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2007年01月31日(水)

『トムは真夜中の庭で』

テーマ:ファンタジー・SFとか
Tom's Midnight Garden (1958)
『トムは真夜中の庭で』  フィリパ・ピアス/著、 高杉一郎/訳   岩波少年文庫(1975)



なんとも意味深なタイトルだと思いませんか?

真夜中の庭で、いったいトムは何をしたんだ!? 気になって気になって、読んでしまった。


いえね、欲しい本があって、家や勤め先の近くの書店では見当たらないものだから、amazonを検索していたら、この本のレビューが目に入って、軒並み評価が高いうえに、この題名に惹かれて・・・、図書館で借りてきた次第・・・。



夏休み。弟のピーターがはしかに罹ったため、叔母の家に預けられることになったトム。

叔母夫婦が暮らすのは、かつては大きな邸宅だったのを、いくつかに区切ってアパートとされた所だった。邸宅の周りには、その後に建てられた小さな家がひしめきあっている。

邸宅の1階のホールには背の高い大時計がチクタク、チクタク時を刻んでいる・・・・・。邸宅のオーナーであり、3階に暮らす老婆のバーソロミューさんが大事にしている時計・・・・・。


せっかくの夏休みを、子供は自分一人しか居ない家で過ごさなくてはならなくなった。幾日もつまらない毎日を過ごすトム。
そんなある日、真夜中にホールの大時計が13回の音を鳴らしたとき・・・、トムが邸宅の裏のドアを開けて外に出てみると、そこは庭園だった・・・・。

日の光の下に見える庭園は芝生に覆われ、あちこちには花壇がいくつもあって花が咲き乱れている。芝生の側面には何本かのイチイの木が立ち、温室があり、小径が庭園の奥へと続いている・・・・・

そして、トムはそこで一人の小さな少女ハティと出会う。

毎夜、異なる時間世界へと出掛けるトム。ハティと庭園で遊び、話をする。つまらないはずのトムの夏休みが一変する。


しかし、トムが訪れる度に、少しづつハティは変わっていく・・・。小さな女の子がいつしかトムと同年齢になり、いつしか大人の女性へと成長していく・・・。

そして、ハティから見たトムの姿は徐々に薄い陽炎のようになっていく・・・。


おおよその結末は予想できる。 現代、数あるタイムトラベル小説としてはオーソドックスな展開とも云えるかもしれない。

しかし、それでも、クライマックスには感動を覚える。


トムとハティが共有した経験と感情は、“時”を越える・・・・・。


子供にだけ読ませておくにはもったいない幻想小説。

多少長く生きてきた人間にこそ味わえる感動というものもある。この児童小説には、それがある。

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2007年01月28日(日)

『まだ見ぬ書き手へ』

テーマ:なんでも読んでみよう

『まだ見ぬ書き手へ』

丸山健二/著、  朝日文芸文庫(1997)



最近、丸山健二という作家の小説を2作続けて読んだ。

丸山健二の著作は、小さな本屋ではお目にかかれないので、大きな本屋かネット書店で購入するか、もしくは図書館で借りることになる。

Book Offを毎週のように覘くが、そこでも丸山健二作品にはなかなか出くわさない。


先日、たまたま行ったBook Offにこの作品があったので、丸山本ならなんでもイイやと思って購入した。105円だったし・・・。


この本、小説ではない。

丸山が、日本文壇と日本の小説の現状を嘆き、まだいない、これから出現することを望む新たな小説家を期待して、小説とはこのように書くのだ、と手引きする指南書。


おそらく丸山健二自身が実践しているのであろう小説の創作手法と心構えを書いているのだろう。

あまりにもストイックで、自己に厳しくなければならない。


そこまでの気構えがなければ書けないのだとしたら、文学を書ける人間なんて、仙人ぐらいになってしまう・・・・・。

そういうのは丸山健二だけでいいんじゃない!? と、軟弱な私などは思ってしまう・・・。

(だからこそ、丸山作品には価値がある!)


