如来像や
度重なる火災を免れて現存する鳥栖観音などに
往時の繁栄を偲ぶことができる
宅地化に景観が失われつつある昨今
郷土の歴史を後世に伝えたく
嘗て川口一族を涵養し法蓮寺を望むこの丘に
有志相計り館跡碑を建立する
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これは地元の郷土史家の方が昭和56年5月に建てたものです。


◆歴史◆

この地に館を築いた川口氏は、武蔵七党の1つである西党に属する一族です。
西党とは武蔵守・日奉宗頼を祖とする一族で、府中の西である多摩地方を根拠地としていました。

『武蔵名勝図絵』によると、西次郎宗貞の3代孫・川口次郎大夫が川口姓氏の祖だそうです。
川口次郎大夫は平安時代中期の人物と思われます。
その子孫は代々川口に住み、『吾妻鏡』には川口景季・景綱父子の活躍が記されています。
しかし、「天文年中(1532~55年)北条氏のため食禄を失う云々」とあり、後北条氏に滅ぼされたようです。


所在地:東京都八王子市川口町

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