1995.1.17
成人式を二日前に済ませた当時二十歳の僕は現代医学をもってしてでも完治させる事の出来ない謎の奇病「風邪」に冒されていた。
明け方、激しい揺れで目覚め「戦争や!」と叫んだ事。
自宅が吹っ飛んだ事。
弟がタンスの下敷きになったのを見て「逝ったか…」と思った事。
家を出た時、近所のオバハン達のスッピンを見て思わず激怒した事。
向かいの家のオッサンを助けに行ったら子犬みたいに震えていた事。
僕だけ連絡がつかず、友達が単車で探し回ってくれた事。
その友達が最初、小学校に探しに行ったら講堂内が遺体安置所だった事。
弟とローソンのストックルームに盗みに入った事。
水が無いから缶チューハイで歯を磨いたら昼間から酔っ払った事。
トイレの水を流す為、バケツを持って川に汲みに行った事。
近所のオバハンが精神に異常をきたして道端で立ったままウンコしてた事。
人が埋まってる文化住宅を掘り返してたら首の取れた遺体が出てきた事。
多くの埋まってる人を平然と見殺しにした事。
一瞬、綱を離した瞬間に走り出した飼い犬が目の前で自衛隊の車に轢き殺された事。
ブランドヌビアン「word is bond」が木っ端微塵に粉砕していた事。
近所のオッサンが火災保険目当てで自分の家に放火した事。
何故か家の周りだけ電気水道ガスが復活したのが震災半年後だった事。
日に日に増える親戚、友人の朗報訃報に涙を流した事。
圧死に焼死、沢山の身内が亡くなった事。
小学校で行われていた弁当の配給で、20人家族や!と嘘をついてまで食料を確保した事。
近所のオッサンらで自警団を結成した時、タダで人をシバける!と思ってワクワクしながら集合場所に行ったらオッサン連中は木刀やゴルフクラブ持参で集まってた事。
夜回り後に酒屋のオバハンがいれてくれたブランデー入りの紅茶で身体を温めた事。
崩壊した街を見て多くの人が涙を流した事。
地域コミュニティの結束力を力強く思った事。
人の暖かさと冷たさの狭間を垣間見た事。
若い女性の亡骸の側で彼氏と思しき人が呆然と立ち尽くしていた事。
懐中電灯の光を頼りに家族で食事をした事。
震災当日の夜中に三宮に遊びに行ったら機動隊に追いかけ回された事。
水が無いからひたすら酒を飲んでいた事。
何より…
人の命は屁よりも軽く、そして何よりも重いと痛感した事。
今となっては笑い話になる苦労話。
2011.3.11
東北地方で大きな地震があった。
僕らの経験した地震よりも、絶望と結合したその被害規模は想像よりも遥かに大きかった。
東京/茨城や仙台にいる親戚や友達の安否が気になってしょうがなかった。
地震に加え、沿岸部を襲った巨大津波は全てを飲み込み消し去っていた。
これがもし日中ではなく12時間早いか遅いか、だったら亡くなった人数は計り知れないだろう。
毎日繰り返される報道はいつしか「いかにエグった絵を撮れるか」に変わっていった。
間違った報道に間違った情報。
それでも被災地の人達は懸命に一日一日を生き延びようとしている。
僕に何が出来るだろうか?
僕が一日を100%で生きているとしたら、101%で生きてみよう。一人一人の頑張りはほんの少しでもいい。1%を被災地に向けよう。皆の1%が集まれば大きな力になるはず。
焼肉 三千里に募金箱を設置しました。
本当に色んな方が沢山の募金をしてくださってます。アルバイト達も皆でお金を出し合って募金してくれました。皆様の善意で集まったお金は日本赤十字に送ります。あわよくば被災地の方々でも特に、一歩間違えれば「死」に直結するお年寄りや乳幼児、障害者といった社会的絶対弱者の方々に使われてほしい。原発で闘っている作業員の方々の為に使われてほしい。
様々な感情や紆余曲折を経て、阪神大震災から16年。
街や人は完全に復興した、かどうかは分からない。と言うより復興ではなく一から作り直した、と言った方が妥当なのかも知れない。
16年間という期間を経て、神戸は今の姿になった。
東北地方の被害規模は阪神大震災より遥かに大きいです。
でも、神戸はたった16年でここまで再生する事が出来たんです。
人間は自然現象には勝てないけど、多くの哀しみや苦しみを背負っていかないといけないけど、それでも自分自身には負けたらダメなんです。
本当に大変なのはこれから。被災地の方々や、闘っている方々にはホンマに頑張ってほしい。
絶対いける!!