• 26 May
    • 偽装脱会~監禁部屋を出る日まで~①

      沢井牧師(仮名)が来るのは、数日に1回の1時間前後でした。 沢井牧師は、元信者や反対派の講演のテープを聴くこと、統一教会の矛盾点や問題点を指摘している本を読むことを宿題として出してました。   元信者の講演テープで以下のことは覚えています。 ・末端信者向けには信仰的な話しをしていたが、長がつく方々には最初からお金の話しかしない。 ・祝福相手に文ちゃんがメシヤでないと気づいてもらうために、「六マリアの悲劇」を読んでもらったが、逆に「文先生の路程がよくわかった。」と言われてしまった。 ・原理講義に深みを持たせるため、歴史の勉強をしたら・・・原理の間違いに気づいてしまった。・・・・ (統一教会内部で、原理講師は落ちやすいと言われてました。)   反対本は、元原研の女性の証が心に残りました。 私と同じ通教の立場の人でした。軟禁状態で、某有名反牧の話しを聞き、統一原理の間違いに気づき、脱会しました。 脱会後、原研ホームに間違いを伝えに行こうとしたのですが、シャットアウトされてしまい、霊の親からも冷たく突き放されたという内容でした。   離れた人に冷たいということは、統一教会内にいればわかります。どんなに仲良い人でも離れてしまえば、これまでの関係は何だったの?という位手のひら返しをして、冷たい視線を送っていました。 統一教会を離れるということは、心を許し合っている友人たちと会えなくなるだけでなく、絆まで絶たれるのです。 私にはそれは耐えられないことでした。 何としてでもそれだけは避けたい・・・そのためには、何としてでも教会に戻らなければならない・・・そう思ってました。     統一教会、反統一教会の書籍以外に、三浦綾子さんの小説や大韓航空機を爆破した金賢姫の本を読みました。 迫害に遭いながらキリスト教の信仰を貫こうとする小説の登場人物や、北朝鮮の工作員ということがばれないよう口を閉ざしていた当初の金賢姫に心の中でエールを送ってました。   監禁に付き合っている家族・親戚も時間を持て余してました。 統一教会について話し合う以外は、雑談したり、トランプしたり、ラジオを聴いたり、週刊誌のパズルやクイズをしたりしていました。 それなりに和やかな時もありましたが、監禁というフラストレーションがたまり、喧々囂々・・・心の血みどろの戦いも多々ありました。 (念のために申しておきますが、あくまで心ですから・・・生の流血の戦いがあったわけではありません。)   こんな時、己の心の狭さを感じ・・・牢獄の中でも人を愛し、神様への信仰を貫き証しをたてたお父様(文ちゃん)はやはりメシヤだと確信したのでした。・・・・・       以前のブログ記事で、済州島修練会の時、親と職場に嘘をついて参加したこと、そしてその嘘がばれていたことを監禁中に知ったことを書きました。 http://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12261551907.html 「生の文ちゃんをみた時」   理由はわかりませんが、母が私の職場に行ったそうです。 その時に、私の上司が「お爺様は大丈夫ですか?」と聞きました。 (私は祖父が病気で、と嘘をついて仕事を休んでました。) 当然の如く、母は、「父は元気ですよ。」と答えました。そこで、職場の上司は私からの電話の内容を伝えたと思います。 (この後、職場の上司と母でどういう会話がされたかは不明です。)   ブログ記事に書いたように、私は済州島に行っている間、嘘の取り繕いのため何度か職場に電話してました。 その時の電話では、私の話しを信じているようでした。 職場に戻った時も「嘘ついて休んでたんだ~」という素振りは微塵も見せませんでした。 母も、自宅に戻った時、嘘を責める様子は全くありませんでした。   全てばれていたのに、何とかなったと思っていた私は大ばか者だったと監禁中に初めて知り、恥ずかしかったです。 と同時に、嘘をついた自分が一番悪いのに、その嘘に騙されたふりをしていて騙していた母や職場の人が信じられないと思ったのです。   そして、こういうこともありました。 「私はお母さんが反対するから、入教も献身もしなかった。」と言うと、母から「入教と献身をしなかったのは、お母さんが反対しただけじゃないよね。アトピーがあるから、献身断られたんじゃないの?」と返されました。 (事実です。)  参照:http://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12236112409.html 「献身を断られた」   何で、母がそれを知ってるの?と驚いたと同時に、心を土足で踏みにじられたように感じ、怒りで頭がいっぱいになり、「そんなことない!!!!!!」と否定しました。 (アトピーがあり献身断られたことを母に話したのは、実トレ、青年部で一緒だった元献身者の2人でした。)   また、監禁について不満を言うと、母は「私はななくさが教会に入ってから10年ずっと苦しんだ。」と言いました。 結局、統一教会に入った私は家族を苦しめる存在だから監禁されても仕方がないのかと、母の言葉から感じました。   監禁に長く付き合っていた伯母の口から、「統一教会報道がある度に、大丈夫ね?大丈夫ね?と母に電話してた」聞きました。 (そういう電話も母を追いこんでいたのでしょう。)   監禁の最初の頃に来た叔父の妻も(私からしたら叔母、母からしたら義妹)も私が統一教会に関わっていることで「娘(私からしたら従妹)の縁談が壊れる」と言っていたそうです。 (現在もその従妹は独身です。叔母からしたら、私が統一教会に関わっていたせいで、適齢期にいい縁談がなかったから・・・と思い続けていたとしたら、怖いです。)       尻切れトンボですが・・・ 偽装脱会~監禁部屋を出る日まで~②に続きます。                

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  • 19 May
    • わかってもらうのは無理と思った時~もう一人の牧師の訪問~

      最初に会った時から沢井牧師の印象は最悪でした。 意地悪そうな内面を顔から感じました。 エラそうに人を小馬鹿にしてました。 極め付け、質問に答えないと「誰の為につきあってると思うんだ!」と怒って帰りました。 その後は、人を監禁したまま来なくなりました。   沢井牧師を信じて、言いなりになっている家族の方がどうかしていると思ってました。 沢井牧師は、人間的に信頼できない、信頼できない人と話してもしょうがない・・・こんなやり方の話し合いは間違っていると訴えました。   そんな私に困った母がもう一人、牧師を呼びました。 母の実家で家族ぐるみで付き合っていた永津牧師(仮名)です。 (※1~3)   ※1:母の実家はキリスト教ではありません。永津牧師の生家も元々キリスト教ではなかったようです。   ※2:永津牧師は、当時関西でキリスト教系の学校の講師をしていました。反牧ではありませんでした。   ※3:拉致監禁前に、母は私を永津牧師の元へ連れて行こうとしたことがありました。 アベルに私は相談したら、永津牧師の所に行く朝に、アベルが偽の職場の人になり、「緊急事態だから、すぐ来て欲しい」と電話をしてきました。私はその電話を受けて、職場に行くふりをして永津牧師の元に行くことから逃れました。     永津牧師は沢井牧師と違い、穏やかで牧師という雰囲気を醸し出していました。 最初の一声が「私達は皆、ななくささんの味方ですよ。」でした。   キリスト教的なことを一通り話した後、以下のことを語りました。 ※4: ()内は私の当時の心の声   「統一教会はキリスト教ではない。」 (そりゃそうだ) 「文鮮明は人間だ。」 (そうだよ、人間だよ。) 「統一教会は結婚の自由を認めてない・・・最大の人権侵害だ。」 (外出の自由を認めないのは、人権侵害ではないのか?) etcetcetcetc 「ななくささんも聖書の教えをきちんと学ばなければならない。」 「沢井牧師や統一教会のことに詳しい川崎牧師の話しをきちんと聞いた方がよい。」 (出た~川崎経子~)       穏やかそうに見えても、沢井牧師と同じでした。 ここで何を私が語っても聞き入れてくれることはないのです。 味方とは言っているが・・・私が統一教会は間違いです、お父様(文ちゃん)はメシヤではありませんと悟らない限り、そして私が心から脱会を表明しない限り、私を認めてくれることはないということを思い知らされました。   自分達の意図する通りに、私が心を変えないとここから出さないと決意している人達から逃れるためには、ここで偽装脱会するしかないと思い、以下の言葉を発しました。 「沢井牧師の話しをきちんと聞いて、統一教会を脱会することを考えていきたい。」   それを聞いて、母はひとまずほっとし、「永津さんに来てもらってよかった~」と喜びました。 永津牧師はその後、監禁部屋で一緒に食事をして、関西に帰りました。   それから数日して、沢井牧師が再び来ました。 無事にここから出られる日まで偽装脱会する!と決意した私は、もう沢井牧師に反抗的な態度はとらず、素直に話しを聞き、沢井牧師からの質問も元信者らしい答えを出しました。   それでも・・・監禁の日々は続きます。                

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  • 13 May
    • 反対牧師登場~

      家族より、私の信じていること(原理)を私の口から聞きたいということを言われ、拙いながらも必死で講義しました。 講義の途中で、矛盾点や統一教会の問題(霊感商法等)を指摘してきました。   弟は、私と違い頭がよく、某高偏差値大学を卒業していました。 理屈を長々と語ります。弟が語っている理屈は、私には半分も理解できませんでした。 一緒に聞いていた父、母、親戚も理解してなかったと思われます。 (親戚はそれでも弟のことを幅広く勉強していて、色々な気づきがあってエライ!と褒めていました。)   そんな状態ですので、話しは平行線で一向に埒があきませんでした。(反対牧師と家族はこれを狙っていたのでしょう。) 私としては、家族や親戚が原理を理解してくれたらありがたかったけど、理解してくれなくてもよかったのです。 家族が統一教会に入信することを望んでいたわけではありません。ただ、私が自由に活動することを黙認してくれ、ここから出してくれたらよかったのです。   しかし、拉致監禁までした家族は何としてでも、私が統一教会はとんでもない反社会的団体で教えも間違いだらけということを悟り、脱会して欲しいと願っています。 そこで最初から予定していた切り札・・・「このままだとお互い分かり合えないから、この問題に詳しい牧師さんに来てもらおう。」ということになります。   これを言われた時・・・「あ~、やっぱり、こういうことなのね。」と思いました。だったら、勿体つけなくて最初から来てもらえばいいのですが、それだと監禁から牧師が関わっているということになるので、まずいのでしょう。 あくまで拉致監禁は話し合いのため、家族が行い、話し合いがつかないから、家族が牧師をお願いした・・・そして、私がそれに同意したということにしたかったのです。   私はとにかく、早くここから出たかったのです。 これ以上家族の押し付けの愛情にさらされることも、家族に自分の大切にしているものを踏みにじられるのは嫌だったのです。 牧師さんに来てもらい、適当なところで脱会したふり(偽装脱会)をすればいいかと思ったので、二つ返事で了承しました。   (牧師さんが入ることを8か月拒み続け、ついに親御さんが諦めて解放されたという人もいます。私はそこまでの根性はないです。)   適当なところで脱会したふりなんてできるのだろうか・・・?という不安もありました。 だから、これまでにないほど心の中で祈祷をしっかりしていたし、「私は神様に愛されている。私は統一教会に戻る。」と自己暗示をかけていました。 チャンスがきたらすぐに逃げられるように、ポケットの中にアドレス帳(ゲストや霊の子や青年部の人の連絡先が書いてあった)とお金を偲ばせていました。   牧師さんが来ることを了承して、数日後、牧師さんがやってきました。 どうせなら、統一教会の反牧対策で出てくる有名牧師がよかったのですが、全く聞いたことない沢井牧師(仮名)でした。   沢井牧師は、人相のあまりよくないおじさん牧師でした。 後にやってきた元信者が「いかにも反牧って感じでしょう。」と言ったのは、あまりにも的確で笑えました。   最初にお互い簡単に自己紹介をし、その後沢井牧師が「話し合いでどこが一番意見が合わなかったか?」と聞かれたので、「霊感商法です。」と答えました。 そしたら、霊感商法で刑事事件となった「青森事件」の新聞記事をみせ、とうとうと読み上げました。   私は統一教会では、霊感商法で刑事事件になったものはないと聞いていたので、刑事事件になったものがあったということに驚きました。(私の認識はこの程度だったのです。) しかし、これで落ちる(信仰を失う)わけがなく・・・第1回目の牧師訪問は何とかやり過ごしました。   沢井牧師は数日に1回1時間前後の訪問でした。   牧師が帰る時、両親と弟は玄関に牧師を送りに行き、その時に色々話していました。 監禁部屋の私の様子は、母が買い物等を言い訳に外に出た時に、電話で牧師に報告していました。 私の要望や家族で話して決めたことも「一応牧師さんに聞いてみて・・」といちいちお伺いをたてていました。   (統一教会のアベル・カイン、報連相生活を否定しながら、同じことをしていたわけです。)   数回目の訪問時、牧師は来て早々、私に一つ問いをしました。私は、全く答ませんでした。 牧師はそんな私の態度に対し、「勉強する姿勢がなってない!家族があなたのことをどれだけ考えてこの場を作ったのかわからないのか?あなたの家族はここにあなたとずっといられる程暇なのか?そんな家族の思いをよく考えるように!」と怒って帰りました。その後しばらく来ませんでした。   牧師の問いは、「人類歴史はホントに6000年ですか?」という取るに足らないものでした・・・・。   続きます。  

