いよいよ旅も終わり。

両親はとても満足してくれて、何度もありがとう楽しかったといって長野へ帰っていった。
とても短い旅だったけれど。なんだかとても大切なことをした気がする。

親孝行ということばにすると少し安っぽくなるけれど。
でもこうして目に見える形で親孝行をすることは、案外とても大切なことなのだ。

新幹線のホームで迎えた両親は、半年ぶりに会うくらいなのにはっとするほど年をとっている。
電話で話をしたり、年に何度か帰省もしているし、誕生日とかなんとかの日には贈り物を贈っているけれどでも、
そういうことだけでもないんだよなあと、本当に喜んでいる顔をしていた両親を見送りながら思った。

いまこうして3人で撮った写真を見返していて。

父も母もとても嬉しそうな顔をしていることに気づく。改めて。

そう。きっと本当に嬉しかったんだと思う。


だから。きっと来年もまたどこかへ連れて行きたいなと思う。
連れて行けるような私でいたいと思う。

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鎌倉から熱海は伊豆山の宿、蓬莱へ移動する。

伊豆山の蓬莱はずっと前から泊まってみたかった宿だ。

私はこの手の宿やクラシックホテルがとても好き。
安い宿でももちろん平気だし、現代的でシックなホテルももちろん好きなのだけれど、昔から守り続けているものをきちんと引き継いで、大切に伝えていこうとする姿勢とか、最近建てられた建物にはない設えなどは、やっぱり古い宿ならではなのだ。

さて蓬莱。
私たちが案内していただいたのは、3階の葛城というお部屋。
目の前に大きな山桃の枝葉が茂り、遠くに海がみおろせる、それはそれは素敵なお部屋だった。
畳敷きの大きなお部屋と縁のほかに、次の間も檜のお風呂もついている。
ひろびろとしていてとても気持ちがいい。
床の間には書画があり(不苦者迂智と書いてある)、秋の七草が活けてある。

両親も私もすぐにこのお部屋とお宿が気に入って、話をしたりお風呂に入りに行ったりして過ごす。
食事もとてもおいしいし、目にも美しいし(使われている食材も、器もどれもこれも素晴らしいものだった)、お姐さんがたの対応も行き届いている。
お風呂への行き来は足の悪いかたには少し難儀だろうけれど、2箇所あるお風呂はいずれも余りある良さだった。

蓬莱のコンセプトは、家族的であること、なのだそうだ。
必要以上に襟をただしたりかしこまったりしない。そうすることで、しんからくつろいでいただきたいのだ、とお姐さんはいっていた。家族的に完璧なサービスを提供するということはものすごく大変なことだと思う。
それをひょいとやってのける(ようにみせる)のはさすが蓬莱というところだろう。

修善寺のあさばのような華やぎはないし、京都の俵屋のような凛とした感じとも違うけれど、私はこの蓬莱のあたたかさをとても好きだと思ったし、またきたいなあと思える宿だった。(母などはすっかり気に入ってしまって、今度はいつこようかなんていっている)
そういえば。予約をする際に、父の快気祝いであることを伝えていたら。
夕食の敷紙に見事な達筆で「祝快気」と書かれていた。
女将さんが書いてくださったのだとか。
こういう心遣いはとても嬉しいものだ。
食事が終わるまでまったく気づかずにいたのだけれど、父と母は記念にといって醤油をこぼした敷紙を持ち帰っていた。

そんなふうに蓬莱は、とても素晴らしい宿だった。


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蓬莱の中庭。


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縁側。庭の向こうはには海が見える。

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両親と旅行に行ってきた。
父の快気祝いをかねて、鎌倉を案内して熱海で泊まる1泊2日の小旅行。

旅の計画をたてはじめたのは数ヶ月前のこと。

宿は熱海の伊豆山にある蓬莱にする。
旅行が趣味で、最近はちょっといい宿を泊まり歩くことを楽しみにしている両親を下手なところに連れて行けないし、おまけにどこか泊まってみたいところある?と聞いたら、「お母さん、強羅花壇に泊まってみたいわぁ」と無邪気にこたえられてしまったのだ。
(強羅花壇は最低ひとり5万円、高いお部屋だとひとり10万円する)
一瞬遠くの世界に行った私に気づいたのか、母は「あ、でも無理しないでいいからね」と慌てて付け加えていたけれど。

ともあれ。やっぱり満足のいく旅になるといいなと、ちょっと頑張って蓬莱に宿をとった。

朝。新幹線のホームで両親を迎え、そのまま鎌倉へ向かう。
以前も鎌倉を案内したことがあるし、両親もそれとは別に何度か訪れているので、お寺選びも難儀したけれど、ひっそりとした山寺が好きなふたりに、今回は浄智寺と、前回は時間が遅くて見せられなかった報国寺の竹庭を中心に案内しようと決める。

浄智寺は北鎌倉にある古いお寺。
苔むした石の階段をあがる、とても雰囲気のあるお寺だ。
私はふだんあまり遺跡やお寺の案内書(入り口にある看板とか)をあまり読まないのだけれど、その日はなんとなくそれが目に入った。
そこには浄智寺の由来とともに、ここで眠っている澁澤龍彦をはじめとする何人かの有名なかたの名前が書いてある。

ねえねえ、ここ、澁澤龍彦のお墓があるよ。

と両親に伝えたら、ふたりともなんとなく無言になった。

どうしたの?と聞いたら、
まず母が、昨日テレビを見ていたらたまたま矢川澄子さんのことをやっていて(澁澤龍彦と交友があった)、ふとるちゃんの話をしていたとこだったんだ、ふとるちゃんは澁澤龍彦が大好きだったから。といって、
そのあと父が、いや、さっき、お父さんのところに電話かかってきてたでしょう、あれふとるちゃんのお母さんだったんだよ。といった。

