私が、このような人生の経緯を経て、自分が「気持ち悪い」「醜い」「下品だ」と感じていた、「母」という人間と、「仲直り」というか、(それでも、母親以外には求めることが不可能な「育て直し」の行為もあるので)「関係改善」を試みることになった訳だが、ここでは、私の取った方法をご紹介したい。

 

大きく分けて3つある。

 

①海外旅行

…2人だけの時間を作る、「汽車の移動」や「宿の予約」、「外国語での買い物」といった非日常かつ実践的な生活を、ある意味の「密室関係」でやることによって、「日常」の行為で、2人の連帯感を増していく、あるいはお互いの行動や考え方の癖を知る、というのが目的であった。

 

②家業を作って行く

…①の「旅行」という、イベンタルな行為に限定されず、日本にいる時も、常時収支(=共通の利害)の感覚を持つ、ということ。

このために、重要なキーパーソンとなる人物が、私の叔父だ。

彼については、また後述するが、私の叔父(母の義弟)について端的に説明すると、彼は、軽度障碍者で、生活支援を必要とする。

ただ、その支援は、家族が行う必要がある。

なぜなら、彼の障碍が軽度過ぎるため、国家の福祉の網に引っ掛かりにくく、完全福祉施設に入れることは不可能だからだ。

 

家族のケアを必須としながら、叔父の「普通の生活」は成り立つ。

この「ケア」の部分を、母と私の二人で、密接に(=二人三脚状態で)相談しながら行うことで、(本来ならば、家族が原型としてそうあるべき)「運命共同体」の一員であり、お互いがお互いにフェイタルでありエッセンシャルである、という感覚を育む。

もちろん、母に「母性本能」というか、普通の人間として「子を可愛がる」という能力があればこんなことは、私が30歳を過ぎてからする必要が無いのだが、母の場合は、先天的か後天的かは不明だが、「子を世話する」という能力が皆無で、普通の「子育て」だけの状態だと、まぁいわゆる「ネグレクト」しかできなかったため、このように「共通の敵」ではないが、「共通の必須タスク」を持つことで、ある種の「同僚」のような関係性を築いて行くことにしたのである。

 

③ひたすら、我儘を言い、甘える@日本

…文字通り。

ウチの「ネグレクト母」は、全く悪意はないが、「子どもを可愛がる」という方法を知らず、歯磨きや、マッサージ、子どもの忘れ物の心配や、「朝起こす」という行為すら、人生で一度もしたことが無かったため(そして私は、それらを必要としていたし、それが無いことを不思議に思っていて、なおかつ不満に長いこと思って来た)、そういったことを「する必要があるのだ」「(私という)子には、そういった世話が必要なのである」ということをしつこく伝え、自発的に行動できるようにすることであった。

 

このポイントも、結構大事で、小さい頃、親に甘えられなかった女の子は、大人になって、彼氏など、「男」に甘える、というチョイスが出て来るが、それは必ず「性愛関係」を伴う。

だから、「性愛」の介入する余地の無い、同性同士の「親子」でそれをすることは、ある程度意味がある、という風に私は考えている。

 

①、②に関しては、金銭的な問題もあるし、何より家庭の事情(そういった、「共通の利害となるもの」がその親子にあるか)によって変わる可能性があるが、この③に関しては、かなり普遍的に、親が生きていれば、再体験・追体験できる可能性が誰にでもある訳で、かなり①~③の中では、再現性の高い行為であるかと思う。

 

簡単に言うと、以上の3つが、私の「母とのやり直し」の行為を構成する要素であったと思うが、次章では、ここに至るまでにどういった私の心の反動というか、捻じれがあったか、ということについて、少し前の段階(=離婚時くらい)まで遡って、書いてみたいと思う。

 

逆に親に「躾」し、「親育(おやいく=親として、子が自身の肉親を育て直すこと)」を