• 26 Feb
    • 36万双で韓日祝福を受けた瀬川さん(仮名)①

      基準が下がり、数か月教会活動をお休みしましたが、気持ちが復活し、再び伝道活動を行うようになりました。(あのまま脱会できたらよかったのだけど~。統一依存症に陥っていた私はそうもいかず・・・)   お休み期間中はユニティ所属でしたが、実践ができるようになりましたので、コスモ所属になりました。これ以後脱会まで約3年、コスモ所属でした。 コスモは、実践課に比べたら求められている信仰基準も実績もゆるかったです。街頭伝道は土日・祭日のみで、平日の夜は講話やミーティング、御言葉学習、電話動員(伝道したい人、統一教会で販売している物を購入して欲しい人に電話をかける)等でした。平日の夜集合は午後8時でしたので、それまで時間がある人は、任意で街頭伝道を行ってました。   コスモはホントに個性的なメンバーがそろってました。実践課はどちらかと言えば、真面目一直線でしたが、コスモは個性的過ぎて献身路線から外れてしまった人、以前献身していたけど諸事情で勤労青年になった人、実践課から流れてきた人(私のように・・・)がいて、実践課では聞けない言えないカイン的(否定的)発言もメンバー間で出てました。 伝道や経済活動は、実践課と同じように、真剣に行ってましたが・・・波はありました。(私のように、気分に波があった人が多かったような気がします。)   コスモに行って2ケ月目のある土曜日・・・コスモにも慣れた頃・・・C駅で街頭伝道しました。 瀬川さんという小柄な5歳下の女性が止まってくれました。インチキ手相占いからビデオセンターでの偽占い師による姓名判断、コース決定はいつもの流れです。 この時の偽占い師は、昔献身していた班長の土佐さん(仮名)でした。 瀬川さんは、素直な人で姓名判断の内容もすんなり入り、迷うことなくコース決定しました。   お母さんから、「結婚前ははしないように」と言われていたというので、かなりしっかりしたお母さんなのだなぁと思いました。   コース決定時に偽占い師が黙示行を例に出し、「ここで勉強することは他の人に言わないように」と釘をさします。 瀬川さんにも言ったと思うのですが・・・瀬川さんはお母さんにビデオセンターで勉強することを伝えました。お母さんからは、「いいんじゃない。」と言われたたそうです。お母さんも、街頭で同じように声かけられたことがあるとのことでしたので、街頭で声かけられた印象がよかったので、勉強も了承してくれたのかなぁとその時は思いました。   ビデオセンターには喜んで順調に通ってました。ビデオの内容もよく理解していると担当カウンセラーより聞いてました。 瀬川さんは、当時、付き合っている人がいました。その人にもビデオセンターでの勉強のことを話したようで、当然のごとくいい返事はなかったようです。そのことで私に電話で相談があり、私はビデオセンター担当カウンセラーに伝えました。   担当カウンセラーは「瀬川さんは大丈夫よ。」と言い、以下のことを話しました。 ビデオセンターに瀬川さんのお母さんが来たそうです。お母さんは(熱心ではなかったのですが)食口だったのです。(だから、はしないように、と言ったり、ビデオセンターでの勉強も「いいんじゃない」といったんだなぁと合点しました。) お母さんとしては、勉強するのは勿論いいけど、「献身しなさい」と言われるのが心配だったようです。(食口でも、娘が献身するのは抵抗ああるのですね。)   お母さんが食口と聞いて、かなり心強かったです。 その後、瀬川さんは順調に2days、4days、新トレと進みました。 2daysと4daysの間に瀬川さんは弟さんを伝道しました。弟さんは学生でしたので、時間はありましたので、瀬川さんより先に4daysに参加しました。瀬川さんも勉強中でしたので、弟さんのフォローも私がしました。弟さんは、新トレには進みませんでした。   瀬川さんは意的(行動的)な人でした。 当時新トレ班長だった外山さん(仮名)は「瀬川さん、実トレに行きたいと思うけど・・・云々」と言ってました。私としても、瀬川さんに実トレに行って欲しかったのですが・・・、結局実トレに行かず、上級トレに進みました。   上級トレに進んでから、瀬川さんはあまり教会に足を運ばなくなりました。 そして、付き合っている男性とのことが浮上し、瀬川さんの家庭にポツポツポツと問題が起きてきました。   続きは②で・・・。    

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  • 23 Feb
    • 霊感商法を受け入れちゃった時

      私は献身しませんでしたし、ずっと支部の青年部所属でしたので、霊感商法に携わったことはありません。 しかし、世間では統一教会=霊感商法です。当然の如く親や親戚は私もそこに加担して犯罪行為を行っているのでは、と心配になります。テレビはじめマスコミの報道する内容はおどろおどろしかったものですから・・・。(報道されていた霊感商法のことはほぼ真実とは思われます。)   霊感商法を受け入れたわけではなくても、実際行っているわけではないし、行っている現場を見ているわけでもないので、普段はスルーできます。また、適当に自分に言い訳もできます。 しかし、1992年3万双祝福前後、テレビ報道であんなおどろおどろしい霊感商法実態を何回も見ると、こんな人道に反することをやっている団体に所属なんかしていていいのだろうか?という当たり前の感覚が出てきます。   当たり前の感覚のままやめちゃえばいいのですが、(殆どの人がそこでやめちゃいます)そうはいかないのが私でした。 原理を真理と信じていたし、文ちゃんをメシヤと信じてました。 笑われるかもしれないけど、本気で地上天国実現を信じていたし(ただし、地上天国像がないのが統一教会員の特徴)、血統転換も信じていました。   よく脱会者や反対派が「脱会すると地獄に落ちる。家族や先祖、後孫まで地獄で苦しむ。と脅され、怖くて脱会できなかった。」という話しをするが・・・私はそれはなかったです。(全くないわけではありませんが。)   原理を信じ、この道が世界平和のためと信じていた(統一教会にぶらさがって活動していれば世界平和に貢献できると思っていた)のと、やはり一緒に活動する人達が大好きで離れたくなかったのです。(この思いが一番大きかったです。後にホントに原理の間違いと文ちゃんがメシヤじゃないとわかっても、この思いで脱会に躊躇し、苦しみました。) だから、霊感商法で躓いても、教会から足が遠のいても、脱会することはできなかったし、電話で連絡はとりあってました。   教会に行かず、活動しない日が長くなったので、実践課には所属できず、1992年10月頃、ユニティ(実践を全くしない部署)に移されました。ユニティには1ケ月位所属してましたが、その間、一度も行きませんでした。 ユニティの班長とも電話でしか話したことありませんでした。 ユニティの班長は、私より少し年上の矢島さん(仮名)でした。   ある日、矢島さんと電話で話していて、霊感商法の話しになりました。 私が霊感商法に躓いて教会に行けなくなったと話したら、矢島さんが自分の証しをしてくれました。   矢島さん、矢島さんのお母さんは元々クリスチャンでした。矢島さんは体が弱く病気がちで仕事にも就けない状態でした。 そんな時、一人の統一教会員が印鑑販売のため訪ねてきました。お母さんは、訪ねてきた統一教会員に娘のことを話しました。統一教会員は、悩みを聞き、お母さんと一緒に祈りました。そして、お決まりの霊感商法グッズを購入し、お母さんと矢島さんは言われるまま必死で祈りました。   そんなこんなの生活を送っているうちに矢島さんの病気はよくなり、仕事にも就けるようになりました。これは本物だと思った矢島さんとお母さんは統一教会の信仰を持つに至りました。   矢島さんの証しを皆さん、どう思うでしょう? 全くの嘘と思う人もいるでしょうし、まぁ、そういうこともあるのだろうな、と思った人もいるでしょう。 ただ、まぁそういうこともあるだろうな、と思ったとしても、だからと言って霊感商法が正しいという結論には至らないでしょう。   私は、矢島さんの証しは本当だったと思います。今、矢島さんではない人から矢島さんのような証を聞いても信じます。 でも、だからといって霊感商法が正しいとは思わないし、まして統一教会に入ろうなどとは思いません。   前に記事に書きましたが、私は統一教会信者時代に、顕正会の人の話しを聞きました。(聞かされました。)顕正会には顕正会を信じた人の証があります。(病気が治ったとか、事故から守られたとか、死んでも身体が軽い・・・とかそんな感じでした) それはそれで嘘ではないと思いますが、だからといって入信しようとは爪の垢ほども思いませんでした。 他宗教のことはそういう風に見れるのです。   なのに、矢島さんの証しには、「そうなのか~、霊感商法グッズはホントに効果あるんだ、救いの道につながるのだ、正しいことをしているのだ。」と思い、霊感商法を受け入れ、統一教会依存度を高くしました。 それは・・・私が統一教会と統一教会のやっていることを信じたかったからです。 信じたかったのに、信じられない情報が入って混乱していた私に、信じていいという情報・私が求めていた情報を与えられたからです。   この時から、霊感商法情報に躓くことはなくなりました。霊感商法によって救われたという生きた証を持った人が身近にいたからです。     統一教会だけでなく、他宗教でもこういう話しはヤマのようにあります。 宗教だけでなく、まがいものの健康食品や代替療法、民間療法にもこういう話しはヤマのようにあります。   例:「この水は、100年に一人いるかいないかの厳しい修行を積んだ徳の高いお坊さんが滅多に入れない秘境の山奥に命がけで入って得た貴重な水です。命がけで秘境の山奥に入っても、この水が湧き出る量はほんの少しでこれだけの量を目にすることは奇跡に近いです。その奇跡の水に100年に一人いるかいないかの徳の高いお坊さんが渾身の思いを込めて浄化しました。だから、この水は血液を浄化する力があります。」 と、どこにでもあるただの水をそう言われ、高値で購入し、「この水を飲み続けていれば、病が治る~」と信じて飲み続けていれば、難病が治ったという嘘のような話しもあります。     病は気からと言うように、人の体、病気の治癒は理論、理屈だけでは説明つかないことが多くあります。(医学が進んだとはいえ、医学で何とかできることはまだ少なく、人間の身体はまだわかってないことが多くあります。特に脳はほんの極々極々極々極々・・・一部しかわかっていません。)   統一教会信者に看護師が多い理由はそういうことも関係しています。 統一教会だけでなく、他宗教(カルト含む)やマルチにも看護師、多いようです。 看護師で物書きでもある宮古あづささんも、宗教絡みで退職した看護師のことを書いています。   話しが少し逸れましたが・・・矢島さんの証で、私は霊感商法を受け入れちゃいました。 再び教会活動を行うようになりました。 そして・・・その後・・・街頭から伝道した人が36万双で韓日祝福を受けました。          

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  • 21 Feb
    • マルチにはまる脱会者

      今までの人生の中で数回マルチに誘われました。 しかし、マルチに手を染めたことはありませんでした。(商品購入したことはありました。) 私より先に拉致監禁脱会した霊の親が言ったこと・・・「自分が信じてよかれと思って誘った統一教会が間違いだった。だから、もう人を誘うことはしない。」・・・よくわかります。 自分が絶対と信じていたことが間違いだったのです。その人のため、社会のためと思ってやっていたことが迷惑行為でしかなかったのです。 そのショックは今でも残っているし、肝に命じています。   自分が今は正しい・正義と信じていることも実は間違いかもしれない・・・思いこまされているだけかもしれないといつも心のどこかで思っています。   マルチも経済カルトと言われていただけあって、マルチの会場に行くと心地いいです。 マルチをやっている人達もいい人に見えます。同じ思考の人達ですから、団結力がありますし、そこに加わりたいという妙な誘惑感もあります。 でも、特定の思考や独特の考えに縛られた団体にも浸かりたくないし、人を誘うこともしたくないです。だから、宗教の信者にはもうなりません。マルチの組織にも加わりません。   それに、元々・・・私は人を誘うことも、商品を説明して購入してもらうことも苦手なのです。 (私が営業の仕事についたら、試用期間中にクビになるでしょう。) マルチの商品はまがい物もあるけど、けっこういい物もあります。商品がよくて自分に必要な物だったら購入しますが、人に勧めることはしたくないし、できません。   私と同じように、二度と宗教やマルチに関わりたくないと思う脱会者は多いのですが・・・ 統一教会は毛嫌いしても、あの独特な世界観が忘れられず、同じような世界にはまってしまう人も逆に多いです。   脱会者からマルチに誘われたこと3回ありました。 まずは、私が脱会したばかりの時でした。N市の青年部で一緒だった平野さん(仮名)から突然電話がありました。平野さんは、36万双で祝福を受けましたが、相手を気に入らず断ったため、教会に行けなくなってました。(ですので、完全な脱会者ではありませんでした。文ちゃんのこともメシヤと信じてましたし・・・。) 「久しぶりに会おう」と言われたので、断る理由もないし、当時は脱会したばかりで仕事もしてなく、外出予定ができることは嬉しいことでしたし、平野さんに会いたい気持ちもありましたので、約束をしました。 一緒に水族館に行き、ランチとおしゃべりをして楽しいひと時を過ごせました。平野さんから、勅使河原夫妻の情報も聞くことができました。   数日たって、再び平野さんから電話がありました。 平野:いい化粧品があるの。説明してくれる先輩がいるから、聞いてみない? (どこかで聞いた台詞です。) 私:それって、もしかしてマルチのようなもの? 平野:そう言われればそうだけど・・・でもホントにいい物なの。 私:私はもうそういうのはやらないと決めたから・・・話しは聞きに行かない。やってる人を否定はしないけど・・・。 平野:そう・・・ 気まずい雰囲気にはならずに、電話は終わりましたが・・・以後、平野さんから電話がかかってくることはなかったです。   2回目はK青年部で一緒だった尾崎さん(仮名)でした。 脱会して1~2年は経っていたと思います。仕事はしていましたけど、まだ実家にいた頃です。尾崎さんは、K青年部でディズニーランドに行ったときに鶴子ちゃんに会った一部の人でした。その後、拉致監禁されて脱会しました。I青年部とK青年部が合併した時はもういませんでした。   尾崎さんは、私より少し前に拉致監禁により脱会した元I青年部の実践課で班長の茂木さん(仮名)と同じ牧師で説得を受けました。 茂木さんが尾崎さんに私のことを話し、尾崎さんから私に連絡がありました。 K青年部で一緒に活動はしていましたが、尾崎さんと私は仲がそれほど良かったわけではなく、プライベートなことを話したことは皆無でした。 それでも、一緒に活動していた人が脱会して連絡くれることは嬉しいことです。夕食を共にする約束をしました。   最初は、お互いの近況報告と、K青年部の共通の人の話題、統一教会の悪口等、脱会者同士の会話でした。 そのうち、尾崎さんよりア〇ウェイをやっていると言われました。ア〇ウェイは誰もが知っているマルチです。(ア〇ウェイをやっている人は、マルチではないと否定しますが・・・)   「これから集まりに行くけど、行かないか?」と言われました。 (出たーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーA=´、`=)ゞ) ア〇ウェイだったら断る理由があるし、断れるからいいやと思い、行きました。   行ったら、マンションの1室に数人が集まって会合をしていました。(この雰囲気、どこかに似てると尾崎さんは思わないのだろうか?) その日は、商品や入会を勧められるわけでなく、挨拶と自己紹介で終わりました。 尾崎さんは、元信者の人からア〇ウェイ入会を勧められたということでした。(その元信者の人は私は知らない人でした。)   その後も尾崎さんからは何度か電話がありましたが、「忙しい」と会うのを断ってました。 茂木さんも尾崎さんのア〇ウェイのことに困っていて、「尾崎さんがやっていることは、統一教会の時にやっていることと同じなんだよ。」と説教したこともあったそうです。 でも、聞く耳持たずという感じだったと言います。 結局、尾崎さんと二度と会うことはなかったです。いつの間にか電話も来なくなりました。 茂木さんの話しで、尾崎さんは結婚したと聞きました。 今でもア〇ウェイを続けているのでしょうか?破産したり、人を誘いすぎて人間関係を壊さない限り、ア〇ウェイは扱っている商品はまともだから、サークルの延長みたいな感じでやるのはいいとは思います。     3回目はかなり後の話しで、私が結婚した後のことです。 I支部の実トレの時、親しくなった人がいました。その人の霊の子の須田さん(仮名)からの誘いでした。 須田さんとは、統一教会時代は会ったこともありませんでした。 ただ、霊の親から須田さんのことはよく聞いてました。須田さんの霊の姉妹の高木さん(仮名)は私と同じI青年部のコスモで活動していて、同時期に拉致監禁で脱会しました。 その後、須田さんが拉致監禁で脱会しました。   高木さんから須田さんを紹介され、それから交流がはじまりました。 とはいえ、それほど親しい交流ではありませんでした。 須田さんからマルチの誘いの電話があった時は、ホントに久しぶりの電話でビックリしました。 化粧品の紹介と会わないか・・・ということでした。「そういうことはやらない。」と言い、電話を切りました。その時の須田さんの口調が統一教会で人を誘うような口調で嫌気がさしました。 その後、須田さんから連絡はありません。年賀状のやりとりもしていません。   高木さんの話しでは、私にマルチの電話をした後に、須田さんは結婚したようです。     脱会者がマルチにはまるのは、わかるような気がするけど・・・・ 統一教会で痛い思いしたのに、何故同じようなものにはまってしまうのか・・・いまひとつわかりません。 私はもう・・・人を誘うのは嫌だから、ホントにホントにゴメンです。            

