なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
3/2(土)のラストは滝山城跡。
来るまでは普通の山城くらいにしか思ってませんでしたが・・・

今回は久しぶりに現地にあった縄張図に番号を入れて解説します。

滝山城/縄張図
▲滝山城の縄張図

まずは登城口から。
国道411号と都道166号が交わる「舟木町三丁目」交差点。
国道411号を東京方面に進んで20m程の所に「滝山城跡入口」の緑の看板があります。

地図ではその先にも道がありますが、車両は進入禁止。
ここからは徒歩。
やっぱりというか、ここも駐車場なし。
バイクなら近くに路駐できます。

入口を入ってすぐは「おっ、城の入口だな!」という雰囲気の登り坂が。
でも、割とすぐに圧倒されます。
カーブを2つ曲がった所でいきなり現れる深い空堀!
そしてその次のカーブを曲がると、明らかに人の手が加わった地形!

滝山城/三の丸を見上げる
▲①いきなり三の丸が立ち塞がる!

そこに緑色の小さな説明板。
全体の縄張図と現在地の拡大図がありました。
そこは三の丸の手前。
図によると、小宮曲輪と三の丸で通路を挟み撃ちにする構造でした。
城攻めの最初の関門ですね!

滝山城/コの字型土橋
▲②三の丸と二の丸の間にあるコの字型の土橋

三の丸を過ぎると一気に視界が開けます。
しかし、三の丸をはじめ、通路からは曲輪の中が見えません。
土塁で囲んでいるからです。

そして、曲輪と曲輪の間にある堀切がとても深い!
まだ城域に入ったばかりですが、すでに圧倒されてますw
その堀切を渡る土橋も真っ直ぐではなくS字型。
ここでも向かう先の曲輪から狙い撃ちにされる造りになっています。

滝山城/千畳敷の堀切
▲③千畳敷の堀切

滝山城/千畳敷の馬出し
▲④千畳敷の入口からも中の様子は見えず

「千畳敷」というだけあってかなりの広さ。
という訳でもありませんでした。
三の丸も二の丸も同じ位の広さです。
「四の丸」では縁起が悪いのでしょうねw

滝山城/二の丸と中の丸の堀切
▲⑤中の丸の堀切

千畳敷と二の丸とを越えると再び深い堀切。
本丸方向は更に深い堀切があり、引き橋は通行止め。
必然的に中の丸へ進まざるを得ません。

中の丸の周りのかなり深い堀切で囲まれています。

滝山城/中の丸の虎口
▲⑥中の丸の虎口

そしてこれが中の丸の入口にあたる虎口。
やはり真っ直ぐではなく、高い土塁で囲まれています。

滝山城/中の丸からの眺め
▲⑦中の丸からの多摩川方面が一望できる

中の丸もかなりの広さがあり、その北の端からは多摩川が一望できました。
普通のお城ならここが本丸でもおかしくありません。

中の丸から本丸へは脇の細道から北の小さな腰曲輪に下ります。
更に深さ10mはあろうかという谷間に向かってうねうねした細道を下ります。
そこからまた20mはあろうかという真っ直ぐな階段。

城跡にあるまっすぐな階段・・・・を登ると、やっぱり鳥居がありましたw
本来の城の通路ではありませんね┐(´∀`)┌
・・・ということは、本丸への道は中の丸からの引き橋1本ということに。

滝山城/本丸
▲⑧本丸

本丸はかなり広く、神社が3つほどありました。
やはりお城は古戦場ということなのでしょうか。
山城には大抵神社がありますね。

滝山城/城址碑
▲⑨本丸にある城址碑

本丸の南東隅、引き橋の脇に立派な城址碑がありました。
おいらの場合、やはりこれが有るのと無いのとでは達成感が違います。
でも、ここの場合は圧倒されっ放しですっかり忘れていましたがあせる

滝山城/弁天池から南を見上げる
▲⑩弁天池の跡から千畳敷を見上げる

本丸の南にある虎口を出ると地形は複雑に。
土塁で出来た迷路を下るような感じ。
まあ、それが馬出しなんでしょうがw

一番底まで下りてみました。
縄張図では「弁天池」が描かれている場所です。
そこから見える風景は複雑な地形そのもの。
写真でもわかるとおり、平坦ではありません。
池を舟で本丸に渡ろうとしても底が引っ掛かって進めなかったかもしれませんね。

来てみた感想は「とんでもなくすごい山城」でした。
関東の覇者・後北条氏の1方面の拠点だけはあります。

小机城跡にも行ったことがありますが、それ以上です。
小机城もとても深い空堀が複雑に巡って見応えありましたが。
こんなとんでもないお城を築くなんて、さすがは一門衆です!


◆お城の歴史◆

1521年に山内上杉氏の重臣で武蔵守護代・大石定重により築かれた。
・・・勢力圏的には扇谷上杉氏の家臣かな~なんて思いますが、気にしない・・・
時期的にはこの3年後に北条氏康が江戸城を陥落させるので、北条氏対策だったのでしょうね。

その25年後の1546年には、かの有名な「河越夜戦」により扇谷上杉氏が滅亡。
この時に武蔵の土豪はこぞって北条氏の配下となりました。
大石氏もその中に含まれます。
両家の友好の証として、氏康の3男・氏照が婿養子となりました。

しかし、大石氏は氏照をはじめとして北条氏を快く思っていなかったようです。
北条氏と敵対する上杉謙信や、抵抗を続ける三田綱秀と誼を通じていました。
このことがバレたのでしょうか、3年もすると追放されてしまいました。
・・・ということで、大石氏は完全に乗っ取られたのでしたw

上杉謙信が関東に攻めてくるようになると、氏照は滝山城に大改修を加えます。
天然の複雑な地形を巧みに利用した防御力の高いお城のように思えますが。。。

1569年には三国同盟を破った武田信玄が攻めてきました。
信玄の本隊2万は碓氷峠を越えて上野国から南下。
小山田信茂の別働隊は小仏峠を越えて西から攻めて来ました。

氏照は2千の軍勢を派遣し廿里砦で小山田軍を迎え撃ちますが返り討ちに。
小山田軍は氏照が籠城する滝山城に攻めかかりました。

小山田信茂は山県昌景から「文武相調ひたる人物はほかにいない」と言われた程の武将です。
さすがの氏照もかなり攻め込まれましたが、何とか二の丸で防ぎ切りました。
あまりの消耗具合に、信玄は滝山城攻略を諦め、そのまま小田原に向かったそうです。

滝山城は武田信玄を退けたのですが、氏照は納得しなかったのでしょうか。
防御に問題があるとして、八王子城を築いて移り、滝山城は廃城になりました。
その八王子城は未完成のまま1590年に豊臣秀吉によって攻め落とされました。


所在地:東京都八王子市丹木町

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