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  • 03 May
    • 監禁部屋の中で

      拉致監禁による強制説得が行われていることは、最初に統一教会に関わった18歳の時から知ってました。 知ってはいても・・・まさか自分がそんな目に遭うとは・・・まさか自分の親がそんなことするとは誰も思いません。   まして、私は自宅から教会に通っている青年部信者・・・ 毎日親と顔を合わせているし、話しもしていたし、私が教会に行く頻度も大体は知っています。なのに、何故親戚を巻き込んでまでこんな用意周到な拉致監禁をしたのか?心は大いに腑に落ちませんでした。   監禁マンションは1ルームマンションでした。部屋は何階かはわかりませんでしたが、5階以上だったことは確かです。 1ルームマンションでしたので、玄関、廊下、キッチン、6畳位の部屋がありました。   窓は曇りガラスでしたので、外は全く見えず・・・(しかし、音は聞こえました。外のネオン位はわかりました。) 窓は絶対に開かないように固定され、玄関も容易に開かないようにされてました。(しかし、1回は私・・・玄関を開けてしまいました。すぐ、連れ戻されましたけど。)   監禁に関わった親戚は、父方の叔父1名、叔母1名、母方の伯父1名、伯母1名、叔父1名、いとこ1名、いとこの夫1名でした。(※1) 監禁には関わっていませんが、途中数日父方の祖母も来ました。   ※1 父方の親戚、母方の伯父と伯母は新幹線で6時間位の所から来ました。 母方の叔父といとこ夫婦は、1~2時間圏内の所から来ました。 全員監禁期間中ずっと関わっていたわけではなく、最初の2日~数日で殆ど帰りました。殆どずっと関わっていたのが、母方の伯母でした。   6畳に私達家族4人と合わせ11人も一緒に寝た記憶はないので、マンションに全員泊まったわけではなかったと思います。(その辺りの記憶は曖昧です。)   親は、私を説得し脱会させるという第一関門は突破したわけです。とりあえずはホッとしたでしょう。・・・ しかし、監禁を決行してしまったということは、もう後には引けないです。「何としてでも成功させなければならない」という思いと、元々持っている親の情でかなりの葛藤があったと思います。   拉致された翌朝(監禁2日目の朝)、皆で朝食を摂り、親戚が集まったところで母が監禁したことを詫びました。そして、統一教会のことで話し合いをしたかったからこの場を作ったと告げられました。   私は、話し合いなら家でもできるのではないか!とおそらく監禁された殆どの人が言うだろうお決まりの台詞を吐きました。 母は「家だと電話とか入ってゆっくり話せないじゃない。」とお決まりのわけのわからない台詞で返しました。   前夜・・・仕事を終えて帰宅し、家にも入れずの拉致監禁でした。 一晩たったとはいえ、私はまだ事態をしっかり認識できず混乱していました。親戚もいたので、あまり感情を表に出して怒ることはできませんでした。   いつも面白いことを言う叔父がとても場を和ませ、私や家族、他の親戚をリラックスさせてくれました。 普段、父方、母方親戚が交流があるわけではありません。叔父が双方の情の架け橋をしてくれ、うまく統一教会と関係ない話しで皆を盛り上げてくれました。 (統一教会に関係ない話しだったら、私も普通に笑顔で話せました。)   監禁に関わったいとこ夫婦主導でトランプもしました。普通に楽しかったです。   監禁3日目、この日はゲストが2daysから帰って来る日でした。 ゲストは、30代前半でビデオセンターの勉強も意欲的で、宗教的関心も高い人でした。マナ(高麗人参茶)も1個授かって(購入して)いました。 (自分が伝道した人で、まだ文ちゃんを証されてなく、霊の子となってない人はゲストと呼んでました。) 監禁されていなければ、礼拝に行って、前線(街頭伝道活動)をして、夕方2daysから帰って来たゲストを駅まで迎えに行くはずでした。(※2)   ※2 当時、I支部含むHブロックは、少し遠目の海の近くの一軒家で2daysを行ってました。I支部は、ゲストが2daysから戻ってきたら、駅までそれぞれの紹介者が迎えに行き、紹介者とゲストのみでどこかの喫茶店に入り、セミナーの感想を聞き、ライフトレか中級トレにつなぐということをしていました。   ゲストが今後につながるかつながらないか・・・重要な時なのに、私は誰にも連絡できず、駅に迎えに行けないのです。 他の2days参加者は駅に紹介者が来ているのに、私のゲストには誰も来ていなく、そのまま家に帰らなければならない・・・どう思うだろうか?等考えるといてもたってもいられなくなり、無理だとわかっていながら何としてでもここを出て、ゲストを迎えにいかなければと思いました。   監禁は間違っている、話し合いしたいならこんなことしなくてもできる等・・・訴えたのですが、全く相手にされませんでした。 この時は親戚も殆どいませんでしたので、怒り口調でした。 怒り口調の私に、弟が統一教会に行ってビデオを借りてくると言ったのです。 母も父もそれに同意しました。(※3)   ※3 弟が統一教会にビデオを借りに行くと言って外出したのは確かです。しかし、何故そういうことになったかは記憶にありません。 おそらく弟は、統一教会のビデオを見て、統一教会について検証しないかと提案したのではないかと思います。   そんなことできるわけないと思いつつ、弟が統一教会にビデオを借りに行くなら・・・私が監禁されていることが伝わると思い・・・ 一縷の希望が湧きました。 一縷の希望を持ち続け、弟が帰って来るのを待ちました。 2daysy迎えの時間は過ぎました。ゲストはどうしただろうか?誰か代わりの人が迎えに行ったのだろうか?等、気になり気持ちは落ち着かなかったです。でもどうすることもできません。私は心の中でゲストに謝りました。   弟は手ぶらで帰ってきました。 統一教会にビデオを借りにも行ってませんでした。 弟は、途中考えてビデオを借りてもしょうがないと思ったから行かなかったと言い訳をしました。 私は嘘つきと怒りました。「統一教会を嘘つきと言うけど、自分達だって嘘つきじゃない。」と言いました。   売り言葉に買い言葉で喧嘩になりました。   監禁期間中、こういうことはよくありました。 監禁部屋で私と家族で約束しても、その後、母が外に行き電話をしたら、覆されました。覆されたことに父と弟、その場にいた親戚はそうする方がいいと、私にそれに従うようにと言いました。 その度、言い返しましたけど、監禁されている身で、私の話しに同意する人はいない中ではどうにもなりません。   母の電話先は、反対牧師はじめ反対派仲間への電話でした。 皮肉にも、統一教会を反対しながら、統一教会信者はマインドコントロールされていると言いながら、統一教会と同じように、反対牧師等にお伺いを立てその通りにしていたのです。   1度だけ、監禁部屋で、母の目が母のじゃない無機質な目を感じ、ゾッとしました。     監禁されたら、すぐに反対牧師が来ると思っていましたが、なかなか現れませんでした。(宮村氏はすぐ現れるようですが・・・) 監禁されて4日目位に、家族と親戚は私から原理を聞きたい、私が信じていることを聞きたいと言ってきました。 私は、私から聞くより教会の人から聞いた方がよい、それこそビデオを見た方がよいと言いましたが、「あなたの口から聞きたい。」と言いました。   拉致監禁対策講義を殆ど受けてなかったし、体験者の詳しい話しを聞いたことなかった私は、これが拉致監禁説得の流れの一部とは知りませんでした。 もしかして・・・親は、ホントに私から原理の話しを聞きたいだけでこの場を用意したのではないか、これをきっかけに統一教会に入ろうと考えているのではないか・・・とおめでたいことを思いました。   数日、必死に講義しました。 しかし、親も弟も拉致監禁前に牧師等から対策講義を受けていたのです。(※4)   ※4 脱会後、反対父母の会に少し関わりました。関わった時、拉致監禁までの教育について少し知ることができました。   <後藤さん裁判で提出された松永牧師作の統一教会対策ビデオ> 参照:http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-118.html#more   こちらが必死に講義しても、すぐに矛盾点をつかれます。それが的を得てました。 人間ができてない私は怒りと諦めの気持ちになります。 弟はともかく、元々親を伝道したい・・・と思ってなかったわけですし・・・。   そんなことを繰り返して、これでは埒があかないから、詳しい人に来てもらおうということになります。 この詳しい人が反対牧師です。 これを聞いてやっぱりな・・・と思いました。   <次回いよいよ反対牧師登場~>     一部加筆、修正、削除しました。 最後のななくさの思い等は後の記事にアップさせていただきます。 (5月5日記)                  

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  • 30 Apr
    • その日は突然やってきた(拉致監禁)

      拉致監禁のことを書くと、元信者や統一(家庭連合)批判・告発村の方々から何や~、かんや~と言われるが・・・ 私の統一歴を書く上では避けて通れないことですので、とりあえず書きます。   1回目の拉致監禁は、私が自宅から青年部に通い活動していた時でした。(だから、余計に腑に落ちませんでした。)   当時、夜勤のある仕事をしていました。 その日は、夕方から夜中の勤務でしたので、朝~昼は家にいました。 午前中、何だか母あての電話多いな~と思ってました。(ここで気づくべきでしたが・・・気づいたところでどうにもなりません。)   おかしかったことは朝の母宛ての電話が多かった以外にもありました。 夜勤があり、休みが不定期の仕事だったため、1ヶ月の勤務表が前月の月末に出されてました。 希望もしてないのに、月後半、有休が並んでました。   冗談で職場の人に「辞めるみたいな勤務だね~。」と言いました。それを聞いた職場の人は、「ななくささん、辞めるんだって、言ってやろう。」と返してくれました。(それを言った職員、今でも覚えています。こんな感じの方でした。)     希望もしないのに、有給が並んでいたのも不思議ですが、もう一つ不思議だったのは、別の職員から勤務変更を頼まれた時です。希望してないから、予定のない休みだったので、二つ返事でOKしました。しかし、勤務変更を頼んだ職員が上司に申し出たところ、私の休みは上司があげたものだから、変わってはいけないと言われたそうです・・・???何だかわけわかりませんでしたが、そんなに私に休みをくれると言うならありがたくいただこうとのんきに考えてました・・・。   (監禁中知ったのですが、親は職場に事前相談していたのです。 親としては、私をもっと早く監禁したかったらしかったそうですが、上司から「この時期は忙しいから、違う時にして欲しい。」と頼まれたそうです。)   ここで気づくだろう・・・と突っ込まれそうですが・・・ 気づいたところでどうしようもしようがないので、同じです。   監禁された日、2daysに参加するゲストがいました。夜勤のため、送りにいけなかったので、参加前の手紙と聖書カバー、帰った時に渡す寄せ書きカードに皆に書いてもらうよう依頼して、青年部スタッフ(献身者)に預けてました。(夜勤前にホームに行って預けたのか、前日に預けたかは覚えてません。)   夜勤は普通に何事もなく終了し、夜中~朝まで勤務の人に申し送りし、いつものように自転車で帰りました。(当時、自宅から自転車で15分位の恵まれた職場に勤務してました。)   <夜の自転車走行はご注意を!>   当時の自宅はマンションでした。 マンションの自転車置き場に自転車を置き、階段で我が家に戻ろうとした時、階段から母が降りてきました。 母:「ななくさ・・」 私:「何?」 母の返事を聞く間もなく、軍手をつけた見知った親戚がわらわらと出てき、ワゴン車が階段の前に止まり、私はあっという間にワゴン車後部座席の中央に乗せられました。     抵抗することも声をあげることも全くできませんでした。 というか・・・拉致監禁されているという実感が・・・この時は湧きませんでした。   母は、「大丈夫だから・・・」「話し合いに行く・・・」としか言わないし、父と弟は何も言わないし・・・いつも面白いこと言う叔父は場にふさわしくないジョークを飛ばすし・・・他の親戚は無言だし・・・・   ワゴン車はC市のワンルームマンションに到着しました。 (C市とわかったのは、マンションにC市と書いてあったからです。)   車を降りてエレベーターで監禁部屋に向かう時も周囲を家族、親戚に囲まれました。ここでも母は「大丈夫だから・・・」と数回私に言いました。 囲まれているということもありましたが・・・拉致監禁されているという事実に途方に暮れ、何が起こっているか頭が認識してなかったので、声をあげるとか逃げるという発想が出てきませんでした。   この日は夜中でしたので、布団の敷いてある一番奥に寝るよう言われ、家族、親戚らと寝ました。 眠れたかどうか・・・記憶にありません。家族や親戚は眠れなかったでしょう。 玄関に・・・・叔父が寝てました。     拉致された監禁初夜のことでした。 続きます。  

