フィソン Wheesung 日本初単独コンサート in Osaka
約1年ぶりに更新します。
行きたい! しかし大阪・・・ 行けない。
フィソンくらいになると大阪、東京とやっても良いと思うのですが何故か大阪だけです。
歯がゆい思いをしてる人がたくさんいるのではないでしょうか?
本日チケットぴあにて一般発売だったのですが、チケット予約する寸前までいってしまいました!
なんとG列でした!会場の座席表見てないからなんとも言えませんが通常G列と言えば前から7列目です。
そんな前でフィソンに会えるとは・・・ ほんとに行きたかった・・・ しかし大阪・・・ 仕方なくキャンセルです(笑)
10時発売開始、瞬殺完売だと思ってたのですが意外や意外12時の段階でまだ「空席あり」になってます。
結構、ライブ情報知らない人がいるんですかね!?
3月か4月にBIGBANGがJCBホールでライブやった時はかなり盛り上がってましたけどね。
それに比べるとメディアにもあまり取り上げられず盛り上がりに欠けてて残念です。
そーとーな大物なんですけどねぇ
次は東京国際フォーラムAでやってください、お願いします。(職場に近いから)
いくつか紹介
イ・ビョンホン 久々にビョンホンネタ
林家正蔵 1億2000万所得申告漏れ
脱税は重大な犯罪ですが、僕的には「ただでさえ他人の何倍も何十倍も何百倍も税金払ってるのに、1億2億申告漏れがあったくらいで、極悪人のように報道され可哀想だなぁ~」
なんて思っちゃうわけです。
今回の件もそんな印象を受けましたが、所得申告漏れの件は置いときまして
僕は林家正蔵さんをTVで見るたびに非常に強い違和感を感じるわけです。
この人おもしろいですか?落語うまいですか?
九代目正蔵襲名とかいって盛大なパレードやったりしてましたが(14万人)、99.9%が野次馬で0.1%が身内。
要するに身内だけで盛り上がってたような印象があります。(僕が受けた単なる印象なんでなんの根拠もありません)
「正蔵」ってのがどれだけ権威のあるものなのか知りませんが、一般人からみるとただたんに「父の遺産を相続した息子」にしか
見えません。
やはり芸に魅力がないからでしょうね。
情報共有化
情報共有化・・・
すんごく便利な世の中になったものです。
僕が社会人になった頃など、報告書や企画書作成するとき非常に苦労したものです。
町中の本屋行ったり、図書館入り浸ったり、先輩にいろいろ聞いてもチンプンカンプンな答えしか返ってこない・・・
あ~あ、なにやっていいのかどうしていいのかヘ(゚∀゚*)ノ みたいな
今なんか、PCパチパチ ネット検索 世界中の様々なサイトのぞいて、多種多様な情報を共有できるわけですからね。
ちょっと疑問に感じたことなどをネットで質問(yahoo知恵袋やokwave等)すれば、すぐに答えが返ってきますしね。
いまさら言うのもなんですが、さすがインターネット!ですわ。
この可能性に早くから気付き行動を起こした人々が現在莫大な富を築いているわけですが(yahoo softbank google 楽天等々)
このインターネット社会は株式投資においても革命をもたらしました。
僕が投資を始めたころなんて、証券自由化の前でしたから、もちろんネット証券などなく
わざわざ証券会社へ電話して
僕「00の株価教えてください」
証券レディ「現在500円、買い気配490円、売り気配510円です。」
僕「じゃ、510円で1000株買っちゃってください!」
みたいなことやってたわけです。もちろん複数気配などわかるわけもなく、IRなんかも翌日日経新聞で知るみたいな状況だったわけです。
大半の投資家がこういう売買をやってたわけですが、さすがにこれじゃプロには勝てませんわね。
今の個人投資家なんて、PCパチパチパチパチ 1~2分で50万、100万勝ちの世界ですからね。
それもこれもインターネットによる情報共有化のおかげですわ。
ただ、情報共有化の弊害と言えるがどうかは人によって意見の分かれるところでありますが、株式投資はますます心理戦の側面が強くなったのは事実でしょう。
掲示板の書き込み等で知りたくもないことを知ることで(見なけりゃ良いのですが)暴落時の不安が何十倍にもなって自分に襲い掛かってきます。もちろん、その逆もあるわけですが。
株価が下落し始めると急に現れる売り煽り
冷静に考えると絶好の買い場なのに、なぜか「このまま倒産しちゃうんじゃ・・」なんて不安で眠れない夜
