湯川さんと出会ったのは、実践課の戸田基台の時でした。

日曜日の礼拝後の伝道は、戸田基台長がその日の伝道地を伝え、それぞれペアを決めて出発します。

その時は、戸田基台長が全員に何か質問して、それに対して手を挙げたら、その手の拳げ方が同じだった澤さん(仮名)とペアになりました。

 

澤さんは、I青年部の実践課に長くいて、入教もしていました。

ほんわかしていて、バリバリ実践するタイプには見えないですけど、内には闘志を秘めてました。

お互い熱く信仰的なことを話すことはなく、「頑張りましょう。」とあっさり二人でプチ出発式と祈祷をして、伝道地のO駅前でそれぞれ道行く人に声かけました。

 

開始して、比較的早い時間に湯川さんが止まってくれました。

湯川さんは、私より3歳下でOLをしているソバージュヘアの可愛らしい女性でした。

私が手相を見ている最中、澤さんが「一緒に勉強しているので、一緒に見させてください。」と入ってきて3人で話しをしました。(手相伝道で協助に入る時は大体このパターンです。)

 

澤さんの年齢は憶えてないですが、私より年下だったのは確実なので、湯川さんとそう変わらなかったと思います。

年齢の近い女性3人ですので、それなりに話しは合いますし、湯川さんも警戒してませんでしたので、楽しく3人で話して、そのままビデオセンターに行きました。

 

ビデオセンターに行ったらいつもの流れです。

湯川さんはすんなりコース決定しました。

ビデオセンターには定期的に通い、順調に2daysに参加し、中級トレーニングに進みました。

 

湯川さんは、私と同じ高校出身でした。

3歳下ですので、私が卒業した年に入学したので、接点はなかったです。

実家暮らしでしたので、家からビデオセンター・中級トレーニングは遠かったのですが、頑張って通ってました。

特に何に感動するわけでもなく、ビデオや講義の内容にマッチすることはなかったですが、嫌がることもなく、むしろ楽しんでいるように見えました。

 

4days前に、統一教会と文鮮明がメシヤということが証されれる特別講義があります。

湯川さんが証された時は、3万双が騒がれる前でしたので、(世間は統一教会を知らない人の方が多かったです。)何の抵抗もなく受け入れてました。

4daysに予定通り、参加しました。

 

湯川さんは、喘息がありました。

時々、発作を起こしてると言ってました。

2daysの時も、参加中発作が起きたら・・・と私の方がドキドキだったのですが、大丈夫でした。

 

湯川さんを伝道した頃くらいから、文鮮明と統一教会が証される時、4daysに参加する時に蕩減条件として1日、もしくは40時間断食を行ってました。

証される時は、「文鮮明をメシヤとして受け入れることができますように」。

4days参加時は「○○さんが神様、お父様(文鮮明)につながることができ、○○さん家族、先祖も救いの道につながりますように。」という願いを込めて行ってました。

 

湯川さんは、喘息発作も心配でしたので、喘息発作も起きないようにという願いも込めてました。

 

4days中、湯川さんは喘息発作が起きました。

近くの病院で処置をして、すぐに治まり、4daysに戻ることができました。

皆と一緒に帰ってきて、帰ってきた時もとても元気でした。

 

4daysも特別感動したこともなかったようですが、すんなり新生トレーニングに参加すると言いました。

しかも、仕事を辞めるつもりだったので、入教して参加すると言ったのです。

 

今思えば、湯川さんは不思議な人でした。

誰に何を言われたわけではないのに、文鮮明が証される前に、髪をばっさりと切ってショートヘアにした・・・その後もどんどん短くなりました。

(統一教会ではロングヘアは、良しとされていませんでした。80年代後半からゆるくなり、食口でもロングヘアの人はいましたが、それでもショートヘアの人が殆どでした。ロングヘアの人は、大体新トレや実トレでショートヘアにしてました。)

新トレの入教も自分から言い出しました。

ホントに特別・・・原理にはまっている様子もみられなかったのに・・・・

 

新生トレーニング前に仕事をやめ、新生トレーニングには仕事をしていない状態で入教して参加してました。日中は、ホームの掃除をしていたそうです。エライ人です。

新生トレーニング中は、発作が起きたということは聞きませんでした。

 

湯川さんの新生トレーニングの時に、最後の私の青年部のマザーとなる井場さん(仮名)に初めて出会いました。(その時は、新生トレーニングのマザーか班長でした。)

井場さんは教育部所属が長く、新トレやライフトレ・中級トレ・上級トレのマザーや班長をしていましたし、K青年部関係者の霊の子・親でしたので、K青年部の人からよく名前を聞いてました。「ああ、この人が井場さんか・・」と思いました。

この時は、湯川さんを通して一言、二言話しただけでので、勿論悪い印象はありませんでした。

まさか井場さんが20年以上経っても忘れられないわだかまりを残してくれるなんて、この時は想像すらできませんでした。

 

湯川さんは、新生トレーニング卒業後は、実トレには行かず、青年部のユニティに行きました。(元々原理にはまっていたわけではないので、実践するまでの気持ちはなかったようです。新トレ卒業前の実とれの谷山マザーと面接後、谷山マザーが私に「実トレ来たらビックリしちゃうだろうね。」とまだ実践する段階ではないことを言いました。)

再就職もしました。

入教は新トレの時のみでした。

 

新トレの最中だったか、卒業した後だったか忘れましたが、マナ(高麗人参茶)購入を勧め、4個購入しました。(結局後に1個に変更しました。)

私もアトピーがあり、購入してましたので、湯川さんの喘息もよくなるようにと購入を勧めました。

 

 

何かと縁があった湯川さんで、湯川さんの再就職先は、私が当時勤務していた職場の近くでした。昼休み、待ち合わせて一緒にランチしたこともあります。

 

教会が嫌になったわけでもないし、私とも疎遠になったわけでもないのに、湯川さんは教会から足が遠のきました。3万双前後のワイドショー報道で躓いた様子もありませんでした。

湯川さんは、美術系の大学を卒業していました。ガラス工芸が好きで、そちら方面の仕事に就けたので、仕事が面白くなったのでしょう。

細々と連絡は取り続けましたが、湯川さんが二度と教会に足を踏み入れることはなかったです。(よかったです。)

 

私は、脱会後、湯川さんに自分が脱会したことを電話で伝えました。

その時、湯川さんから「私は、教会のことわからなかったから、はまらなかった。もういいかなぁと思って行かなくなった。」と聞きました。

コスモで一緒に活動していて、私より少し前に拉致監禁で脱会した坂口さん(仮名)は4daysで湯川さんと同期でした。

坂口さんにその話しをしたら、「湯川さんみたいな人もいるのにね・・・・」とため息ついてました。(湯川さんみたいにはまらない人もいるのに、何故自分ははまってしまったのだろうという心のため息が聞こえてきました。)

 

私が脱会したと電話連絡してから、湯川さんには連絡をとってません。

湯川さんも今は40代後半・・・

きっと、今頃幸せな家庭を築いていることでしょう。

ガラス工芸は続けているのでしょうか?

喘息は大丈夫でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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