"Just because your voice reaches halfway around the world, doesn't mean you are wiser than when it reached only to the end of the bar." -- Edward R. Murrow

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2016-07-19 13:20:08

ジェニファー・アニストンとbrexit と安倍政権

テーマ:blog



英語の授業で女優のジェニファー・アニストンが書いた、最近とても話題になったブログ記事:こちら↓

http://www.huffingtonpost.com/entry/for-the-record_us_57855586e4b03fc3ee4e626f



を課題にして、授業でディスカッション・発表に使っています。

その準備をしていて、あらためてジェニファーの記事を熟読していたら、その奥の深さに感嘆し、ブログでお伝えしようと思いました。

基本的な内容としては。。。

先日、タブロイド誌(ゴシップメディア)でジェニファーがついに妊娠!というニュースが流れました。ちょっと下腹部がぽっこりした、ビーチでのビキニ姿のアニストンさんの写真をでかでかと掲載して、勝手に妊娠と断定した記事だったのですが。

これに対して、アニストンさん本人が「違う」と言っているブログ記事なんですけど、ことはそんなに単純ではなくて、アニストンさんがNO!と言っているのは、ただ妊娠しているかいないか、という事実ではなく、タブロイド・メディア、ゴシップメディアがどのように「女性」というジェンダーをとらえているのか、そしてそれがどのように現代社会における「女性」に対するゆがんだ見方を反映しているのか、を鋭く分析し、そのゆがんだ女性観に対して「NO!」をつきつけているんです。

この数十年間にわたって世界中のメディアの格好の「餌食」となってきた、アイコン自身が、自らのイメージの取り扱いに深く切り込み、非常に洞察力にとんだ分析を行っている、大変優秀なカルチュラル・ケース・スタディーの一例だと感じたので、わたしも授業で扱うことにしました。

彼女の論を簡単にまとめてみます;

1.アニストンは「セレブ・ニュースの”ジャーナリズム“という偽りの衣をまとい、「知る権利」を振りかざし、まるでスポーツ競技のように、女性の身体を辱め、女性を消費する今のゴシップメディアのあり方にうんざり」している。これは、ただアニストンの個人的問題ではなくて「社会的」な問題を照射する。なぜなら、アニストンはこの三十年にわたって、「女性」性の象徴のように扱われてきたのであり、そのアニストンの「描写」のされ方は、現代社会がどのように女性を見ているか、を反映しているからである。そしてそれは、「ゆがんだ美の基準(スタンダード)」を露にしている。

2.「文化的な基準」(美や何が幸福かの文化的な定義づけ)には、一定の「社会的合意」が必要だ。われわれは無意識に合意に達し、「基準」を設けている。そして時にはこの「合意」を再検証することが必要だ。なぜなら、そういった社会的合意は、今成長しつつある少年少女たちにも提示され、彼らはその合意を成長過程で取り込んでゆく。つまり、大人が作り出した「合意」によって、少年少女たちは悩み、苦しむことにもなるし、社会的合意で「良い」とされている基準に向かって彼らはなんとしてもがんばって到達しようとするからだ。その基準から外れれば、当然その子は「外れている」というレッテルを貼られ苦しむことにもなる。だから私たち大人は、自分たちが無意識・意識的にであれ、みすみす黙認してしまっている「基準・スタンダード」、その合意について、常に問いかけつづけなければならないと思う。

3.そして「美」のスタンダードは、現在合意されている基準というのは、スーパーモデルや女優のようにがりがりにやせていてなければ「かわいくない・美人じゃない」ということ。社会は、そのようなメッセージを小さい女の子たちに送っている。そして大量に消費される「セレブのニュース」は、そのメッセージを強化する働きを持つ。徹底的に外見にだけこだわる、人間の人間性をおとしめる女性に対する価値観を日々増幅させている。その価値観をタブロイド誌やワイドショーが、スポーツ競技のように競って伝えているのだ。たとえば「彼女は妊娠してる?」「もしくは太っているだけ?」「太っているなら何が彼女を貶めたのか?結婚がうまくいっていない?」。