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  • 18 Feb
    • マルチにはまる中年現役信者

      本記事は、2014年4月25日に「親の気持ち 子の気持ち」でアップした記事です。(現在、「親の気持ち 子の気持ち」は統一教会関係の記事は非公開にしています。) 前記事は現役信者だった私が家庭をもった元アベル(現役)からマルチ商法に誘われた話しで、時は1992年のことでした。 今回は、現役信者から元信者へのマルチお誘いの話しです。時は2014年です。   統一教会脱会者の友人のともちゃん(仮名)から10年ぶりに電話がありました。   ともちゃん:私の霊の親の中村さん(仮名)って、覚えてる?   わし:覚えとるよ。松岡修三みたいな人でしょ? ともちゃん:そうそう・・その人から電話来たのよ。   わし:何?献金の催促?それより、なして、中村さんがともちゃんの電話番号知っとるの?   ともちゃん:それがさあ~・・こないだ、久々に新宿駅でばったり会ってね。久しぶりに話しに花咲いたわけよ。それで、「電話番号教えて」って言われて・・・   わし:教えたの?   ともちゃん:うん。こっちも脱会して20年経ってるし、統一教会なんて過去のことだし、中村さんに怨みないしね。伝道や献金だったら断ればいいと思って。   わし:で、何の電話だったの?   ともちゃん:ホントに電話くると思わなかったから、ビックリしたよ。献金の電話だったらどうしよう?と思ったよ。だけどね・・ (以下、ともちゃんの話し) 中村さんからの電話はマルチのお誘いでした。 生活習慣病予防と治癒効果があるという怪しげな健康食品の定期購入会員4人繋げると、月2万もらえるようです。 その会員が更に会員を誘うと、またマージンがもらえ、自分は何も投資することなく儲けられるそうです。  Σ\( ̄ー ̄;) 開発者の北山(仮名)名誉教授と独占契約を結んで、とか言っていました。 ともちゃんは電話で話しを聞きながら、ネットで調べたら、商品名は違いますが、ちゃんと商品として売っている会社があったそうです。 (@ ̄Д ̄@;) (中村さんは、ネットが使えないのだろうか?)   中村さんは、前に一度、別のマルチ商法にはまり、その時もあまり教会に足を運んでない信者に誘いをかけて問題になってました。   ともちゃんは、うんざりして、「もう二度と電話かけて来ないで!」と言ったそうです。 (それがいい。) 中村さんは、現在のところ50人誘って、まだ一人も繋げられていないようです。 ともちゃんは、被害者が今んとこ出てなくてよかったと言ってました。 (その通り!) こういうことを教会員、更に脱会者にまで勧めることで、みんなうんざりするということが分からないのでしょうかね? (ともちゃん曰く。全く、分かってないみたいだった。学習能力ゼロ。) 中村さんは、立教大学を卒業して、某一流企業に就職して、勤労青年として統一教会に所属していました。 人間関係と仕事でトラブルを起こし、退職後は統一教会員が経営する会社で事務職として働いています。 雇用保険にすら入っていませんので、失業したら即無収入になります。 将来は、実家のある青森に帰って、氏族メシアをやりたい、とのたまっていたそうです。 (ムリ!だ~ってね~・・いい年してマルチに騙されるような人の言うこと、危なくて信用できないよ。いや、それ以前の問題か・・・) 昔は人情味のあるいい人だったのに・・・と、ともちゃん。 (いや、昔から考えなしの人だった・・・。) ともちゃんも私も中村さんと同世代なので、中村さんが焦る気持ちは何となく分かります。 つまり、なんだかんだ言って、社会的に何の影響力もない、どころか社会の底辺に近いところにいるっていう現実に対してです。 中村さんのお子さんたちも教会には全く希望を感じてないようです。 (そりゃそうだ。) お子さんは、深刻な事態になっているようなので、氏族メシヤより、お子さんを何とかしないといけないのに・・全く何を考えているのでしょう? 何も考えてないのでしょう。     ミクラスさんからコメントいただきました。   一般社会にもいますがね、マルチまがい(アムウェイも含む)やって、親戚とかにも声かける人。わたしのいとこにも一人。 その、楽して儲けようというさもしい根性が・・・いや、わたしだって、楽して儲ければいいなと思うけど、周りの人までは巻き込みたくない。 こういうのやっているというだけで、その人の人間性を疑います。 しかし、氏族メシアとは・・・いまだにやっているんですね・・・。  

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  • 11 Feb
    • 元アベルからマルチを紹介された

      I青年部に行き、数か月は求めれる実績も信仰基準も高い実践課で頑張ってました。 しかし、それが続かないのが私です。統一教会時代だけでなく、学生時代もそして今でもその傾向はあります。   1992年8月に3万双の合同結婚式(祝福)がありました。 何度も、このブログに書いているように、桜田淳子さん、山崎浩子さん、徳田篤子さんが祝福を受け、世間の注目を一気に浴びました。 最初、山崎浩子さんが記者会見した時は、マスコミは好意的に報道していました。 教祖が決めた知らない人と結婚するということに、奇異さは感じたものの、日本にはお見合いという制度があるし、古くには許婚という制度がありました。相手への感情はどうであれ、親の言う通り、家のため結婚生活を開始する・・・極端な場合は、結婚式の日まで相手の顔を知らないということもありました。   そんな文化があったこともあり、知らない人同士の結婚をそれ程世間は拒絶している感じはうけませんでした。山崎さんが「普通の結婚は結婚式の時がお互いの気持ちが最高峰だけど、私達の結婚は結婚式の時はゼロ(もしくはマイナス)で、そこからお互い気持ちを高めていく・・・」と言ったことが一部の若い女性の琴線に触れたらしく、「私もそういう結婚をしてみたい。」という人まで出てきたと言います。   好意的なマスコミ報道に反対派はじめ、霊感商法の被害者、元信者が黙っているわけがなく、統一教会の反社会性、カルト性が一気に報道され出しました。 最初に報道したのは、TBSで、可哀想にTBSはその後統一教会から取材拒否にあいました。 あの頃は、ワイドショーの殆どが統一教会に時間を割いてました。(世間から全く相手にされてない今とは大違いです。) ワイドショーだけでなく、夜のニュースでも取り上げられていました。お蔭で、世間の殆どが「悪名高き統一教会」を知ることとなりました。   (故)筑紫哲也さんは「統一教会は嫌いだ。」と申しました。 (筑紫哲也さんの「ニュース23の変のコーナー」面白かったなぁ。統一教会が嫌いだと言ったのも、このコーナーでだった記憶があります。脱会して6年後だから・・・3万双から約10年後に、筑紫さんをあるミュージシャンの公演で見かけ、声をかけさせていただきました。統一教会は嫌いだ発言を聞いた時は、10年後、この方に声をかけることが起きるなんて・・・人生何が起こるかわかりませんね。)     私は当時、変則勤務をしていたので、平日の日中仕事じゃないこともけっこうありました。 青年部は、平日の日中は活動はありませんので、ワイドショーを思う存分見てました。 信仰基準は高くなく、霊感商法に躓きがあった私は、徐々に徐々に基準を落とし、教会に行けなくなりました。実践にも出れなくなりました。 ただ、統一依存症の私でしたので、完全に連絡を絶つことはできず、マザーや班長と電話では話してました。   そんな折、K青年部の顧問だった三田さん(仮名)から電話がありました。 三田さんは、6500双で祝福を受け、家庭出発していたので、統一教会の献身者の活動はしていませんでした。 三田:久しぶり~、元気? 私:まぁ・・・ 三田:今度会おうよ~。話したいことがあるんだ。ところで、今、教会で頑張っているの? 私:あんまり・・・ 三田:頑張っているなら、ちょっと話せないことなんだけど、頑張ってないなら、会おうよ。 私:・・・   頑張ってるなら話せず、頑張ってないなら会おう?って・・・どういうこと?まさかあの三田顧問が反対派になったってこと?まさか・・・と頭の中がぐるぐる回りました。 本来なら、I青年部のアベルに報告しなければならないのですが、何せ基準が落ちていた時なので、「まっ、いっか」と思い、報告もせずに三田さんと会う約束をしました。   三田さんは反対派に寝返っていませんでした。 会って、最初お茶しました。三田さんより、浄水器が勧められました。アトピーの酷かった兄弟(統一教会の男性のことを仲間内でそういってました。)がその浄水器を購入して使ったらよくなったから、私にもどうか・・・と言ってきました。 統一教会も浄水器を販売してました。三田さんが言うには、統一教会の浄水器よりいいという話しでした。   また、三田さんは浄水器を売っている所は皆明るくて良い、食口にもそんな明るさがあればいい・・みたいなことを話してました。 (この時は、マルチ商法だとはピンときませんでした。)   三田さんが言われるままに会場に行きました。会場で何人かから出迎えられました。 一人の女性のことを三田さんが耳うちに「食口だよ。」と言いました。 着いたら、講演が始まるまでスキューバダイビングをしている映像を見せられました。 バブルは崩壊した頃とはいえ、まだバブルの名残はありました。このビデオは、「夢があったけど、いつの間にか夢を諦めてないか?これから夢をかなえよう。」というメッセージがあったようです。   講演は、浄水器とお風呂の24時間自動湯沸かし器の説明でした。(昔、「湯名人」という商品がありましたが、そんなようなものです。と・・・いつの間にか、湯名人なくなりましたね。) その後、自分達のやっている活動(マルチ)の説明と「皆で夢をかなえましょう。」というメッセージで終わりました。     浄水器は、家に簡易式(水道に取りつけるもの)があったので、断りました。お風呂の24時間自動湯沸かし器はちょっと魅かれました。購入する一歩手前までいったのですが、手続きの関係で購入するには至りませんでした。   三田さんは元々人当りがよいので、マルチの人達とも仲良くやってました。三田さんが連れてきた人ということで、何人かの人が三田さんと私のところに寄ってきて、握手を求めました。 私は求められたまま男性にも握手をしました。(統一教会ではいけないことなのですが、私はあまりいけないことという意識がありませんでした。⇒後で三田さんから「分別してね」と言われました。この時、三田さんが発した唯一の統一教会員らしい言葉でした。)   帰りに三田さんと食事をしました。(統一教会時代で男性のアベルと二人で食事をしたのは、この時のみです。) 三田さんはマルチの人達のことをべた褒めでした。私に活動までは勧めませんでしたが、ここに時々来て、ここの人達と話したらいいと言ってました。   その後、商品購入のことで、何度か私の住んでいる所の最寄の駅近くで会ったのですが、結局商品を買うことにはなりませんでしたので、それ以後、三田さんとは会っていません。   私の教会への気持ちが復活し、コスモで伝道活動を再開して暫くした頃・・・最初のK青年部のマザーだった土田さん(仮名)と電話で話す機会がありました。 その時に、「三田顧問から、何か頼まれなかった?」と聞かれたので、多分、三田さんはK青年部であまり熱心に活動してなさそうな人に声かけていたのでしょう。   時が流れて数年後・・・私が統一教会を脱会して、脱会届も出して一区切りついた頃・・・ 三田さんの奥さんから手紙が届きました。(会ったことありません。) 手紙の内容は、献金の依頼でした。 手紙の中に電話番号も書かれていたので、電話して、脱会したこと、脱会届も出したことを伝えました。 三田さんの奥さんはビックリして、「今、行ってないという人は何人かいたけど、脱会届まで出したというのは初めて聞いた。」と言われました。・・・ (献金依頼も元K青年部のメンバー何人かに送っていたようです。) 電話には、三田さんは出てこず、三田さんからそれ以後連絡はありません。   三田さんは、今50代半ばすぎでしょうか? 順調にお子さんを授かっていれば、お子さんも成人していることになります。(そう言えば、三田さんから子どもの話しを聞いたことないです。) 私をマルチに誘った頃と同じところに住んでいれば、私の現在の実家の隣の駅近辺にいらっしゃるはずです。 今でも、家庭連合の教会に通っているのでしょうか?それとも名前だけ残して、今では殆ど教会とは関わってないのでしょうか?それとも、分派に行ったのでしょうか?   何となく分派に行ったのが一番あり得そうに感じます。(根拠なし) 以前は、三男派が一番あり得そうでしたが、三男派の上目メンバーとはタイプ違うから、他の分派かな、と勝手に想像してます。(サンクチュアリという感じでもありません。)   かつて、マルチのことを「経済カルト」と言われてました。(今も、そういう名称で呼ばれているかは不明) 現役、元問わず、統一教会員、けっこうマルチにはまる人多いのです。(カルトはカルトを引き付ける・・人は同じ匂いのものによってくる) そのことを「私がカルトにはまった理由」から少し外れますが、次と次々回記事でアップしたいと思います。   PS: 三田さんが所属していたマルチは、潰れました。 偶然にも、私がコース決定したゲストがそのマルチで活動していた人で、その人から「潰れた」と聞きました。          

