中村獅童
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歌舞伎の名門・小川家(旧播磨屋、現・萬屋)に生まれる。結婚10年目での待望の長男であった。おおらかにスケール大きく育つようにと、母の陽子は幼い獅童に北海道の雄大な景色を見せたり、アングラやストリップなどの多種多様な舞台を鑑賞させるなどしたという。
6歳の6月より日舞の稽古を始め、獅童自ら舞台に出たいと祖母に直訴。1981年 、8歳で歌舞伎座 にて初舞台を踏む(萬屋3人(歌六・時蔵・歌昇)の襲名興行。『妹背山婦女庭訓』)。当初から二代目中村獅童を名乗る。「獅童」は父・小川三喜雄の俳優時代の芸名で、祖父三代目中村時蔵 の俳号に由来する。父は幼い頃に歌舞伎をやめているため、獅童は歌舞伎役者として後ろ盾がない状態でのスタートとなった。番頭も付き人もおらず、楽屋の支度などは全て母が付き添って行った[1] 。1983年 10月、『春日局 』竹千代 にて松竹 社長賞を受賞。
中学時代よりロックに傾倒し、バンド活動を続ける。歌舞伎が開店休業状態のまま、日本大学藝術学部演劇学科に入学。在学時にはアマチュアバンドを結成している。19歳で歌舞伎の道を目指す事を再び決心するが、後ろ盾がないために役がつかず、最後列の一番端に並んでいるだけの役などを演じる下積みの日々を送る。
1995年 3月、団優太 とボーカルユニット「UNIT33」としてCDを発表[2] 。
1996年 『狐狸狐狸ばなし』おそめ役で歌舞伎座賞を、翌年には「歌舞伎の見方」解説にて国立劇場特別賞を受賞。20代半ばより、歌舞伎と平行して野田秀樹 や大人計画 などのオーディションを受け始めるが、落選が続く。しかし映画『ピンポン 』で準主役の「ドラゴン」の役を射止め、日本アカデミー賞 、ゴールデン・アロー賞 (映画新人賞)、ブルーリボン賞 、日本映画批評家大賞 、毎日映画コンクール の各新人賞5冠を受賞。2002年公開、29歳であった。以降、多数の映画やドラマに出演することとなる。歌舞伎においても、2003年 に『義経千本桜 』『毛抜』にて初の主演を務める。またこの頃、タレントの篠原ともえ との交際が報道される[3] 。
2005年 5月10日、オフィシャルサイトで『いま、会いにゆきます 』で共演した竹内結子 と結婚を前提にした交際をしていたことを発表し、6月に婚姻届を提出。その後の会見で、竹内が妊娠3ヶ月であることも公表した。同年6月、京都南座 にて『船弁慶』の弁慶役を務める。この公演で、初めて一人部屋の楽屋を使うことが許された。同年11月21日、長男が誕生。[1]
2006年 7月12日、酒気帯び運転と信号無視で警視庁に検挙された(飲酒運転騒動 を参照のこと)。2ヶ月の休業を経て復帰。同年10月、妻の竹内結子から離婚協議を求める書面が送付されたことや、竹内とは既に別居状態であることなどが報じられた。2008年 2月29日、離婚が成立。長男の親権は竹内が持つこととなった。