4.かつては、そういったタブロイド報道はコミックを読むみたいに、暇なときに人々が消費するものだと気にしないでいたけれど、いや違うんだということにアニストンは気づいた。なぜって、彼女がこれまで長い間経験してきた、ストーカー並にしつこい報道合戦は、「女性の価値」についての社会のゆがみを端的に現しているということに気が付いたからだ。

5.そして、今回の「妊娠報道」でよくよく感じたのは、女性の「幸せ」がいかに「結婚して、その上子供がいる」ということを基準に判断されているということだ。私が妊娠しているのか、あるいは結婚するのかしないのかについて報道各社が浪費する莫大なエネルギーこそが、この女性に対するゆがんだ見方をあらわしている。つまり、結婚していない女性、さらには結婚していても子供がいない女性は『不幸である』というゆがんだ見方。そしてその価値観によって突き動かされた報道合戦が私の妊娠について過熱している間にも、いわゆる「ジャーナリスト」たちが、メディアが伝えるべき重要なニュースはいくらでもあった:大統領選挙、最高裁の重要な判決、山火事、、、。

6.結論はこれ。私たちはみな、パートナがーいようがいなかろうが、結婚していようがいなかろうが、子供がいようがいなかろうが、それぞれ「完全」な存在なのだということ。なにが「美しいのか」は一人ひとりが決めるべきこと。私たち大人をロールモデルと見る少女たちに対しても、私たち女性は「美しさ」を自分自身で決めるべきだ。意識的に、配慮しながら、自分で判断をくだしましょう、ゴシップメディアのかきたてる騒音に邪魔されずに。完全な人間であるためには母や妻である必要はない。何が「幸せ」かは自分で決めるのだ。

7.たしかに、タブロイドメディアの質はすぐには変わらない。でも、私たち一人ひとりの「意識」は変えられる。一見、なんの問題もなさそうに流れ消費されるネットニュースのひとつひとつが、実は有害で、社会のゆがみを現しているということに意識を持とう。そのニュース一本一本が、わたしたちの社会を形成し、若い人たちに『価値観』として固定されていってしまうのだから。どして、自分たちが、一人ひとりが、もういい加減にうんざり!と変わっていけば、いつかはタブロイドも、いつかは、より人を人としてリスペクトを持って伝える方向に変わるかもしれない。消費者が「ゆがんだニュース」を消費しなくなりさえすれば。



ちょっと長くなりましたけど、、、非常に完成されたロジックなので、細かくまとめてみました。ちょっと調べたところ、翻訳は出されてないみたいなので、彼女の論理を丁寧にお伝えしようと思ったもので。



今年、日本でも、ありとあらゆるゴシップ・ニュースが消費されましたよね。選挙がらみでも、ゴシップニュースがむしろ多いくらいだったりで。そしてゴシップ記事、タブロイド記事、日本でいならばスポーツ誌や週刊誌報道ですけど、隆盛を極めています。

スマホを立ち上げると今日の天気なども知れるために、みんなすぐ何らかのポータルサイトのアプリをクリックします。立ち上げ、読もうと思わずにもタイトルから目に入ってくるニュースの数々は、ニースやチュニジアよりもゴシップニュースの方が多い。



誰が妊娠した、誰ががんになった、誰が不倫した、誰が離婚した、、、。



私自身も、そういったゴシップニュースの対象になったことが(かつてw)ありましたけど、なぜそんなことがニュースになるんだろう、とつくづく思っていたし、自分で報道する側のときは、なんでこんなこと伝えるんかいな、もっと難民や本当に困っている人のことに、尺をさけないのかな、と思っていました。