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  • 08 Feb
    • 原研の運動会?後半出発式

      I青年部の目黒顧問(仮名)は、人のモチベーションを保ち、実績をキープする能力に長けていた方だったと思います。 本当に、何故、このような方が統一教会に献身してしまったのか・・・?そして脱会することなく統一教会にしがみついてしまったのか・・・?謎です。   統一教会では、全体と各部署でそれぞれ月初めに出発式をします。月初めだけでなく、伝道や経済活動の前にも行います。 出発式は、活動のモチベーションをあげるための中心者(その場の責任者)の話しから始まり、聖歌等を皆で踊りながら歌い、代表祈祷(一人の人が皆の前で祈祷する)、個人祈祷、最後に中心者が神様と真のご父母様(文ちゃん夫妻)に挨拶し、それに皆が続き、勝利の合言葉を皆で発して終わりというのが大体の流れです。 I青年部では、月初めの出発式(前半出発式と言ってました。)、伝道前の出発式以外に後半出発式を行ってました。 月の半ばの平日の夜8時位から11時位まで行ってました。 住宅地の中、11時までハンパなくワイワイガヤガヤやるわけですから、かなりの近所迷惑で苦情がくること多数ありました。(当たり前です。)   後半出発式で何をやるかというと・・・ 一言で言うと、各基台毎で競うゲーム大会です。実践課2基台、コスモ3基台、ユニティー(ユニティーは班長や有志の人のみ参加)の6チームで競ってました。 「何だ・・・ゲームか・・・」というなかれ・・・統一教会の修練会等に一度でも関わったらわかると思いますが、統一教会で行うゲームは「神様を証す」「サタンとの闘い」「中心性と一体化」「心情が現れる」と言われてましたから、皆真剣に行います。 まして、後半出発式のゲームの順位が、基台の1ヶ月のポイントに加算されるので、皆必死になります。(後半出発式のための練習の日まで設けられてました。)     ゲームは、進化論じゃんけん、伝言ジェスチャー、クイズ、サンクス、紙玉入れ、エスチャーを行ってました。 簡単にそれぞれのゲームの解説をしますと・・・   ・進化論じゃんけん:ゴキブリ⇒かえる⇒アヒル⇒さる⇒人間(ゴキブリと人間以外は、忘れたので、今適当に流れを作りました。)と、じゃんけんをしながら進化していきます。   最初、皆ゴキブリからスタートします。勝った人は、かえると進化します。かえるに進化したらかえるの人同士でじゃんけんします。負けた人はゴキブリの人同士でじゃんけんします。 勝てば、進化していき、人間になれば終わりです。   じゃんけんは同じ立場の人としかできませんので、声を出して同じ立場のじゃんけん相手を探します。 終了後、それぞれの基台での人間の人数が点数となったような気がします。   ・伝言ジェスチャー:それぞれの基台で数人代表者を出し、一列に並びます。顧問がお題を出し、それをジェスチャーで順々に伝えていきます。最後の人が正解を出したら、点数になります。   ・クイズ:顧問がクイズを出して、それを基台毎に考えます。制限時間内に早く正解を出したチームから点数が入ります。   ・サンクス: 各基台4名参加します。(男女2名ずつ)一人がサンクスまで走って顧問から渡されたメモの品を買い、それを途中で待っている人にバトンタッチします。到着順で点数が決まります。 (品物の代金は顧問からメモと一緒に渡されますが、お金が足りないというハプニングありました。その後から、第1走者は必ずお金を持って走ってました。) これは、I青年部ホーム近くの有名進学塾で有名になってまして、「原研の運動会」と密かに言われてました。(原研ではないのだけど・・・)時々、有名進学塾の塾生より声援までいただきました。 後半出発式前に、第1走者がサンクスに偵察に行くし、毎月半ばの夜に走って慌てて1品だけ買い物をする人12人いるので、サンクス店員内でも有名になってました。 (今だったら、ツイートされてますね。)   ・紙玉入れ 基台名を書いた紙を切ってまるめて所定の箱に入れて、数を競うゲームです。 2人が紙に切って基台名を書いてまるめて渡し、一人が所定の箱に投げ入れていました。 紙は1枚ずつじゃなくても、何枚か一緒に丸めて入れてもOKです。(ただし、基台名が書いてない紙は無効。)   ・エスチャー 顧問がお題を出します。そのお題は1名が見に行きます。お題を見た人は、声を出すことは厳禁で、絵でそれを示します。絵を見ながら他の基台メンバーでお題は何か当てます。 わかったら、答えを顧問に報告して(勿論、お題を見に行った人とは別の人)、次のお題をもらいます。その際、顧問とじゃんけんをして勝たないとお題はもらえません。一番早く終了したチームから高得点が入ります。   お題は単語ではなく、文章です。 (お題を見に行った人が忘れて、もう1度見に行ったり、お題を見た人が勘違いして、違う答えを顧問のところに報告に行き、お題を最初に見た人がまた顧問のところに聞きに行ったり、けっこうハプニングがありました。)   時事ネタ、芸能ネタ、スポーツネタから御言葉までありました。御言葉は、毎朝本日の御言葉としていただいている「み旨の道」から出されます。 1日から月半ばまで言われた御言葉を丸暗記したり、この日のために必死に時事ネタ、芸能ネタ・スポーツネタを集めます。     20代~30代はじめの独身男女が集まり、ゲームの勝敗に一喜一憂していたなんて・・・ 第3者の立場で傍観したら、どんな風景なのでしょうね?   後半出発式、楽しかったですし、真剣になりました。 自宅から通教の時は、夜遅かったので、最後まで参加はなかなかできませんでしたけど、1回目の拉致監禁後教会に戻った時は、アパート暮らしをしていたので、その時は毎月最後まで参加してました。 ゲームというのは、思わぬ性格や志向が出て・・・意外性を発見できて、面白いです。   実績だけでなく、毎月ゲームを通して、基台を一体化(まとめる)させ競わせることで、より結束が生まれ、み旨(統一教会の活動)を頑張ろうという気持ちになります。 だからなのか・・・1990年代・・・徐々に統一教会全体の伝道が低迷しますが、I青年部の伝道実績は維持できてました。(統一教会に騙される人を増やしていたわけだから、よくないことですが。)     現在の統一教会(家庭連合)は、信者同士の交流がなく、礼拝に参加しても隣の人とあいさつすらしないと聞きました。(これが真の愛を語っている宗教?) 家庭連合の運勢が落ちに落ちて、もう終わっている団体になっているのは、信者同士の情の繋がりがなくなったことも一つにはあるでしょう。(メシヤも原理もハチャメチャだから、元々こういう運命だったのでしょうが。)                    

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  • 04 Feb
    • 霊的だった(?)霊の子八木橋さん(仮名)

      八木橋さんと出会ったのは、3月末の土曜日でした。 その日は、O駅で伝道活動をしました。 八木橋さんは、当時大学4年生で卒業後は実家のG市に戻って就職する予定でした。   O駅からビデオセンターに即動しました。当時、私は実践課の戸田基台でしたが、八木橋さんの新規トーク(占いの先生)担当はコスモの小村マザー(仮名)でした。   八木橋さんは、以前、統一教会と全く関係ない自己啓発セミナーに参加したことありました。(当時、高額な自己啓発セミナーは、一部問題になっていました。) 自己啓発セミナーで勧誘することを強制されたことが嫌だったこと、そしてその自己啓発セミナーとビデオセンターの雰囲気が似ていることでコース決定を躊躇しました。   小村さんと私で「ここは人に勧めることは強制しない。八木橋さんがしっかり勉強してみて、いいと思ったら勧めたらいい。」と何度も言って、ビデオセンターでの勉強を決意しました。 とはいえ、八木橋さんは間もなく地元のG市に帰る予定です。G市からI支部のビデオセンターに通うことはできません。 それで、1回目だけI支部のビデオセンターに行き、2回目以降はG市のビデオセンターにつなぐことになりました。   当時は、再来4回目までは紹介者が待ち合わせして一緒にビデオセンターに行く方式でした。1回目のビデオセンター再来は翌日の日曜日でしたので、礼拝が終わった後の午後、ビデオセンター近くのS駅改札口で待ち合わせをしました。 改札で待っている間に、実トレの隊長はじめ数人のH館の人に会いました。「昨日、決まった人?」と皆が聞いていきました。   統一教会では毎週日曜日5時から三拝敬礼を行うのですが、H館の三拝敬礼後は、土曜日にコース決定した人が発表されてました。だから、私がコース決定したのをH館の人が知っていて・・・声をかけてくれたわけで・・・これは嬉しかったし、誇らしかったことを今でも覚えています。   通常でしたら、1回目の再来の時にビデオセンターで担当となる方を紹介するのですが、八木橋さんはI支部のビデオセンターは今回のみですから、小村マザーが1回目も対応してくれました。 私がコース決定した1984年は、いきなり倉原講師の総序を見せられたものですが、1992年にはもっとゆる~くてその人に合わせたものを見せるようになってました。小村さんは何故か八木橋さんに先祖に関するビデオを見せました。   最初にG市のビデオセンターに行く日は、私も一緒に行く予定でしたが、八木橋さんは約束していた日に行けなくなったと連絡がありました。 暫く経った土曜日、八木橋さんから、紹介されたビデオセンターに行きたいと連絡がありました。 急きょ翌日の日曜日、礼拝を休み、新幹線に乗りG市に向かいました。G駅で八木橋さんと待ち合わせし、ビデオセンタースタッフに迎えに来てもらいました。   所変わってもビデオセンターも食口の雰囲気も同じです。 G市のビデオセンターの樫尾さん(仮名)という女性の責任者の方が対応してくださいました。 八木橋さんがビデオセンターに行く気になったのは、実家に戻ってご両親と関係がうまくいかずイライラいていた時、I支部ビデオセンターで見た先祖のビデオを思い出したからだと言ってました。 (小村さんにこのことを伝えたら、「やっぱりあのビデオ見せてよかった。」と言いました。)   G市のビデオセンターで勉強する方向性が決まったので、八木橋さんと私はビデオセンターを後にし、G駅に行き、私は新幹線で帰りました。 八木橋さんとは今後、会ってゆっくり話すことができないので、本当だったらランチでも一緒にしたいところでしたが、その日は湯川さんにメシヤ文ちゃんが証される日でした。私は断食中でしたし、時間的にゆっくり話すこともできなかったので、その日はビデオセンターで話したのみとなりました。   その後、八木橋さんは順調とまではいかなくても、2days、4daysと進みました。 八木橋さんには当時大学生の弟さんがいらっしゃって、I支部の隣県で下宿してました。弟さんが不在の時、そこに八木橋さんが泊まりに行くということが1度ありましたので、私もその日に泊まりに行きました。 その時は、八木橋さんは文ちゃんが証される前でしたので、普通の会話で一晩過ごしました。   その後、直接八木橋さんに会うことはありませんでした。 ずっと、手紙と電話でやりとりしていました。4days参加時は、他のゲストと同じように断食しました。 4days終了後、紹介者やスタッフが集まって(新トレ参加を促すため)ウエルカムを行うのですが、私は行くことはできませんでした。 電話で八木橋さんの4daysでの様子をスタッフ(男性)に確認したら・・・ 「霊的になって大変だった」という返事が返ってきました。   講義中、おいおい泣いて落ち着かなくなり、途中から皆と一緒に抗議が受けられなくなり、食当の手伝いをしていたとのことです。 電話の最初に、「私と八木橋さん、似ているところがある。」と言ったら、「似ていたら大変ですね。」と見ず知らずの男性に言われてしまいました。・・・(ちなみに私は霊的ではないです。) 今振り返ると・・・G市はまだ献身するのが当たり前で、献身できない基準の低い人が霊の親だから・・・と思われたのではないだろうか?と・・・・思います。(被害妄想です。)   八木橋さんは4days後、新トレに行くことなく、どこに所属することなく細々と教会につながっている感じでした。 そんな八木橋さんを気にかけてくださる人がいました。 私がN市の実トレの時(1回目の実トレ)の小隊長だった岡田さん(仮名)です。 岡田さんは家庭をもってG市に行っていたのです。岡田さんの霊の孫の藤野さん(仮名)もどういう理由かわかりませんが、G市に行ってました。N市の青年部で一緒だった井沢さん(仮名)もG市で活動してました。(井沢さんは、実家がG市でした。)   八木橋さんと岡田さんがどういう形で出会ったかわかりませんが、八木橋さんから岡田さんのことを聞いた時は驚きました。(藤野さん、井沢さんのことは岡田さんと連絡とった時に聞きました。)   岡田さんは、実トレの小隊長時代は、(スタッフだったのに)実トレ生の前でカイン的発言(不信仰的発言)をしていて、面倒見がよいわけではありませんでした。(私は親近感があって、けっこう好きでした。) その岡田さんが八木橋さんの面倒をみてくれていたのには、ビックリしました。 井沢さんも岡田さんと一緒に八木橋さんのことを気にかけてくれ、ありがたかったです。   1993年の秋~冬に日本女性16万人対象にした済州島の修練会がありました。 八木橋さんも岡田さんと井沢さんと一緒に参加しました。参加する際、G市教会スタッフから、4daysyの八木橋さんのことがあったので、「大丈夫か?」「参加しない方がよいのでは。」という意見も出たようですが、岡田さんが自分と井沢さんが一緒にいるから大丈夫と言い、参加しました。   参加前に、井沢さんから「八木橋さんは求めている」と手紙に書いてました。 本当は、私も一緒にこの時に参加したかったのですが、当時家庭問題が酷くなりつつあったので、参加はやめた方がよいとアベルに言われ、この時は参加しませんでした。 結局、済州島修練会最終回に参加するよう言われ、参加しました。参加の際、親にはG市に旅行に行くと言い、岡田さんに口裏を合わせてもらい、岡田さんから実家にお土産も送ってもらいました。(八木橋さんと私共々、岡田さんにはお世話になりました。)   八木橋さんは、済州島に行っても変わりませんでした。 教会には何とかかろうじてつながっている感じでしたが・・・・1995年のオウム事件の後、家族でもめごとが起きました。 八木橋さんの弟さんがオウム真理教に入っていたのです。何がきっかけかわかりませんが、八木橋さんが統一教会と関わっていることをお母さんが知り、半狂乱になったそうです。   それからは、八木橋さんは岡田さん、井沢さんとも連絡をとらなくなり、教会からも(元々足は遠のいていましたが)更に足が遠のいてしまいました。     1996年・・・私は脱会後、八木橋さんに脱会したことを連絡しました。 その時、八木橋さんから驚くことを聞きました。 「悪くて言えなかったのだけど・・・実は、結婚したんです。・・・」   学校の先生とお見合いで結婚したそうです。 私は、驚いたけど、ホントによかった~と思い、「おめでとう!」と言いました。 この時は、まだお子さんはいないと言ってました。   それ以降、八木橋さんとは連絡をとっていません。 八木橋さん、あれからお子さんは授かったのでしょうか?   幸せな日々を暮していると信じています。                  