ふとるちゃんというのは私の両親の高校のときからの親友で、しょっちゅううちに遊びにきていた画家のおじさまだ。
子どもが好きなおじさまで、私も兄弟たちもとてもかわいがってもらった。
15年ほど前に火事で亡くなって、父はその遺作集を自費出版したし、私はその作品集や版画を持っている。

偶然だね、偶然じゃないかもしれないね、といいながら
3人で澁澤龍彦のお墓に手をあわせる。
澁澤龍彦と、こころのなかでふとるさんにも。

その後、たまたま近くにあった東慶寺(駆け込み・縁切寺として有名。そんなところに行っていいのかと思ったけど両親にはなんら問題ないらしい)に行ってから、山門のなかにある喫茶店でコーヒーとケーキをいただく。

それから報国寺へ。
報国寺は鎌倉のなかで瑞泉寺・浄智寺と並ぶいっとう好きなお寺。
竹のお庭をたっぷりと眺め、

いい頃合になったので、鎌倉をあとにする。


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報国寺の竹の庭。

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京都にはほかにも好きな場所がたくさんある。

真如堂の本堂に向けての階段、青蓮門院の大きな欅、河合寛次郎博物館etc.etc.

そういえば、清水寺のすぐそばに泊まったときに、早朝の清水寺を散歩した。
清水は修学旅行でも家族旅行でも何度も行っているお寺だ。
けれども。朝の冴えた空気のなか、ひとけがない清水寺は、いつもと違う顔をしている。それはそれは清らかで美しいお寺なのだ。


京都の初夏が好きだ。若葉からの木漏れ日が眩しい季節。
紅葉や桜の季節はいわずもがなだけれど、厳しい冬もいい。
雪がはらはらと舞うような日に寺を詣でていると、いつにもましておごそかな気持ちになる。


そもそも京都に最初に行ったのは、小学生のころ。家族旅行だったように思う。
私の両親は家族旅行が大好きだったので、年に数回、みんなで車に乗って旅行に出かけた。そのうちのひとつの行き先が京都だった。

いまよりも交通網が発達していなかった頃のことだ。
たいてい夜に家を出て、朝もやのなか目的の街に着く。
浅い眠りのなか目をあけると、外は高速道路だったり、サービスエリアの駐車場だったり、知らない街角だったりする。
目をあける度に、いまどこ?あとどれくらいで着く?と運転席の父に確認をした。
目的地に…それが旅先であっても、家であっても…近づいてくると安心した。


ワンボックスカーにたくさんの荷物を詰め込んで旅に出た。
運転するのはいつも父で。助手席はたいてい兄が独占する。

母と私とちいさな弟たちは後ろの席に並ぶ。


低く流れるラジオの音。父の背中。夜中の高速道路のオレンジ色のあかり。
サービスエリアで父のために買う眠気ざましのガム。朝もやのなかの街並み。
それが私の旅の原風景だ。


いま京都には兄が住んでいる。
彼は学生のころから京都に住んでいて、京都で就職をした。
学生のころ史学を学んでいた兄は、京都や奈良の名所旧跡をほとんど歩いているらしい。有名なところも、そうでないところも。

私が好きな京都は、すべて兄が案内してくれたり、教えてくれた場所だ。
兄が選ぶ場所は、いつもとても素敵。
静かで品があって心がしずまる。
きっと兄にとっての京都は、そういう場所なのだろう。


今年はいつの季節に京都に行こうか。
そのときはまた兄に素敵な場所を教えてもらおうと思う。

私の日記をよく読んでくださる方から、少し前に京都についてのコメントをいただいた。
好きな街はいくつもあるけれど、京都はとても好きな街のひとつだ。
学生のころからいまに至るまで、ほとんど毎年京都に行っている。


京都のこと。

私が京都でいっとう好きな場所は、南禅寺のそばにある金地院。
金地院は南禅寺の塔頭(たっちゅう)である。
ここはとてもちいさなお寺だし、主だった観光名所とも違うのであまりひともいない。
枯山水の庭は、小堀遠州によるものだ。

歴史とか様式のことはよくわからないのだけれど、
このお寺の方丈の端っこにすわり、凛とした美しさを湛える庭を眺めると、どんどんこころが静まりかえってくる。
いまここにいること。その事実だけで満たされていく感じがする。


妙心寺の塔頭である退蔵院も、好きな場所のひとつだ。
季節の花が咲く庭。静寂を高めるししおどしの音。
ここの庭は起伏に富んでいてとても素晴らしい。こちらは狩野元信による。


退蔵院には水琴窟がある。
きんきんこんこんと細くちいさく可憐な音で響く水琴窟の音色。
耳を澄ませながら目を閉じる。
いつまでもこの音を聞いていたいといつも思う。


余談だけれど、いま住んでいる家のそばの博物館の庭には水琴窟がある。
いつかいさんで行ってみたら、その水琴窟からは近くの道路を行きかう自動車の音が聞こえてがっかりした。水琴窟はまわりが静かでないといけないのだ。


もうひとつ大好きな場所は、樂美術館。
樂家は、千家の茶碗を代々焼いている家で、その歴々たる茶碗がこの美術館には展示されている。
初代長次郎の黒焼の前では本当に言葉を失うし、四代一入の赤樂もしんとしていてとても好きな茶碗だ。
美しい茶碗を眺めていると時間を忘れる。この茶碗が越えてきた歴史を思う。