「くだらない、、、」とみんなが思っていても、それが売れる、あるいは数字を稼げるから伝える。労力を割いて取材し、アニストンさんが言うようにまるで競争でもしているかのように、競って伝え合う。でも、そう、アニストンさんが伝えているように、それは決してくだらないことではない。なぜなら、私たちが注目する「芸能人」「メディアに出る人」たちは、ある種の象徴であり、その象徴をどうとらえ、どう消費し、どう見ているか、は、私たちの集合的無意識のあらわれなんです。それが、社会の合意を形成し、さまざまな「スタンダード」を作り上げ、そのスダンダードに達しようと、適合しようと若い世代が振り回されることにもなるし、そこから外れた子はいじめにあったり、それを苦にして極端なケースでは命までも絶とうとしてしまう。だから、くだらなくないんです。

なんとなく消費してしまうニュースに、わたしたち一人ひとりが、本当は重大な責任を負っています。そのことをジェニファー・アニストンのブログは考えさせてくれました。



ジェニファーは、この状況を変えるために唯一できることは、私たち一人ひとりが、何が美しくて、何が幸せなのかの判断の権利を、いまいちど自分の手に奪還することだ、と言っています。メディアは急には変わらない。でも消費者がNOといえば、いつかは変わる、と。

個人的なことを考えると、何が幸せで、何が大事かを、「世の中」の考え方から切り離して自分で決めるようになってから、私の人生は劇的に幸せになりました。

どこかの知らない恵まれた人が奈落の底に突き落とされたからといって、面識のない他の誰かかが幸せになるわけはないのに、その偽りの刹那的な「優越感」を、感じることを求めてゴシップは消費されます。そこには、やはり需要があるのでしょう。

個人的に最近よく考えることなのですが、この、buzz media ネットで瞬間的に情報が消費される時代の「ゴシップ」や「タブロイド」の加熱ぶりは「一体何なのか?」。それは、アニストンさんが言うように、やはり私たちの社会の深層にある何かを反映していることは確かです。そこには、「女性に対するゆがんだ見方」も当然含まれるでしょう。結婚や出産、夫婦別姓や300日規定、、、それらのものに対する国の判断や最高裁の判決も、やはり広くは社会のあり方を反映しています。もちろん選挙結果も:なぜ内向きに、ことさらに中国を仮想敵国として設定し、懐古主義的な保守主義に向かう政権をこうまで圧倒的に支持するのか、特に若者が支持したのか?



浮かんでくる問いは、「なぜ?」です。なぜ私たちはセレブを持ち上げるだけ持ち上げておいて、何かスキャンダルやつっこみどころがみつかったら一気に叩き落すことを「好む」のか。それは私たちの内なる攻撃性や、他者を貶めて溜飲を下げないと解消されない「ストレス」を反映しているのでしょう。でも「なぜ」?なぜ私たちはそんなにいらいらしているのでしょう?それほどまでに他人の不幸を食べつくすほどの飢餓感にとらわれているのでしょう?そのひとつのヒントを示している本があります;

『後期近代の眩暈(めまい)-排除から包摂へ』ジャック・ヤング著、青土社。

ちょっと長いですが一部抜粋します;

「後期近代の眩暈には、社会的地位と経済的立場の不安定という二つの原因がある。このようなおぼつかなさは社会全体に行き渡っているが、とりわけそれは、中間管理職から熟練労働者までがみな中産階級だとされる、アメリカ的な意味合いでの中産階級に顕著である。上層中産階級の専門職は技術と専門職組織があるため脅かされてもいないし、ワーキングプアやもっと下層の転落寸前の人々に脅かされているわけでもないから、顕著ではなない。。。おぼつかない中産階級には広範な労働者が含まれるが、とりわけそこには社会的地位が経済的立場と密接に結びついている人々が含まれる。つまり、海外での休暇、車、家、子供の教育への追加負担といった、ライフスタイルのあり方が生活水準に大きく左右される人々である。かれらにとって、階級の領域と地位の領域はまさしく混在している。この場合、転落への恐れは、すべてを完全に失うことへのそれとなる。つまり、人生には自ら選択したキャリア、結婚、コミュニティにおける個人の上昇が含まれるという近代的な感覚と物語が失われかねないのである。。。かれらの仕事は脅かされ、アンダークラスは文化的な社会から離脱しているくせにわれわれの税金で生活し、求められる日々の犠牲を払っていないと考え、ルサンチマン(恨みのような怒り)を覚えるのである」。