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  • 30 Jan
    • 一和の高麗人参茶にまつわる話

      統一教会系企業に一和があり、そこで以前紹介したメッコールや高麗人参茶を販売してました。 の商品も販売してました。 ジンセンアップは知っていたけど、炭酸水は知らなかったです。 一和で画像検索したら、トップでが出てきました。一流ブランドなんて笑わせてくれる サッカーチームまであります。   一和の高麗人参茶は、食口だった経験がある人は、一度は口にしたことがあるでしょう。 私は、2回目の実トレに行く前までは、あまり口にしなかったのですが、アトピーがあり献身を断られた時、アトピーを治して献身しようと思っていたため、意を決して購入しました。 この時は、食口価格ではなく、一般価格で購入しましたので、けっこう高値でした。 (確か1本7万円でした。・・・4本セットから割引になります。食口価格は、1万円でした。(?) しかし、画像でを発見してしまいました。)   世間一般でも高麗人参茶は体にいいものという認識があります。 高麗人参を育てた土地は、7年ペンペン草も生えないという位土の養分を吸い取ると、統一教会の高麗人参茶講話で聞きました。 一和の高麗人参茶は、他社のものに比べて良質な高麗人参が多く入っていると説明されました。 (当時、一般と信者向けに高麗人参茶講話が何度か行われてました。私は参加したことはないのですが、高麗人参茶を使った薬膳料理教室なるものも定期的に行われてました。)   病気が治ったという証しもありました。コスモの小隊長だった鍋島さん(仮名)は、一和の高麗人参茶を飲んで膠原病が治ったということでした。 (食口は同年代の人達に比べ、体の調子が悪い人が多く、せっせと高麗人参茶を飲んでいる人も多かったですが・・・調子がよくなったという話しは・・・鍋島さん以外では聞いたことなかったです。)   お得意の信仰話し(オカルト話し)もありました。 心情が神様・お父様(文ちゃん)に近いと高麗人参茶が甘く感じ、神様から遠いと苦く感じられると言われてました。   高麗人参茶、最初飲んだ時に「おいしい」という人は殆どいないでしょう。飲んでくるうちに徐々に慣れてくるのです。私も最初は我慢して薄くして飲んでましたけど、徐々に慣れてきて濃くても飲めるようになりました。 徐々に慣れてきて飲めるようになったのを「信仰が深まってきた」と勘違いするのです。(って、例え食口とはいえ、まともに勘違いする人は殆どいないと思いますけど。)   一和の高麗人参茶を飲むと、御言葉(原理・文ちゃんの言葉)が入りやすくなるとも言われてました。 ですので、高麗人参茶をゲストに購入を勧める時は、御言葉が入りやすくなりますようにという願いも込めてました。 また、アベル的(統一教会に従順になること)になると言われてました。反対する人も一和の高麗人参茶を飲むことで、文ちゃんを受け入れるようになるというのです。   私は、実家に住んでましたので、反対する親が反対しなくなるよう、密かに高麗人参茶を飲ませたり、料理の中に味が変わらないように入れてました。 (最初だけ通常価格で買い、後は食口価格で買ってました。)   家にある高麗人参茶が統一教会の物とは知らなかった母は、抵抗なく飲んでました。 しかし、それをぶち壊したのは統一教会でした。 高麗人参茶販売店の販売員が何を思ったのか、私が不在時に我が家に訪問したのです。 どういう話しをしたのかはわかりませんが、高麗人参茶が統一教会のものとわかってしまいました。 それ以来、私が脱会するまで母は高麗人参茶を口にすることはなくなりました。 (これを当時のアベルに話したら、アベルは激怒して、販売員に文句言うと言ってました。)   高麗人参茶を3人の人に購入させてしまいました。 一人は前記事の湯川さん(仮名)です。 もう一人は、2回目の実トレ最後にビデオセンターに連れて行くも、精神科通院中のためコース決定できなかった男性です。 そして、もう一人は、コスモ時代に街頭伝道からビデオセンターに即動し、4daysまで行った人です。(ビデオセンターに行き始めた時に購入させてしまいました。)   ゲストに高麗人参茶を勧める時は、高麗人参茶を販売する店舗に動員します。 高麗人参茶販売店の販売員がゲストの身体状態を簡単にチェックし、高麗人参茶の説明と必要性を話し、購入を勧めていきます。 他の展示即売会と同じように、目標をたてます。動員カードなるものに目標とゲスト情報を書き、アベルに提出し、アベルから販売員に動員カードが渡ります。   目標は3倍の目標をたてるようにと言われていた為、いつも3倍の目標を私は記載していました。ですので、4個とか7個とか12個とか記載していたと思います。 当然、そんな数を購入するわけもなく、湯川さん除いて1個の購入でした。(湯川さんも後に1個に変更しました。) 実践課の時は、7個だか12個だか書いたのに、1個しか購入しなかったので、真壁隊長(仮名)にすごい分別されました。(怒られました) その後、樋口基台長(仮名)に「すみませんでした」と悔い改めたふりをしてしおらしく謝ったら、「1個でも購入してよかったじゃないか。これから、「体の具合はどうですか?わからないことがあればいつでも聞いてください。」とフォローして喜んで飲んでもらえばいいのだから。」という言葉が返ってきました。   樋口基台長は献身していませんでした。 ホントにできた方で、人間的に素晴らしい人でした。   コスモ時代に購入させてしまった人は、目標4個と書いたと思います。 橋田隊長(仮名)より、「マナ(※1)4個達成したら、古井(仮名)基台(当時私が所属していたコスモの基台の中の一つ)トップになるのじゃないか。(※2)」と期待されてました。   (※1)一和の高麗人参茶のことを統一教会ではマナと言ってました。 (※2)I青年部では、基台ごとに目標を決め、その達成度を競わせてました。   期待を裏切り1個でしたが、橋田隊長は、「ビデオセンターでの勉強も喜んでいるようだし、マナも喜んで授かったのだから(統一教会系の物を購入したら、授かると言ってました。)よかったじゃないか。」と言ってくれました。 (これが、実績に対する実践課とコスモへの期待度の違いです。隊長の性格の違いもあるかもしれませんけど・・・)     さて・・・・   私が脱会後も自宅には一和の高麗人参茶が残ってました。 母は、私を拉致監禁する程に統一教会を嫌っていました。自宅にある高麗人参茶は統一教会のものとわかってから、母は飲まなくなっていたのですが・・・   何を思ったのか、母は残った高麗人参茶をどうしたらよいか、販売店に電話して聞きました。(販売店も統一教会と当然わかっていながらです。) 販売員から親切に、「お風呂にいれたらよいですよ」とアドバイスをもらったようで、お風呂に入れちゃいました。   お風呂に入れたからと言って何が変わるわけではありません。 ただ、母は「あれをお風呂に入れたら、肌がすべすべになった」と言ってました。 (私以上に暗示にかかりやすいかもしれません。もしかして・・・私でなく、母が統一教会に伝道されていたら・・・・ちょっと怖いです。)     PS: 高麗人参茶説明する時、が提示されます。 脱会して、10年以上経って、某所に旅行に行った時、高麗人参茶を販売していました。(一和ではありません。) こんなところに瓶詰の高麗人参が~・・・とちょっと懐かしかったです。                  

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  • 27 Jan
    • 喘息ありながら4days、新トレまで頑張った霊の子ー湯川さん(仮名)

      湯川さんと出会ったのは、実践課の戸田基台の時でした。 日曜日の礼拝後の伝道は、戸田基台長がその日の伝道地を伝え、それぞれペアを決めて出発します。 その時は、戸田基台長が全員に何か質問して、それに対して手を挙げたら、その手の拳げ方が同じだった澤さん(仮名)とペアになりました。   澤さんは、I青年部の実践課に長くいて、入教もしていました。 ほんわかしていて、バリバリ実践するタイプには見えないですけど、内には闘志を秘めてました。 お互い熱く信仰的なことを話すことはなく、「頑張りましょう。」とあっさり二人でプチ出発式と祈祷をして、伝道地のO駅前でそれぞれ道行く人に声かけました。   開始して、比較的早い時間に湯川さんが止まってくれました。 湯川さんは、私より3歳下でOLをしているソバージュヘアの可愛らしい女性でした。 私が手相を見ている最中、澤さんが「一緒に勉強しているので、一緒に見させてください。」と入ってきて3人で話しをしました。(手相伝道で協助に入る時は大体このパターンです。)   澤さんの年齢は憶えてないですが、私より年下だったのは確実なので、湯川さんとそう変わらなかったと思います。 年齢の近い女性3人ですので、それなりに話しは合いますし、湯川さんも警戒してませんでしたので、楽しく3人で話して、そのままビデオセンターに行きました。   ビデオセンターに行ったらいつもの流れです。 湯川さんはすんなりコース決定しました。 ビデオセンターには定期的に通い、順調に2daysに参加し、中級トレーニングに進みました。   湯川さんは、私と同じ高校出身でした。 3歳下ですので、私が卒業した年に入学したので、接点はなかったです。 実家暮らしでしたので、家からビデオセンター・中級トレーニングは遠かったのですが、頑張って通ってました。 特に何に感動するわけでもなく、ビデオや講義の内容にマッチすることはなかったですが、嫌がることもなく、むしろ楽しんでいるように見えました。   4days前に、統一教会と文鮮明がメシヤということが証されれる特別講義があります。 湯川さんが証された時は、3万双が騒がれる前でしたので、(世間は統一教会を知らない人の方が多かったです。)何の抵抗もなく受け入れてました。 4daysに予定通り、参加しました。   湯川さんは、喘息がありました。 時々、発作を起こしてると言ってました。 2daysの時も、参加中発作が起きたら・・・と私の方がドキドキだったのですが、大丈夫でした。   湯川さんを伝道した頃くらいから、文鮮明と統一教会が証される時、4daysに参加する時に蕩減条件として1日、もしくは40時間断食を行ってました。 証される時は、「文鮮明をメシヤとして受け入れることができますように」。 4days参加時は「○○さんが神様、お父様(文鮮明)につながることができ、○○さん家族、先祖も救いの道につながりますように。」という願いを込めて行ってました。   湯川さんは、喘息発作も心配でしたので、喘息発作も起きないようにという願いも込めてました。   4days中、湯川さんは喘息発作が起きました。 近くの病院で処置をして、すぐに治まり、4daysに戻ることができました。 皆と一緒に帰ってきて、帰ってきた時もとても元気でした。   4daysも特別感動したこともなかったようですが、すんなり新生トレーニングに参加すると言いました。 しかも、仕事を辞めるつもりだったので、入教して参加すると言ったのです。   今思えば、湯川さんは不思議な人でした。 誰に何を言われたわけではないのに、文鮮明が証される前に、髪をばっさりと切ってショートヘアにした・・・その後もどんどん短くなりました。 (統一教会ではロングヘアは、良しとされていませんでした。80年代後半からゆるくなり、食口でもロングヘアの人はいましたが、それでもショートヘアの人が殆どでした。ロングヘアの人は、大体新トレや実トレでショートヘアにしてました。) 新トレの入教も自分から言い出しました。 ホントに特別・・・原理にはまっている様子もみられなかったのに・・・・   新生トレーニング前に仕事をやめ、新生トレーニングには仕事をしていない状態で入教して参加してました。日中は、ホームの掃除をしていたそうです。エライ人です。 新生トレーニング中は、発作が起きたということは聞きませんでした。   湯川さんの新生トレーニングの時に、最後の私の青年部のマザーとなる井場さん(仮名)に初めて出会いました。(その時は、新生トレーニングのマザーか班長でした。) 井場さんは教育部所属が長く、新トレやライフトレ・中級トレ・上級トレのマザーや班長をしていましたし、K青年部関係者の霊の子・親でしたので、K青年部の人からよく名前を聞いてました。「ああ、この人が井場さんか・・」と思いました。 この時は、湯川さんを通して一言、二言話しただけでので、勿論悪い印象はありませんでした。 まさか井場さんが20年以上経っても忘れられないわだかまりを残してくれるなんて、この時は想像すらできませんでした。   湯川さんは、新生トレーニング卒業後は、実トレには行かず、青年部のユニティに行きました。(元々原理にはまっていたわけではないので、実践するまでの気持ちはなかったようです。新トレ卒業前の実とれの谷山マザーと面接後、谷山マザーが私に「実トレ来たらビックリしちゃうだろうね。」とまだ実践する段階ではないことを言いました。) 再就職もしました。 入教は新トレの時のみでした。   新トレの最中だったか、卒業した後だったか忘れましたが、マナ(高麗人参茶)購入を勧め、4個購入しました。(結局後に1個に変更しました。) 私もアトピーがあり、購入してましたので、湯川さんの喘息もよくなるようにと購入を勧めました。     何かと縁があった湯川さんで、湯川さんの再就職先は、私が当時勤務していた職場の近くでした。昼休み、待ち合わせて一緒にランチしたこともあります。   教会が嫌になったわけでもないし、私とも疎遠になったわけでもないのに、湯川さんは教会から足が遠のきました。3万双前後のワイドショー報道で躓いた様子もありませんでした。 湯川さんは、美術系の大学を卒業していました。ガラス工芸が好きで、そちら方面の仕事に就けたので、仕事が面白くなったのでしょう。 細々と連絡は取り続けましたが、湯川さんが二度と教会に足を踏み入れることはなかったです。(よかったです。)   私は、脱会後、湯川さんに自分が脱会したことを電話で伝えました。 その時、湯川さんから「私は、教会のことわからなかったから、はまらなかった。もういいかなぁと思って行かなくなった。」と聞きました。 コスモで一緒に活動していて、私より少し前に拉致監禁で脱会した坂口さん(仮名)は4daysで湯川さんと同期でした。 坂口さんにその話しをしたら、「湯川さんみたいな人もいるのにね・・・・」とため息ついてました。(湯川さんみたいにはまらない人もいるのに、何故自分ははまってしまったのだろうという心のため息が聞こえてきました。)   私が脱会したと電話連絡してから、湯川さんには連絡をとってません。 湯川さんも今は40代後半・・・ きっと、今頃幸せな家庭を築いていることでしょう。 ガラス工芸は続けているのでしょうか? 喘息は大丈夫でしょうか?                    