情報に踊らされた結果、安値売り後の爆上げ 高値買い後の爆下げ
大概の人が経験してると思います。もちろん僕も何度も体験しました。
たくさんの情報があっても、結局それを取捨選択し加工できるだけの能力がないと有意義な情報とはなりえませんからね。
現在の、情報が氾濫している株式市場においては、ある意味、情報を遮断することも一つの技術かもしれません。
すごく勇気のいることですがね。
ライブドア損害賠償請求
僕の考える株式投資自己責任論
今回の、投資家によるライブドアやほりえもんに対する損害賠償請求には、すごく違和感を感じます。
確かに、株式投資は自己責任とはいえ、個々の企業の粉飾等々の不祥事については、当たり前ですが事前に知ることなどできるわけがなく(インサイダーは別にして)、それを含めて投資家に自己責任を求めるのは酷のような気がします。
しかし、今までも似たようなことは数え切れないほどあったわけで、今回の件だけがマスコミ等で「投資家の悲劇」みたいなかたちで取り上げられてることに、非常に強い違和感を感じるのです。
投資ってのは、常にリスクがあるわけで、会社のIR、四季報、アナリストレポート、各種情報誌等で目に見えるリスクを判断するとともに、目に見えないリスクのことも考えないといけません。
結局、見えないリスクなんで対処しようがないのですが、どんな企業にも「ひょっとしたら!!」
粉飾
役員のインサイダー取引
暴力団とのつながり
等々
考えられるわけで、常にそのことを頭にいれ割り切って投資するしかないような気がします。(僕の主観です)
株やってたら、ほんといろんなことが起こりますが、もうなんと言いますか「全て自己責任」なんですよ。
もちろん、不祥事を起こした企業や経営者が厳罰に処されなければならないのは当然のことですがね。
今回の件
例えばライブドアではなく・・・トヨタや任天堂だったら
自己責任とはいえほんと同情します。超優良企業ですからね。
ほりえもんが逮捕される前のライブドア
常識外れの100分割したり、企業買収で揉めたり、社長がTV出まくりの選挙戦まででちゃったり
一部の雑誌等に様々な裏(黒い)の話が掲載されたり等々
この時点で投資対象としてアウト!でしょ?
デイトレ銘柄としては面白いかもしれませんが、中長期保有なんてちょっと考えられませんでしたよね。
確かにライブドアを推奨してる証券会社や評論家等もいましたが、
結局、こういうトラブルが多くて、いろんな噂のある会社に中長期で投資したってことが重要だと思います。
まあ、こういう流れになった以上、おそらく請求は認められると思いますし(金額はわかりませんが)、少しでも被害にあわれた投資家の方々が救われるのならそれはそれで良いのかもしれません。
ただなんと言いますか・・・
やっぱり僕としては
ライブドアの株主がこういう形で救われるのなら
同じ新興銘柄だったIXIやアソシエントテクノロジーの株主はどうなの?って感じなわけです。
こちらの株主の方が何倍も悲惨だと思うのは僕だけでしょうか?
X JAPAN
部屋の掃除していたら懐かしい1枚のCDが・・・
しかもサイン入り
X JAPAN toshi のサイン入りCDでした。
で、懐かしくなったのでyou tubeでX japanを検索、笑えるのを見つけました。
ファンの皆さんごめんなさい。
それではどうぞ
友人の一言
先日、久しぶりに友人に会った。
友人「nandemoyaは偉いよなぁ。自分の好きなことを追求できて。そういう生活が羨ましいよ。俺も独身だったら、そういう生活したいんだけどなぁ。俺なんか結婚して子供つくって平々凡々と日々の生活をおくってるだけだもんなぁ」
文字にすると嫌味っぽく感じる言葉ですが、まあ、ほんとに羨ましそうに言ってたわけです。
僕に言わせると・・・
普通に結婚して、子供つくって、会社へ通い、家族のために日々の生活をおくる・・・
こっちのほうがすごく立派なことだと思うわけです。
とても素敵なことだと思うわけです。
卒業式
00式、××式、$$式等々
「式」という名のイベントはたくさんありますが、やはり最も記憶に残るとともに何かと話題になるのが卒業式ですね。
しかし、自分の過去を振り返ると思い出に残る卒業式ってのがありません・・・
小学校・・・記憶になし
中学校・・・「先輩!制服のボタンください!」ってくるものと準備してたのに誰も現れず(意外?自信過剰?)