この、今の生活が奪われるかもしれないという恐怖と不安、ルサンチマンが、広範囲な中産階級、つまり日本で言えば社会のマジョリティに、たとえば社会保護の給付に対して非寛容な態度をとらせたり(米国でトランプ支持者が貧困層と高齢者のための医療保険救済制度を撤廃させようと強く求めていることと重なります)、あるいはもっと上の「セレブ」とみなされる人々を下へと引き摺り下ろしたいという衝動を与えているのだ、という主張です。そして、このために、「セレブリティニュース」というのは、重要な「機能」を現代社会で担っているのです。現代社会とはつまり、グローバリゼーションが進むことで、広範囲な中産階級の生活が、先進国で、そしてひいては新興国で脅かされる社会のことです。それをヤングは「後期近代社会」と呼んでいます。専門技能を持った人=上層中産階級は強迫観念を免れます、なぜなら彼らの職はいますぐには、国内外から脅かされないから。脅かされるのは、単純労働、あるいは新興国へのアウトソースによって代替可能な職についている人々(トランプも、英国の離脱派も、「新興国から、移民から、我々の仕事を取り戻せ!」と叫んでいます)。しかし新興国の人々もいつかは同じ目にあうのです、いま中国で人件費が高騰していることが外資の流出を招いているように。後期近代社会は、後期資本主義社会。成長が成長を支える構図のグローバル経済。この経済システムの構造的な問題が、社会の大半をになう人口=広範囲な中産階級に対して「不安感・強迫観念」を与えている。これに関してはあまり異論はないでしょう。そして、その不安感を埋めるための確認作業がセレブ・ゴシップの消費を通じて行われていると、ヤングは主張しています。わたしもかなりこの主張には納得がいきます。それはどんな行為を生むのか?ふたたびヤングを引用します:

「ルールへの脅迫感、正しい行為と正しくない行為とをはっきりと妥協なく区別しようとすること、逸脱に対して寛容でなくなること、、、モラルパニック、メディアのどんちゃん騒ぎ」。


昨今の「ネットニュース」、あるいはそこで炎上=viralになる話題を思い起こしてみて、ヤングの指摘することに思い当たるところが、多くはないでしょうか?


 brexit 、タイトルにありますが、英国の欧州連合離脱がどうこれと関係あるのかというと、やはりまさにこの後期近代の不安感が、新興国へ、ひいては途上国へと雇用を奪われ、中産階級としての存在意義に脅威を感じている人々の間で強まり、「反グローバル」の意思表示としてあらわれ、そこから生まれた決断が、イギリスのEU離脱なんだと思います。


アニストンさんのゴシップ消費に対する考えも非常に示唆に富んでいますが、それはつきつめてみると今の社会、あるいは資本主義の行き着いた先の現代グローバル資本主義の根本的な問題を指し示していると思います。さてそれをどうするのか、、、これに関しては「意識」だけでは変わらないような途方にくれる大きな問題だと思ってしまいがちですが、やはり、「ひとりひとり」の意識を変えてゆくことが、何よりも重要であり、それ以外の答えはないと、思っています。

追記:

イギリスのEU離脱に関しては若年層は「残留」を支持していましたた。つまり、若い人たちのほうが、より「開かれたイギリス」を支持し、その恩恵のほうを重視しているということです。