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  • 21 Jan
    • 青年部で再出発~脱会までのざっとした遍歴

      献身するつもりでK青年部から入教して実トレに行きましたが、献身を断られたため、再び青年部に行きました。しかし、実トレ前に所属していたK青年部ではなく、I青年部に行きました。 私がN市からK支部に移籍したのは、1990年でした。その後、ブロックの区分けの変更があり、K支部とI支部が合体しました。しかし、青年部は大所帯のため、そのままK青年部、I青年部と分かれたままでした。1992年1月にI青年部に行った時は、K青年部とは別でした。1993年頃、急にK青年部とI青年部が合体して、1つの青年部になりました。 私はI青年部に1992年1月~1995年8月までいました。1995年8月に2回目の拉致監禁され、脱会届を出したのは、1996年1月です。 I青年部は、3つの部署に分かれてました。(K青年部と合体しても、その分け方は変わりありませんでした。)・実践課(献身者の伝道機動隊と同じ位の基準で実践する部署・・・青年部の入教者はここに所属。通教者もいた。)・コスモ(実践は土日中心。平日は任意。実践課に比べたら、目標も期待度もかなりゆるい。)・ユニティ(実践せず、サークル活動や講座が中心。K青年部と合併してからは、バザーを行っている。) I青年部の顧問は、私が最初に青年部に行ったN市の青年部の顧問の目黒さんでした。目黒さんは、元はかなり優秀なコックさんだったようです。  年は私より2歳上なだけでしたが、かなりご立派な体で貫禄がありました。頭がとてもきれる方でした。(私は、素面の食口だったのではないか、と疑っています。その理由は、後で「あの人は、今?」テーマ記事で書きます。)(素面の食口とは、原理や文氏を信じてないのに、食口でいる人のことです。2回目の拉致監禁された時の説得者がこの言葉を使ってました。) 私が脱会するまで顧問はずっと目黒さんでした。6500双で祝福を受け、I青年部の顧問をしながら家庭を持ちました。私が脱会後、お子さんが生まれたようで、お子さん交えて青年部の皆と映っている写真を何故か私は見た記憶があります。(勿論、私は写ってないですが・・・???写真を見た経緯は全く覚えていません。不思議です・・・) それぞれの部署に隊長、マザー、小隊長がいました。実践課の隊長は、ずっと真壁さん(仮名)でした。コスモは、K青年部と合併するまでは、藤井(仮名)さんが基台長の役割と兼ねてました。K青年部と合併してからは、K青年部出身で、私が実トレに行ったのと同時期に献身トレーニングにいった橋田さん(仮名)が隊長でした。(橋田さん、私の1つ下で、誕生日同じです。) ユニティは、途中は忘れましたが、最後は武藤さん(仮名)でした。武藤さんは、宇佐美さん裁判、後藤さん裁判を傍聴した時に久しぶりに顔を見ました。全く変わってなかったですね。 実践課のマザーは1992年~1995年・・・1度しか変わってませんが、コスモは何人か変わりました。小隊長も実践課は変わらなかったのですが、コスモは何人か変わりました。(何故、コスモはスタッフの変更が激しかったのか?)ユニティの小隊長は、やはり途中は忘れて、最後は竹井さん(仮名)でした。 私は、当初は実践課に所属していました。最初は、入教メンバー中心の戸田(仮名)基台でした。(入教はしてなかったですが。)半年後位に実践課の基台の変更あり、入教も通教も関係なく2つに分け、私はもう一人の基台長の樋口(仮名)基台になりました。 樋口基台の時の班長は茂木さん(仮名)で、私より4歳下の女性でした。茂木さんは当時20代前半の若さでしたが、高校卒業後すぐに職場の先輩の中島さん(仮名)に伝道され、トントン拍子で青年部に行き、当初から入教していたため、班長を任されてました。(中島さんは、2回目の実トレの時1ヶ月一緒でした。その後、献身トレーニングに行ったのですが、青年部のコスモに戻ってきました。) 茂木さんは、私が2回目の拉致監禁される数か月前に拉致監禁されて脱会しました。今でも連絡取り合っています。(昨年は、5年ぶりくらいに会いました。) 実践課は、高い基準が要求されるので、ついていくのが大変でした。それでも自分が調子よい時(信仰基準が高い時)は、他のメンバーに劣ることなく活動できてました。でも、何せ、基準の上がり下がりの激しい私です。特に、献身を断られた後だったので、街頭伝道場所で、献身トレーニングに行ったメンバーと会った時は、「何で、あんなちゃらちゃらしてた人が献身ルートに行けるわけ?」と心の中で嫉妬していたし・・・珍味売りで高い基準を要求された時は、「頑張ったって、献身もできないし、上にもいけないのに・・・」といじけてました。 このモチベーションが維持できない、頑張ってもしょうがないという思いは、今の私の課題でもあります。頑張っても成果出なかったり、後から来たり、年下の人が自分より上にいくと、「どうせ、自分は頑張ってもダメだから・・・」とテンションを下げてしまいます。 上がり下がりしながらも実践課にはしがみついていたのですが、根性なしの私は途中で基準がドーンと落ちてしまい、青年部に行かなくなり、実践もしなくなりました。(ついでにこのままやめちゃえばよかったのだけど。統一依存だった私はそれはできなかったのです。) 基準が下がったのは、3万双の祝福の頃です。3万双の祝福、私は希望もしませんでしたので、祝福自体は基準が落ちたのと関係ありません。この頃、前もブログ記事で書いたように、ワイドショーでは統一教会話題でもちきりでした。私は、当時、不規則な仕事をしていましたので、割にワイドショーを見る時間がありました。<当時も、このお二人・・・ワイドショーで大活躍でした。> 当時はまだ私は霊感商法を受け入れられなかった(これが当たり前の感覚です)ので、霊感商法バッシング報道が堪えました。青年部ですので、霊感商法をやるわけではないので、普段は忘れていたし、信仰基準が高い時は、霊感商法を受け入れられない自分の思いはスルーしてました。でも、基準が落ちた時は、嫌悪感を心に感じ、教会に行けなくなりました。(当たり前です。) 暫く行かなかったので、実践課から一度ユニティ所属となりました。(ユニティの時は一度も行きませんでした。)その後、少し気持ちが持ち直したので(持ち直さなくてよかったのですが)、1992年11月頃からコスモに行きました。以後、脱会までコスモで活動しました。 霊感商法を受け入れられたのは、ユニティの班長の話しがきっかけでした。(このことは、後で記事に書きます。)  I青年部メンバー、スタッフ、ゲストや霊の子との出会い、実践や断食、済州島・水澤里・・・色々ありました。 その中で思い出に残っている人や出来事について順を追って、これから書いていきます。 <実践課のホームKにショウリという名のワンちゃんがいました。(写真はイメージです。>   

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  • 17 Jan
    • 2度目の実トレの谷山(仮名)マザーのその後

      谷山マザーは、私より2歳年上の女性でした。身長はそれほど高くなく、どちらかと言えば痩せ形という感じでしたが、華奢という印象はありませんでした。ピアノがうまく、一流大学卒業でした。実家は裕福というイメージを持たせる言葉を何度か発してました。 最初に出会ったのは、ツアー2daysの時です。その時は違う支部所属でしたので、2days後は会うことは全くなかったです。2度目の実トレでマザーと実トレ生として再会しました。マザーが谷山さんに変わると聞いた時、聞いたことある名前だな、ツアー2daysの時の班長?と思い、新トレからあがってきた人に特徴を確認したら、そうでした。 谷山さんは、さっぱり、はっきりしていて気持ちの良い人でした。色々なところでリーダーとして活躍できそうな人でした。今思えば何で統一教会に入ったのだろう?と思います。 学生時代に伝道されたとのことですので、実際の社会人経験はありませんでした。谷山さんの世代だと就職にそれ程苦労した世代ではないので、きっと伝道されなければ、大学卒業して一流企業に就職して、バリバリ女性管理職員として働いて・・・という未来があったかもしれません。(谷山さんを知っている人なら、殆どの人が頷くと思います。) さっぱりはっきりしているので、あまり嫌味はありませんでしたが、変わったところもありまして、自分で自分のことを「谷山マザー」と言ってました。最初の面接の時、私の霊の親が拉致監禁されて脱会したことを話したら、「谷山マザーも拉致監禁されたのよ。」と言ったので、(自分で自分のことをマザーとは言わないだろうから)もう一人谷山マザーがいるのか?と混乱しました。 H館の中の放送でも、自分のことを「谷山マザー」と言ってました。(普通は「谷山まで」と言うだろう。やはり、社会経験のないことは悲しいことです。) 谷山さんより、拉致監禁された時の話しを聞きました。牧師の名前は聞きませんでしたが、今でも印象に残っているのは、「反牧は嘘ばっかり言うのだから。」「親は、今度はやくざにお願いする、と言っていた。やくざが関わった人で教会に戻った人はいない。」という言葉です。 反牧は嘘ばかり言うというのは、現役信者としては当たり前の感覚なので、聞き流せますが、「やくざにお願いする」というのは、物騒で「どういうこと?」と思うし、「やくざが関わった人で教会に戻った人はいない」・・・って、関わられた人がいるっていうこと?と頭の中?マークだらけになりましたが、突っ込んで聞く勇気がなく、そのままになりました。 (真相をうっすらと知ったのは、それから20年以上も経ってからのことです。) 谷山さんとの関わりは、実トレの2ケ月のみでした。(時々、ちょこちょこと電話で話すことはありました。) 1993年に、16万人の日本女性を韓国の済州島に送るという摂理がありました。統一教会女性信者はほぼ全員済州島に行き、数日間缶詰で文ちゃんのわけわからない話しを聞きました。その後、日本女性の選ばれし人達が海外宣教に行くという摂理が始まりました。 基準が大卒か短大卒でしたので、献身者で優秀な人は大体選ばれてました。谷山さんも選ばれました。意気揚々とチャーチマザーに決意を語って出発したとチャーチマザーが講話で語ってました。 それから時は流れて・・・1996年私は統一教会を脱会しました。私より先に拉致監禁されて脱会した坂口さん(仮名)に、連絡をとりました。その人は、松永牧師の説得を受けて脱会しました。 その坂口さんから、谷山さんが脱会したと聞きました。谷山さんは、宮村氏の説得を受けて脱会しました。松永牧師と宮村氏の元で説得を受けた元信者同士は何かと交流があるようで、それで坂口さんは谷山さんと再会したそうです。 「反牧は嘘ばかり言う・・・」と言っていたのに・・・とちょっと苦笑しましたが、脱会できてよかったです。 そして更に時は流れて・・・2009年暮れ谷山さんの名前をある本で見かけました。本では、仮名で書かれてましたが、すぐに谷山さんのことだとわかりました。谷山さんは、書かれていた内容を否定していたそうですが、谷山さんだったら十分やりそうだなと思ってます。 後藤さん裁判で、谷山さんは、被告側から元信者の一人として陳述書を提出してました。その陳述書は、裁判ブログにアップされてます。読んだ時、「ホントに谷山さんが書いたの?」と頭の中?マークだらけになりました。谷山さんの性格から、はっきりストレートに書いている陳述書を想像したのですが、なんかすっきりしない陳述書でした。私が知っている谷山さんは20年前の谷山さんですし、人は変わるものですから・・・ね・・・  谷山さんは、現在は結婚してお子さんもいらっしゃいます。PTA活動か地域活動か仕事をバリバリこなしながらも、幸せな家庭生活を送っていることと思います。(とっても、目に浮かびます。)             

