“甘い海”。
16世紀にヨーロッパ人がこの水域をこう称したのは、海のように広大ではあるが、
「塩辛い水(塩水)」ではなく、「甘い水(淡水)」が流れていたためである。

 向こう岸が全く見えず、河口付近では最大で219キロもあるこの河にはその後、
銀の存在の噂がもととなり、“リオ・デ・ラ・プラタ Rio de la Plata(ラプラタ河
(銀の河))”という呼び名が定着した。

 スペイン人が支配したこの河口付近を中心とした広い地域は長い間、
“ラ・プラタ政府”などと呼ばれていたが、次第に“アルヘンティーナ”という単語が
使われるようになり、独立国家となった19世紀に正式に採用され始める。

 アルヘンティーナ Argentina(アルゼンチン)。
語源はラテン語の argentum。「プラタ」と同じく、「銀」のことである。
資生堂のデオドラント“Ag+”でお馴染みの、銀の科学記号の元でもある。
スペイン語の「プラタ」は、「銀」の他に、(日本語では「金 Au」(※注1)を
使う)「お金」のことも指す。雑誌の“あるじゃん”(こちらはフランス語 argent)も
お金のこと。

 また、この国造りのプロセスの中で、ラプラタ河河口に位置する中心都市
ブエノスアイレスが国の首都となり、ブエノスアイレス州の州都が必要となったため、
急遽設計され造られたのが、碁盤の目ように規則正しい道路が走るラプラタなのだ。

 こんなラプラタで育ったオレは、四半世紀ほど前の小さいころ、他の町にある
不規則に曲がる道の存在が不思議でならなかった。環境とは怖いものである。

 知るばぁ知るほど、何とも「銀」とのゆかりが深い土地であるということに
気付かされる。

                    つづく


     ーーーーー 本日のチステ ーーーーー
 
■「車のハザードが作動してるかどうか、チェックして」
「うん。今、作動してる。あっ、今してない。今してる。あっ、してない...」

 ーーーーー前回のチステへの正しいツッコミーーーーー

 (お気付きのように、アルゼンチンのお笑いは基本的にボケっぱなし、
あるいは、ボケ倒しである。それぞれが、心の中でツッコまなければいけない。
その一例を紹介しよう。瞬間的に似たようなツッコミが出来た方は、チステ上級者かも)

◆どんだけ殺傷力のあるマズいメシだよ!


※注1:銀行、賃銀(賃金)、路銀(旅費)のように、日本でも「銀」は「お金」を指す。

(追加)タイトル解説:燻し銀。
AD
 ちょっとしたアドバイスを。

 基礎を持つべし。

 言語の勉強に限らず、基礎が無ければ、何も構築することはできない。
日本人にとっての基礎とは何か?
日本語である。

 そのためには、まず日本の文化に目を向けてみよう。
社会、食文化、習慣、国民性、美意識、倫理、道徳、その他全てが絡み合い、
互いに影響し合っているのである。その中で「日本語」という言語とその話し方が
成熟してきたのだ。

 人間は、イメージで物事を捉えることができるが、考えるときは基本的に
「言葉」を使用するのである。その言葉が貧しければ、基礎も乏しいものに
なってしまい、うまく物事を組み立てられなかったり、変形してしまったりする。

 その上に外国語を積み上げていくのだから、「基礎」はとても重要だ。

 外国語を学ぶのには、その言語に接する「時間」は絶対的に必要な要素だと思う。
しかしここでも、文法や、その言語を使用する国の文化などの「基礎」を理解する
ことによって、習得しやすくなるだろう。言い回し、ことわざ、スラング(俗語)、
慣用句、隠語などに注目すると面白い。

 日本の言語や文化を理解していると、外国のそれなどと比較して楽しみながら
勉強することができるだけではなく、外国人に日本のことを紹介することもできる。
こうなると、グローバル(世界的=無国籍)な存在になってしまうという危険に
陥ることなく、インターナショナル(国際的)な人間になれるであろう。

                    つづく

     ーーーーー 本日のチステ ーーーーー
 
◆「あなた、起きて!ネズミが夕食の残りを食べてる音が聞こえるわ」
「いいから、放っといて寝よう。明日、庭に埋めとくよ」
AD
 「アイスクリーム買いに行きたい」とシトン。
「その前に、ちょっとオモロいところに寄ってみる?」
ホテルの周辺地図を見ながらオレは答えた。
とある遠征での出来事である。

 静かな裏路地を歩きながら高架を潜り、少し進むと大通りへと出た。
右へ折れると、間もなく巨大な黄色い看板が現れ、賑やかになった。
「最近は、野菜まで置いてあるんだ...」
オレはそう思いながら店へと入った。

 スーパーになっている1階は、用がないので素通り。
そして、2階を目指すべく階段へと急いだ。南米の市場の、露店がひしめく
通りによく似たドン・キホーテの店内を見たシトンの目は、キラーン。

 サングラス、バッグ、車用品、電化製品などを一通り物色したのち、
いたずら&パーティーグッズが置いてあるところで、風車のように大っきい
この人は立ち止まった。キラーン。壁にぶら下がっている様々なグッズの説明を
すると、“汚れる石けん”を買い物カゴへ放り込んだ。
もう使用したのだろうか? 報告はまだない。

