仕事/真心/達人の技 | 名無しの唄

名無しの唄

鼻歌と裏声の中間ぐらいの本気

日本人の仕事の丁寧さに各国で反響
日本人は、古くから仕事に対する勤勉さや細やかな気遣い、丁寧さを他国から評価されてきた。その傾向は現代..........≪続きを読む≫ 仕事、というと味気ない。
なんだか退屈で、単調に続けるのみの二次的所作に過ぎない感じがする。
生活があり、人生がある、そのために致し方なく保つもの。
それが、仕事。
多分世界中多くの人が携わっているのだと思う。

しかしながら、上記のニュース記事で称えられているそれは、単純に仕事のみでない。
より深淵に近づいて、それゆえに広がりを持った何かだ。

一つには、真心という。
ただに自分に戻ってくることそれのみのために仕事という所作があるのではない。
その仕事によって影響を被る人々のことを漠然と明確に意識しているとき、仕事はその二次性を脱却しうる。
先に見える目標が多岐にわたるために、仕事の位置づけはただの仕事から上昇する。
真心を得た成果になる。

更には、達人となる。
仕事の成果に無限を見出し、その向こうにいる人々をすべて満足させうるものを目指す。
追求は喜びに結びつき、自覚と自信に満ちた技になる。
最早二次的ではなく、短調退屈なんて思いもしない。
持てる力を注ぐ幸せは、ただに一つの幸せにとどまらないことを、達人は知っている。

高校の時に大変世話になった先生が、折に触れ教えてくれたことに、“プロ”になれ、というものがあった。
ただに職業として給金を得るというだけでなく、誇りと喜びを持って職に当たる者であれ、という話だったと解釈している。

日本人が持っていた縁の文化が、総体の決まった金の世界に、一滴ずつの輝きをもたらすのであれば、その所産が持つ意義は計り知れないものになる。
数字の知らないところから、幸せの正体がやって来る。