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  • 11 Jan
    • 友人関係が続いた伝道対象者

      同じ年で誕生日も4日しか違わず、同じ血液型の女性、長沼さん(仮名)に最初に出会ったのは、N市青年部からK青年部に移籍して3か月目の1991年1月のことでした。K駅前で街頭伝道していた時に出会い、ビデオセンターに即動しました。 長沼さんは、遠方のA市から転勤してきたばかりで、K駅近くで勤務していました。転勤は、自分で希望したと言ってました。手相伝道でいつもの転換期トークをし、すぐにビデオセンターに行きました。 この時は、K青年部のマザーや小隊長ではなく、ビデオセンターのスタッフ脇田さん(仮名)が偉い占いの先生に扮しました。 最初の姓名判断の時は私は席を外すよう言われますが、その後は一緒に話しを聞きます。長沼さんは、過干渉の母親から逃れるため、K駅近くの職場への転勤を自分から希望しました。 A市でもビデオセンターに誘われて、ビデオを見ていた時期がありました。しかし、ビデオを見たら、適当に話しをして終わりというパターンだったため、やめてしまったそうです。 脇田さんは、「長沼さんはそれじゃダメよ。じっくり話しをしていかないと。」と言い、ビデオセンターで勉強して運勢を変えることを強く勧めました。しかし、長沼さんは「こんな名前をつけらえたことが悪いのですよね。」と言って、ビデオセンターでの勉強を断りました。 この時期、私はビデオセンターに何人か即動や約束で連れて行っていたのですが、コース決定が全然できなかったです。翌日も別の人を連れていったのですが、コース決定できず、やけになって三田顧問に電話したら、大分別され、以下のように言われました。「昨日のゲスト(長沼さん)は、ななくささんと家庭環境似てるじゃないか!」と・・・(決して、そうではないのだけど・・・) 普通だったら、ここで長沼さんとの関係は終わるはずですが・・・コース決定できなくても、とりあえずはフォローの手紙をゲストに書いてました。長沼さんにも手紙を書き、自分の住所を記し、送りました。葉書で返事がきました。「グッドフレンドになれそうだね。」と・・・。 時は流れ、1991年11月・・・前記事に書いたように、私は実トレに行きました。実トレに行った最初の土曜日、長沼さんと会うことになりました。(「献身できない」と言われる前です。)元々は、会って、話して心情を深めて、そのうちビデオセンターにつなげられたらと思ってました。 長沼さんと会うことは、実トレの隊長に報告しました。隊長より、会った日にビデオセンターに連れてこれそうなら、連れてくるようにと言われました。 その日にビデオセンターに連れて行くのは無理だろうとは思ってました。とりとめのない話しから、ビデオセンターの話しとなり、再度ビデオセンターでの勉強ともう一度話しを聞いてみることを勧めたら、長沼さんは「行く」と言ったため、隊長に報告し、ビデオセンターに連れて行きました。そして、コース決定しました。 長沼さん、A市のビデオセンターにも行ってましたが、K支部でも何人かに声をかけられ、ビデオセンターに行っていたのです。でも、コース決定することはなかったです。過去、長沼さんに声をかけたことがある献身者の女性が言いました。「あの人をコース決定するなんて凄い。誰が連れて行っても、ダメだったのに・・・。」 長沼さんは、当初は順調にビデオセンターに通ってました。しかし、2daysに参加する前に来なくなりました。理由は、A市の時と同じです。勉強(ビデオ)の内容が興味もてない・・・そして、自由を求めてKに来たのに、仕事終わってビデオ見て、家帰ってごはん食べて寝るだけだったら、意味がないと手紙に書いてました。 結局2ケ月の実トレのコース決定は長沼さんだけでした。実トレに来る前に着物を購入した元同僚の千葉さん(仮名)と、以前記事に書いた精神科受診中の男性をビデオセンターに連れて行ったのですが、コース決定には至りませんでした。実トレ中にCB展(宝石展示即売会)があったのですが、誘っても誰一人連れていけませんでした。(最初の実トレと違い、2度目の実トレ2ケ月の実績はさんざんでした。)  その後も、連絡を取り続けました。長沼さんは変わった人で、他の統一教会員とも連絡をとってました。統一教会ということを知っていても、何ら偏見もなく、脱会後こちらが躊躇してしまうこともさらっと言ってました。「知り合いの人で合同結婚式受けて、韓国に行った人がいるのよね。」 脱会後は普通の友人として会いました。(長沼さんにとっては最初から普通の友人だったのです。伝道対象者としてみていたのは私だけでした。)旅行も一緒に行きましたし、時間を合わせて一緒に映画を見たり、ショッピングもしました。 脱会後知り合った元信者の同学年の人と3人で会うこともありました。3人で会う前に、「私達、どういう知り合いっていうことにしたらいいかな?」と聞いてきたこともありました。「私が前に長沼さんを誘った統一教会の元信者の人だから、そのまま言っても大丈夫だよ。」と答えました。長沼さんも、そういうことを気にするのか?と少し驚きました。そして、その時初めて私は長沼さんを統一教会に誘ってしまったことを謝りました。(既に脱会後4年経ってました。遅すぎる謝罪でした。) 私の夫にも会いました。(私の夫には、統一教会のことは話してないので、友人になったきっかけは話しませんでした。普通は、そういうことまで話しませんからね。) 長沼さんは、ピアノがうまく、音楽の活動をしたいという希望がありました。地道な努力が実り、音楽活動で忙しくなりました。お互い時間の都合で、会うことは難しくなりました。ここ数年は音信不通です。 今も元気に長沼さんらしく、生き生きと活動していると思います。 長沼さんは、所属や肩書、世間体に拘らず、自分の信念を通す人でした。だから、世間で何と言われていても、私やその他の人の信仰や所属している団体に何も言わなかったし、そういうこと自体に興味なかったのでしょう。             

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  • 08 Jan
    • 献身を断られた

      時は、1991年10月・・・この時既に3年青年部に所属していました。一念発起して、献身したいとK青年部の田島マザー(仮名)に申し出ました。 1991年10月は、実績も好調で、川口さん(仮名)を新規伝道し、着物展に元同僚の千葉さん(仮名)を誘い、購入に至りました。 献身は、以前より考えていましたが、なかなかアベルに献身の意思を伝えることができませんでした。伝える時、最初は分別される(否定される)と思ってました。しかし、意外にもマザーも顧問も喜んでくれ、献身に向け動き出すことになりました。 当初は、青年部から献身トレーニング(献トレ)に行く予定でした。しかし、お上の判断で、まずは実践トレーニング(実トレ)からということで、1991年11月から入教で実トレに行くことになりました。 親の反対があるので、入教するのは困難でした。アベルの指示で「(とりあえず)2ケ月だけ泊りがけで教会で勉強したい」ということで、マザーと親と私でK教会で3者面談をし、親の許可をとり、入教することができました。(今、思えば、親はあの時、よく許可したなぁと思います。) 実トレは新生トレーニングから初めて実戦する人達が集まる場です。信仰もってホヤホヤの人達と実践の基礎から行うのです。しかし、I青年部で長く活動していた中島さん(仮名)もいましたし、K青年部から先にいつの間にか実トレに来ていた津田さん(仮名)もいました。 実トレが活動するホームは、実トレ、献トレ、伝道機動隊(献身して初めて配属される部署 伝機と言ってました。)、それぞれの隊長・マザー・小隊長等の献身者、食当(献身者)の活動・生活の拠点で、H館と呼ばれていました。献身トレーニングに、K青年部で一緒に活動していた岩井さん(仮名)、鍋島さん(仮名)、橋田さん(仮名)がいつの間にかいました。(3名共、後にI青年部のスタッフとなり、私のアベルとなりました。) 信仰もってホヤホヤの人達と実践の基礎から行う部署なので、今更の講義もありました。ホヤホヤの人への電話や街頭伝道でのフォローもそれとなく行いました。ホヤホヤの人と活動することは、初心に帰っていいものだとなんとーなく思ってました。 献身目的で実トレに行ったので、希望に満ちて意気揚々と活動を開始しました。しかし、それはすぐにくじかれることになったのです。実トレのマザーは最初は、大野さん(仮名)でした。どういう事情があったかわかりませんが、すぐに谷山さん(仮名)に変更になりました。(谷山さんは、私がツアー2daysに参加した時の班長でした。) 谷山さんは、ピアノが弾けて、大学も一流大学卒業のため、修練会の聖歌指導によく駆り出されてました。谷山さんが2daysの聖歌指導に行っている間、大野さんより「少しの間だけでも、私がマザーだったし、私もななくささんと同じ経験をしたから・・・」と切り出され、ある宣告をされました。 「ななくささんは、献身できないよ。」「エっ・・・?」「アトピーが酷いでしょ。だから、献身できないよ。」「・・・・・・・」 大野さんは乳癌の手術歴があったため、一度献身を断られたそうです。(その後、献身しましたが)大野さんは、実践の電話報告の際に「献身できない」とアベルから伝えられたそうです。その後は、暫くは実践せず、アパートでふて寝していたそうです。 自分が献身できないという事実は、受け入れられませんでした。アトピー酷くて献身できないのだったら、苦労して親を説得してここに来る必要もなかったじゃない・・・何で、ここに来る前に言ってくれなかったの?と・・・田島マザーに不信感をもちました。 仕事に行く途中、田島マザーに電話しました。「アトピー酷いから献身できないって、言われた。献身できないなら、何でそれを言わなかったの?etcetc」田島マザーが悪いわけではありません。田島マザーも私が献身できないとは思わなかったのです。だから、献身のための準備を進めてくれたのです。 それは・・・わかっていながら・・・自分の思いの矛先は田島マザーにぶつけるしかなかったのです。その後、田島マザーから手紙をもらい、私も電話で怒りの矛先をぶつけてしまったことを謝り、気持ち的には元の状態に戻りました。 献身できないと聞いた時、一番に思ったのは、「ずっとこのままか~」ということです。何年も青年部で同じような活動をする自分を想像しました。その間に、同期ならともかく、信仰歴も年齢もずっと若い人をアベルとして指示を仰がなければならない自分を想像しました。 アトピーが酷いから祝福も難しいかも・・・と一時言われました。(これは、すぐにそんなことないと言われましたが) 1991年は、3万双の前年でした。献身者でなくても祝福を受けられるようになったと聞いていたし、実際、青年部でも祝福を意識している人も多くいました。しかし、私はまだ実感としてなかったです。 それでもいつか、祝福を受けて原罪のない祝福子女を産もうと思ってました。その道も一時閉ざされたのです。「私は、一生、自分の子どもを抱くことがないのだ~」と・・・その時絶望に満ちた気持ちでした。(結局、一生自分の子どもは抱けませんでした。) 献身できなければ、いてもしょうがないと思い、一時的にホームを無断で出て、K駅周辺をうろうろしましたが、親に2ケ月は教会の勉強すると言って渋々許可をもらい、出てきているので家には帰れず(帰りたくもなかったですし)・・・結局はホームに戻りました。 K青年部から実トレに来ていた津田さんも、何故かはわかりませんが、献身できないと言われ、1日は二人で布団でごろごろしながら落ちこんでいました。津田さんは、12月からK青年部に戻りました。 私は・・・3年でアトピーを治して献身すると再度決意し、12月いっぱい実トレに所属し、1992年1月からI青年部に行きました。 K青年部に戻らなかったのは、戻りにくかった気持ちを当時の実トレの小隊長の河野さん(仮名)かマザーの谷山さんに話したところ、(2人共、I青年部のスタッフ経験者でした。)「K青年部に戻りにくかったら、I青年部に行けばいいじゃない。」と言われたことからです。 実トレ卒業する前に、(何故か)K青年部ホームで巡回師と面接しました。アトピーを治すために、一和の高麗人参茶(マナと言ってました。)を購入しました。 ・・・・・・今思えば、献身できないと言われたこの時、脱会していればよかったと思います。この前後数年が原因はわかりませんが、アトピーが一番酷い時期でした。(顔と手が特に酷かったので、余計に目立ちました。)数年後、徐々によくなり、今では年相応の美しいお肌です。(?)        

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  • 07 Jan
    • 今までを振り返って・・・今年のブログアップの方向

      2017年明けました。今年もよろしくお願い致します。 今年の目標は、この「私がカルトにはまった理由」の連載=ブログアップを終わらせることです。最初の予定は、私のカルト歴として3回位書いて終わりにする予定でした。しかし、20~30年前のことを思いのほか憶えていて、長い連載になりそうになりましたので、「私がカルトにはまった理由」ブログを新たに立ち上げました。 途中、記事更新しなかったこともありましたが、2年越しにちょこちょこちょことアップしてきました。でも、いい加減、今年で終わりにします。それは、分派含めて(旧)統一教会終わっているからです。 私もホントは終わっていたのです。 2009年暮れ、統一サイトを覗いて、拉致監禁の記事を読まなければ、米本さんの「火の粉を払え」にアクセルすることなかったし、後藤さん裁判の世話人になることもなかったのです。統一教会のことを思い出しても、完全に過去のこと、「そんなこともあったね。」とその時のみの感傷・・・後は元統一教会員だったことも忘れて普通に日常生活を送る・・・そんな日々を送っていたし、その後も送るはずでした。 だから、後藤さん裁判世話人を行うことを通して、拉致監禁はやっぱりいかんよと訴え、現役信者数人と元信者と関わったこと、ネットを通して現役&元信者と交流をもったことは自分でも驚きでした。(親がこの事実を知ったら、別の意味でがっかりするかもです。親は、私が統一教会のことを完全に過去のことにしていると思っているでしょうから。) あのまま統一も拉致監禁のことも過去のこととして日常生活を送っていた方がよかったかもと考えます。この問題に再度取り組まなければ、世の中に流されるまま、何も考えぬまま既存のことが正しいと信じて気楽に生きられたでしょう。 統一教会に入ったことも「騙された自分がバカだった」「マインドコントロールされた」で終わっていたでしょう。 前も書きましたが、私が統一教会に入ったのは、伝道・経済活動したのは、献身しようと思ったのは(結局しなかったけど)、祝福受けようと思ったのは(結局受けなかったけど)マインドコントロールされたからではありません。 ただ、これは私自身の現在の総括ですので、他の人は違います。「マインドコントロールされた」という人を否定する気は全くありません。  拉致監禁・統一教会問題について、振り返ったことがよかったのか、それとも無駄だったのかはわかりませんが・・・振り返ってしまったことをなかったことにもできませんので、よかったとします。 ブログは最後まで書きます。(後藤さん裁判最高裁勝訴までです。) でも、終わった団体にいつまでも縛られても仕方ないので、今年中には終わらせます。(連載完結しても、ブログ自体は残します。・・・って、まだ先の話しですので、その時が来たらお知らせします。)          

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  • 26 Dec
    • 拉致監禁は誤報

      前記事で拉致監禁が起きたかも、とアップしましたが、誤報と判明しました。(詳しくは、米本さんの「火の粉を払え」を参照お願いします。) 疑いとは書きましたが、事実でないことをアップしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。 関係者の方々には、不快な表現をしてしまい、すみませんでした。 地名、大学名、(憶測とはいえ)牧師名が書かれてますので、前記事は非公開にさせていただきます。 コメントくださった方、本当にごめんなさい。

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  • 20 Dec
    • どこに真の愛がある?どこに真理がある?

