はい。という訳で、大変長くなりましたが、ここからが本題です。

「母との衝突・和解への道のり」

すごーーーーくざっくり言うと、離婚後の約4年間は、これに費やした訳です(←今ココ。この約3年半の軌跡が、このブログにとっては一番大事で、離婚が落ち着いて、実家(に実は存在していた家族病理)に向き合えるようになった3年間の後に、ようやく落ち着いて、自分の気持ちを整理しながら、このブログが書けている、という訳です)。

 

もちろん、経済活動(一社会人としての金の稼ぎ方)や、自分のライフスタイルに強い変化を与えた職との出会いや、人的交流など、「外側との邂逅」も、もちろんあるのですが、一個人として「実家とのやるせない・どうしようもなく出口が見付からなかった腐った家族病理を解決する過程」という意味ではやはりここが一番肝となる時間でした。

という訳で、一応(自分にも)分かりやすく解説するために、やはり引き続き時系列で(←これが余計ややこしい、という突っ込みはご容赦くださいっ汗)少し書き記してみたいと思います。

 

㉗ 多職フリーターとしての自営業者生活のスタート

離婚後半年~1年半ほどは、自分のライフスタイルを確立するのに必死だった。

具体的には、「自分の好きなことを職業とし」ながら、「自分の思うQOLを保つ」という両輪を立ち上げるのが、とても大変だった。

現実的な話をすれば、その年の4月より別居生活が始まっていた訳だが、私は夫婦2人で住んでいた30平米ほどの2Kに一人で住み続けることを選択。

(※ちなみに、QOLを落とすことは全く考えなかった(家賃が6~8万のワンルームへ引っ越す、など)。なぜなら、当時の私にとって、「離婚は前進」であるべきで、「離婚したから生活規模や、ランクが結婚生活時に比べて落ちて惨めな気持ちになった」ということを、200%避けたい、と思っていたからである。)

 

それでも、8月に正式な離婚が成立するまでは、元夫の会社から、変わらず家賃補助が出ていたし、新たに1Rの賃貸を借りて出て行った元夫も、ちゃんと数割の家賃を元の家(=私が一人で住み続けることになった家)に、払い続けてくれていたので、自分の生活費の捻出だけを考えれば良かったのだが、「離婚成立」「専門学校中退」が決まった9月以降は、ほぼ自活生活が求められた。

しかも、やはりネックとなったのは、二人で住んでいた二人分の広さの、デザイナーマンションともいえる凝った内装の、マンションの家賃だった。当時13万円/月という家賃を、フリーターで捻出するには、大変な知恵と工夫が必要とされた。

 

そこで私は、このように考えて、この生活を維持し、離婚後の大変な時期を乗り切ることにした。

その具体的な方法とは、仕事(すべて、日銭を稼ぐアルバイト。正社員は一種類も無い)をざっくりと下記の2種類に分ける。

 

A. 好きなこと(=やってみたかった職種)だけど、時給が安い仕事

B. 嫌いな仕事だけれど、時給が高く、自分のスキルを活かせる仕事で、

 

 

Aで稼ぎ切れない、QOL維持のための金額をカバーする

 

と決めて4~5種類の仕事を掛け持ちする生活を確立して行った。

 

具体的には、次章……。