 その後、乾電池などの必要なものを購入し、31アイスクリームを買うと、
それを食べながらホテルへと戻った。

 しかしこの日、最も目がキラリーンとしたのが、ヘリウムガスの入った缶を
発見した瞬間だったのをオレは見逃さなかった。 一旦手に取ったが、元に戻したのは
「スーツケースに入らないな...」と思ったからだろうか。
かなり、残念そうだった。

 今度、シトン宅最寄りのドン・キホーテをカーナビに登録してあげようと思う。
これで、念願のヘリウム缶を購入できるだろう。

                    つづく
AD

チステ

 アルゼンチンでは、ジョークや小咄のことを chiste(チステ)というが、
それををいくつか紹介しよう。

 基本的にブラックなので、免疫のない方はご注意。
(比較的ライトなモノをセレクトしてみた)

◆あいつは、余りにもうっかりしてるから、
「うっかりものコンテスト」で、うっかり優勝を逃してしまった。

◆とある田舎での出来事。
馬車で移動中に、息子が父親に
「パパ、英語の勉強したいよ」と相談すると、
「そんなもの、勉強してもしょうがない」と父親。
と、そのとき、隣に自動車が止まり、中からカップルが
「エクズキューズミー。ホエア イズ ラ・キアカ?」と聞いてきた。
「あんたら、何言ってんのか、さっぱり分からん!」と父が答えたら、
「アイ ドント アンダースタンド。ソーリー」と諦め、車は去った。
そこで、父は息子にこう言った。
「見たろ、あいつら英語を話すけれど、何の役にも立ってないじゃないか!」

◆頭部のみで産まれた青年の18歳の誕生日。
「息子よ、バースデープレゼントを持ってきたよ!」
「また帽子じゃないでしょ?」

◆霊媒師を通じて、亡くなった夫と会話する妻。
「ペペ!ぺぺなの?」
「そうだよ」
「そっちは、私と一緒にいた“この世”よりいいの?」
「ああ、ずっといいよ」
「ねぇ、教えて。天国ってどんなとこ?」
「ん?オレがいるのは地獄だよ」

◆登山家二人の話。
山道を歩いていると、お腹を空かした大きなクマが突進してくるのが見えた。
一人がナイフを抜いて待ち構えると、もう一人は、リュックを降ろし、
ブーツを脱ぎ、運動靴へと履き替えた。
「クマより速く走れると思ってるの?」
「いや。でも、あんたより速く走ることができれば十分だ」

◆「ママ、おじいちゃんキライ!」
「分かったわ。それじゃ、野菜だけでもいいから、食べなさい!」


 また、タトエや比喩も大好きである。
これがニックネームになったりもする。
(くりぃむしちゅ~・上田風味でお楽しみ下さい)

●小ささ:
「お前は、鉢植えのターザンか!」
「お前は、ヤギのジョッキーか!」

●空腹:
「腹減った~。小学校の教師より空腹だよ!」(安い給料が問題になっている)

●ケチ:
「お前のポケットにはワニがいるのか!」(財布が取り出せない)
「お前、肘で歩くタイプだろ!」(靴の底を減らさないために)

●運動音痴:
「お前は草履か!」(スポーツでは全く使えない)

●役立たず:
「お前はバイクの灰皿か!」
「お前は飛行機のクラクションか!」


 と、まあ、こんな感じである。
いかがだったでしょうか?

                    つづく

vs 機械

 世界にはたくさんの国がある。

 それぞれの国にそれぞれの文化があり、言葉を捉える感覚は、風習同様、
少しずつ違うのである。同じ国の中でも微妙な違いが生じるのだから、異邦人が
異質であるということは当然なのである。また、それがこの世の中をバラエティに
富んだものにし、面白くしているのだ。通訳はそこを、相馬のアップダウンの
ように、激しく(脳内で)行ったり来たりしている。

 文化⇔文化 の往復の連続である。

 これを、言葉⇔言葉 の「置き換え」のみで対処しようとすると、
混乱を招くことになる。

 通訳は、interprete(スペイン語)や、interpreter(英語)などと
いわれるが、これには、“解釈”や、それに基づいた“演出”という意味も含まれる。
まさにその通りである。オレも通訳を生業とする前に、「私はこう訳す!」
という翻訳家や通訳の発言を聞き、「訳し方なんて一つだろう...」と思って
いたのだが、通訳の表現のし方も、通訳者の数だけ存在するのである。

 通訳しているとき、訳の候補が数個頭に浮かぶ。その中から、発言者の性格や
状況などに最も当てはまると判断したものを使用している。別の通訳が別の
オプションを使用してもおかしくないし、別の状況では訳し方を変えるかも知れない。
「あっちの方が適してたかな...」と反省することもしきり。

 例えば、アルゼンチン人の感覚で発した言葉を、アルゼンチンテイストを
損なわないようにしながら(発言のニュアンスを変えないという前提で←これも
結局はオレの解釈ということになるが)、日本語の感覚へと持っていく。
そして、その逆。それがオレの仕事である。

 今のところ、まだ機械にそういうことが出来ないから、通訳という仕事が辛うじて
この世の中に存在するのである。

                    つづく