      元祖家庭連合だろうが・・・分派(サンクチュアリ、三男派、他)だろうが・・・あんたら、何を信じているの?文ちゃんがメシヤという根拠は何なの?と聞きたいです。 言っちゃ悪いけど・・・今、家庭連合&分派諸々に所属し、文ちゃんを未だにメシヤで統一原理を真理と信じている奴らは、頭のネジが抜けすぎとしか言いようがないです。(私に言われたくないでしょうが・・・) 神山氏が亡くなって2日後に、神山氏の死を一言も触れず、なかった如くに歴代統一お偉方追悼礼拝をする血も涙も情もない・・・日本家庭連合・・・(神山氏は、過去日本統一教会の会長をされていました。文ちゃんとダンベリー刑務所に入っていました。) メシヤのご子女様の国進氏、亨進氏が立ち上げたサンクチュアリ教会を訴えた日本家庭連合・・・ 同じメシヤ(文ちゃん)を信じる仲間をことごとく上目で裁く三男派・・・ ハチャメチャすぎて、開いた口が塞がりそうもありません。これで、世界統一?地上天国実現?真の愛・・・? まずは、教団内を統一してからおっしゃってください。信者同士で愛をわかちあってからおっしゃってください。      

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  • 16 Dec
    • 神山氏がお亡くなりになりました。

      神山氏の生講演、一度だけ聴いたことあります。 あれは、私がまだ統一教会員だった頃・・・まだ私が20代だった頃・・・3万双後のこと・・・山崎浩子さんが拉致監禁中だった頃・・・(とは言え、週刊誌上では「脱会」の文字が既に出てました。) 神山氏(当時は統一教会の会長でした。)、桜田淳子さん、後1名(忘れました)の1支部ではあまりにも勿体なさすぎる統一教会豪華メンバーの講演会でした。 桜田淳子さんの講演は自分の証しと、「山崎浩子さんは大丈夫です。」という内容でした。(桜田淳子さんは、講演後、マスコミのインタビューなどを受けてました。)神山氏がどんな話しをしたのか憶えてません。ただ、信仰的な話しではなかったと記憶してます。 神山氏が亡くなったとネットで見て、何とも言えない思いが湧きました。1度でも生講演を聴いたからか?いや、違います。 久保木氏は生講演どころか、久保木氏の礼拝に参加したことあります。(これまた、凄い話しで・・・当時所属していた田舎の支部に久保木会長が何故か来て、1教会のために礼拝をしたのです。当時、私は信仰をもってホントに間もなくでしたので、久保木氏の地位を知らずに参加したのですが、霊の親に話すとビックリされました。)講演どころか、もっと間近の礼拝で久保木氏の話しを聴いたのに、久保木氏が亡くなったとネットで見ても、「亡くなったのね」くらいにしか思いませんでした。 文ちゃんが死んだと聞いても・・・何の感情も湧きませんでした。 何故に・・・神山氏だけ・・・何とも言えない思いが・・・? 何とも言えない思いは、複雑な思いです。 3万双前後・・・統一教会は、今と違い世間で注目されてました。(悪い意味で)後のオウム真理教には負けますが、毎日ワイドショー登場してました。 山崎浩子さんが統一教会の祝福に参加することをマスコミ報道される前は、統一教会を知らない人が大勢いました。山崎浩子さんが合同結婚式に参加すると発表してから、統一教会のワイドショー露出度が高くなりました。今まで統一教会の「と」の字も知らなかった人も統一教会の存在を知ることとなりました。 山崎浩子さんが合同結婚式に参加すると発表した当初は、比較的好意的に放送してました。一般の人からも「こんな結婚もいいかも。してみたい。」という感想も出た程です。しかし、当然ながら反対派が黙ってません。1987年騒がれた霊感商法、その他の統一教会の問題点もここぞとばかり放送し始めました。(最初に統一教会の問題点を放送したのは確かTBSでした。だから、TBSは統一教会から取材NGになった記憶があります。今と同じですね・・・) 有田氏はワイドショーでひっぱりだこでした。(統一教会~オウム真理教報道・・・あの頃、しょっちゅう有田氏のお顔をテレビで拝見してました。) 山崎浩子さんの拉致監禁、後の脱会会見も勿論話題になりました。(一般の人でも、勅使河原さんに同情する声がありました。) 霊感商法話題、山崎浩子さん話題・・・両方に神山氏はマスコミのインタビューに答えてました。霊感商法については、「日本は法治国家だから、法が判断する。」と言いました。その後、民事裁判で統一教会の使用者責任の判決が降りました。(つまり、統一教会は敗訴しました。)しかし・・・神山氏はそれについて世間に何も言いませんでした。コメントも言い訳も謝罪もなしです。 未だに統一教会(現・家庭連合)と言えば、枕言葉に「霊感商法」が使われるとブログに書いていた現役(?)信者さんがいますが・・・・未だに使われても仕方ないのです。統一教会は、霊感商法について世間に対し、何の総括も謝罪もしてないので、世間からしたら「霊感商法の統一教会(家庭連合)」となるわけです。 神山氏が裁判の判決が出た時点で何等かの総括をすべきでした。 神山氏が何らかの総括をしていたら、その後の拉致監禁の勢いを少しは止められたかもしれません。(3万双~36万双の頃は、毎日誰かが拉致監禁されてた勢いでした。) そして、神山氏は山崎浩子さん脱会後、マスコミのインタビューで酷いことを言いました。何て言ったかは覚えてませんが、「裏切り者」みたいなことを言いました。現役信者が拉致監禁脱会者に対してどう思っているか・・・マンマの言葉でした。 ワイドショーで有田氏がその言葉を聞いて「昨日まで仲間だと言っていた人にそんなこと言う所なんですよ。統一教会は。」とコメントしていたのは憶えてます。しかし、ワイドショーの司会者もその言葉をマンマ受けず、「でも、こちら(山崎さんはじめ元信者)も今まで親しかった人を悪く言ってるわけですから・・・」と言っていたのも何故か憶えてます。 ・・・はっきり言いまして・・・神山氏にはいい印象がありません。できれば、神山氏には霊感商法について総括し、霊感商法の被害者、霊感商法を行っていた統一教会に所属していたゆえに、拉致監禁され傷ついた人に謝罪して欲しかったです。 それをせずに亡くなってしまわれたことに、とても複雑な思いがします。(恨みとかそういうのではないです。)  ご冥福をお祈り致します。 家庭連合も三男派と関係ない所で、ゆっくお休みくださいね。      

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  • 07 Dec
    • 逆伝道(?)されそうになった・・・

      霊感があるわけでもないし、千里眼があるわけでもないし、ましてや7代前の先祖まで見えるわけないので・・・街頭伝道では人を選ばず、手当たり次第声かけます。(明らかに高校生以下とわかる人、壮年壮婦とわかる人は別です。壮年壮婦は、青年の支部では伝道対象ではありませんでした。家族や親族は別です。) 声かけた人が、他宗教の信者ということもあります。天理教、世界救世教の献身者みたいな人と出会って、ビデオセンターにつなげた人がいます。さすがに信仰を持っているだけあって、意識が高く、ビデオの内容はある程度まですごくよく入っていきます。でも・・・2daysに行くことなく、来なくなりました。(結果的によかったです。)天理教、世界救世教のおふた方は、私を伝道することはなかったです。 しかし・・・こちらが声かけたのを幸いに逆伝道しようとする熱心な信仰者もいらっしゃいます。一緒に活動していた二人から、創価学会の人が熱心に誘ってきたという話しを聞きました。そして、こともあろうことか、一人は創価学会に入ってしまったと聞きました。創価学会の信仰を持とうと思って入ったわけでも、統一教会をやめようと思って入ったわけでもありません。その人を統一教会に伝道したいと思って、創価学会に入ったとのことでした。しかし、当然ながらアベル(隊長)に凄い怒られて、すぐに白紙にしたそうです。(本当に人のよい兄弟でした。今頃、どうしているでしょう?) 私にも一人、しつこく自分の信仰している宗教に誘ってきた人がいます。創価学会ではなく、顕正会でした。 顕正会は、強引な勧誘でかなり問題になっています。当時私が住んでいた家は、顕正会の支部(?)がある所で、よく駅前の公衆電話で若者数人グループになって勧誘の電話かけをしていたのを見かけました。(当時は携帯電話がありませんでしたから。統一教会も同じように、公衆電話からグループを組んで、宝石展、着物展、絵画展等動員の電話かけをしていました。) お蔭で、駅に着いて、家に戻る前に、アベルと話したいと思ってもなかなか電話があかず、イライラしたことが数回ありました。 顕正会を信仰している人、田中さん(仮名)は私と年がそう変わらない女性でした。1991年、O駅で出会いました。ビデオセンターに行くより、私と話したいと当初から言っていました。私の連絡先を聞いてきたので、教えました。(当時は、自分の連絡先を伝道対象者に教えることに抵抗はありませんでした。むしろ、すぐにビデオセンターにつなげられなくても、親しくなればビデオセンターに行ってくれるかもという期待をしていました。) 1991年は、統一教会ではサタンの親玉国家と言われていたソ連が崩壊しました。1989年にベルリンの壁が壊れ、1990年にドイツが統一しました。1991年暮れには、金日成と文ちゃんが会談をしました。ですので、この1991年・・・統一教会信者は摂理が進んだと盛り上がっていました。(文ちゃんは金日成と会談した以外、何もしてないのに、お花畑思考の信者は文お父様がサタンと闘って勝利したお蔭だと思ってました。) 1991年、ゴルバチョフ大統領が来日しました。それを記念して、「ロシア展」などが行われました。勿論、ゴルバチョフの来日も「ロシア展」も統一教会は全く関係ありません。しかし、何故か・・・「ロシア展に行くように」「できればゲストを連れて行くように」というお達しがありました。(うろ覚えのため、定かではありませんが。) 私は田中さんを誘って行きました。田中さんは、ロシア展の会場ではそわそわして落ち着かなかったです。ロシア展を出た後、田中さんは私にこう言いました。「ななくささんの家、T駅だよね。私もちょうどT駅の近くに用事があって行くから、T駅前の喫茶店でお茶しようよ。」と・・・。(ここで私も気づくはずでした。言い訳すれば、この時はまだ田中さんが顕正会信者とは知らなかったのです。) 喫茶店に着いたらすぐに、「あっ、知り合いがいるから、一緒に話そうよ。」と言い、無理やり顕正会の知り合いのいるテーブルに座らされました。知り合いという人は、自分の親年代位のおばさんでした。(今の私位の年齢) テーブルにつくやいなや「変わった出会いだったんだってね。」と言ってきました。その後、一方的に顕正会の信仰の話しとキリスト教の悪口を言い、私にも顕正会に入るように言ってきました。 いくら伝道したいと思っていても、どう聞いても怪しいとしか思えない宗教に入る気持ちにはなれません。(人のことは言えませんが。)適当に誤魔化して、断って帰りました。その喫茶店は、顕正会の人があちこちのテーブルにいて、私の隣のテーブルでも入信の説得をしていました。隣のテーブルの人は入る決意をしたようで、その様子をみていた田中さんは羨ましそうにため息をついてました。 その後もしつこく電話がかかってきました。私が2回目の実トレに行って、家にいず、ホームで生活している時も何度も家にかかってくるので、その度、母が私に実トレホームに電話してきました。私は、実トレマザーに事情を話しました。 マザーは「ななくささんは、どう思う?」と聞いたので、「もう関わりたくないです。」と答えました。マザーは「そうね、関わらない方がいいね。」と言いました。私は、田中さんにどう言って決別したか忘れましたが、その後は電話がかかってくることはありませんでした。  時は流れて・・・脱会して2年後の1998年・・・専門学校の先輩から突然、電話がかかってきました。「同窓会名簿見て、ななくささんが近くに住んでるのわかったから、懐かしくて電話したの。今度、一緒に夕食でも食べよう。」と言うので、私も懐かしくて先輩の指定する駅で待ち合わせしました。 一緒に夕食と言ったのに、先輩は「私は食べてきたから」と言い、私にマックで食事を買わせ、マンションに連れて行きました。 ここまで言うと何が起こるかわかるでしょう。 またも、顕正会への入信を勧められたのです。先輩は、専門学校時代は創価学会信者でした。だからマンションに着き、変な男性がいきなり「罰があたった」話しを始めた時、「ここは創価学会ですか?」と聞きました。先輩も男性も「違うよ。」と即否定しました。 どうやら、創価学会と顕正会は仲が悪いようです。ついでに、どう違うかわかりませんが、T駅近くの顕正会と先輩が勧めた顕正会も仲が悪いようです。(まるで、今の家庭連合と分派のようです。) 勧誘はしつこくて、入信しないと帰さない勢いでした。私の隣のテーブルの人もかなりしつこく説得されてました。隣のテーブルの信者の人が言っていることが聞こえました。「私はあなたにここに入って欲しいと思わない。ただ、あなたに幸せになって欲しい。」 その人の今の幸せは、ここから解放されることなのに・・・ あまりにしつこかったので、私は過去統一教会に入っていたこと、そのために親にかなり心配かけたこと、だから、すぐにはここには入れないことを話しました。さすがに、そのことを話すとわかってくれ、「じゃ、また来るように。」と言われ、顕正会の仏像(?)を前にお祈りをし、やっと帰してもらえました。 帰ってすぐ、私は先輩に「もう行かない。あんなだまし討ちのような勧誘、統一教会でもやらない。二度と連絡しないで欲しい。」と酷い言葉を連ねた手紙を書いて、翌日投函しました。その後、先輩から連絡はないです。  さて・・・さんざん、ここでの勧誘を断ると罰が当たると・・・男性顕正会信者から言われたわけですが・・・・その言葉通り罰が当たりました。その時、私婚約者がいたのですが・・・破棄となりました。  でも、その婚約者とは結果的に結婚しなくてよかったわけですし、お蔭で今のダーリンとめぐり会うことができたわけですから・・・罰が当たってよかったです。              