「後期近代のいらいら・不安感」にさいなまれているのは、中高年ということになります。

一方、日本の20代の投票行動から、およそ半分が自民党を支持していることを示しているデータがあります。つまり、日本では、年代を問わずに保守化・懐古主義化が進んでいるのか、ということが問題になります。もちろん、自民党支持=懐古主義的保守化だと断定することはできません。責任野党としての選択肢が見出せなかった、経済政策のみ自民党を支持している、など、さまざまな原因が考えられるからです。ただ、最近、たとえば新卒の社員で海外赴任が不人気であったり、海外留学が減っていることなどを考慮すると、やはり「安定化」・「内向き」傾向は若年層の間で否めません。成果主義も不人気です。その原因は、やはりたぶんに経済情勢・雇用情勢の不安定化に原因があるでしょう。リーマンショックを幼心にも体験してトラウマを抱えているのかもしれません。それはやはり、ヤングのいう「後期近代の不安感」だといえるでしょう。そうだとすれば、問題の解決策のひとつは、メディア・リテラシーの充実だと思います。バランスのとれた判断を下し、多角的な視点で、一歩引いた視点でメディアで消費されたニュースを読み取れるように、つまり、伝えられている内容を漫然と消費するのではなく、そのニュースひとつひとつにどのようなimplicationがあるのか、どういった影響をおよぼすのか、そこにはどのような社会的偏見や「ゆがんだ見方」が投影されているのか、それらを批判的に検証・分析する訓練が足りていないのだと思います。その訓練こそ、メディア・リテラシーの訓練です。そうしてこそ、無意識に自分の中にでわきあがふ不安感に突き動かされて非合理的な行動を取ってしまうリスクを減らすことができます。自分が消費している情報のbigger picture より大きな視点から俯瞰してみることで、本当の問題はメディアで袋叩きにされている「誰か」とは別のところにあるのかもしれないと思い到ることができるはずです。そのトレーニングが、いまは本当に、日本の教育システムにおいて欠けています。いま文部科学省が必死にアクティブラーニングを推進しようとしていますが、アクティブラーニングの基本である論理的思考能力は、少なくとも小学校レベルから始めなければ、急に大学で劇的な底上げなどできません。しかしゆとり教育の失敗という、そもそもゆとりの捉え方が間違っていただけなのに、アクティブラーニング的な教育方法まで十把一絡げに排除されまたしても詰め込み型に逆戻り。詰め込むものが間違ってるのに。

私の授業では、このジェニファー・アニストンが自身のゴシップ記事を批判的に検証したように、

学生それぞれに最近のゴシップネタ・ニュースをひとつ選び出し、その伝えられ方にどのような社会的な「合意」がすりこまれているのか、どのような「ゆがみ」が反映されているのか、あるいはどのような権利侵害を生んでいる可能性があるのか、分析して発表してもらうことにしました。どんな内容になるのか楽しみです。

ちなみに、わたしが担当しているあるクラスでは、20名近くの学生が全員「ゴシップに興味がない。なぜヤフーに自分の興味のないニュースばかり並ぶのか疑問だ」と言っています。

アニストンが言っているように、若い人たちのロールモデルとなるのは大人。その大人が恣意的に決めているニュースが、若者の価値観と乖離しているのだとしたら?むしろ私はそちらのほうに希望を抱きます。




 






 


 


 


 


 


 


 


 


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2016-07-12 11:07:23

イラク戦争参戦のために議会を欺いたとしてブレア元首相に議会侮辱の発議へ

テーマ:国際情勢

イギリスで、イラク戦争参戦とその後の経緯を調べた独立調査委員会が報告書を発表(=通称チルコット・レポート、といわれています)、ブレア政権が不十分な情報に基づいてイラク戦争に参戦した結果、多くのイギリス兵の命が失われた上、フセイン正権を倒したあとに関して何の計画も見通しもないままに政権を打倒し、その後のイラクの混迷、ひいてはISにいたる中東・世界情勢の混迷を引き起こした、という視点から、かなり厳しく当時の政権を批判しています。


これを受けて、現在イギリス議会では、ブレア元首相をcontempt of Parliament 議会侮辱(罪)に問う発議が提出される方向で、動きが活発になっています。かなりの数の議員が賛同すると見られ、賛成多数であれば、ブレア元首相は議場に引きずり出され、弾劾されることになると見られます。

