こんにちは、なおです。

 

なにげに記事が続いております。

 

過去の記憶がよみがえる。

わたしが経験したかったこと。

 

こちらから先に読んでね♡

 

 

結婚して旦那さんと義両親と一緒に暮らして14年になるけれど

わたしはおそらく、ああ家族っていいなあ♡と

心の底から思ったことがないと思う。

というよりもしかしたら人生で一度も思ったことないのかも。

 

血の繋がりのある家族さえも、わたしが8歳の時に既にバラバラだったから

家族というものの意味が分からなかったのかもしれない。

借家住まいで引っ越しも何度もしてたから「戻る場所」もない。

たとえ旦那さんと大喧嘩しても「実家に帰らせていただきます」なんて言えないの。

 

そして、わたしが実母や兄の問題に触れると(←問題だらけなの 笑

わたしが実家に関わることを好まない旦那さん。

実家を出た嫁なんだから関わらなくていいって。

 

 

旦那さん一家とは、傍から見たら夫婦円満、家族円満だと思う。

でもわたしの中では、わたしはひとりだけ他人で血が繋がってないの。

下宿してる姪っ子までもがみんなと血が繋がってる。

血の繋がりが欲しいと思って、子どもが欲しかったんだ

 

けどね。

 

 

結婚して半年くらいして妊娠したんだけど

その時の反応があまりにもわたしにとって絶望するほど哀しかったの。

 

旦那さんは、妊娠しちゃった、どうしよう?って

まるで結婚してない人みたいな反応。

お義母さんは、えっ?って感じで、祝福の言葉はなかった。

 

ああ、望まれてないや、って。

そりゃあお腹の子も、途中で帰っちゃうよね。

 

家族になれない、ずっと他人だって想いは多分ここから既に始まってた。

 

 

ひとり暮らしをしてても寂しくはなかった。だってひとりだから。

下宿で共同生活をしてるときは、全員他人だったから寂しくなかった。

でもね、自分以外の人が全員家族だと、わたしだけが他人になってしまう。

 

わたしと、旦那さん一家を家族として繋ぐ

わたしと旦那さんの子どもが望まれてないと感じた瞬間。

きっとその時の感情を目一杯蓋したんだろうなって思う。

 

そしてその感情の蓋を開けようとして

また妊娠しては流産することを繰り返したんだろうと、今なら思う。

 

 

ひとりは気楽でいい。

誰にも気遣いしなくていいしね。

でも他人に囲まれた「ひとり」は気遣いをしなければならない。

 

そう思い込んでるんだよね。

愛されてない前提だから気遣いが必要なんだよね。

 

 

 

子どもがいてもいなくても

わたしが旦那さん一家を他人だと思ってるうちは永遠に他人のまま。

でも無理に家族になろうと努力しなくてもいいよなー、とも思う。

 

 

で、どうしたいの?

 

ってことだよね。うん。

どうしたいの?わたし。

 

ちゃんと愛されたい。

わかりやすく愛されたい。

孤独にしないで。

わたしを「ひとり」にして。

 

自分から聴こえたことばはこんな感じ。

 

孤独にしないこと

ひとりにすること

 

相反するようで、そうじゃないの。

ひとりにしてほしいのは、

何にも属さない「わたし」っていうひとつの単位。

 

これはわたしがわたしに願うこと。

わたしを「わたし」として扱って欲しいの。

 

「奥さん」でも「お嫁さん」でもない「わたし」として。

「大人」だから「常識」だからと縛らない「わたし」。

 

 

多分わたしがわたしを「ひとり」にすれば、孤独は感じないのだろうと思う。

たとえ他人の中にいても。

 

 

まだまだ自分に愛と赦しが足りませんな( ̄ー ̄;

 

 

 

で。

結論なんだけど、家族っていいなあ♡って思えなくても別にいいよね。

思えないのは仕方ないんだもん。そもそも家族なんぞ知らん。

何処にいてもわたしがわたしを大事にすればそれでいいんだ。

 

と、今のわたしは少なくともそう思う。3年後は分からない 笑

 

 

あ、10月に住育アドバイザーのまっしーさんに訊いてみよー♡