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  • 07 Nov
    • 統一教会で伝道してはいけないと言われていた人

      ※読む前にお断りしておきます。不快な言葉があります。 前回の記事http://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12215108983.html で、lemonmouse432さんが、コメントをくださいました。 アンケートで貯蓄額まで聞くのですね。仮にこの女性が自己破産者だったら、もう伝道しないのかしら?と疑ってしまいます。 私も、給料の額を遠回しに聞かれたことがあります。何度か聞かれたけれど、一切答えませんでした。陰で「この人は○g」なんて言われてたと思うと、怖いです。 lemonmouse432   2016-11-01 09:24:16 コメントを読み、統一教会で伝道してはいけないと言われていた人がいたことを思い出しました。 &実はビデオセンター、教育部・・・更に上に進んでも、統一教会から振るいにかけられ落とされる人がいたらしいです。(確かなことはわかりませんので、断定はできません。) 「真の愛」「万民救済」を語っていながら、伝道してはいけない人がいるとは、ナンタルシアです。 昔の反対派の本には、元信者の人の証言として、が書かれてました。 「障がいを持っている人をビデオセンターに連れて行ったら、こういう人は連れてきてはいけないと言われた。自分はこういう人こそ、救われて欲しいと思ったのに・・・・。」 私はビデオセンターに連れて行ったけど、コース決定(ビデオセンター・セミナーで勉強すること)を勧めず、適当に話しを聞いて、帰ってもらった人が2人います。 2人とも、精神科の治療歴がある人でした。 1人は、私が学生の頃に出会った人です。(1985年頃) 20代の女性で、街頭伝道からビデオセンターに連れて行きました。(即動と言ってました。) ビデオセンターで担当トーカーと話しているうちに、20代女性は、「神経科に通院して、薬を飲んでいる。」と言いました。 当時は手相伝道ではなく、エライ占いの先生が姓名判断するということは行ってなかったので、途中で紹介者が席を外すことはなかったですが、私はお茶を出すためか・・・ちょっとだけ席を外しました。 (会話の内容が聞こえたのか、女性の様子をみて感じたのかわかりませんが)席を外している時に、Mさん(献身者女性)から言われました。 「精ハクはダメよ。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 精ハク・・・(当時からNG言葉だったと思いますが)・・・こんな言葉を使うことにまず驚きました。 神経科で薬をもらっていることは精ハクではありません。 なのに、Mさんは何でこんなことを言うのか・・・?私にはわけがわかりませんでした。 そして、担当トーカーもMさんと同じ考えでした。 適当に話しを聞いて、話しを切り上げて帰しました。 ゲストを送って行って、ビデオセンターに戻ったら、担当トーカーから「精神科通院している人、精神的病気がある人は連れてきたらダメよ。」と言われました。 理由は、精神的病気がある人は、原理を聞くと霊的(錯乱状態?)になり、おかしなことになるからだと言いました。 ・・・・・・・・・ (確かに、1985年当時よりはるか前の1970年代(?)、修練会で、霊的になった修練生の事故があったと聞きました。でも、霊的になった修練生は精神疾患があったわけではありません。 ハードスケジュールの無茶苦茶な修練会のせいで、錯乱状態になり、事故となったのです。) その時は、腑に落ちないながらも、渋々納得しました。 統一教会で活動していると、徐々に、統一教会が人を差別しているということがわかってきます。 統一教会の言う地上天国建設のためには、まずは天国建設のために働ける人とお金がある人が必要なのであって、障がいのある人は天国が来たらきてもらうという理屈でした。 天国建設が結局万民救済になる、だから、今は働ける人、お金がある人を伝道しなければならないと言われてました。 そして、その考えに感化されていきました。 時は、流れて・・・1991年暮れの2度目の実践トレーニングの終わり頃でした。 献身するつもりで、2度目の実践トレーニングに行ったのに・・・結局献身できずに青年部に戻ることが決まった時でした。 (このことについては、後に記事にアップします。) 一人の男性に出会いました。(20代後半~30代はじめ位) この人も即動でビデオセンターに連れて行きました。 優秀そうな人でしたので、是非ともコース決定してほしいと思ってました。 その時は、手相伝道でしたので、占いの先生(マザーか小隊長)を紹介しました。 姓名判断をする前に話しをした時、精神科に通院していることがわかりました。 ゲストに「少し待っていてくださいね。」と占いの先生は言い、先生と私は裏に行きました。 この時は、精神科通院の人は連れて行ってはいけないということは知っていましたので、私はアベルに「すみません」と謝りました。 アベルは「まぁ、ここで初めて知ったんだし、仕方ないわね。だけど、こういう人に出会ったということは何か意味があるわけだから・・・(悔い改める何かがあるのだから)よく考えてね。適当に話して帰ってもらうわね。」と言われました。 (そう言われるのがわかっていたから、先に謝ったのです。) この男性は、優秀で責任感が強い人でしたので、忙しい仕事に手を抜けず、そのせいで精神科に通院することになり、仕事の第一線から離れていました。 病気ではなかったのです。 統一教会に入らなくて結果的によかったのです。 でも・・・本来、宗教は、世間の荒波にもまれ疲れている人にこそ、癒しと生きる希望を与えるものではないでしょうか? そういう私もえげつない者でして・・・・ 伝道できなくても、他に救いの道があると思い・・・数か月後、高麗人参茶を購入させました。 lemonmouse432さんがコメントで言われていた自己破産者は伝道しないかどうかはわかりません。 ただ・・・所詮、青年伝道では、〇gとか、お金のある人を伝道するようにと言われますが、青年の貯蓄額なんてたかが知れてますので、壮婦ほど期待はされていません。 大体、青年で貯蓄がたくさんある人は、仕事が忙しいので、ビデオセンターに通い続けることはできません。 青年で期待されていたのは、統一教会で活動(伝道・経済活動)できる人、祝福(合同結婚式)受けられる人でしょう。 家庭問題なく、すんなり入教なり、献身なりできて、海外でもどこでもすんなり行ける人が統一教会にとっては理想なのだから・・・・自己破産者も伝道されていたと思います。 統一教会が伝道の途中で振るい落とすのは、親戚に弁護士はじめそれなりの地位のある人、有力者がいる人です。 (ヤバいこといっぱいやっている団体なので、そういう人が親戚にいて、後々問題になるのは困るからです。) 事実、私もアベルに「親戚に弁護士やら有力な人はいないか?」と聞かれました。(多分、皆聞かれていたでしょう。) 弁護士はじめ有力者が親戚にいるとわかった場合・・・わざと躓かせて、ビデオセンターや教育センター、教会に来れないようにすると聞いたことがあります。 1985年・・・私がT市の学生部所属だった頃・・・税務署勤務の方がT市の統一教会に所属してました。 高麗人参茶の展示会前に、T市統一教会全体で出発式を行った時、教会長が「税務署税務署」とその信者のことを紹介したら・・・支部長が影で「その人が統一教会を去ることになったら、生かしておかないように。」と言ったそうです。・・・ 冗談だろうと思い、聞いてましたが(勿論、現実には起こらないですが)・・・案外・・・ 怖いです。

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  • 01 Nov
    • 期待されたゲストー川口さん(仮名)

      1991年秋・・・ ディズニーランドで青年部一部メンバーが鶴子ちゃんに会ってそれほど経ってない 日曜日の曇りの日・・・ O駅で伝道しました。 O駅は、他の駅と違い、休日の人通りはそれほど多いわけではありません。 しかし、当時青年部で利用していたビデオセンターから私鉄で電車1本で行けるということ・・・ 遊びでなく、比較的高い意識をもって出向く人が多いこと、 JR・私鉄の乗り換えで駅構外に出る仕組みでほどほどの人通りがあることから、伝道場所によく選ばれていました。 この日は、信仰意識が下がっていたわけでも特別高かったわけでもありません。 とにかく、普通に普通に・・・いつものように、手相伝道を行ってました。 普通に「手相の勉強をしています。」と声かけたら、止まってくれたのが川口さん(仮名)でした。 20代半ばすぎのOLをしている普通の女性でした。 特に何かを悩んでいたわけではなかったです。 普通の日常を送っている女性でした。 私が普通に手相を見て、まずは普通に相手の情報を探るために、質問交えながら適当なことを話していたら、協助(※1)のため男性の橋田さん(※2)(仮名)が入ってきました。 ※1統一教会用語。意味は字の如く。 街頭伝道の時の協助は、一人が止めた際、一緒に街頭伝道に出ている別の人が「一緒に勉強しているのです。」と言い、話しに加わり、うまくビデオセンターまで誘導する手助けをする役割。 ※2一部に登場します。 http://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12200789878.html   橋田さんは、当時は同じ青年部のメンバーでしたが、班長的役割をしていました。 伝道実績もありました。 橋田さんが入ってきてから、橋田さんが中心になって話しをしました。 話しはうまく、非の打ちどころもなかったので、私は余計なことを言わず、ただただ橋田さんの言葉に頷いていました。 そんなに長い時間話さずに、川口さんはビデオセンターに行くと言いました。 ビデオセンターに到着したら、いつものお決まりの流れです。 まず、お茶とお菓子を出し、「ここに来た人、みんなに書いてもらってるのです。」と言い、アンケートを記入してもらいます。 アンケート記入が終わったら、適当に少しの時間雑談し、裏(※3)にまわります。 ※3裏に、街頭伝道を指揮するタワー長(K青年部、I青年部の顧問、もしくは隊長)とエライ占いの先生に扮するトーカー(マザーか小隊長)が待機しています。 顧問は、街頭伝道しているメンバーから途中経過を電話報告受け、激を飛ばしています。 タワー長に即動したことを報告したら、タワー長からトーカーを指示されます。 タワー長とトーカーにアンケートを渡し、知りえた川口さんの情報を話します。 そして、トーカーと一緒に祈り、川口さんの所に向かいます。 川口さんに、エライ先生に扮したトーカーを紹介します。 最初は、3人で話しますが、姓名判断に入る時に、「プライベートなことだから」と言われ、席を外すように言われます。 席を外したら、裏に回り、ひたすら祈りながらゲストの名前を書きます。(確か写名と言ってました。) 私が写名をしている間、I青年部の目黒顧問(※4)(仮名)が街頭伝道中のI青年部メンバーに激を飛ばしてました。 「K青年部は即動してきているぞ。年齢もいいし、3g(※5)だぞ。」 ※4目黒顧問は、過去、N市の青年部の顧問でした。 http://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12136080456.html 後に合併した青年部の顧問になりますので、統一教会時代はづくづく縁がありました。 ※5 1g=100万円の貯蓄。 何故、貯蓄がわかったかというと・・・アンケートに「もしもの時に備えて、どの位蓄えてますか?」という質問があったからです。 川口さんは真面目に300万円のところに丸をつけてました。つまりは300万円貯金があったということです。(うろ覚えのため、確かではないです。もっと多かったかもしれません。) 当時、私は〇gと言われても、ピンときませんでした。貯蓄額については意識してなかったです。 しかし、青年で1g(100万円)以上貯金のある人はそうそうビデオセンターには来ませんので、私の知らないところで、意識されてました。 (つまりは・・・統一教会は川口さんの300万円を狙っていたのです。) それ程長くないトークで、川口さんはビデオセンターで勉強すると言いました。 つまりはコース決定しました。 私は他のゲストと同様、川口さんが神様につながるための1歩を踏み出せたことを喜び、これから神様につながれるよう頑張らねばと思っただけでした。 しかし、周囲は「3gの人をコース決定したんだってね。凄いね。」と、いつもと違う言葉をかけられました。 2daysまではトントン拍子に進みました。 人柄も頭もよく、リーダーシップもとれる人だったので、貯蓄額以外でも期待されてました。 2daysの時は修練性代表挨拶もしました。(※6) ※6以前も書きましたが・・・修練性代表挨拶をする人は、大体統一教会には残りません。 2days後は、自宅が遠いこともあり、毎日通うライフトレーニングには参加できず、中級トレーニングに進みました。 中級トレーニングに進んでからは、あまり来なくなりました。 貯蓄額は別にして、とてもいい人でしたから、是非神様の前につなげたいと思ってました。 手紙を書いたり電話をする等フォローしてました。 (手紙や電話を嫌がることはなかったのです。) 徐々に徐々に来なくなり・・・ 文ちゃんも統一教会の名前も証す前に来なくなりました。(よかったです。) ビデオセンターの担当トーカーから、「CB展に誘うように」と言われたこともありますが、未遂に終わりました。(よかったです。) 来なくなった理由はわかりません。・・・ 何か感づいたかもしれません。 夢のためにお金を貯めていた川口さんですから、「こんなとこ行っている場合じゃない」と思ったかもしれません。 ただ・・・川口さんから言われた言葉で印象に残っているのは、「ななくささんは、私にできないことができる方かもしれませんね。」です。 2年後・・・橋田さんは献身し、合併した青年部のナンバー2の部署の隊長になりました。 橋田さんも川口さんのことを憶えていました。 川口さんを再度ビデオセンターに連れてくるよう言われたこともありました。 信者だった私も試みたのですが・・・結局、川口さんが二度と統一教会関連施設に足を踏み入れることはなかったです。(本当によかったです。) 川口さん・・・ 夢をかなえたでしょうか?

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