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2007年01月26日(金)

『虹よ、冒涜の虹よ』

テーマ:ミステリーとか
『虹よ、冒瀆の虹よ』 (1999)   丸山健二/著   新潮文庫(2003)


先日読んだ丸山健二の短編集 があまりにも凄かったものだから、今度は、図書館に置いてあった丸山健二モノで一番の長編を借りてきた。



極道の世界で頭角を現す気鋭の男、 真昼の銀次。

二大勢力の一方の首領を殺った。その名の如く、真昼に・・・。そして、もう一方の勢力であり、自らが所属する勢力の首領までを殺した。


日本中のヤクザから追われる身となった銀次は、かつての舎弟が堅気の漁師となって暮らす北国の寒村に逃げた。ひなびた海岸沿いに立つ、半世紀ほども前に建造されたと思しき高さ100mあまりの電波塔。銀次はその電波塔の最上階にある小部屋に身を隠すこととなった。

極道の世界に混沌を生じさせた銀次。電波塔に一時的に身を隠しながらも、極道界のトップに君臨すべく、時機を見て再起を狙っている。自分にはその能力と気概があると信じながら・・・・。


銀次の身の回りの世話をするのは、かつての舎弟マコト。そして、臨月を迎えている聾唖の妻と5歳の娘、花子。


大自然に囲まれ、晒される毎日を過ごす銀次。

電波塔近くの砂地の荒原に自らの墓を準備する老夫婦を知ることとなったり、密入国者達から見捨てられ、溺れて死に掛けた女を助けたり、と、およそ他人には一切の関与をしなかった今までの銀次とは異なった行動をとることもあった。


ほぼ毎夜現われる<死に神>の死への誘いを断固として拒否し、また、電波塔の小部屋に転がっていた三つ穴の木片である<仮面>からの嘲笑を浴びながらも、銀次は確固とした己の魂の屹立を自覚する。


そんなある日、伝説の彫り師による刺青を彫ることを決心する。100mの高さから見て、心奮わされた“虹”の刺青を。

一日に一色だけが背中に描かれる。その度に銀次の魂は震え、叫ぶ。一色ごと、ひと色ごとに、プラスとマイナスの大きな振幅を伴って魂が揺れる。


単調な腑抜けた人生など、意味も価値もない!

いつ死んでも構わぬ覚悟と、決して他人には支配されない屹立した自己を纏い、今にも破裂しそうな緊張感に包まれた毎日を送ること、それこそが銀次の生の意味である。

その一方では・・・・・、

かつての銀次が否定していた、無作為に単調な毎日を淡々と過ごす名も無き人々。だが、彼の人々が背負ったモノを想う時、その単調な毎日も無価値ではない? との思いもよぎる。


この作品、魂の揺れやヒトの心象が移ろい行く様子と、大自然が変化する様子、その両者のインタラクションを描写する筆致に最大の特徴がある。

何度も繰り返すが、この作家が繰り出す語彙とその用い方は本当に美しい。


まだ、『落雷の旅路』 と 『虹よ、冒瀆の虹よ』 の2作品 (いずれの作品も、生と死の意味を読者に叩きつける) を読んだだけだが・・・、丸山健二という作家、時代錯誤の、ストイックで、真面目な、正統な文学者、という印象を持った。


妥協なきハードボイルド小説。その極みの一つがこの作品だ(と思う)。

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2007年01月24日(水)

『博士の愛した数式』

テーマ:なんでも読んでみよう

『博士の愛した数式』 (2003)  小川 洋子/著、   新潮文庫(2005)



云わずと知れたベストセラー。第一回本屋大賞受賞作品。


『世にも美しい数学入門』 で興味を引かれ、また、ディックさん からも推薦された今作であったが、夢中で、イッキに読みあげてしまった。


小川氏の文章・文体は、別段小難しい語彙や、素人読者にハッと思わせるような意外な言葉の用い方をしているわけではない。普段我々が日常的に使っている言葉でもって書かれている。会話文も多い。しかし、当たり前の言葉だけで構成された文章は、一文節、一段落とした際に、文章全体が流麗になる。

