蛍の光

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何日か前に、「我は海の子」について書きましたが、そのときにも

触れた「蛍の光」の歌詞について書いてみます。


「蛍の光」という曲を知らない人はいないと思います。

日本では別れの曲として認識されていることが多いと思います。

なにしろ公共施設のみならず、一般の店舗でも閉店前にこの曲を

流すところは多く、また卒業式などの定番ソングでもあるからです。


帝国海軍時代から、別れの曲として使っていたわけですから年季

がはいっています。

ただ、近年は卒業式の定番ではなくなってきているそうです。

このところはポップスなど新しい曲を使う卒業式が多いのだそうで

すが、僕は「蛍の光」好きですね。

もともとはスコットランド民謡ということですが、覚えやすく流れる

ようなメロディでありながら、どこか厳かです。


ところで、この「蛍の光」にも戦後封印されている歌詞がありました。




ほたるの光  窓の雪
書よむ月日  重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞ 今朝は 別れゆく


とまるも行くも 限りとて
かたみに思う 千よろずの
心のはしを   一言に
さきくとばかり 歌うなり


筑紫のきわみ 陸(みち)の奥
海山遠く     へだつとも
その真心は   へだてなく
ひとつに尽くせ 国のため


千島のおくも  沖縄も
八洲のうちの  守りなり
至らんくにに  いさおしく
つとめよ わがせ つつがなく



3番4番は軍国主義的だと見る人も多いようですが、僕はそうは
思いません。

国を守る人たちを送り出す曲として、相応しい曲だったでしょうね。


「我は海の子」のときもそう感じましたが、ひとつの歌が抱えてい

るさまざまなものを、もっと感じ取ることが必要だと思います。


仲間と話をしてみたり、子どもたちの意見を聞いてみたり…

そして歴史が作り出した曲として、長く大切にしたいと思います。

我は海の子

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今日は都心での仕事続きで練習を見ていません。

なので全くサッカーと関係のない話にします。



先日、紀伊水道を渡るフェリーの上でふと口ずさんだあの歌。

僕の大好きな「我は海の子」という歌です。


この歌の歌詞をすべてご存じですか?

たいていは2番くらいまでは知っているようですが、実は7番まであります。

その歌詞をご覧ください。



我は海の子


我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ

生れてしほに浴して 浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を 吸ひてわらべとなりにけり

高く鼻つくいその香に 不断の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く

丈余のろかい操りて 行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底 遊びなれたる庭広し

幾年ここにきたえたる 鉄より堅きかひなあり
吹く塩風に黒みたる はだは赤銅さながらに

浪にただよう氷山も 来らば来れ恐れんや
海まき上ぐるたつまきも 起らば起れ驚かじ

いで大船を乗出して 我は拾はん海の富
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国



なんと壮大なスケールの歌詞でしょうか。

無限に続くかと思える大海原を見ながら育った少年の姿が見えるようです。


でも7番の歌詞が問題だと見る人がいるせいか、すべてを知っている人は

少ないようです。

もちろん意図的にそういう歌詞を救ったという見方もあるわけです。

たしかにそういう見方をする人がいても仕方のないことですが、そのために

この歌が中途半端な形で扱われるのはなんだか残念でなりません。


僕は僕の子供たちに、僕の人生の後輩たちに、

海を見ながらこの歌を歌いたい。


この歌を歌い伝えていきたいと思います。


実は「蛍の光」にも同じような話があります。

でもそれは次の機会に…

TOMASコンサート

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今日、3月31日はオーケストラの日だそうです。

耳(33)に良(1)い、ということのようです。


そんな日に、もう恒例となったリソーl教育グループ主催のTOMASコンサート

がサントリーホールで行われました。

回を重ねて今年が第8回ということになります。


僕は4回目の参加なので、半分は鑑賞させていただいたことになります。


今回の目玉はなんと言ってもソロのピアニスト、小林愛実(こばやしあいみ)さん

でした。

小林さんはなんと小学校5年生(新6年生)です。

しかしその演奏は…驚き!