高校・・・卒業式終了後、余韻に浸る間もなく、帰りの電車に間に合わせるためにダッシュで駅へ
大学・・・欠席
ん~、寂しい限りですな。
しかししかし、一つだけハッキリと今でもその時の光景を鮮明に思いだせることがあります。
中学の卒業式、式が終わりクラスへ戻った時に中学の担任(英語の先生)が英語で何か書かれた紙切れをくれました。
なんて書いてたのかなぁ~、思いだせませんが・・・
「力強くあれ!そして一言で表現されてしまうような人間になるな」みたいなことだったと思います。
nandemoyaさんってどんな人?
おとなしい人だよ(おしまい!)
運動できるよね(おしまい!)
やさしい人だよ(おしまい!)
じゃなく
一言二言で表現されるのではなく、「あの人000で、&&&で、$$$で、”!#”””でさ~、&&&なんだよ!」、みたいな
なんと言いますか多彩(多才)で、まあ端的に言えば魅力的な人間になれってことですわ。
未だに卒業式シーズンになると、このことを思いだして「今の自分はどうなのかな?」って自問自答してしまいます。
今の自分
どうなんでしょうか?
こんなこと考えなくなった時が、本当に魅力的な自分になった時かもしれませんね。
人類は賢くなりすぎた。
公判で行われた精神鑑定では、「被告は広汎(こうはん)性発達障害」と診断、「犯行時、精神病のような状態にあったが、責任能力を喪失しているとまでは言えない」としていた。
だそうです。
責任能力を認めたのがせめてもの救いですか。
毎回毎回、こういう事件の度に、「心身喪失」「心身こう弱」「責任能力」「未成年」「反省している」「計画性の有無」等々
検察側と弁護側で様々なやりとり(駆け引き)があります。
なんなんでしょうね?
人が無残に殺されて、心身喪失だから無罪とか計画性がなかったから刑が軽くなるとか、もうこんな話いい加減にしてくれって感じですわ。
僕も一応法学部出身なのですが(今は法的知識も法的思考回路もありませんが)、ほんと刑罰ってもっとシンプルにならないものかと思いますわ。
人殺した時点で、それ相応の罰を受けないとねぇ。一人殺したから懲役6年で二人殺したから懲役18年とか、計画性がないから懲役6年、計画性があるから懲役10年とか、被害者の観点から立法されてればこんなばかげたことになるわけないのです。
「人を殺した」という行為に差異があるとするならば、故意か過失かという違いだけでいいいんですよ。
ちょっと極論になりましたが。
馬鹿と天才は紙一重・・・
結局、人類って賢くなりすぎたんですかねぇ。
賢くなりすぎたのか、学者とか知識人が「人間」とういう動物を多種多様な視点から分析しすぎて、それを反映させた法制度になってるから、「人間」の一番大切なものを疎かにしちゃってるんですよ。
その結果、被害者の人権より加害者の人権のほうが過大に主張されるというアホなことになっとります。
以前、姉妹2人を残忍な方法で殺害された父親が「死刑にならなかったら自分の手で殺す」「裁判所の前で腹を切る」みたいなことをおっしゃってましたが、その気持ちはほんと理解できます。
例えば自分の身内が殺されて、犯人が懲役6年とかで出所してくる。遺族にとっては懲役6年だとうと10年だろうと無期懲役だろうと同じですからね。死刑以外は結局出てきますから。
そしたらどうするか?
僕だったらどうするかって?
もちろん自分で見つけ出して殺しますわ。
再チャレンジさせるのはフリーターだけでいいんですよ。
殺人者に再チャレンジは必要ないのです。