過日読んだ 、そして今も読んでいる丸山健二の作品とはまったくもって正反対の作風・文体である(おまけに、内容もまったくの正反対だ)。

だが、これも小説、これぞ小説、である。



主人公の息子ルートが登場し、江夏の背番号、野球の話が出てきた辺りから、俄然、物語として面白くなってくる。

博士とルートの絡みを描いた幾多の場面はどれもほのぼのとさせてくれる。


仄かな寂寥、仄かな楽しみ、仄かな幸せ、仄かな・・・・。


“仄かさ” を上手に描いた作品だった。

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2007年01月23日(火)

『星の王子さま』

テーマ:児童書・絵本とか

星の王子さま/サン=テグジュペリ



こんな有名な童話(?)なのに、読むのは初めてかもしれない。(私が読んだのは新潮文庫版)


・・・・・もっと子供の頃に読んでいれば違った印象を得たかもしれない。

おとなである私には何も判らなかった。

年度末の忙しい時期、気分のささくれ立ったオッサンに読まれたんじゃ、王子さまもタマッタもんじゃない。


この本は娘にあげちゃお!

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2007年01月20日(土)

『ダルタニャンの生涯 -史実の『三銃士』-』

テーマ:歴史とか

『ダルタニャンの生涯 ―史実の『三銃士』-』   佐藤 賢一/著   岩波新書(2002)



世界で一番有名なフランス人。デュマの『ダルタニャン物語』の主人公ダルタニャン。そのモデルとなった(?)人物の話。


辺境の貧乏貴族から成り上がり、銃士隊長に登り詰めたダルタニャンという実在の人物が存在した。

その名も、シャルル・ダルタニャン。


この実在のダルタニャンもまたガスコンであり、なかなかに波乱万丈の生涯を送っている。


この本を読むと、同じ著者の作品 『二人のガスコン』 が読みたくなる。

デュマの 『ダルタニャン物語』 も・・・。

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2007年01月18日(木)

『科学とオカルト』

テーマ:自然科学とか

『科学とオカルト』   池田 清彦/著    講談社学術文庫(2007)



1999年初出の本。以前から読みたかったのだが、最近はなかなかお目にかかれなかった。

それが、やっと文庫化された。



18世紀までは特段いかがわしい物とは考えられていなかったオカルト。ニュートンだって、ケプラーだってオカルト信者だった。

錬金術師として有名なパラケルススだって、医療や化学療法に関して、当時としちゃ珍しく実証主義的な改革運動家だったそうだ。

錬金術師達は経験や実験を重視していた。しかも錬金術には、一般人には判らない難しい理論があった。これらの点で、錬金術は今日の科学と似たようなものであったらしい・・・。

著者は、歴史的にみて、科学はオカルトの嫡子であると云う。

では、科学とオカルトの違いは何か?

著者はこの点を明確にする。それは、客観性再現可能性という公共性を担保しているか否かであると。

この本では、科学を定義つける言葉として、この「公共性」という単語が何度も何度も出てくる。他に、オカルトが大衆化して科学になった、だとか・・・。

(もちろん! “客観性”といっても、完全な客観性などはあり得ないことも説明している・・・)


さて、私なりの理解では、「公共性」とは “オープンである” ということだ。(はたして、この理解でいいのか・・・?)
つまりは、“科学の成り立ちからして、オープンであることが義務付けられている” ということだ。
私が日々の糧を得るために関わっているのは “技術” の末端の部分だが、科学から派生してできた(?)技術もまた、オープンであることが求められるのだろう。(心しておかないと・・・などと思ったりする。)



ところが・・・・、と著者は続ける。

科学は高度化専門化・細分化が進み、専門家以外の人たちには判りにくいものとなってきてしまった。科学の公共性は、判る人だけにとっての公共性になってしまった、と。

おまけに、巨大化しすぎて金も掛かるようになってしまった。さらに、有害な技術も生み出ようになってきた・・・。


科学は、わけの判らないもの、判らないままにタダ信じるべき有り難い御託宣、または社会に害毒をもたらす怪しげなもの・・・・・、んっ!? つまりは、オカルトになってきた?