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  • 07 Apr
    • 生の文ちゃんを見た時

      時は、1993年確か10月~12月でした。 日本女性16万人の修練会が韓国済州島で行われました。修練会後に、日本女性の世界宣教摂理が始まり、以前このブログで登場した谷山さん(仮名/I支部実トレマザー/宮村氏説得の元で脱会)と石田さん(仮名/N市ビデオセンターカウンセラー、青年部マザー/現役)も世界宣教に行きました。世界宣教は、短大・大卒女性が対象で、マザークラスで家庭をもってない献身者は殆どメンバーに選ばれてました。   済州島修練会の翌年6月頃に、韓国水澤里で日本人女性と韓国人女性の姉妹結縁が行われました。同年10月頃にも行われました。 その翌年1月に男性の修練会も行われました。   というわけで・・・1993年末~1995年は日本人食口の殆どが韓国に赴き、生の文ちゃんのありがた~いお話しをきいたわけです。   私も1993年12月に済州島、1994年6月に水澤里に行きました。(水澤里に行った数週間後に1回目の拉致監禁に遭いました。)   済州島修練会の最初の方は、ガラガラだったようで、これでは16万人達成しない、お父様(メシヤ文ちゃん)が直に講義してくださるのにガラガラでは申し訳ないと思ったからか、女性食口に参加するようにと各支部に強いお達しがきました。   青年部でも次から次へと姉妹が参加しました。 G市に行った霊の子の八木橋さん(仮名)、N市の支部で一緒に活動していていつの間にかG市に行った岡田さん(仮名)、井沢さん(仮名)が参加する時に、岡田さんより、私も一緒に参加しないか、という話しが出ました。この時は仕事も休みが取りやすかったし、八木橋さん、岡田さん、井沢さんと一緒に参加したい気持ちもあったので、アベルに参加希望を申し出ました。 しかし、当時家庭問題が酷く、母が知り合いの牧師(反牧ではありません)に会わせようとしたこともあったため(結局会いませんでした)、アベルより行かない方がよいと言われ、行きませんでした。   私は済州島には行けないのだろうな~、16万人の摂理に貢献できず申し訳ないな~と思っていたら(文ちゃんに会いたいという気持ちはあまりありませんでした。)、済州島最終回前に「参加するように」とアベルより突然言われ、参加しました。   言われたのはホントに突然で、出発前日位でした。 当時、夜勤のある仕事をしていたため、夜勤終了後に直接空港に向かうことを考えていました。しかし、朝早く空港に行かないといけないのでそれでは間に合わない、前日はコスモのホームに泊まるようにとアベルより指示されました。 急きょ、祖父が具合が悪くなったことにして、夜勤を変わってもらいました。 当時実家暮らしでしたので、親には夜勤に出勤するふりをして、夜勤終了後にG市に旅行に行くと嘘をつき、コスモのホームに泊まり、済州島へと向かいました。   I支部から同じ飛行機、同じルートで参加したのは、(修練会日程が同じでも、別飛行機、ルートで参加する人もいました。)献身したばかりの会田さん(仮名)と学生部の川野さん(仮名)と壮婦の斉藤さん(仮名)でした。(川野さんは1年4か月後にI青年部に来ました。) 到着は、済州島修練会の前日でした。到着した時点で前の回の修練生がまだ残っていて、かなりの混雑ぶりでした。   部屋で寝袋で寝れたらいい方です。廊下で坐ったまま寝るしかない状態でした。 とにかく至る所人人人人人・・・・ちょっとした移動も困難で、トイレもやっと行っていた状態です。食事も食堂まで行くのが容易ではなく、殆ど食べずに過ごしました。(尤もこの状態では食欲も出なかったですが)当然、具合が悪くなる人も出てきて、何と文ちゃん講義中に文ちゃんめがけて吐いた人もいたそうです。(お見事~)   前日到着組と前回参加して帰りの飛行機待ち組は、やることがないので、済州島観光を企画してあり、会田さん、川野さん、斉藤さんと参加しました。 この時初めて知ったのですが、済州島は韓国のハワイと言われていて、韓国の新婚旅行で行く人が多いとのことです。向かった先に、新婚さんが写真を撮っていたりしました。 (新婚さんは、謎の日本人女性が集団でぞろぞろ観光している姿に不気味さを感じ、この先の結婚生活に不安をおぼえたかもしれません。)     職場には、「祖父が具合が悪い」と嘘をついて休みをとり、休みの期間も決めていたわけではなかったので、済州島にいる間、毎日職場に電話しました。 公衆電話が何台かある場所があったので、そこから電話しました。毎日電話し、状況等を話し、何とか取り繕った気になっていたのですが・・・実は職場には祖父が具合が悪いというのは嘘というのがバレていました。   そして親にも、嘘をついて職場を休んだことがバレていました。 バレていたことを私がわかるのは、この半年後の1回目に拉致監禁された時でした。 (何とかうまくやり過ごしたと思った私は、ホントにバカでした。そして、職場の人は嘘と気づきながら、電話でも職場でも何も言わず知らないふりをしていた演技力は素晴らしいです。)   周囲には、反対する家族に電話している人もいました。電話の向こうから「みんな怒っているよ」と言われているようで、電話している人は一生懸命言い訳していました。   修練会場で、壮婦同士が「子どもを置いてきちゃったけど、親がいない方が子どもがしっかりするのよね。」等の会話も聞こえてきました。普段壮婦信者と接する機会がない私は、青年にはない壮婦の苦労がみえ、「皆大変な思いをしてここに来てるのだな。」と思いました。   修練会自体が何日あったか忘れました。文ちゃんの講義の内容も忘れました。 文ちゃんの講義は朝~晩まであり、1回の講義は長く・・・しかも内容は支離滅裂でした。 途中、周藤さんの解説があり、それがないと殆ど意味不明な内容でした。 私は、礼拝や統一教会の講義では寝たことなかったのですが・・・この文ちゃんの講義は寝てしまいました。   それでも感動し、修練会から帰る時はすっかり復活し、「この人がメシヤでないはずがない」という大確信を得てしまいました。(不思議です。)   修練会中にハプニングもありました。 一人の参加者がいきなり手を挙げて「私はイエス様以上にお父様のことを信じられない」等の発言をしました。文ちゃんは、その女性に色々質問しながらけっこう時間をかけて話しました。周囲の人と、「あの人、大変なことをしたね。」とささやきあいました。 後から聞いた話しでは、この人は「ホントに申し訳ないことした。お父様は本当のメシヤだ。」と言い悔い改めたとのことでした。 (後に、2回目の拉致監禁の時に説得者にこの話しをすると「サクラじゃないのか」と言われました。)   文ちゃんと一度目が合ったように感じました。 文ちゃんが「何があってもこの道をいくか?」みたいなお決まりの質問をし、皆でお決まりの「ハイ」と言ったら、私の方をみて「ホントかな?」と言いました。(気のせいだと思います) 文ちゃんの「ホントかな?」という言葉通り、私はこの修練会の2年後に脱会し、この道をいくことをやめてしまいました。   他にもこの修練会にはエピソードがあって・・・ ある女性に「あんたスパイか?」と聞いて「違います。」と答えたら、「いずれそうなるから気をつけるように」と言ったり、いきなりある女性に「脱げ」と言ったり・・・・ (脱げと言われた女性は、2回目の拉致監禁の時、脱会者として会いました。ちなみに美人でもなく、ナイスバディでもありません。) 「脱げ」と言われた女性がとまどっていると、周囲から「お父様、私脱ぎま~す。」「私っも脱ぎま~す。」という声があちらこちらから聞こえたとか・・・・。     飛行機の関係で会田さん、川野さん、斉藤さん、私は修練会終了2日後の朝に修練会場を後にしました。そういう人は他に何人かいましたが、少なかったです。 修練会最終回に参加したので、次の修練生も来ません。今までの人人人から解放されて、修練会場を伸び伸びと歩け、体を伸ばして寝られ、お風呂にも入れ、食事もきちんと摂れました。   この1日の間に、現地の人への修練会報告会も行われ、そこにも参加しました。 (私は現地の人と間違えられ、ハングルで話しかけられました。) 報告会参加者全員、文ちゃんを守る為、金属探知機を通されました。   修練会周辺を散歩したり、現地の店で買い物したり、修練会場のお土産屋さんでお土産や統一教会グッズを買ったり・・・出発までの空白の1日はのびのび過ごせました。       半年後、水澤里で再び文ちゃんの講義を聞きました。 水澤里修練会は、済州島修練会程、人人人ではなく、一人一つの寝袋があてがわれ、ゆっくり体を伸ばして寝ることができ、食事も入浴もきちんとでき、移動も容易でした。 (そのためか、済州島ほど感動しませんでした。)   水澤里では、日本と韓国の姉妹結縁式がありました。私は統一教会員ではないどういうきっかけで会場に来たのかわからないおばあさんと姉妹結縁を結びました。 同じコスモから参加した小熊さん(仮名)もおばあさんと姉妹結縁を結び、4人で一緒に写真を撮りました。   韓国人は情が深いのか、修練会場に何人かの韓国人が姉妹結縁を結んだ日本人に面会に来てました。私には来ませんでしたけど・・・・。   姉妹結縁式の会場にバスで向かったのですが、韓日祝福を受けた日本人女性がガイドをしていました。 ガイドの一人が、最初に活動していたT市の学生部で一緒だった人でした。 (今も韓国にいるのでしょうか?)     水澤里でも観光コース付きに当たりました。                  

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  • 04 Apr
    • 遊び心がない方々

      誰もがえいぷりーるフールネタとわかるブログ記事。  http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-830.html 緊急・重大ニュ-ス!韓総裁、後継者に徳野英治氏を指名!    途中、驚いたとしても、最後の一文で「な~んだ」と思い、笑って終わるものだと思うが・・・・   最後の一文を読んでも気づかない方々・・・ 「悪質すぎる!」と怒る方々・・・・ http://ameblo.jp/char08kr/entry-12262240185.html 後継者に徳野....4月1日...会議??? (コメントも読みましょう。)    思わず大笑いしてしまったのが      牧師さん 笑わせてくれてありがとうございます。 お蔭で私の免疫がアップしました。 やはり、牧師さんは愛のお方です。                

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  • 31 Mar
    • 借金の危機感がない人達

