安室奈美恵の母*平良恵美子さん

義弟による惨殺事件から、ちょうど今日で10年…


1999年3月17日、沖縄県大宜味村…


紅白での感動的なステージで1年ぶりに芸能界復帰し、徐々に久しぶりの芸能活動にも慣れてきて、新たなCM契約もいくつか決まり、全てが軌道に乗り、順調に動きはじめていたさなかの、突然の悲劇でしたしょぼん


それ以後、奈美恵さんには

“悲劇の歌姫”

という痛々しいイメージが付いてしまい、

その頃に頭角を現し始めていた浜崎あゆみや宇多田ヒカルと何かと比べられ、皮肉にもそれはイメージダウンにつながり、人気下降の一因にもなってしまいましたダウン


当時、奈美恵さんはまだ21歳。

21歳という若さで、突然、あんなむごいかたちで母親を失った悲しみは、計り知れません。


でも1番無念だったのは、恵美子さん本人でしょう。

恵美子さんは亡くなる半年ほど前にエッセイを出版していたのですが、そこには壮絶なる半生が記されていましたメモ


母親(奈美恵さんの祖母)が米軍基地で働いていたとき、白人の兵隊との間に生まれたのが、

恵美子さんでした。

だから恵美子さんは、自分の父親についてはほとんど何も知らず、

父の国籍は何なのか…どんな顔をしているのか…

さえ知らなかったそうです。


物心ついてくると、母子家庭という偏見だけでなく“ハーフ”ということでの差別にも悩まされるようになったそうです台風

『お前、アメリカンだろ。さっさと自分の国に帰れ』

と罵声を浴びせられたり、石を投げつけられたこともガーン


差別やいじめにも負けずに成長し、

20歳のときに奈美恵さんの父親である安室氏と結婚。

しかし結婚してからも“母子家庭育ち”ということで夫の親戚から疎まれ、自分だけ安室家の法事に呼んでもらえない、なんてこともあったそうですハートブレイク


なんでも、安室家は代々首里城の王様に仕えた士族の家柄だったそうで、

母子家庭で父親がどこの誰だかわからない恵美子さんは、最初から歓迎されない嫁だったんだそうですむっ


そんな事情でだんだん夫ともうまくいかなくなり、奈美恵さんが3歳のときに離婚。

それからは、奈美恵さん*お兄さん*お姉さん、の3人の子どもを女手ひとつで育てるため、

昼は保母*夜はホステス

と2足のわらじをはいて働いていました。


朝から夜中までほとんど休憩無く働きづめ、休日もほとんど無い生活だったため、

過労で入院したこともあったそうだし、苦しさに耐え切れずに無理心中を考えたこともあったそうです。


そんな激動の時代を経て、3人の子どもたちも全員独立して手が離れ、そして自分も再婚し、

奈美恵さんは芸能界で大成功合格


孫にも恵まれ、恵美子さんは東京で生まれ育つ温人くん(奈美恵さんの長男)に対し、

『大きくなったら、沖縄のキレイな海で遊ばせてあげたい船

そんな夢を描いていたそうです虹


しかし無情にも、その夢が叶うことはありませんでした…。


この世に神様がいるのなら、なぜこんなひどいことをするのだろうと思うしょぼん

ずっと苦労してがんばってきて、それでやっと幸せで穏やかな生活を手に入れられた人を、どうしてこんなに早く、48歳という若さで、死なせてしまうの!?


これから、今までの分、人生を思うぞんぶん謳歌できるところだったのに…


中編へ続く


AD