モーツアルトのアイネ・クライネ・ナハート・ムジーク」、ベートーヴェンの「ピアノ

協奏曲第1番ハ長調」を素晴らしい音色で奏でてくださいました。


丸々3時間のコンサートでしたが、最後まで聞き入ってしまいました。


コンサートのインターミッションで、TOMASの岩佐会長にもご挨拶しましたが、

今年こそ、J1に復帰してほしいと激励をいただきました。


明日は4月1日、新しい年度の始まりです。


ヴェルディはもう一度リーグ開始時の初心に戻り、精一杯闘います。



つま恋ライヴ

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今日はヴェルディともサッカーともまったく関係のない話題です。

興味のない方はパスしてください。





モンテディオ戦のあった23日、静岡県掛川市の「つま恋」で

かぐや姫と吉田拓郎のコンサートが開催されました。


31年前の夏、夜を徹して行われた同じ顔ぶれのコンサート。

僕は19歳の浪人生でしたが、あの場所に立っていました。


中学・高校とスポーツと音楽と小説に明け暮れていました。

サッカーは中学までクラブチームでやっていましたが、部活は

中高とバスケットボールでした。

そしてバンド活動にも熱心で、当時は3人組のアコースティック

バンドを組み、まさにかぐや姫の楽曲は全曲コピーし、文化祭は

もちろんのこと、自分たちでライヴハウスを借り切り、まじめに

ライヴにも取り組んでいました。


京都でも有数の進学校にいましたが、あまりにも高校生活を

満喫したため受験に失敗し浪人生活に入り、急にスポーツを

絶ったため4ヵ月で15kgも激やせし、迎えた夏に迎えたあの

「つま恋」でした。


浪人の分際でありながら周囲の冷たい目線を無視し「つま恋」

行きを敢行し、酷暑の中、たった一人でコンサートを楽しみ、

帰ってきてから日射病でぶっ倒れました。

しばらく寝込んだ後に早朝のランニングから始め、スポーツと

音楽を取り戻しつつ受験に取り組んだ、そんな転機となった

一大イベントでした。


その後、大学に入学してから本格的に活動していたバンドでも、

かぐや姫の京都を題材とした名曲「加茂の流れに」は、いつも

レパートリーに入っていました。




報道によると当時の平均年齢は21歳、今回は49歳だった

そうですね。

拓郎は今年還暦!19歳だった僕も50歳になりました。


今回のイベントもチケットは完売したそうです。

そんな中、熱心に誘ってくれた方もいましたが、参加するには

日程が許さず、あの聖地に立つことは叶いませんでした。


ただあの頃が、自分の中で風化することはありません。


「懐かしい…」のではなく、「久しぶり…」と感じたのは僕だけでは

ないはずです。

昂まる想いを静めて

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本当に大切なセレッソ戦が近づいてきました。


私が試合をするわけではありませんが、いつもピッチでチームと一緒に

戦っているつもりの身としては、自然に気持ちが昂まってしまいます。


本来は自分でも曲を作り、ギターを弾き歌っていた身ですから、本来は

ヴォーカル系の曲をいつも好んで聴いています。

でも今は、本当に心を鎮めるために、ちょっと目先を変えてジャズを

プレーヤーにかけて聴いています。

Keith Jarreto の The Melody At Night, With You であり

Bill Evans Trio の Waltz for Debby だったりします。

学生時代の仲間がこのブログを読んだら吹き出すかな?

ただ、秋の夜長、残り5試合への気持ちを静めるにはかなり有効です。


この音楽に包まれながら、今夜は早めに休もうと思います。

明日は早朝から、京王永山と稲城でポストカード配布をして、少しでも

多くの観衆の中での試合を目指します。


絶対に勝つ!

我々は、ヴェルディだ!


まだまだ気持ちは鎮まっていませんね!

いろんな想いを、すべて闘志に変えたい…

戦争は知らない

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私がはじめて自分のお金で買ったレコードは、「帰ってきたヨッパライ」

という曲でした。1967年、小学校5年のときだと記憶しています。


ザ・フォーク・クルセダーズという京都の学生のグループの曲です。

何年か前に一時的に再結成したことがあるので、ご存知の方のいるか

と思います。

つい先日、ゴールデンベストというCDを買って聞いていて、懐かしくて

涙が出そうになりました。

そのフォークルにこんな曲があります。



「戦争は知らない」


野に咲く花の 名前は知らない

だけども 野に咲く花が好き

帽子にいっぱい 摘みゆけば

なぜか涙が 涙が出るの


戦争の日々を 何も知らない

だけど私に 父はいない

父を想えば あゝ荒野に

赤い夕日が 夕日が沈む


戦で死んだ 悲しいの父さん

私はあなたの 娘です

20年後の この故郷で

明日私は お嫁に行くの


見ていてください 遥かな父さん

いわし雲とブ 空の下

戦知らずに 20歳(はたち)になって

嫁いで母に 母になるの



ちょうど第二次世界大戦が終わって20年ちょっとが経って、こんな時代

だったんだなと思います。

自分が歌っていた頃の想いと、自分が二十歳になった頃、そして今

自分の子どもたちがこんな曲を理解する年齢に近づき、受け取り方も

かなり異なりますが、時代を経ても良い曲は変わりません。


ちなみにこの詩を書いたのは、あの故寺山修司さんです。