いっとう好きな果物はいちごである。
ほんのりと甘く少しだけすっぱくかわいらしい香りがする。

数粒をきれいなガラスの器に入れて、ほんの少し砂糖をかけて、さらにそこに牛乳をかえて食べるのが、
もっとも好きな食べ方だ。
いちごと牛乳と砂糖というのは、とてもよい組み合わせのように思う。

最近でこそ、まるのままなにもかけずにかじるのを気に入っているけれども、
子どものころは母がいちごを食べるよというと、
他の子どもたちはコンデンスミルクをじゃぶじゃぶとかけていても
私はひとりでこのいちごの砂糖ミルクがけ、を食べていた。

そういえば。
私は気が利きすぎてよくない、というふうに母からいわれるおとなになった。
だからおまえはおとこのひとに最終的には捨てられるんだよと
歯に衣を着せるということを知らない母は、言ってはならないことまで口にする。
おとこのひとはほうっておいてほしい生き物なのに、
ナオはいつだって手を差し伸べすぎてしまうから、しまいには鬱陶しくなるんだと。
思い当たる節もあるし、そこまでじゃないと反駁することもある。

母の看護学校時分からの友だちに、くわばらさんというひとがいる。
私もずいぶんと昔に一度だけ会ったことがあるが、ものしずかで、ひとりでしゃべり続けている母とは対照的なひとだったように記憶している。

いつだったか学生だったころの母が、くわばらさんのひとりずまいのアパートを訪ねたときのことのことだ。
冷蔵庫からいちごと牛乳と砂糖を出してきたくわばらさんは、美しいガラスの容器に等分にいちごをわけて、そうしてそのいちごを、ひとつひとつ丁寧につぶしてから、母に「どうぞ」と手渡したのだそうだ。

お母さんはいちごをつぶしたのは気持ちが悪くて食べられない、
そのとき、吐きそうになりながら、がまんしていちごを食べたんだよ、
おまえのやっていることは、くわばらさんにとてもよく似ているとおもう。

母は私が恋愛で失敗するたびに、いつだってその話を持ち出して、
だからすっかりとその話は暗記してしまった。
だって最初にその話を持ち出してきたのは、まだ高校生のころなのだ。

私はいちごをつぶして食べたりしないし、そこまで気が利くおんなでもないし、
ましてやたとえば恋人に、自分の好きなことを強制したりはしないつもりだとそのたびに思うし、いうのだけれども、でも実際はどうだろう。
そうしてそんなふうにして母をおそらくはこころからもてなしたくわばらさんのことを、いとしさを含めてかなしいと思ったし、
くわばらさんのそのもてなしをそんなふうに受け止めてしまった母のことも、
なによりもその母に、おまえはくわばらさんと一緒だと定義づけをされた自分のことも。
ひとしくかなしいことだと、その話をされるたびに思う。

真夏の暑い夕方に。
いちごの季節でもなんでもないのにそんな話を思い出して
私はすこしだけあわてて恋人を見にいく。

暑い暑いといっていた恋人はいま
涼しくしたベッドルームで午睡をしている。
健やかな寝息を確かめる。
そうしてやっとためいきをつく。