首相の立場にあった人がそのような屈辱を受けるというのは、これは大事です。それだけ、イラク戦争に関してイギリス国民は怒っているということ。


この流れを勢いづけているのが、政権のブレーンといわれて、当時の政権で副首相の重責を担っていたプレスコット卿です。

BBCの記事;

http://www.bbc.com/news/uk-politics-36756878


のプレスコット卿の発言を訳します;

「大いなる悲しみと怒りをもって、当時のコフィ・アナン国連事務総長の、イラク戦争は<違法>であったとの意見に同意する。。。私は今後、この(イラク参戦)という<壊滅的な決断>を下したことの責任を、死ぬまで負い続けることになる。。。われわれが下した、あの戦争に参加するという判断に対して思いを馳せない日は一日足りと無い。英国のために命を失い、あるいは傷ついた兵士について考えない日はない。サダム・フセインを倒すことでわれわれがパンドラの箱をこじ開けてしまったことから、その後命をうしなった17万5千人の命(イラク国民の)について思いを馳せない日は無い。私は心かの謝罪の念を表明し、この経験から学ぶべき教訓を明らかにせなばならない。

第一に、当時トニー・ブレアが内閣を運営していたその手法についての問題点を指摘したい。われわれに与えられた情報、文書での情報はあまりに少なく、決断を下すには少なすぎた」


と言っています。

これは、当時の責任ある立場にいた政治家の、長い年月をかけて丁寧に作成された報告書に対する真摯な反応ではないでしょうか?

ただ、かつての広報官、アラステア・キャンベルは即座に反発しています。そんなことをプレスコット氏がいいはじめたのは今回の件が明るみに出てからでおかしいと。

そしてトニー・ブレアは、絶対嘘はついていない、サダムがいない世界のほうが、いた世界のほうがましだ、と言っています。

しかし、当のイラクに住む人々は、サダムがいなくなって、結果として


「1000人ものサダムが生まれてしまった。今の混沌に比べたら、サダムのほうがまだましだった」


といっています。


さて、日本政府は当時イラク戦争に賛同の意を表明しましたね。小泉首相はこういいました;


「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします」


何を根拠に理解するとしたのか?

どのような情報をもとに?


アメリカでもイギリスでもこれだけの情報が出て、

反省が進んでいるというのに、

日本での検証はどうなっているのでしょうか?


今も世界中の人々を恐怖に陥れているテロ集団、イスラム国の直接の原因を作ったのは、イラク侵攻です。

サダム・フセインを倒し、そしてアメリカは親米のシーア派傀儡政権を樹立。そのシーア派政権はフセイン政権をになったバース党員・スンニ派に対して徹底的に復讐を行います。その結果、下イラク軍人の多くがイスラム国に流れ、現在の混沌にいたっています。


徹底的に「テロとたたかう」と今の日本の政権も言います。

しかし、同じ自民党政権が当時、現在の状況の元凶を作ってしまった、国際法的にも違法な戦争を支持した経緯を、きちんと検証すべきなのではないでしょうか。それがテロと戦う第一歩ではないでしょうか。


また、国民の命を守るためにも、

イラク戦争支持の経緯は再検証されてしかるべきです。

なぜなら、それは同盟国「アメリカ」の行った戦争だから。


今回の選挙で悲しいかな「まったく争点とならなかった」、新しい安全保障法制では、自衛隊はアメリカの軍事作戦に「世界のどこにでも」参加することができるようになりました。周辺事態、という制限がとっぱらわれましたからね。


アメリカは、国際社会の理解のない恣意的な攻撃を行い、結果として、自国の外交レピュテーションをおとしめ、さらにはアメリカ国籍の一般市民の命を世界中で危険にさらす事態を招いています。