科学が説明できることと説明できないこと。この説明も頷ける話だった。
科学が説明できること・・・・・繰り返し起こること。

科学が説明できないこと・・・・・たった一度しか起きないこと。

科学は自然の中から、我々が認識できる同一性らしきものを抽出して、その範囲だけで説明できるところを説明する。


著者は、こういった話を展開しつつ、「人生の意味」や「私が存在すること」など、科学で説明できるはずもない、と断言する。

存在するものにいちいち理由などは無い、と言う。

しかし、理由をつけないと納得できない人もいる。


私や俺の存在、個人的な心的体験などは他人とは共有できない。「かけがえのない私」を実感したい。しかし、かけがえのない人などいない。
それでも、共有したいと思う人もいる。実感したい人がいる。


これらの中の少なからぬ人が精神主義的なモノ(=オカルト)に己の夢を託す・・・・・のも不思議ではない、と著者は云う。(私は不思議だが・・・)


著者は、科学を信じるのもオカルトを信じるのも同じこと? と言っているようにも採れる。要は好みの問題だと。



この本を読んで思ったこと・・・・・、
他人との付き合い方、社会の様々なシステムへの関わり方、なかんずく私とは? などなど、とかく人の世は答えの無いこと、答えの出ないことが多い。しかし、世の中に参加するためには、答えが出ないことを答えが出ないまま生きていく覚悟とか気構えも必要である。

私などは根が単純で、しかも、めんどくさがり屋だから、「判らなくてもイイや!」 と、直ぐに思ってしまう。人間なんて大して偉いモンでもないと思っているから、あまり悩むようなこともないし・・・。

ただただ、この著者のように、物事を突き詰めて考えられる人が羨ましい、と思うだけである。

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2007年01月17日(水)

震災への対策を!

テーマ:メモランダム

1月17日は兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が発生し、とんでもない数の人たちが死傷した日。

多少なりとも耐震設計や地震応答解析などに関わる私としても、改めて神妙にならざるを得ない日である。


日本中、何時、何処で起きてもおかしくない地震。

このブログをご覧の皆さんも、震災やその他の災害に対する日頃からの準備を!



毎度、毎度で恐縮ですが、こんなの ↓↓ あります。



『日本の地震地図』

『いま活断層が危ない  中部の内陸直下型地』
『スロー地震とは何か』 その3

『スロー地震とは何か』 その2

『スロー地震とは何か』 その1

『巨大地震の日』

『活断層とは何か』

『活断層』

『大地動乱の時代』

『東京大地震は必ず起きる』

『活断層大地震に備える』

『地震と噴火の日本史』

『地震』

『M8(エムエイト)』

『阪神・淡路大震災10年』


 

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2007年01月15日(月)

映画 『エラゴン』

テーマ:ファンタジー・SFとか

エラゴン 遺志を継ぐ者―ドラゴンライダー〈1〉/クリストファー パオリーニ

↑ これは原作本。



日曜日、近くのシネコンで映画『エラゴン』を観てきた。


ストーリー自体はいろいろなファンタジーの寄せ集め、イイトコ取りという感じだが、それはそれ。

映像美と迫力を楽しんだ。


ドラゴンに乗ったライダーの視点で大空を猛スピードで飛び、重力加速度に任せて急降下する。その圧迫される迫力を感じた。


まったくもって子供向けの映画。だが、それもイイ。


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2007年01月14日(日)

『落雷の旅路』

テーマ:ミステリーとか


『落雷の旅路』    丸山 健二/著
文藝春秋(2006)


