なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
相模国境の城跡・・・は続きます。
次は箱根湯本にある湯坂城跡。

箱根というと・・・渋滞w
今回は元箱根から下って来ましたが、上ってくる方の道は宮ノ下辺りから渋滞してました。
その渋滞は湯本の辺りまで続いていました。

下ってくる時に「函嶺洞門」という短いトンネルを過ぎてすぐ、右手に小さな案内板がありました。
「あ、ここだ」とは思いましたが、路肩が狭くてバイクを停められる場所がなく・・・
そのままズルズルと箱根湯本の駅まで下りました。

箱根湯本の駅で丁度バスが出ようとしている所を狙ってUターン。
停められる所ないかな・・・と思いつつ、旭日橋の手前の歩道脇に停めました。

参考に見てきた色んなブログでは、函嶺洞門手前の右側の橋に駐車と書かれていましたが・・・
現在新しい橋を掛けているのか、工事中のため入ることができませんでした。
クルマの方は箱根湯本よりも手前で駐車し、電車で来て駅から徒歩が無難だと思います。

さて、お城は箱根湯本を見下ろす尾根の先端を利用して築かれています。
写真は国道1号に架かる旭日橋の手前から撮りました。

湯坂城/国道1号から見上げる
▲旭日橋の手前から見た湯坂城

地図で見ると「湯坂山」はまだまだ奥ですが、お城はすぐそこです。
国道1号も箱根ではただの山道。
片側1車線で路肩も狭く、ウネウネグネグネです。
その入口に当たるのが湯本です。

湯坂城/登城口
▲登城口

登城口は函嶺洞門の手前にある湯坂道。
カッコ書きで鎌倉古道とも。
この道は江戸時代はじめ頃までは東海道でした。

湯坂城/石畳の道
▲道は石が敷き詰められています

さすがは天下の東海道。
道はしっかり石畳で「舗装」されています。
ですが・・・やっぱ坂が少しキツイかも・・・
それが理由で旧道に東海道が戻されましたからね。

湯坂城/歩道管理標
▲歩道管理標

道の脇にちょろちょろあって気になったのが歩道管理標。
50mおきに設置、と書かれています。
距離を測るのには丁度いい目印になります。

湯坂城/6郭の入口
▲6郭の入口

登り始めてから20分。
そろそろかな~と思っていると、何となくそれっぽい感じが。
道の両脇を盛り上げて中が見えない・・・北条さんのお城の特徴出てますね♪

湯坂城/4郭~3郭
▲城域に入ると道が平坦になります

6郭に入って以降、それまでの坂道が嘘のように平坦になります。
そしていくつかの平場が続きます。
その中で・・・まっすぐ進めば良さそうな所をわざわざ蛇行させている場所がありました。
1郭以外は郭の境目がよくわからなかったのですが、ここはその内の1つかもしれません。
食い違い虎口で、かつては両脇に土塁があった・・・のかもしれませんw

湯坂城/1郭入口
▲1郭の入口

そんな平坦な道をしばらく歩くと写真の所に。
土が盛り上がって向こう側が見えない・・・ということは郭の入口!
その手前は少し地面がくぼんでいます。
ここはハッキリ分かりました。

湯坂城/説明板
▲現地説明板

この入口を越えると説明板が!
ここがお城の中心っぽいですね。
説明板の後ろには土塁らしき盛り上がりがあります。

湯坂城/土塁?
▲通路沿いに土が盛られている

通路は北の断崖沿いにあり、南側が少し高くなっています。
北条氏は豊臣秀吉の侵攻に備えて箱根を越える街道を抑える城をいくつか整備しました。
この湯坂城もその1つで、東海道を城中に取り込んでいました。

城の構造としては東海道に沿って郭と土塁を設け、要所要所を虎口で塞ぐといった感じです。
道は北側の断崖沿いにあり、その南側を1段高くしています。
南側の郭に兵士を詰め、敵軍を狭い街道脇から断崖に向かって攻める感じに見えました。

1郭を通り過ぎると再び山道に。
土塁や郭などの構造物は見当たらなくなりました。
ここで1つ疑問が・・・

西から東海道を通って来る敵を抑えようとしているはずなのに、1郭が一番西にあります。
普通は城の一番奥に1郭があることが多いのです。
歩いて見た所では、構造上東からの攻撃に備えているように見えるのですが。。。


◆お城の歴史◆

759年に富士山が噴火すると、それまで使われてきた足柄道が通れなくなりました。
そこで、その代替ルートとなったのが湯坂道です。
以後、1618年に足柄道が復旧されるまでの間、この道が東海道となりました。

城を築いたのは1416年にあった上杉禅秀の乱で活躍した大森氏。
大森氏は禅秀側についた土肥氏を滅ぼして伊豆から相模西部一帯を支配下に収めます。
その後、箱根各地に関を築きますが、湯坂城もその時に築かれたと考えられます。

その大森氏は1495年に伊勢宗瑞(北条早雲)により滅ぼされました。
地理的には小田原の西の玄関口であるため、城は使われていたと思われます。
ですが、駿河の今川氏とは親しかったので、厳重に備える必要性はなかったかもしれません。

緊張が走ったのは今川氏が滅ぼされて、武田信玄が駿河を支配してからです。
武田信玄は1568年に相甲駿の同盟を破って駿河を制圧しました。
その矛先は相模にも向けられ、何度か小田原城にも攻め込みました。

駿河との国境警備のため、古城となっていた湯坂城を整備したのかもしれません。
城の構造は2通りあり、1郭2郭が古い造り、3郭~6郭が新しい造りとなっています。
当初東に備えた城だったものが、時代を経て西に備えた城に変わったものと思われます。


所在地:神奈川県足柄下郡箱根町湯本

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