そのアメリカのしかける攻撃・軍事作戦は歴史上常に「自衛のため」と称して(イラクもpre-emptive strikeとして自衛のための戦争でした)行われました。

アメリカは日本の同盟国であり、集団的自衛権を発動する対象です。つまり、今後日本は、イギリスが今猛省しているイラク戦争のように、アメリカの恣意的な軍事行動に巻き込まれる可能性があるのです、そして新しい安全保障法制のもとでは、実際に日本の自衛隊員の命が失われる可能性があるのです。

今、イギリスでもっとも熱いトピックである

「イラク戦争には参戦すべきでなかった」という結論は、

悲しいかな日本ではまったくといっていいほど話題になっていません。

しかし改憲派が2/3を確保した今、改憲派だろうが護憲派だろうが、両陣営できちんと議論されるべき問題だと思います。

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2016-04-05 12:48:58

カーラ・デルヴィーニュ: ”他人から認められることが一番大事なことではない”

テーマ:こころの姿勢

こんにちは。

4月1日から大きな変化がありました。

昨年4月から英語プレゼンテーションとスピーチの授業を持たせていただいていた

自由が丘にある産業能率大学の准教授に就任いたしました。


大学生にかかわることで、教えているのは自分だけれど、逆に若いひとたちの

考え方やエネルギーに触れることで自分が得ることのほうが多いな、と感じていたので、

准教授としてより密に産能の学生のこれからにかかわっていけることについて喜びを感じています。


自由が丘にあるだけあって産能にはファッションへの意識が高い学生が多く、

よく学生とファッションの話で盛り上がります。


「オリビア・パレルモってやっぱり別格ですよ先生」

「そうよねー!」

って。


たまたま時間がなくてアイメイクが薄いままというか眉毛をかいてマスカラだけで行ったら、

女子学生に

「先生メイクかえた?!」っといわれ、えっ、と動揺したら、

「絶対そのほうがいい!」と大絶賛され、事情を説明したら

「引き算メイクを覚えたんですね!でもこれからはそっちのほうが絶対若く見えますよ!」


と、なるほど。w。アイメイクを懲りすぎるのは2000年代前半までのトレンドで、今では

おばメイク、となってしまうという驚愕の事実を実感しましたw。


さて、そんな女子学生の間でも絶大の人気をほこるファッショニスタ・セレブであり、

いわゆるITモデルのカーラ・デルヴィーニュさんが、モデル業引退を宣言!みたいなニュースがネットに出て。

えー!シャネルのランウェイでは常連で、カール・ラガーフェルドの秘蔵っ子で、

そしてイギリス人だけあったバーバリーの顔でもあった押しも押されもせぬトップモデルの座をいとも簡単に?!と衝撃がはしりました。


でも、かなり前から、カーラはそのファッション・センスもクリエイティビティが際立っていたし、

音楽業界のイベントに顔を出すことも多く、

「いわゆるモデル」の枠にとどまっていない感じはありありでした。

その眉毛から極太眉毛ブームの火付け役でもあったり、、、。


そして女優業に進出したのを聞いて、あ、この人はやりたいことが別にあるんだな、、、という

感じがしていました、なので、

イギリス、タイム誌のmotto に彼女がモデル業をやめた理由を書いた文章の内容を読んで、

非常になっとく。そしてその内容に、

私自身もそうですが、「他人に認められること」によって自分のアイデンティティが左右されてしまうという問題を抱えやすいすべての人に示唆に富む内容なので、シェアさせていただきたいとおおもいます。原文はこちら;

カーラ・デルヴィーニュ: ”他人から認められることが一番大事なことではない”


よく読んでみると、モデルのやり方、働き方をかえるという漠然とした表現であって、必ずしもモデル引退ということではないようです。その中で、彼女が書いていることでとても心にささる箇所がいくつかありましたのでご紹介します;


When you do everything you can to make people happy with your work but there are still people who aren’t happy, you start to think, “Well, I’ve worked my a** off. I’ve done everything. I’ve pushed myself into the ground.” You just feel like you’re constantly disappointing others, and there’s this moment when you’re like, “Wait, what am I trying to do? Who am I doing this for?”


