龍土軒へ行ってきた。



またしても少しばかり忙しい期間に突入しているのだが

今週をもって龍土軒は20ヶ月間お休みになり、

しかも20ヶ月後はいまの龍土軒ではない。


お休みに入るその前に

是非とも龍土軒に行かなくては行かなくてはと思い続け

やっと。それを実現する。



建て替えのため20ヶ月のお休みに入ります、というはがきがきたのは

夏がはじまる前だったろうか。


変わらないものなんてないと分かってはいても

私のなかで龍土軒は

変わらないもののひとつであり

変わってほしくないもののひとつでもある。

勝手な思いだとはわかっていても。


あの煩い六本木の喧騒を抜けて

首都高の下を折れて

そこだけ時代がかわらないような西麻布の路地を歩き

ああそうしてあの先に

龍土軒がすこうしずつ見えてくる。


ドアを開くときはいつもすこし緊張する。

ちいさく息をととのえてドアを開く。

その変わらぬたたずまいに対して。

そういったらマダムもシェフも笑うだろうか。



ただ私にとっては、そういうひとつひとつすべてがたいせつで。

きっと龍土軒は新しい建物になっても龍土軒だろう。

たいせつなのは側ではなく魂だ。

それはわかっているのだけれども。


それでもやはり切ないものは切ないのだ。


そんなことを思いながら昨日は

ドアを開くのにいつもよりもさらに時間がかかる。


さて龍土軒。

いつもはフルコースをいただくのだが

最近どうも胃の調子が悪いことともあって

ランチコースをいただくことにする。


前菜はパテ。

白いお皿に惜しみなくどっしりと置かれたパテは濃厚な味わい。だが口のなかでふわりと溶ける。

スープはカリフラワーのポタージュ。

一見軽やかなのだが、しかし味わうごとに深みを増す。

私は岡野さんのつくるスープがいっとう好きだと今日も思う。

メインは子牛。ソースの味といい彩のよいつけあわせといい、これぞフレンチという正統な料理だ。

そうして最後はデザートの盛り合わせ、そしてコーヒー。


シェフもマダムはいつも変わらず

いや正確にいうと岡野さんはすこし年を召され

一方で奥さまはここ10年ほとんど年をとらず(!)


ナオさんはお酒は召し上がらないのよね、とか

そういえば今日はお仕事お休みなの?とか

いえ仕事中なんです、ボードに「打ち合わせ」と書いてきたから、といったら

あらそうなの、○○○(職場の名前)からいらしたの?と

しばらくぶりなのに職場のことまで憶えていてくださる。


聞けば龍土軒の場所にマンションができて、

その中のテナントとして再開するのだそうだ。

それが、20ヶ月後。

本当は場所を探していたのだけれども

六本木のあたりにはそういう土地がなくってね、と

岡野さんは困ったように笑っていた。

ただ内装はいままでどおりに…お客さまがいまの内装が好きで

かよってきているひとが多いから。

ほらこのランプもね持って行くんですよ、と岡野さんはひとつずつ教えてくれる。


途中、今日いらしていたご年配(おそらく70歳くらいだろう)のお客さまが

お誕生日パーティをしていらっしゃり

そのとき店内にいたひとたち全員がバースディケーキのご相伴に預かった。

私はひとりで行っていたのだが

同じくひとりできていたアメリカ人だという女性も含めて

みんなでお誕生日のお祝いをさせていただく。


そのうちに、その女性の弟さんと

岡野さんがフランスのリセで同級生だったという素晴らしい偶然がわかり

全員でしばらく絶句。

こんな偶然もあるんですねと岡野さんは、

フランスに渡ったばかりの写真を出してきたりする。


龍土軒がなくなるのは淋しいと思っていたけれども
おふたりと話をしていたら

そうしてこんなふうにいらっしゃったお客さまが

龍土軒をとおしてつながっていくこの奇跡を目の当たりにしていたら。


少しずつ。新しい龍土軒が楽しみになってくる。

よかった。そのためだけでも行ってきてよかった。

岡野さんと奥さんのお元気そうなお顔を拝見できたことは言わずもがな。


だいたいこの長い龍土軒の歴史において

20ヶ月というのはそもそもたいした長さではないのだ。そうなのだ。


そんな気持ちで

20ヶ月後の再会を約して

店を出る。


外まで送ってくださったおふたりはずうっと頭を下げていらして

そんなところもきっとまた変わらない龍土軒なのだろう。


この東京最高のレストンランに、たくさんの感謝を。




龍土軒

龍土軒(土に点が正確な字です)。