      前記事にtoramaruさんがリアルな金融機関からの借り入れの実態のコメントを多く寄せて下さいました。 ありがとうございました。   前ブログ記事にもコメント返信でも書きましたが、私が所属していた支部は恵まれていて、献金のプッシュはゆるく、金融機関からの借り入れの返済は教会で行ってました。 他支部では、同時期(90年代はじめ)高額エンドレス献金でアップアップしていた青年、壮婦も多くいたし、借り入れしたお金も名義貸した本人が返さなければいけないという事態も起こってました。   献金や借金でアップアップしている食口の話しは、信者時代も聞いてましたが、リアルに切実に聞いたのは、監禁説得されていた最中と、脱会後です。 恵まれていた支部にいたということ、青年部だったということで・・・説得者や他の脱会者に「甘ちゃん」「いいとこどり」と言われたものです。(このあたりは、後に書きます拉致監禁関係の記事で詳しく書きます。)     統一教会は、とにかく金金金金金・・・・人々から金を巻き上げることしか思考能力が働きません。 <金は与えて忘れなさい>   霊感商法、偽募金活動、偽ボランティア活動、高額エンドレス献金、借金をして人々から金をまきあげたあげくが・・・今の統一教会です。 <三男さん、四男さん、七男さん・・・鶴子ちゃん・・・お金持ちになりましたけど、幸せですか?>   信者以外から金を巻き上げる霊感商法、偽募金・ボランティア活動は社会的にかなりのバッシングを受け、できなくなりました。それでも文ちゃんの「金くれ金くれ・・・」要求は止まりませんでした。 幹部は文ちゃんの金くれ要求に「またか」とうんざりしながらも、自らの生活を守る為、純粋な子羊信者達に適当な信仰話と脅し(日本をエバ国家から外す、エバ国家から外れたら日本は衰退する)、献金や借金を要求し続けました。     内部への献金要求も霊感商法と同じです。騙して脅して金を出させる・・・嘘をついて金を出させる・・・そして、信者が金を出せなくなったら、他から嘘をついてでも借金せよと言う・・・そして、嘘をついて人から借金した信者を「エライ!」と表彰する・・・ホンマ、ヤクザな団体です。   N市の青年部にいたちょっと天然っぽい女性信者は、友人に「他から借りた車をぶつけてしまい、傷をつけてしまったから、お金貸して。」と言い、10数万借りました。 青年部顧問はそれをよしとし、他のメンバーもやるようにと勧めてました。 さすがに、これは私・・・できませんでした・・・。   信者間の借金もありました。 私は、霊のおばあちゃんに3万双祝福の渡航費を貸しました。 私の霊のおばあちゃん半田さん(仮名)は私と似て、変わった人で信仰基準の上がり下がりが激しい人でした。   献身と勤労青年を繰り返していて、献身してどっかの支部に行ったと聞いたら、いつの間にかN市に戻って新トレ生になっていたり・・・青年部に来たり・・・世界家族芸術団に入っていたり・・・わけわかりませんでした。 3万双の時は、青年部所属だったと思います。そんな感じでしたので、仕事も長続きしなかったので、渡航費分の貯蓄はありませんでした。   献身者でしたら、渡航費を教会から借りることができたらしいです。しかし、青年部では借りれません。 そこで半田さんのアベルは「ななくささんに借りたら」と言ったそうで、それで私に電話がかかってきました。半田さんは、他の青年部の姉妹からも借りる約束をしており、私の霊の子の下山さんからも借りようとしていました。 (しかも、下山さんから借りることで、下山さんに条件をたてさせてあげようと思っていると言ってました。)   結局は、私一人で半田さんにお金を貸すことになりました。 半田さんの性格上、返ってくるのは難しいだろうな~と思っていました。案の定、返ってきませんでした。 私は脱会後、何度か半田さんに「お金を返してほしい」と電話しましたし、一度会いました。 でも、一向に返すための努力をすることなく、そのうち音信不通になりました。   半田さんにお金を貸して返ってこないいきさつを知っている元アベルも、私が脱会後、「40万円貸して」と電話してきました。 脱会していたから即断りましたけど・・・ 40万円も借りようとしているのに、私に条件を立てさせてあげるという上から目線物言いで嫌~な気分になりました。 (信者時代は、けっこう好きなアベルだったのだけど・・・がっかりです。)   以前記事にも書きましたが、脱会して間もなくの頃、元青年部顧問の妻(会ったことありません)から、手紙で借金を頼まれたこともありました・・・。   統一教会信者は人から借金するという事の重大性を全く認識していませんね。 借金したら、返さなければならないということも頭から消えているかもしれません。 借金に伴う危機感も全く感じてませんね・・・。ある意味おめでたいというか・・・だから、世間から信用されないし、相手にされないのです。     尤も信者だけではありません。 私を監禁説得した説得者も・・・脱会数年後に、借金の申し込みをしてきました。 私を脱会させてくれたという恩義が当時はあったので、お金を貸しました。 しかし・・・あれから少なくとも15年は経ってますが・・・未だに返ってきません。 暫く・・「返さなければと思っているのですが」と年賀状に書いてきたのですが、1円も返ることなく、それも書いてこなくなり、最近は年賀状も来なくなりました。・・・・     結局、統一も反統一も似た者同士・・・              

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  • 25 Mar
    • 銀行・金融機関から借り入れ摂理

      ストレート献身者や原研出身者はもしかして経験なく、ピンと来ないかもしれませんが・・・ 銀行や金融機関からある程度まとまったお金を借り入れ(借金)するよう、時々指示が出てました。   長い統一教会での活動の中、この借り入れ摂理は仕方なくやっていたところがありました。 (元々、借金は嫌いでしたし、借金をこれ以上増やしてどうするんだ!と思ってましたので。)   嫌々ながらでもやっていたのは、統一教会にお金を回すことによって摂理が進むと信じていたからです。(借金増やしてどうするんだ!というのと矛盾してますよね。私はアホでした。)   最初に銀行借り入れを経験したのは新生トレーニングの時でした。新生トレーニングのスタッフからではなく、ビデオセンター時代の担当カウンセラー石田さん(仮名)(その時は青年部マザーになってました。)から頼まれました。   最初は深入りしないと思いつつ、ビデオセンターに通い始めたのですが、新生トレーニングの時には気持ちはすっかり深入りしていました。 また、石田さんのことは好きでしたし、気持ち的に依存していました。石田さんの役に立てることが嬉しかったし、以前統一教会に関わった時は、学生だったので金銭面では全く貢献できなかったので、自分で稼いだお金で貢献できることが嬉しかったのです。(ホンキで地上天国実現の一役を担っていると思ってました。)   まだ20代はじめで働いてようやく1年経とうとする頃でした。当然、銀行から借り入れなんて初めてです。あくまで自分で借りるということで、銀行窓口に向かいますが、自分が必要なお金ではないので、借りる理由は曖昧にしか伝わりません。 当時は、バブル期で、銀行からの融資は受けやすい時代でした。     それでも就職して1年満たない20代はじめのわけわからない女性に(銀行にとっては)少額でも貸すわけがなく、借り入れするはずだった金額は、私が献金してその時は終わりになりました。   それから約4か月後・・・私は石田さんがマザーのN市の青年部に所属していました。 再度、銀行借り入れを依頼され、今度は給料振込される銀行で借り入れをすることにしました。この時は就職2年目・・・銀行からは信頼できるだけの社会経験はありませんでした。   借り入れの理由を「アメリカ旅行に行くため」ということにし、70万借りることにしました。 融資担当の若いお兄さんが、「アメリカで70万とは高いですね。自分はヨーロッパに行った時も・・・云々カンヌん・・・」と言いました。(確かにその通りです。)   貸すための条件として、ホントに旅行に行くという証明を提示することと言われました。 旅行パンフレット提示だけでは当然証明にはなりませんので、申込みしたという証拠が必要でした。   銀行からそう言われたことをマザーに相談したら、「いつまでそこにかかっているの。早く何とかしてよ。」と具体的アドバイスも示さず、ただ急かされただけでした。(今思えば、ノルマを達成できず、上からせっつかれていた時期なのでしょう。でも・・・少額でもおこづかいもらってみ旨をしている献身者のノルマを、汗水流して働いたお金を献金し、その上無料でみ旨をしている勤労青年で何とか達成して自分の手柄にしようとしたなんて・・・今思えば許せないです。)   私は旅行会社に行き、70万近くかかるアメリカ旅行を仮の友人の名前と連名で申し込み、その申込み用紙を銀行に提示しました。 申込み用紙と旅行会社への銀行からの照会で、70万円借りられ、そのお金はそのままマザーに渡しました。   問題はその後で・・・・ 旅行をすぐにキャンセルして、銀行に照会がいったらと思い、暫くキャンセルは保留にしました。そうこうするうちにキャンセルすることを忘れ、旅行日を過ぎました。 旅行会社から当然、お叱りの連絡がきます。(当たり前です。)連絡なしのキャンセルですので、旅行代金全額支払えと言ってきます。(当たり前です。)   ここで私は事の重大さに初めて気づきました。本当に申し訳なかったのですが・・・私は旅行会社にキャンセルの電話をしたと嘘を言い・・・キャンセル理由も嘘を言い・・・当時の青年部の目黒隊長を巻き込み、最低キャンセル料だけで何とか事を収めてしまいました。(当時の旅行会社の方々、関係者の方々・・・本当に申し訳ありません。)   事実(ホントはキャンセルの電話をしてないのに、したと言ったこと)は当時の隊長、マザーにも言ってなかったので(つまりは、私は隊長とマザーにも嘘を言っていた)、初めてここで告白することです。   この時、「借り入れはもう2度としない。借り入れするくらいなら、献金する。」と思ったはずなのに・・・この3か月後・・・またも借り入れをしてしまいます。   今度は、悪質で・・・他の姉妹になりすまして銀行に行き、借り入れをしました。 私は当時は、平日休める仕事をしていたため、平日休みがとれない姉妹の代わりに銀行に20万円借り入れ依頼をしたのです。 姉妹は、私より1歳年下でしたが、高校卒業してすぐに働いていましたので、3年の勤続年数があったため、すんなり借り入れができました。 (この時・・・例え20万円と70万円の違いはあるとはいえ、私の時は何であんなに苦労して、姉妹になりすましたら何でこんなにすんなりなんだ・・・と愛の減少感に似た思いを抱きました。)   それから4年後・・・(この4年間は借り入れの依頼はありませんでした。) I青年部実践課に行って間もなくの頃、銀行から借り入れするようにと言われました。 この時は、私にだけではなく、青年部全体に通達があり、何と基台毎に借り入れ金額を競わせてました。 ○○銀行が借りやすい・・・等情報が飛び交ってました。   この時、年齢は20代後半。転職1回してましたので、勤続年数は1年でしたが、前職が4年でしたので、前のような苦労をすることなく、3か所の銀行から借り入れができました。   <左側の懐かしい銀行名の銀行のうち3か所から借り入れしました。>   借り入れしたお金と銀行の通帳とキャッシュカードはそっくりそのままマザーに渡します。 返済日にマザーが通帳とキャッシュカードをもってATMに行き、それぞれの暗証番号を入力してお金を入力していました。   私が所属していた支部は恵まれていたので、借り入れの名義にはなっても、返済までしろと言われなかったので、まだよかったです。この当時で既に銀行借り入れした青年と壮婦に返済まで義務づけていた支部が多々ありました。   そして、それから1年後・・・私はI青年部コスモに所属していました。 この時に、またも青年部全体に借り入れ通達がありました。この時は、銀行ではなく、ア〇ムのような金融機関Oでした。 実践課の隊長が金融機関Oの店長と親しくなり、一人100万借りられるという情報を仕入れたようで、100万借りるようにと言われました。 平日時間がある時、金融機関Oの某支店に足を運ぶと・・・I青年部メンバー数人と顔を合わせました。(勿論、顔を合わせても知らないふりで、声かけることはありません。)   金融機関Oからの100万の借金は、銀行に比べたら審査はかなりゆるく(というか、審査は殆どなく)2回目に行った時に、100万円借りられました。 100万借りた日、私は仕事の都合で青年部にすぐに持っていくことができず、自宅の自分の机の引き出しに入れておきました。   母は私の行動から何かを察し、机の引き出しをあけました。そして、金融機関Oの書類と100万円を見つけました。度胆をぬいたと思います。 母は金融機関Oに問い合わせ、帰って来た私に「どういうことだ!」と聞いてきました。 私は、友人の古田さん(仮名)のお母さんが病気でお金が必要で頼まれて借金したと嘘をつきました。(友人の古田さんは、当時のコスモのマザーでした。)   古田さんと母は電話で話し、実際に会って話し・・・お金は結局金融機関Oにそのまま返すことになりました。 この時、母は私と古田さんの嘘に付き合いましたが、統一教会絡みだということはわかっていたのでしょう。   この頃より、母は、私の行動に対して監視が強くなりました。 私はアベルの指示で拉致監禁説得に至らないよう、暫く教会に足を運ばない日々を何度か過ごしました。・・・しかし、拉致監禁されてしまうのですが・・・                    

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  • 11 Mar
    • 36万双で韓日祝福を受けた瀬川さん(仮名)③

