なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

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戸倉城は駿河からの侵攻に備えるための城でした。
訪問日は2014年9月20日です。

【写1】戸倉城

登城路が描かれていなかったので、案内図を2枚セットでパクリます。
こうして見ると、私が訪ねたのって本城だけでした・・・
左側の図を見ると、西曲輪の辺りにボコボコと色々描かれていますあせる

【写2】戸倉城

上の右の図の「現在地」と示された登城口です。
ここにはクルマを停められる専用の駐車場があります。

【写3】戸倉城

登城路です。
さすがは公園として整備されているだけあって、とても歩きやすいです。

【写4】戸倉城

登城口から登ること6分で本城に着きました。
山城としてはどうか?と思う位にアッサリ登れましたあせる

【写5】戸倉城

ココにはエリンギ形?の展望台とおぼしき構造物があります。
ここはもうちょっとお城を意識したものにして欲しかったですね・・・w

【写6】戸倉城

沼津方向の眺めです。
駿河からの侵攻に備えただけあって、とても見晴らしが良いです。
狼煙台的な役割なら、そんなに要害堅固である必要はなかったかもしれませんね。


◆歴史◆

北条氏綱により1537年頃に築かれました。

北条氏綱は後北条氏の2代目です。
伊勢盛時の嫡男として駿河で生まれ、今川氏親とは従兄弟です。
家督を継いだのは1523年頃で、北条姓を名乗るようになったのはそれ以降です。
そんな北条氏綱がなぜ「駿河からの侵攻」に備えたのでしょうか・・・?

北条家と今川家は同盟関係にあり、協力して甲斐の武田信虎と戦っていました。
しかし、1536年に今川義元が家督を継ぐと、状況が変わりました。
今川家の中でも甲斐侵攻に積極的な派閥と、そうでない派閥があったようです。
今川義元が家督を争った花倉の乱は、この派閥争いが具現化したものでした。
北条氏綱はこの時、今川義元を支持したのですが・・・

勝利して家督を継いだ今川義元は、武田信虎の娘を駿府に迎えて同盟を結びました。
激怒した北条氏綱は、駿河へ侵攻して河東地方(富士川の東側)を占領しました。
これが第一次河東の乱です。

1545年、今川義元が反撃に転じました。

1541年に北条氏綱が没し、武田信虎が子の武田晴信に追放されました。
この情勢の変化をうまく捕えたのが今川義元でした。
今川義元は武田晴信といち早く同盟を結びました。
さらには関東で北条氏の進出に手を焼いていた両上杉氏にも連携を呼び掛けました。
今川義元は武田晴信や京の高僧を介して北条氏康と交渉を重ねますが、うまく進まず。
交渉が決裂したのは、今川義元の狙いだったかもしれません。
その直後に今川義元は駿河東部へ侵攻、両上杉軍も武蔵の河越城を8万の軍勢で包囲しました。
北条氏康は今川義元に対しては折れ、駿河東部は今川義元が取り戻しました。
戸倉城は当時伊豆国だったため、以後は対今川の最前線となりました。

1568年末、武田信玄が駿河に侵攻しました。

今川家の衰退に付け込み、武田信玄が同盟を破棄して駿河に攻め込みました。
武田信玄は当初、北条氏政に今川領の折半を持ち掛けていたそうですが・・・
今川氏出身の母を持つ北条氏政は、この申し出を突っぱねました。
北条氏が誘いに乗らなかったため、武田信玄は徳川家康に折半話を持ち掛けたのでした。
武田軍が駿河に攻め込む気配を察していた北条軍は、駿東各地に援軍を出していました。
武田軍は駿府を陥落させたものの、北条軍の動きに押されて一時退却を余儀なくされました。
武田信玄は翌年になると反撃を開始し、一時は小田原城を包囲するなどしました。
駿河でも武田軍が優勢に戦いを進め、駿河東部は興国寺城を残して武田領となりました。
ココは当時は伊豆国だったので、手を出さなかったのでしょうか・・・?
またしても、駿河を監視する役目を負いました。
1571年に北条氏康が没すると、北条氏政は武田信玄との同盟を復活させました。

1578年、北条氏政と武田勝頼が再び敵対しました。
越後であった御舘の乱で武田勝頼は北条家出身の上杉景虎を支援した、、、筈でした。
終わってみれば上杉景勝側になっており、しかも武田勝頼の妹が嫁ぎ同盟を結びました。
これにより北条氏政は武田勝頼との同盟を解消し、再び敵対することとなりました。

1581年、戸倉城が武田方の城となりました。

城主の笠原政晴は北条家の重臣でしたが・・・
他の重臣達が武田軍との戦で功を挙げるのに対し、すっかり出遅れました。
そうしてついには「臆病者」とまで呼ばれるようになり、立場を失っていました。
そこへ武田軍の沼津城代・春日信達の調略を受けて、笠原政晴は寝返りました。

再び北条氏の城となり、北条氏滅亡とともに廃城となりました。

1582年に武田勝頼が滅ぼされた後、戸倉城は再び北条氏の城となりました。
笠原政晴は一時浪人となったものの、北条氏に帰参することが許されました。
誰が城主になったのかは?ですが・・・
1590年、豊臣秀吉が北条氏政を討伐しました。
東海道を下る豊臣軍を迎え撃つため、近隣の北条軍は山中城に集結しました。
山中城は豊臣秀次率いる7万の軍勢が攻め、僅か半日で落城しました。
この時に戸倉城を守る兵も山中城へ向かい、北条氏滅亡後はそのまま廃城となりました。


所在地:静岡県駿東郡清水町下徳倉(本城山公園)

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