10篇の短編小説。

「星夜」
「海鳴り、遙か」
「夢の影」
「牙に蛍」
「もっと深い雪」
「直下の死」
「波も光も」
「桜吹雪」
「対岸の日溜まり」
「落雷の旅路」

心は魂を包む薄皮なんだ。心を突き抜けたその奥底に魂が在るんだ・・・・。

これらの小説には、ヒトの心の奥底に存在する魂が、そして、その魂から発せられる静かな咆哮が描かれる。

ヒトの心情を描く作品は多いが、魂を語る作品は多くない。この小説は人の魂を抉り出した稀有な作品の一つだ。

語り口は鮮烈。用いる語彙は鋭利だが重い。それらの語彙を紡いで構成される文体は荘厳で、しかも美しい。さらにカッコいい。カッコ良過ぎる。

小説家・文学者の用いる語彙の豊富さと、その美しさに圧倒される。



初っ端の作品 「星夜」 を読んでいきなりノックアウトをくらう。


厄年を迎えた男。家族を持たず、社会から一線を画す男。その男の、ある一夜の物語。

一日の仕事で汗を流し終え、一風呂浴びて一杯のアルコールを飲み、晩夏または初秋の冴え渡る月光に惹かれて、静かな町に歩み出す。静寂に包まれる町。そこには男以外の人間は誰も見当たらない。

夜道で牡の山羊に出会う。有刺鉄線で囲まれた檻を脱出してきたと思わせ、顔は血だらけである。男は、山羊の堂々たる姿に自然の寵児たる風貌を見る。

男は山岳博物館に向かう。門扉を乗り越え、館内の敷地に侵入する。檻に閉じ込められたイヌワシを空へ返してやる・・・、そう思い込んで・・・・。鋭く切り立った崖までイヌワシを連れて行く。イヌワシの生気が次第に蘇る。長年に渡って閉じ込めらた影響による翼の下の筋肉の弛緩が徐々に解けていく。男はイヌワシが飛び立つのを見届けずに去って行く。

なおも男は徘徊する。イヌワシを解放させた自信が男の魂を叩き起こした。

男が畑の中の一軒家の前に差しかかったときに聞こえてきた女の悲鳴と哀願、幼女の泣き声、そして泥酔者の野太い怒声。酒乱で悪名を馳せている漁師。鼻血に覆われる幼女の顔。みみず腫れの背中を露出した女房。

男は土足のまま家に上がりこみ、襖を蹴り破り、部屋に押し入り、目の前にあったちゃぶ台を振り上げ、酔っ払いの脳天めがけて力いっぱい振り下ろす。さらに頭めがけて振り下ろす。胸倉を掴んで庭に投げ落とす。男の獣性は留まる所を知らず、酔っ払いを惨殺する。

男は充実感と達成感を魂に感じながら町を通り抜け、ガソリンスタンドと軽食喫茶を兼ねた店舗の前に立つ。その店のガラス越しに見えるビンテージ物の大型オートバイ。店主が、客寄せと自慢のために飾った、走ることの無い自動二輪車。走行可能な状態に整備されながらも、ただの装飾品として飾られたバイクが男に語りかける。走らせてくれ、と。強化ガラスを打ち破り、警備会社に通じる警報装置のことなどまったく意に介さず、バイクを始動させる男。徐々にバイク操作の奥義を極め、マシン性能の限界に挑み、己の反射神経だけを頼りとする世界に挑み、感情を高まらせる。

背後から迫る回転灯。正面からも別口。半島の尾根に沿って延びるワインディング・ロードに折れる。 疾走するオートバイと乗り手。

(以下、本書p.46-47より引用。)

両者は、定義不能な、全貌は神仏にも理解できない大いなる絶頂と星夜の栄光を、今まさに獲得し、専有せんとしている。” “重力から解き放たれた刹那、男はハンドルから両手を放し、イヌワシの翼を模して左右水平に伸ばす。”