      ある日、瀬川さんが「シンドラーのリスト」の映画のチケットをもらったというので、お互い仕事が早く終わる都合がつきそうな平日の夕方、一緒に映画を見に行く約束をしました。 その約束の日の数日前に、私は1回目の拉致監禁をされました。 当然私は瀬川さんとの約束の場所に行けませんでした。 (後日瀬川さんに事情を話し、謝罪し、あの時どうしたか聞いたら、一人で勧たということでした。)   1回目の拉致監禁の時は、私は統一教会の間違いがわからず脱会しませんでした。 しばらくはコスモのスタッフ、ビデオセンタースタッフが生活しているK寮で寝泊まりしてました。その後は近所のアパートに引っ越しし一人暮らししながら教会活動をしていました。     アパート暮らしを開始した頃、瀬川さんから家で使ってないコタツをありがたくいただきました。 コタツをいただいた時、瀬川さんのお母さんに初めて会いました。   瀬川さんは、壮婦の教会にたんたんと通ってました。 36万双の祝福を受けることも決めました。祝福のための成約断食(7日間断食)は私より少し早く行いました。 瀬川さんは、成約断食が初めての断食でした。スタッフも私も大丈夫なのか?と心配してましたが、当の瀬川さんは不安がありながらも私達の心配をどこ吹く風で、実行してしまいました。   成約断食が終了した後、恒例の重湯をすする儀式を行いました。瀬川さんのアベルと共に見届けました。(普通は0時~0時で行うのですが、瀬川さんは夕方終了する時間で組んでました。儀式の時、大体数人の教会員が集まり修練会の後のウエルカムのような雰囲気になるのですが、この時はアベル1人と私のみで質素な儀式でした。お母さんはいませんでした。)   瀬川さんは普通に会社勤務しながら成約断食を行いました。成約断食最終日に、会社の給湯器からお湯を飲もうと注いだら、お茶っ葉が紛れ込んだそうです。瀬川さんは気づかず飲んでしまい、「ここまで来て失敗か・・・」と青ざめたそうです。すぐにアベルに連絡をとって、アベルが更に上のアベルに確認したら「自分で意図的にやったことではないからいい。」と言われ、無事成約断食終了となりました。   その後、瀬川さんは着々と36万双に向けて準備を進めていました。 弊害となっているのは、お父さんと同居しているおじいちゃん、おばあちゃんでした。 弟さんは、顕正会の信者になっていましたが、4daysまで参加していて統一教会にはまらなかったとはいえ、悪い印象はなかったので、お母さんと瀬川さんを何かと助けていたようです。   私は、36万双の祝福に向けて、瀬川さんが無事祝福を受けられるのは勿論、瀬川さんのご両親も既成祝福が受けられるよう、そしてできれば弟さん、おじいちゃん、おばあちゃんも統一教会につながり、一家が復帰されるよう祈り、写名の蕩減条件をたててました。 写名は、瀬川さん、お父さん、お母さん、弟さんの名前を書いてました。 (自分の親、兄弟にもここまで真剣に教会につなげようと思ったことも祈ったこともなかったです。)   36万双の祝福が近くなると、青年部内でも主体者、相対者が決まった人には連絡があり、盛り上がります。瀬川さんにはまだ決まったという連絡がありませんでした。 36万双まで後わずかという日・・・私は2回目の拉致監禁をされました。   2回目の拉致監禁で私は脱会しました。   脱会後、瀬川さんより、韓国人と祝福受けたと聞きました。 監禁説得中、韓国人男性で祝福受ける人のは、結婚が難しい農村に住んでいて信仰もない人が殆どなので、日本人女性は苦労するとさんざん聞かされたので、心配でした。(実際青年部の女性の韓国人主体者は殆どそうでした。) 瀬川さんの主体者は、一家そろって統一教会の信者と聞きました。にわか信者との結婚生活で苦労することはないだろうと思い、ひとまずほっとはしました。(この認識が甘かったと知ったのは、それからずーっと後のことでした。)   瀬川さんの祝福以上に驚くことを聞きました。お父さん、お母さんが36万双で既成祝福を受けたとのことです。つまりは・・・私が信者の頃に願っていた通りになったわけですが・・・ 間違いがわかって脱会した私には複雑でした。   瀬川さんと脱会後、1度会い、原理や統一教会の嘘を話しました。 話した時は、「そうだね、おかしいね。」と言っていたのですが、家に帰ってお母さんに話してしまい、「文先生が祈ってそういう風に進んだのだから・・・」と信仰を続ける意思を電話で告げられました。その後、瀬川さん自身と電話で話すこともなくなりました。   その後、母と私で瀬川さん、瀬川さんのお父さん、お母さんがいない時間帯に、瀬川さんのおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行きました。おじいちゃん、おばあちゃんは「孫を助けて欲しい」と私達に手をあわせてお願いされました。 ただ・・・タイミング悪く・・・瀬川さんのお母さんが私達がいる時に帰ってきてしまいました。 瀬川さんのお母さんは、私と会ったのはコタツをいただいた1度だけで少しの時間でしたが、私のことを憶えていました。(でも、この時は私に対して何も言いませんでした。)   その後、瀬川さんのおじいちゃん、おばあちゃん、母、私で外で会う約束をしたのですが、瀬川さんのお母さんがびったりついてきて話しが全くできませんでした。 瀬川さんのお母さんは、能面のような顔で一言も言葉を発しませんでした。 別れ際におばあちゃんが「息子は嫁の言いなりで・・・もうどうしようもないから。」と言った姿は今でも目に焼き付いています。   以後、瀬川さんと連絡をとることはできなくなりました。・・・   ・・・瀬川さんに原理の間違いを語ったり、おじいちゃん、おばあちゃんに会わずに、脱会者と現役教会員という立場だけど・・・連絡を取り続ける方法をとっていたら・・・ 今頃どうしているかはわかっていたかもしれません。   脱会時、私が伝道した人で統一教会に残っていた霊の子は3人でした。 2人は36万双の祝福を受けました。1人は実トレ中でしたので、まだ祝福を受けるまでの決意はありませんでした。 36万双の祝福を受けたもう一人の霊の子下山さんは日・日祝福でしたので、そんなに心配していません。 祝福を受けていなかった霊の子も今どうしているかわかりませんが、おそらく脱会していると思います。 私が脱会した時に統一教会に残ってなかった元霊の子達も、それぞれの道を進んでいます。   心配なのは、瀬川さんのことだけです。   韓日祝福受けた日本人妻が生活苦と夫の暴力の末、夫を殺害した事件がありました。 この事件はショックで悲しかかったですが、夫はにわか信者ということで、瀬川さんとは状況が違うので、瀬川さんは大丈夫と思ってました。 しかし、その1年後、夫も信者という韓日祝福を受けた日本人妻が日本人幹部を巻き添えにして焼身自殺しました。更にその1年後は、韓日祝福の日本人妻が飛び降り自殺しました。その人の夫もにわか信者ではありませんでした。   瀬川さんは無事なのでしょうか? 一度、韓国の日本人食口間の情報網があるから、調べてくれると言ってくれた現役信者がいたので、調べてもらいました。現役信者さんからメールで「瀬川さんは、元気でいます」という連絡はきたので、ひとまず安心したのですが、それ以後何の連絡もありません。   ・・・・・・ 瀬川さんを伝道してしまった、瀬川さんが36万双で韓日祝福を受けてしまった・・・ことは、私の心に重くのしかかったままになっています。   でも、私の中に瀬川さんのお母さんが食口だったということに責任転嫁する気持ちもあります。   お母さんが信者じゃなかったら・・・きっと瀬川さんはビデオセンターには来なかった お母さんが信者じゃなかったら・・・新トレまでは進んだとしても、彼氏と別れず、あのまま結婚していた お母さんが信者じゃなく、・・・新トレ以降も活動していたとしても、私が活動していた青年部に来ることになっていただろうから・・・36万双の祝福は受けなかっただろう・・・   ずるいですよね。 そうやって、自分の心の負荷を軽くしようとしてます。      

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  • 04 Mar
    • 36万双で韓日祝福を受けた瀬川さん(仮名)②

      瀬川さんは、新トレまでは順調にいきましたが、実トレには行きませんでした。 新トレ班長の外山さんは、「意的だから実トレ行きたいと思う・・・でもね・・・」と言葉を濁しました。でもね・・・の後、外山さんが何を言いたかったのか、私は読み取れませんでした。   お母さんが食口で、子どもを伝道したら、その子は「ヤコブ」と呼ばれていました。 (お父さんの場合だとどうなのだろう?やはり、ヤコブ?今更ながらの疑問です。)   私が所属していた青年部にもヤコブの姉妹がいました。どこかしら雰囲気というかオーラが違ってました。(どこが?と言われると困るのですが・・・) 家庭問題のある青年信者からしたら、ヤコブは親が理解があっていいなぁと思いますが、ヤコブはヤコブで家庭問題のある青年信者とは違う大変さを抱えているのでしょう。   中級トレや上級トレのスタッフもお母さんが食口という瀬川さんの対応に少しとまどっていたところがありました。「瀬川さんは、ヤコブじゃないんだけど、ヤコブのようなものでしょ・・・」と言ってました。(これまた・・・は何を言いたかったのか読み取れませんでした。)   瀬川さんは、新トレ卒業後は、上級トレで細々と教会につながってました。お母さんも当時は熱心に教会活動をするタイプではありませんでした。弟さんも4daysまででした。弟さんは原理にも統一教会にも魅力を感じなかったようです。 瀬川さんの4days参加後のウエルカムに弟さんも来たのですが、帰り道に瀬川さんに「(彼氏と)このまま別れるのは可哀想だ。」と怒ってました。 弟さんは、その後顕正会にはまっていきました。   瀬川さんはあまり教会に行かなくなって、彼氏との付き合いが復帰しました。(まだ別れていませんでした。) ある日、瀬川さんがお母さんに、心情が下がっていることを話したら、「恵美(仮名)あなたもなの?」とお母さんが言ったと聞きました。お母さんも心情が下がっていたようで教会から足が遠のいていたようです。(親子でこういう会話ができるのが、不思議でした。)   瀬川さん、お母さんは心情が下がっていて教会に行ってないとはいえ、統一教会員でした。 原理を信じていました。 でも、瀬川さんは彼氏と婚約し、結納までかわりました。 この時、私は瀬川さんには教会につながって欲しい、できれば彼氏と別れていつか祝福を受けて欲しいと思っていたのですが・・・・・ 婚約した、結納したと聞いてもショックじゃなかったし、何故か瀬川さんなら大丈夫と思ってました。(根拠全くなし)   私の根拠のない思い通りに、瀬川さんは彼氏と別れて婚約も解消しました。 (何故、そうなったのかはわかりません。瀬川さん、お母さんの心境の変化もわかりません。) (結納までして解消したのだから・・・けっこうな泥沼があったのでしょうけど、瀬川さんはひょうひょうとしてました。)   その後、瀬川さん、お母さん共に心情が復活し、教会に再び通い始めました。 瀬川さんは、お母さんが通っている壮婦の教会に通うことになりました。 瀬川さんはビデオ学習と教会の担当者と話しをすることが殆どでしたが、元々意的なところがあったので、やはり伝道はしたかったようで、街頭伝道を少しずつ開始してました。   瀬川さんはY駅で一人で街頭伝道していた時に、一人の女性と出会い、ビデオセンターに即動したこともありました。ビデオセンターは壮婦の教会のビデオセンターではなく、青年のビデオセンターに連れて行きました。 瀬川さんの新トレ時代の班長で、当時ビデオセンターのカウンセラーとなっていた外山さん(仮名)が新規トークをして、コース決定しました。 コース決定後に外山さんから連絡があり、その後瀬川さんから、「とても嬉しいことがありました。」と電話がありました。   私には、実践する霊の子はなかなかたちませんでしたので、瀬川さんが一人で街頭伝道して、コース決定したことはやっと自分の頑張りが実となってきた~と、とても嬉しかったです。(頑張ったのは、瀬川さんなんですけどね。)   瀬川さんがコース決定したと聞いたのは、その時限りでした。この時コース決定した人は2daysにも参加せず、ビデオセンターに来なくなりました。   瀬川さんはマイペースに教会に通い、活動していました。特に信仰が深まっている様子もありませんでした。 それでもお母さんが食口という影響は大きかったです。 済州島の修練会は早々にお母さんと参加しました。 私より先に祝福を受けることを決め、成約断食(祝福をうけるための準備のため、7日間断食をする)も私より先に行いました。   続きは③で・・・      

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  • 26 Feb
    • 36万双で韓日祝福を受けた瀬川さん(仮名)①

