反対論の有効性 | 名無しの唄

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党の方針と隔たりも…菅直人元総理は、民主党をどう立て直す?『週刊ニュース新書』
土曜日11時30分からテレビ東京系で放送中の『週刊ニュース新書』は、土曜日のランチタイムにお送りする..........≪続きを読む≫ 「廃止は、停止は、撤回は民意だ。」これは、種々の“反対論”において主張される決まり文句となっている。
そして、種々の反対論が滞っていることに関する最大の要因は、この認識だ。

はっきり言って、今日本には、種々の次元において完全な無駄を生産するほどの余裕はない。
現実として存在していると言うことは、既に何らかの必要性がやはり存在しているということに他ならない。
しかるに、撤回だけが民意なのではなく、存続もまた一定の民意であり、後者の民意に立脚してそれは存在しているのだ。

この点を確認したうえで、反対論の成すべき認識は変質する。
自らの主張のみに土台があり、逆は虚空の暴論であるという認識を改め、逆には逆の立脚点があることを前提に、その点へ意見していくべきなのだ。
何故存在してしまうのかを明確に解析し、しかるのちにその理由の方へ対処しない限り、反対論は有象無象の戯言という域を出ない。
かつて、資本主義を批判する社会主義者が初めにしたことは、「資本主義研究」だ。その段階で一定の支持をえつつ、しかしその後独立した自己完結的な理念になってしまったとき、東側陣営は崩壊したのだ。
反対とは相対的でいて初めて現実的な言説であり、既存の現実を最奥の土台から複層的に理解していない限り、有効とはなりえない。

しかるに今、種々の反対論には、反対対象への研究が圧倒的に足りていない。
どのような層の人々が、どのような理由をもってその現実を支持しているのか、その理解をおろそかにしている。
だから議論は、自陣営のみが正当という一方的な表現になるし、そして大衆にとっては生産性のない邪魔立てとしか認識されないのだ。
反対論でありながら反対対象の研究を欠いているとき、それは立脚点の喪失に他ならない。
砂上でさえ倒れてしまう楼閣を、まさか空中に建設できるはずがないのだ。

反対論が中身を得るためには、反対対象を知らなければならない。
しかる後に、その対象の土台を明確に認識して、そこに向かって意見しなければならない。
どれほど正義を確信していようとも、その正義は相対的に位置付けられることがなければ空論でしかない。
反対論が、しかし社会に意義のあるものとなるためには、自己完結の精密さではなく、相手の研究理解こそ肝要なのだ。