“今、現世を辞すことによってまさに生まれんとする男は、半月刀のごとき曲線を描いて恒久不変の巨大な軌道に乗り、急速に無感覚へと陥りながら、いくらでも融通がきく永遠へと突入して行く。

満天の星が、偉大な人物の輩出を予告するときにも増して、そのきらめきを強める。”


「海鳴り、遙か」 では、強盗殺人を犯して刑死した弟を持つがために身重のまま離婚された女が、年老いた母親と10ヶ月の幼子を抱きながら、弟の遺骨を埋葬するために墓の在る砂山の頂に登り、そこで自身と弟と老母を追憶し、幼子への愛情の発露を自覚する。
「夢の影」 では、姉を廃人へと追い込んだ男に対する僧侶の邪念の振幅を描く。
「牙に蛍」 は、かつて一帯の山野に暮らす猪の大群を統べていた絶対的な猪の王者の物語。その猪がウリボウだった頃に養ってくれていた幼女を回顧する。物語のラストは、孤高の鉄砲撃ちと猪との一騎打ち。
「もっと深い雪」  大雪のために臨時停止した電車。その駅は、30年間一度も戻ることの無かった故郷だった。朝まで動くことのできない電車を降り立った男が向かうのは生家。大雪の深夜の道を進む男が追慕するのは、多情で勝手気ままだった母親とその真逆の性格の父親であった・・・・。
「直下の死」 極道世界での下克上事件。その事件に対し、組織の末端にいるチンピラが採る行動は・・・。
「波も光も」 鋭く切り立った断崖絶壁。自殺の名所。かつては風光明媚を売りにした観光地であったその地も、今ではただ一軒の団子屋があるのみだった。その店を営む孤独な老婆。悲壮な生涯を経験し、今も決して楽ではない暮らしでもあるにも拘らず、自死を否定する彼女。死後の世界、亡霊の類などいっさいを認めない彼女の前に現れた、明らかに此の世ならざる者の雰囲気を醸す青年。青年が老婆に語るこの世と死の意味。青年の言葉で、老婆は・・・・。
「桜吹雪」  故郷に戻った兄と、故郷を捨てようとする妹が、生家の近くの山桜の木の下で出会う。満開を迎えつつある山桜と妹が兄に語りかける・・・。
「対岸の日溜まり」  息子夫婦と孫が暮らす村の実家を離れ、山奥の粗末な小屋を住処とする老人。自分の死期を真近に感じ、毎日を小屋の対岸を眺めながら暮らす。老人は対岸の一角が気になる。其処だけが一日中、陽射しを浴びているかのように見える。死後、其処に埋葬されたいと願う。
毎日、小屋の付近に現われる山犬の行動と態度が、自分の死とその意味、そして先天的に精神に傷を負った孫の行く末を想起させる。・・・・・驚愕のラスト。
「落雷の旅路」 では、老年の放浪者の自由と死が描かれる。
すべての作品の主人公が孤高である。それが獣であっても。


どの物語を読んでも揺さぶられた。

恐らく私の魂のどこかにも引っ掻き傷のようなものがあり、そこには、ただ正しく行うこと、ただ清く在ることを否定するモノが沈殿している。

だから、この作家が描く破滅的な男や女の無軌道な行動や、達観しているようで実は些細なことで振れる思考に共感してしまう部分がある。自分もそうだ・・・と思ってしまう。



これぞ小説。これぞ物語り。 お薦め。





【 追 記 】

遅ればせながら、丸山健二という作家を発見した。今年最初の衝撃だ。

ブコウスキーも凄かったが、この作家も凄い。


丸山健二氏、かなりの作品を書いている。1966年に23歳で芥川賞を受賞しているそうだ。ベテラン作家さんだったんですね。これまで全然知らなかった。ホント私は無知だ・・・・・・。

でも、まだまだ沢山読める、ってことだよな・・・!?

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