      基準が下がり、数か月教会活動をお休みしましたが、気持ちが復活し、再び伝道活動を行うようになりました。(あのまま脱会できたらよかったのだけど~。統一依存症に陥っていた私はそうもいかず・・・)   お休み期間中はユニティ所属でしたが、実践ができるようになりましたので、コスモ所属になりました。これ以後脱会まで約3年、コスモ所属でした。 コスモは、実践課に比べたら求められている信仰基準も実績もゆるかったです。街頭伝道は土日・祭日のみで、平日の夜は講話やミーティング、御言葉学習、電話動員(伝道したい人、統一教会で販売している物を購入して欲しい人に電話をかける)等でした。平日の夜集合は午後8時でしたので、それまで時間がある人は、任意で街頭伝道を行ってました。   コスモはホントに個性的なメンバーがそろってました。実践課はどちらかと言えば、真面目一直線でしたが、コスモは個性的過ぎて献身路線から外れてしまった人、以前献身していたけど諸事情で勤労青年になった人、実践課から流れてきた人(私のように・・・)がいて、実践課では聞けない言えないカイン的(否定的)発言もメンバー間で出てました。 伝道や経済活動は、実践課と同じように、真剣に行ってましたが・・・波はありました。(私のように、気分に波があった人が多かったような気がします。)   コスモに行って2ケ月目のある土曜日・・・コスモにも慣れた頃・・・C駅で街頭伝道しました。 瀬川さんという小柄な5歳下の女性が止まってくれました。インチキ手相占いからビデオセンターでの偽占い師による姓名判断、コース決定はいつもの流れです。 この時の偽占い師は、昔献身していた班長の土佐さん(仮名)でした。 瀬川さんは、素直な人で姓名判断の内容もすんなり入り、迷うことなくコース決定しました。   お母さんから、「結婚前ははしないように」と言われていたというので、かなりしっかりしたお母さんなのだなぁと思いました。   コース決定時に偽占い師が黙示行を例に出し、「ここで勉強することは他の人に言わないように」と釘をさします。 瀬川さんにも言ったと思うのですが・・・瀬川さんはお母さんにビデオセンターで勉強することを伝えました。お母さんからは、「いいんじゃない。」と言われたたそうです。お母さんも、街頭で同じように声かけられたことがあるとのことでしたので、街頭で声かけられた印象がよかったので、勉強も了承してくれたのかなぁとその時は思いました。   ビデオセンターには喜んで順調に通ってました。ビデオの内容もよく理解していると担当カウンセラーより聞いてました。 瀬川さんは、当時、付き合っている人がいました。その人にもビデオセンターでの勉強のことを話したようで、当然のごとくいい返事はなかったようです。そのことで私に電話で相談があり、私はビデオセンター担当カウンセラーに伝えました。   担当カウンセラーは「瀬川さんは大丈夫よ。」と言い、以下のことを話しました。 ビデオセンターに瀬川さんのお母さんが来たそうです。お母さんは(熱心ではなかったのですが)食口だったのです。(だから、はしないように、と言ったり、ビデオセンターでの勉強も「いいんじゃない」といったんだなぁと合点しました。) お母さんとしては、勉強するのは勿論いいけど、「献身しなさい」と言われるのが心配だったようです。(食口でも、娘が献身するのは抵抗ああるのですね。)   お母さんが食口と聞いて、かなり心強かったです。 その後、瀬川さんは順調に2days、4days、新トレと進みました。 2daysと4daysの間に瀬川さんは弟さんを伝道しました。弟さんは学生でしたので、時間はありましたので、瀬川さんより先に4daysに参加しました。瀬川さんも勉強中でしたので、弟さんのフォローも私がしました。弟さんは、新トレには進みませんでした。   瀬川さんは意的(行動的)な人でした。 当時新トレ班長だった外山さん(仮名)は「瀬川さん、実トレに行きたいと思うけど・・・云々」と言ってました。私としても、瀬川さんに実トレに行って欲しかったのですが・・・、結局実トレに行かず、上級トレに進みました。   上級トレに進んでから、瀬川さんはあまり教会に足を運ばなくなりました。 そして、付き合っている男性とのことが浮上し、瀬川さんの家庭にポツポツポツと問題が起きてきました。   続きは②で・・・。    

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  • 23 Feb
    • 霊感商法を受け入れちゃった時

      私は献身しませんでしたし、ずっと支部の青年部所属でしたので、霊感商法に携わったことはありません。 しかし、世間では統一教会=霊感商法です。当然の如く親や親戚は私もそこに加担して犯罪行為を行っているのでは、と心配になります。テレビはじめマスコミの報道する内容はおどろおどろしかったものですから・・・。(報道されていた霊感商法のことはほぼ真実とは思われます。)   霊感商法を受け入れたわけではなくても、実際行っているわけではないし、行っている現場を見ているわけでもないので、普段はスルーできます。また、適当に自分に言い訳もできます。 しかし、1992年3万双祝福前後、テレビ報道であんなおどろおどろしい霊感商法実態を何回も見ると、こんな人道に反することをやっている団体に所属なんかしていていいのだろうか?という当たり前の感覚が出てきます。   当たり前の感覚のままやめちゃえばいいのですが、(殆どの人がそこでやめちゃいます)そうはいかないのが私でした。 原理を真理と信じていたし、文ちゃんをメシヤと信じてました。 笑われるかもしれないけど、本気で地上天国実現を信じていたし(ただし、地上天国像がないのが統一教会員の特徴)、血統転換も信じていました。   よく脱会者や反対派が「脱会すると地獄に落ちる。家族や先祖、後孫まで地獄で苦しむ。と脅され、怖くて脱会できなかった。」という話しをするが・・・私はそれはなかったです。(全くないわけではありませんが。)   原理を信じ、この道が世界平和のためと信じていた(統一教会にぶらさがって活動していれば世界平和に貢献できると思っていた)のと、やはり一緒に活動する人達が大好きで離れたくなかったのです。(この思いが一番大きかったです。後にホントに原理の間違いと文ちゃんがメシヤじゃないとわかっても、この思いで脱会に躊躇し、苦しみました。) だから、霊感商法で躓いても、教会から足が遠のいても、脱会することはできなかったし、電話で連絡はとりあってました。   教会に行かず、活動しない日が長くなったので、実践課には所属できず、1992年10月頃、ユニティ(実践を全くしない部署)に移されました。ユニティには1ケ月位所属してましたが、その間、一度も行きませんでした。 ユニティの班長とも電話でしか話したことありませんでした。 ユニティの班長は、私より少し年上の矢島さん(仮名)でした。   ある日、矢島さんと電話で話していて、霊感商法の話しになりました。 私が霊感商法に躓いて教会に行けなくなったと話したら、矢島さんが自分の証しをしてくれました。   矢島さん、矢島さんのお母さんは元々クリスチャンでした。矢島さんは体が弱く病気がちで仕事にも就けない状態でした。 そんな時、一人の統一教会員が印鑑販売のため訪ねてきました。お母さんは、訪ねてきた統一教会員に娘のことを話しました。統一教会員は、悩みを聞き、お母さんと一緒に祈りました。そして、お決まりの霊感商法グッズを購入し、お母さんと矢島さんは言われるまま必死で祈りました。   そんなこんなの生活を送っているうちに矢島さんの病気はよくなり、仕事にも就けるようになりました。これは本物だと思った矢島さんとお母さんは統一教会の信仰を持つに至りました。   矢島さんの証しを皆さん、どう思うでしょう? 全くの嘘と思う人もいるでしょうし、まぁ、そういうこともあるのだろうな、と思った人もいるでしょう。 ただ、まぁそういうこともあるだろうな、と思ったとしても、だからと言って霊感商法が正しいという結論には至らないでしょう。   私は、矢島さんの証しは本当だったと思います。今、矢島さんではない人から矢島さんのような証を聞いても信じます。 でも、だからといって霊感商法が正しいとは思わないし、まして統一教会に入ろうなどとは思いません。   前に記事に書きましたが、私は統一教会信者時代に、顕正会の人の話しを聞きました。(聞かされました。)顕正会には顕正会を信じた人の証があります。(病気が治ったとか、事故から守られたとか、死んでも身体が軽い・・・とかそんな感じでした) それはそれで嘘ではないと思いますが、だからといって入信しようとは爪の垢ほども思いませんでした。 他宗教のことはそういう風に見れるのです。   なのに、矢島さんの証しには、「そうなのか~、霊感商法グッズはホントに効果あるんだ、救いの道につながるのだ、正しいことをしているのだ。」と思い、霊感商法を受け入れ、統一教会依存度を高くしました。 それは・・・私が統一教会と統一教会のやっていることを信じたかったからです。 信じたかったのに、信じられない情報が入って混乱していた私に、信じていいという情報・私が求めていた情報を与えられたからです。   この時から、霊感商法情報に躓くことはなくなりました。霊感商法によって救われたという生きた証を持った人が身近にいたからです。     統一教会だけでなく、他宗教でもこういう話しはヤマのようにあります。 宗教だけでなく、まがいものの健康食品や代替療法、民間療法にもこういう話しはヤマのようにあります。   例:「この水は、100年に一人いるかいないかの厳しい修行を積んだ徳の高いお坊さんが滅多に入れない秘境の山奥に命がけで入って得た貴重な水です。命がけで秘境の山奥に入っても、この水が湧き出る量はほんの少しでこれだけの量を目にすることは奇跡に近いです。その奇跡の水に100年に一人いるかいないかの徳の高いお坊さんが渾身の思いを込めて浄化しました。だから、この水は血液を浄化する力があります。」 と、どこにでもあるただの水をそう言われ、高値で購入し、「この水を飲み続けていれば、病が治る~」と信じて飲み続けていれば、難病が治ったという嘘のような話しもあります。     病は気からと言うように、人の体、病気の治癒は理論、理屈だけでは説明つかないことが多くあります。(医学が進んだとはいえ、医学で何とかできることはまだ少なく、人間の身体はまだわかってないことが多くあります。特に脳はほんの極々極々極々極々・・・一部しかわかっていません。)   統一教会信者に看護師が多い理由はそういうことも関係しています。 統一教会だけでなく、他宗教(カルト含む)やマルチにも看護師、多いようです。 看護師で物書きでもある宮古あづささんも、宗教絡みで退職した看護師のことを書いています。   話しが少し逸れましたが・・・矢島さんの証で、私は霊感商法を受け入れちゃいました。 再び教会活動を行うようになりました。 そして・・・その後・・・街頭から伝道した人が36万双で韓日祝福を受けました。          

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  • 21 Feb
    • マルチにはまる脱会者

      今までの人生の中で数回マルチに誘われました。 しかし、マルチに手を染めたことはありませんでした。(商品購入したことはありました。) 私より先に拉致監禁脱会した霊の親が言ったこと・・・「自分が信じてよかれと思って誘った統一教会が間違いだった。だから、もう人を誘うことはしない。」・・・よくわかります。 自分が絶対と信じていたことが間違いだったのです。その人のため、社会のためと思ってやっていたことが迷惑行為でしかなかったのです。 そのショックは今でも残っているし、肝に命じています。   自分が今は正しい・正義と信じていることも実は間違いかもしれない・・・思いこまされているだけかもしれないといつも心のどこかで思っています。   マルチも経済カルトと言われていただけあって、マルチの会場に行くと心地いいです。 マルチをやっている人達もいい人に見えます。同じ思考の人達ですから、団結力がありますし、そこに加わりたいという妙な誘惑感もあります。 でも、特定の思考や独特の考えに縛られた団体にも浸かりたくないし、人を誘うこともしたくないです。だから、宗教の信者にはもうなりません。マルチの組織にも加わりません。   それに、元々・・・私は人を誘うことも、商品を説明して購入してもらうことも苦手なのです。 (私が営業の仕事についたら、試用期間中にクビになるでしょう。) マルチの商品はまがい物もあるけど、けっこういい物もあります。商品がよくて自分に必要な物だったら購入しますが、人に勧めることはしたくないし、できません。   私と同じように、二度と宗教やマルチに関わりたくないと思う脱会者は多いのですが・・・ 統一教会は毛嫌いしても、あの独特な世界観が忘れられず、同じような世界にはまってしまう人も逆に多いです。   脱会者からマルチに誘われたこと3回ありました。 まずは、私が脱会したばかりの時でした。N市の青年部で一緒だった平野さん(仮名)から突然電話がありました。平野さんは、36万双で祝福を受けましたが、相手を気に入らず断ったため、教会に行けなくなってました。(ですので、完全な脱会者ではありませんでした。文ちゃんのこともメシヤと信じてましたし・・・。) 「久しぶりに会おう」と言われたので、断る理由もないし、当時は脱会したばかりで仕事もしてなく、外出予定ができることは嬉しいことでしたし、平野さんに会いたい気持ちもありましたので、約束をしました。 一緒に水族館に行き、ランチとおしゃべりをして楽しいひと時を過ごせました。平野さんから、勅使河原夫妻の情報も聞くことができました。   数日たって、再び平野さんから電話がありました。 平野:いい化粧品があるの。説明してくれる先輩がいるから、聞いてみない? (どこかで聞いた台詞です。) 私:それって、もしかしてマルチのようなもの? 平野:そう言われればそうだけど・・・でもホントにいい物なの。 私:私はもうそういうのはやらないと決めたから・・・話しは聞きに行かない。やってる人を否定はしないけど・・・。 平野:そう・・・ 気まずい雰囲気にはならずに、電話は終わりましたが・・・以後、平野さんから電話がかかってくることはなかったです。   2回目はK青年部で一緒だった尾崎さん(仮名)でした。 脱会して1~2年は経っていたと思います。仕事はしていましたけど、まだ実家にいた頃です。尾崎さんは、K青年部でディズニーランドに行ったときに鶴子ちゃんに会った一部の人でした。その後、拉致監禁されて脱会しました。I青年部とK青年部が合併した時はもういませんでした。   尾崎さんは、私より少し前に拉致監禁により脱会した元I青年部の実践課で班長の茂木さん(仮名)と同じ牧師で説得を受けました。 茂木さんが尾崎さんに私のことを話し、尾崎さんから私に連絡がありました。 K青年部で一緒に活動はしていましたが、尾崎さんと私は仲がそれほど良かったわけではなく、プライベートなことを話したことは皆無でした。 それでも、一緒に活動していた人が脱会して連絡くれることは嬉しいことです。夕食を共にする約束をしました。   最初は、お互いの近況報告と、K青年部の共通の人の話題、統一教会の悪口等、脱会者同士の会話でした。 そのうち、尾崎さんよりア〇ウェイをやっていると言われました。ア〇ウェイは誰もが知っているマルチです。(ア〇ウェイをやっている人は、マルチではないと否定しますが・・・)   「これから集まりに行くけど、行かないか?」と言われました。 (出たーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーA=´、`=)ゞ) ア〇ウェイだったら断る理由があるし、断れるからいいやと思い、行きました。   行ったら、マンションの1室に数人が集まって会合をしていました。(この雰囲気、どこかに似てると尾崎さんは思わないのだろうか?) その日は、商品や入会を勧められるわけでなく、挨拶と自己紹介で終わりました。 尾崎さんは、元信者の人からア〇ウェイ入会を勧められたということでした。(その元信者の人は私は知らない人でした。)   その後も尾崎さんからは何度か電話がありましたが、「忙しい」と会うのを断ってました。 茂木さんも尾崎さんのア〇ウェイのことに困っていて、「尾崎さんがやっていることは、統一教会の時にやっていることと同じなんだよ。」と説教したこともあったそうです。 でも、聞く耳持たずという感じだったと言います。 結局、尾崎さんと二度と会うことはなかったです。いつの間にか電話も来なくなりました。 茂木さんの話しで、尾崎さんは結婚したと聞きました。 今でもア〇ウェイを続けているのでしょうか?破産したり、人を誘いすぎて人間関係を壊さない限り、ア〇ウェイは扱っている商品はまともだから、サークルの延長みたいな感じでやるのはいいとは思います。     3回目はかなり後の話しで、私が結婚した後のことです。 I支部の実トレの時、親しくなった人がいました。その人の霊の子の須田さん(仮名)からの誘いでした。 須田さんとは、統一教会時代は会ったこともありませんでした。 ただ、霊の親から須田さんのことはよく聞いてました。須田さんの霊の姉妹の高木さん(仮名)は私と同じI青年部のコスモで活動していて、同時期に拉致監禁で脱会しました。 その後、須田さんが拉致監禁で脱会しました。   高木さんから須田さんを紹介され、それから交流がはじまりました。 とはいえ、それほど親しい交流ではありませんでした。 須田さんからマルチの誘いの電話があった時は、ホントに久しぶりの電話でビックリしました。 化粧品の紹介と会わないか・・・ということでした。「そういうことはやらない。」と言い、電話を切りました。その時の須田さんの口調が統一教会で人を誘うような口調で嫌気がさしました。 その後、須田さんから連絡はありません。年賀状のやりとりもしていません。   高木さんの話しでは、私にマルチの電話をした後に、須田さんは結婚したようです。     脱会者がマルチにはまるのは、わかるような気がするけど・・・・ 統一教会で痛い思いしたのに、何故同じようなものにはまってしまうのか・・・いまひとつわかりません。 私はもう・・・人を誘うのは嫌だから、ホントにホントにゴメンです。            