意訳するとこういう感じ;

「周りの人を満足させるために必死でがんばっても、まだ認めれくれない人たちがいると、”わたしはこんな意一生懸命やって、限界までやってるのに”と感じて、どんなにがんばっても常にまわりをがっかりさせているような気持ちになってしまいます。そこまでくると、”ちょっと待ってよ、私は何をやろうとしてるの?何を目指してるの?”と自問自答するようになる」。


働いている女性は誰だってそうだけれど、ただ「キャリア」をがんばればいいだけではなくって、外見や行動でも「女性らしさ」を求められたり、その「女性らしさ」自体がどういうものなのかよくわからなかったり、自分が考えている女子らしさと会社や周囲が求めているものとの間にギャップがあったりして悩みます。


ましたやモデル、というと「外見」こそが商品価値を生む職業である場合、

「他人から認められること」に存在意義を見出してしまうと、どこまで自分を「変え」てゆくのか、

ということは、非常に身体的にも負担なことになってしまいかねません。

どこまで痩せれば「十分に細い」のか?

どこまで背が高ければ「十分」なのか?

あるいは、痩せすぎていることが今度は逆に難点になったり、身長もしかり。


カーラさんは「5フィート8インチでモデルとしては小さすぎで、最初から成功できるか心配で、必死だった」と書いています。

5フィート8って、176.8センチ。でか!!!っ手感じかもしれませんが、180が当たり前のランウェイモデルの世界では「小さい、どうしよう」と不安だったのですね。

彼女のトレードマークとなった太い眉毛も、最初はコンプレックスだったかもしれない、そんななかでも、これが私、私はこれでゆく、というかんじの彼女のとがった存在感が、身長が足りないなどの点を補ってあまりあまる武器となり、たくさんの女性ファンを獲得してゆく要因となったのでしょう。


そうやって悩みながらがんばっていって、成功した彼女。でも成功してもしても、「すべての人を満足できない状態」に悩みます。でも「まわりを喜ばせる」ということをゴールにやってきただけに、みんながはっぴーでないと苦しい、、、。だけど、みんながみんな大好きなモデル、っていうのは、やっぱり無理よね、、、だって好みって千差万別なわけだから。そうして壁にぶちあたたったときに、自問自答することで、壁をぶちぬいてその先へと進むきっかけが生まれるんですよね。


その自問自答をどれほど掘り下げておこない、勇気ある決断をとれるかとれないかで、その先の人生と、そしてその人の「幸せ度」は決まってくるのだと思います。


このまま、モデル「カーラ」としてやっていけば、そのうち自分のラインを立ち上げるとか、いろいろな形で「成功」が保証されていたであろう彼女。

まったくの素人として「女優」に挑むという勇気ある決断をしました。そしてその体当たり演技の評価は、私がみているかぎり結構いい。

その作品をまだ見ていないからわからないんだけど(今度みてみます!)

カーラはこうも書いています;

Over time, I came to realize that work and getting others’ approval isn’t the most important thing. Yes, your career is very important—but it’s not the most important. Of course I was proud of my accomplishments, but I wasn’t genuinely happy.


「そうやてちるうちに、他人に「認められる」ことと、「仕事」が一番大事なことではないってことに気がついた。そう、キャリア、仕事は大事です。でも、「一番」じゃない。私は自分がこれまでやってきたことには胸をはれます、でも、本当の意味で幸せではなかったのです」。


「幸せじゃなかった」。

どんなに成功して、世界中の雑誌の表紙を飾って、世界中の女の子がカーラにあこがれたとしていも、

彼女は幸せだと感じていなかった。

だから、そのままの道をつきすすむのをやめた、というカーラ・デルヴィーニュさん。


彼女のこの文章と、そして方向転換から学べることは、


迷ったら

「幸せかどうか」

を自分に聞いてみるといい、ってこと。


がんばってる。

成功してる。

出世してる。


でも、

「幸せですか?」




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