私は、小学校の読み聞かせボランティアをしています。

年に一回大掛かりなスペシャルイベントをします。

この読み聞かせボランティアの対象は、この小学校の生徒とその保護者だけなので、クローズドなボランティアなのですが、スペシャルイベントは毎回、手が込んでいます。

低学年、中学年、高学年に分けて各1時限ずつ、絵本とストリーテリング(物語を暗記して語る手法)、人形劇のプログラムです。

 

今年の人形劇は「泣いた赤鬼」でした。

「泣いた赤鬼」のお話しはご存知でしょうか?

人間と仲良くなりたいと願う赤鬼のために、友達の青鬼は自分が悪い鬼となって、人間に悪さをする寸劇をして、赤鬼に自分をやっつけさせます。

悪い鬼を退治してくれた赤鬼を人間は信用しました。

おかげで赤鬼の願いは叶って、赤鬼と人間は仲良くなりました。

しかし青鬼は、赤鬼に黙って旅に出てしまいます。

それは赤鬼と青鬼が、実は仲が良いことを人間に知られてしまうと、せっかく築いた赤鬼と人間との絆を失ってしまうことを恐れたからです。

赤鬼はしばらくして青鬼のことが気がかりになり、青鬼の家を訪ね、青鬼が旅だった理由を知り、泣き続けました。。。終わりというお話です。

 

スペシャルの企画の段階で、泣いた赤鬼の内容がスペシャルにふさわしいかどうかで賛否両論の意見がでていました。

「スペシャルなのだから“楽しかった、ああ~よかった”というハッピーエンドなお話しがよいのでは?」

「いや、今回はいつもと違う感じのものにしたい」

 

毎回スペシャルが終わると小学校の子どもたちから感想文が贈られてきます。

読むのがとても楽しみです。

「いつも読み聞かせをしてくれて、ありがとうございます」

「お話しを楽しみにしています。これからも頑張ってください」

「忙しい中、練習をしてくれて、ありがとうございます。お体に気を付けてください」

などなど、私たちを気遣ってくれることまで感想文に載せてくれます。

 

泣いた赤鬼の感想に

「感動しました」

「面白かった」

「悲しかった」

「赤鬼と青鬼のように、私も優しい人になりたいです」

「赤鬼のために、青鬼は自分を犠牲にしてまでも行動できるのがすごいと思いました。僕もそんな人になりたいです」

などなど、子どもたちも赤鬼と青鬼の友情について、深く考えたことがうかがえます。

 

人形劇の私の担当は、たいてい人形を操る仕事です。

今回は、村人の人形を操る予定でした。

しかし、赤鬼の人形が思いのほか重くなってしまい、力仕事担当でもある私が赤鬼を操ることになりました。

思わぬ大役に、ちょっと不安もありましたが「わたしは女優、わたしは女優」と言い聞かせ練習に励みました。

 

赤鬼を演じていると色んな妄想が始まります。

このお話しは、赤鬼が主役なのか?青鬼が主役なのか?

 

本当のところ、青鬼は赤鬼をどう思っているのか?

「赤くん、なんだよ!僕という親友がいるのに、人間と仲良くなりたいだなんて!

でも、こんなこと言ったら、心の狭い鬼だって思われてしまうかな。

人間とのなかを取り持ってやって、心の広い鬼であるとアピールするかな」

と思って、寸劇を思いついた青鬼だったけど

「いいさ。僕より人間と仲良くすればいいさ。僕は出て行くよ。もう二度と君とは会うまい」

と、すねてしまった青鬼は、旅に出たのではないだろうか。

 

正しいと思えたことでも、後になって間違っていたこともある。

悪いと見えたことでも、結果は良い方向に進んでいくこともある。

世の中、何が間違っているのか正しいのか、良いのか悪いのかなんて今の状況からでは判断できないことはいくらでもある。

赤鬼と人間との絆は、結局のところ偽りから始まっている、赤鬼と青鬼のしたことは誠実だとは言えないだろう。

偽りの絆など、いつか破綻してしまうだろう。

そうなったときに、赤鬼は人間も青鬼も失い、気づくのだろう。

「本当の友情ってなんだろう。。。」

そして、失った青鬼と真実の友情を探す、赤鬼の壮大な旅が始まるのだった!

【続・泣いた赤鬼~真実の友情を探して~

って、ジブリでもディズニーでもいいから作ってくれないかな~

と、ひとりで妄想するのでありました。

おしまい。

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