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  • 18 Feb
    • マルチにはまる中年現役信者

      本記事は、2014年4月25日に「親の気持ち 子の気持ち」でアップした記事です。(現在、「親の気持ち 子の気持ち」は統一教会関係の記事は非公開にしています。) 前記事は現役信者だった私が家庭をもった元アベル(現役)からマルチ商法に誘われた話しで、時は1992年のことでした。 今回は、現役信者から元信者へのマルチお誘いの話しです。時は2014年です。   統一教会脱会者の友人のともちゃん(仮名)から10年ぶりに電話がありました。   ともちゃん:私の霊の親の中村さん(仮名)って、覚えてる?   わし:覚えとるよ。松岡修三みたいな人でしょ? ともちゃん:そうそう・・その人から電話来たのよ。   わし:何?献金の催促?それより、なして、中村さんがともちゃんの電話番号知っとるの?   ともちゃん:それがさあ~・・こないだ、久々に新宿駅でばったり会ってね。久しぶりに話しに花咲いたわけよ。それで、「電話番号教えて」って言われて・・・   わし:教えたの?   ともちゃん:うん。こっちも脱会して20年経ってるし、統一教会なんて過去のことだし、中村さんに怨みないしね。伝道や献金だったら断ればいいと思って。   わし:で、何の電話だったの?   ともちゃん:ホントに電話くると思わなかったから、ビックリしたよ。献金の電話だったらどうしよう?と思ったよ。だけどね・・ (以下、ともちゃんの話し) 中村さんからの電話はマルチのお誘いでした。 生活習慣病予防と治癒効果があるという怪しげな健康食品の定期購入会員4人繋げると、月2万もらえるようです。 その会員が更に会員を誘うと、またマージンがもらえ、自分は何も投資することなく儲けられるそうです。  Σ\( ̄ー ̄;) 開発者の北山(仮名)名誉教授と独占契約を結んで、とか言っていました。 ともちゃんは電話で話しを聞きながら、ネットで調べたら、商品名は違いますが、ちゃんと商品として売っている会社があったそうです。 (@ ̄Д ̄@;) (中村さんは、ネットが使えないのだろうか?)   中村さんは、前に一度、別のマルチ商法にはまり、その時もあまり教会に足を運んでない信者に誘いをかけて問題になってました。   ともちゃんは、うんざりして、「もう二度と電話かけて来ないで!」と言ったそうです。 (それがいい。) 中村さんは、現在のところ50人誘って、まだ一人も繋げられていないようです。 ともちゃんは、被害者が今んとこ出てなくてよかったと言ってました。 (その通り!) こういうことを教会員、更に脱会者にまで勧めることで、みんなうんざりするということが分からないのでしょうかね? (ともちゃん曰く。全く、分かってないみたいだった。学習能力ゼロ。) 中村さんは、立教大学を卒業して、某一流企業に就職して、勤労青年として統一教会に所属していました。 人間関係と仕事でトラブルを起こし、退職後は統一教会員が経営する会社で事務職として働いています。 雇用保険にすら入っていませんので、失業したら即無収入になります。 将来は、実家のある青森に帰って、氏族メシアをやりたい、とのたまっていたそうです。 (ムリ!だ~ってね~・・いい年してマルチに騙されるような人の言うこと、危なくて信用できないよ。いや、それ以前の問題か・・・) 昔は人情味のあるいい人だったのに・・・と、ともちゃん。 (いや、昔から考えなしの人だった・・・。) ともちゃんも私も中村さんと同世代なので、中村さんが焦る気持ちは何となく分かります。 つまり、なんだかんだ言って、社会的に何の影響力もない、どころか社会の底辺に近いところにいるっていう現実に対してです。 中村さんのお子さんたちも教会には全く希望を感じてないようです。 (そりゃそうだ。) お子さんは、深刻な事態になっているようなので、氏族メシヤより、お子さんを何とかしないといけないのに・・全く何を考えているのでしょう? 何も考えてないのでしょう。     ミクラスさんからコメントいただきました。   一般社会にもいますがね、マルチまがい(アムウェイも含む)やって、親戚とかにも声かける人。わたしのいとこにも一人。 その、楽して儲けようというさもしい根性が・・・いや、わたしだって、楽して儲ければいいなと思うけど、周りの人までは巻き込みたくない。 こういうのやっているというだけで、その人の人間性を疑います。 しかし、氏族メシアとは・・・いまだにやっているんですね・・・。  

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  • 11 Feb
    • 元アベルからマルチを紹介された

      I青年部に行き、数か月は求めれる実績も信仰基準も高い実践課で頑張ってました。 しかし、それが続かないのが私です。統一教会時代だけでなく、学生時代もそして今でもその傾向はあります。   1992年8月に3万双の合同結婚式(祝福)がありました。 何度も、このブログに書いているように、桜田淳子さん、山崎浩子さん、徳田篤子さんが祝福を受け、世間の注目を一気に浴びました。 最初、山崎浩子さんが記者会見した時は、マスコミは好意的に報道していました。 教祖が決めた知らない人と結婚するということに、奇異さは感じたものの、日本にはお見合いという制度があるし、古くには許婚という制度がありました。相手への感情はどうであれ、親の言う通り、家のため結婚生活を開始する・・・極端な場合は、結婚式の日まで相手の顔を知らないということもありました。   そんな文化があったこともあり、知らない人同士の結婚をそれ程世間は拒絶している感じはうけませんでした。山崎さんが「普通の結婚は結婚式の時がお互いの気持ちが最高峰だけど、私達の結婚は結婚式の時はゼロ(もしくはマイナス)で、そこからお互い気持ちを高めていく・・・」と言ったことが一部の若い女性の琴線に触れたらしく、「私もそういう結婚をしてみたい。」という人まで出てきたと言います。   好意的なマスコミ報道に反対派はじめ、霊感商法の被害者、元信者が黙っているわけがなく、統一教会の反社会性、カルト性が一気に報道され出しました。 最初に報道したのは、TBSで、可哀想にTBSはその後統一教会から取材拒否にあいました。 あの頃は、ワイドショーの殆どが統一教会に時間を割いてました。(世間から全く相手にされてない今とは大違いです。) ワイドショーだけでなく、夜のニュースでも取り上げられていました。お蔭で、世間の殆どが「悪名高き統一教会」を知ることとなりました。   (故)筑紫哲也さんは「統一教会は嫌いだ。」と申しました。 (筑紫哲也さんの「ニュース23の変のコーナー」面白かったなぁ。統一教会が嫌いだと言ったのも、このコーナーでだった記憶があります。脱会して6年後だから・・・3万双から約10年後に、筑紫さんをあるミュージシャンの公演で見かけ、声をかけさせていただきました。統一教会は嫌いだ発言を聞いた時は、10年後、この方に声をかけることが起きるなんて・・・人生何が起こるかわかりませんね。)     私は当時、変則勤務をしていたので、平日の日中仕事じゃないこともけっこうありました。 青年部は、平日の日中は活動はありませんので、ワイドショーを思う存分見てました。 信仰基準は高くなく、霊感商法に躓きがあった私は、徐々に徐々に基準を落とし、教会に行けなくなりました。実践にも出れなくなりました。 ただ、統一依存症の私でしたので、完全に連絡を絶つことはできず、マザーや班長と電話では話してました。   そんな折、K青年部の顧問だった三田さん(仮名)から電話がありました。 三田さんは、6500双で祝福を受け、家庭出発していたので、統一教会の献身者の活動はしていませんでした。 三田:久しぶり~、元気? 私:まぁ・・・ 三田:今度会おうよ~。話したいことがあるんだ。ところで、今、教会で頑張っているの? 私:あんまり・・・ 三田:頑張っているなら、ちょっと話せないことなんだけど、頑張ってないなら、会おうよ。 私:・・・   頑張ってるなら話せず、頑張ってないなら会おう?って・・・どういうこと?まさかあの三田顧問が反対派になったってこと?まさか・・・と頭の中がぐるぐる回りました。 本来なら、I青年部のアベルに報告しなければならないのですが、何せ基準が落ちていた時なので、「まっ、いっか」と思い、報告もせずに三田さんと会う約束をしました。   三田さんは反対派に寝返っていませんでした。 会って、最初お茶しました。三田さんより、浄水器が勧められました。アトピーの酷かった兄弟(統一教会の男性のことを仲間内でそういってました。)がその浄水器を購入して使ったらよくなったから、私にもどうか・・・と言ってきました。 統一教会も浄水器を販売してました。三田さんが言うには、統一教会の浄水器よりいいという話しでした。   また、三田さんは浄水器を売っている所は皆明るくて良い、食口にもそんな明るさがあればいい・・みたいなことを話してました。 (この時は、マルチ商法だとはピンときませんでした。)   三田さんが言われるままに会場に行きました。会場で何人かから出迎えられました。 一人の女性のことを三田さんが耳うちに「食口だよ。」と言いました。 着いたら、講演が始まるまでスキューバダイビングをしている映像を見せられました。 バブルは崩壊した頃とはいえ、まだバブルの名残はありました。このビデオは、「夢があったけど、いつの間にか夢を諦めてないか?これから夢をかなえよう。」というメッセージがあったようです。   講演は、浄水器とお風呂の24時間自動湯沸かし器の説明でした。(昔、「湯名人」という商品がありましたが、そんなようなものです。と・・・いつの間にか、湯名人なくなりましたね。) その後、自分達のやっている活動(マルチ)の説明と「皆で夢をかなえましょう。」というメッセージで終わりました。     浄水器は、家に簡易式(水道に取りつけるもの)があったので、断りました。お風呂の24時間自動湯沸かし器はちょっと魅かれました。購入する一歩手前までいったのですが、手続きの関係で購入するには至りませんでした。   三田さんは元々人当りがよいので、マルチの人達とも仲良くやってました。三田さんが連れてきた人ということで、何人かの人が三田さんと私のところに寄ってきて、握手を求めました。 私は求められたまま男性にも握手をしました。(統一教会ではいけないことなのですが、私はあまりいけないことという意識がありませんでした。⇒後で三田さんから「分別してね」と言われました。この時、三田さんが発した唯一の統一教会員らしい言葉でした。)   帰りに三田さんと食事をしました。(統一教会時代で男性のアベルと二人で食事をしたのは、この時のみです。) 三田さんはマルチの人達のことをべた褒めでした。私に活動までは勧めませんでしたが、ここに時々来て、ここの人達と話したらいいと言ってました。   その後、商品購入のことで、何度か私の住んでいる所の最寄の駅近くで会ったのですが、結局商品を買うことにはなりませんでしたので、それ以後、三田さんとは会っていません。   私の教会への気持ちが復活し、コスモで伝道活動を再開して暫くした頃・・・最初のK青年部のマザーだった土田さん(仮名)と電話で話す機会がありました。 その時に、「三田顧問から、何か頼まれなかった?」と聞かれたので、多分、三田さんはK青年部であまり熱心に活動してなさそうな人に声かけていたのでしょう。   時が流れて数年後・・・私が統一教会を脱会して、脱会届も出して一区切りついた頃・・・ 三田さんの奥さんから手紙が届きました。(会ったことありません。) 手紙の内容は、献金の依頼でした。 手紙の中に電話番号も書かれていたので、電話して、脱会したこと、脱会届も出したことを伝えました。 三田さんの奥さんはビックリして、「今、行ってないという人は何人かいたけど、脱会届まで出したというのは初めて聞いた。」と言われました。・・・ (献金依頼も元K青年部のメンバー何人かに送っていたようです。) 電話には、三田さんは出てこず、三田さんからそれ以後連絡はありません。   三田さんは、今50代半ばすぎでしょうか? 順調にお子さんを授かっていれば、お子さんも成人していることになります。(そう言えば、三田さんから子どもの話しを聞いたことないです。) 私をマルチに誘った頃と同じところに住んでいれば、私の現在の実家の隣の駅近辺にいらっしゃるはずです。 今でも、家庭連合の教会に通っているのでしょうか?それとも名前だけ残して、今では殆ど教会とは関わってないのでしょうか?それとも、分派に行ったのでしょうか?   何となく分派に行ったのが一番あり得そうに感じます。(根拠なし) 以前は、三男派が一番あり得そうでしたが、三男派の上目メンバーとはタイプ違うから、他の分派かな、と勝手に想像してます。(サンクチュアリという感じでもありません。)   かつて、マルチのことを「経済カルト」と言われてました。(今も、そういう名称で呼ばれているかは不明) 現役、元問わず、統一教会員、けっこうマルチにはまる人多いのです。(カルトはカルトを引き付ける・・人は同じ匂いのものによってくる) そのことを「私がカルトにはまった理由」から少し外れますが、次と次々回記事でアップしたいと思います。   PS: 三田さんが所属していたマルチは、潰れました。 偶然にも、私がコース決定したゲストがそのマルチで活動していた人で、その人から「潰れた」と聞きました。          

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  • 08 Feb
    • 原研の運動会?後半出発式

      I青年部の目黒顧問(仮名)は、人のモチベーションを保ち、実績をキープする能力に長けていた方だったと思います。 本当に、何故、このような方が統一教会に献身してしまったのか・・・?そして脱会することなく統一教会にしがみついてしまったのか・・・?謎です。   統一教会では、全体と各部署でそれぞれ月初めに出発式をします。月初めだけでなく、伝道や経済活動の前にも行います。 出発式は、活動のモチベーションをあげるための中心者(その場の責任者)の話しから始まり、聖歌等を皆で踊りながら歌い、代表祈祷(一人の人が皆の前で祈祷する)、個人祈祷、最後に中心者が神様と真のご父母様(文ちゃん夫妻)に挨拶し、それに皆が続き、勝利の合言葉を皆で発して終わりというのが大体の流れです。 I青年部では、月初めの出発式(前半出発式と言ってました。)、伝道前の出発式以外に後半出発式を行ってました。 月の半ばの平日の夜8時位から11時位まで行ってました。 住宅地の中、11時までハンパなくワイワイガヤガヤやるわけですから、かなりの近所迷惑で苦情がくること多数ありました。(当たり前です。)   後半出発式で何をやるかというと・・・ 一言で言うと、各基台毎で競うゲーム大会です。実践課2基台、コスモ3基台、ユニティー(ユニティーは班長や有志の人のみ参加)の6チームで競ってました。 「何だ・・・ゲームか・・・」というなかれ・・・統一教会の修練会等に一度でも関わったらわかると思いますが、統一教会で行うゲームは「神様を証す」「サタンとの闘い」「中心性と一体化」「心情が現れる」と言われてましたから、皆真剣に行います。 まして、後半出発式のゲームの順位が、基台の1ヶ月のポイントに加算されるので、皆必死になります。(後半出発式のための練習の日まで設けられてました。)     ゲームは、進化論じゃんけん、伝言ジェスチャー、クイズ、サンクス、紙玉入れ、エスチャーを行ってました。 簡単にそれぞれのゲームの解説をしますと・・・   ・進化論じゃんけん:ゴキブリ⇒かえる⇒アヒル⇒さる⇒人間(ゴキブリと人間以外は、忘れたので、今適当に流れを作りました。)と、じゃんけんをしながら進化していきます。   最初、皆ゴキブリからスタートします。勝った人は、かえると進化します。かえるに進化したらかえるの人同士でじゃんけんします。負けた人はゴキブリの人同士でじゃんけんします。 勝てば、進化していき、人間になれば終わりです。   じゃんけんは同じ立場の人としかできませんので、声を出して同じ立場のじゃんけん相手を探します。 終了後、それぞれの基台での人間の人数が点数となったような気がします。   ・伝言ジェスチャー:それぞれの基台で数人代表者を出し、一列に並びます。顧問がお題を出し、それをジェスチャーで順々に伝えていきます。最後の人が正解を出したら、点数になります。   ・クイズ:顧問がクイズを出して、それを基台毎に考えます。制限時間内に早く正解を出したチームから点数が入ります。   ・サンクス: 各基台4名参加します。(男女2名ずつ)一人がサンクスまで走って顧問から渡されたメモの品を買い、それを途中で待っている人にバトンタッチします。到着順で点数が決まります。 (品物の代金は顧問からメモと一緒に渡されますが、お金が足りないというハプニングありました。その後から、第1走者は必ずお金を持って走ってました。) これは、I青年部ホーム近くの有名進学塾で有名になってまして、「原研の運動会」と密かに言われてました。(原研ではないのだけど・・・)時々、有名進学塾の塾生より声援までいただきました。 後半出発式前に、第1走者がサンクスに偵察に行くし、毎月半ばの夜に走って慌てて1品だけ買い物をする人12人いるので、サンクス店員内でも有名になってました。 (今だったら、ツイートされてますね。)   ・紙玉入れ 基台名を書いた紙を切ってまるめて所定の箱に入れて、数を競うゲームです。 2人が紙に切って基台名を書いてまるめて渡し、一人が所定の箱に投げ入れていました。 紙は1枚ずつじゃなくても、何枚か一緒に丸めて入れてもOKです。(ただし、基台名が書いてない紙は無効。)   ・エスチャー 顧問がお題を出します。そのお題は1名が見に行きます。お題を見た人は、声を出すことは厳禁で、絵でそれを示します。絵を見ながら他の基台メンバーでお題は何か当てます。 わかったら、答えを顧問に報告して(勿論、お題を見に行った人とは別の人)、次のお題をもらいます。その際、顧問とじゃんけんをして勝たないとお題はもらえません。一番早く終了したチームから高得点が入ります。   お題は単語ではなく、文章です。 (お題を見に行った人が忘れて、もう1度見に行ったり、お題を見た人が勘違いして、違う答えを顧問のところに報告に行き、お題を最初に見た人がまた顧問のところに聞きに行ったり、けっこうハプニングがありました。)   時事ネタ、芸能ネタ、スポーツネタから御言葉までありました。御言葉は、毎朝本日の御言葉としていただいている「み旨の道」から出されます。 1日から月半ばまで言われた御言葉を丸暗記したり、この日のために必死に時事ネタ、芸能ネタ・スポーツネタを集めます。     20代~30代はじめの独身男女が集まり、ゲームの勝敗に一喜一憂していたなんて・・・ 第3者の立場で傍観したら、どんな風景なのでしょうね?   後半出発式、楽しかったですし、真剣になりました。 自宅から通教の時は、夜遅かったので、最後まで参加はなかなかできませんでしたけど、1回目の拉致監禁後教会に戻った時は、アパート暮らしをしていたので、その時は毎月最後まで参加してました。 ゲームというのは、思わぬ性格や志向が出て・・・意外性を発見できて、面白いです。   実績だけでなく、毎月ゲームを通して、基台を一体化(まとめる)させ競わせることで、より結束が生まれ、み旨(統一教会の活動)を頑張ろうという気持ちになります。 だからなのか・・・1990年代・・・徐々に統一教会全体の伝道が低迷しますが、I青年部の伝道実績は維持できてました。(統一教会に騙される人を増やしていたわけだから、よくないことですが。)     現在の統一教会(家庭連合)は、信者同士の交流がなく、礼拝に参加しても隣の人とあいさつすらしないと聞きました。(これが真の愛を語っている宗教?) 家庭連合の運勢が落ちに落ちて、もう終わっている団体になっているのは、信者同士の情の繋がりがなくなったことも一つにはあるでしょう。(メシヤも原理もハチャメチャだから、元々こういう運命だったのでしょうが。)                    

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  • 04 Feb
    • 霊的だった(?)霊の子八木橋さん(仮名)

      八木橋さんと出会ったのは、3月末の土曜日でした。 その日は、O駅で伝道活動をしました。 八木橋さんは、当時大学4年生で卒業後は実家のG市に戻って就職する予定でした。   O駅からビデオセンターに即動しました。当時、私は実践課の戸田基台でしたが、八木橋さんの新規トーク(占いの先生)担当はコスモの小村マザー(仮名)でした。   八木橋さんは、以前、統一教会と全く関係ない自己啓発セミナーに参加したことありました。(当時、高額な自己啓発セミナーは、一部問題になっていました。) 自己啓発セミナーで勧誘することを強制されたことが嫌だったこと、そしてその自己啓発セミナーとビデオセンターの雰囲気が似ていることでコース決定を躊躇しました。   小村さんと私で「ここは人に勧めることは強制しない。八木橋さんがしっかり勉強してみて、いいと思ったら勧めたらいい。」と何度も言って、ビデオセンターでの勉強を決意しました。 とはいえ、八木橋さんは間もなく地元のG市に帰る予定です。G市からI支部のビデオセンターに通うことはできません。 それで、1回目だけI支部のビデオセンターに行き、2回目以降はG市のビデオセンターにつなぐことになりました。   当時は、再来4回目までは紹介者が待ち合わせして一緒にビデオセンターに行く方式でした。1回目のビデオセンター再来は翌日の日曜日でしたので、礼拝が終わった後の午後、ビデオセンター近くのS駅改札口で待ち合わせをしました。 改札で待っている間に、実トレの隊長はじめ数人のH館の人に会いました。「昨日、決まった人?」と皆が聞いていきました。   統一教会では毎週日曜日5時から三拝敬礼を行うのですが、H館の三拝敬礼後は、土曜日にコース決定した人が発表されてました。だから、私がコース決定したのをH館の人が知っていて・・・声をかけてくれたわけで・・・これは嬉しかったし、誇らしかったことを今でも覚えています。   通常でしたら、1回目の再来の時にビデオセンターで担当となる方を紹介するのですが、八木橋さんはI支部のビデオセンターは今回のみですから、小村マザーが1回目も対応してくれました。 私がコース決定した1984年は、いきなり倉原講師の総序を見せられたものですが、1992年にはもっとゆる~くてその人に合わせたものを見せるようになってました。小村さんは何故か八木橋さんに先祖に関するビデオを見せました。   最初にG市のビデオセンターに行く日は、私も一緒に行く予定でしたが、八木橋さんは約束していた日に行けなくなったと連絡がありました。 暫く経った土曜日、八木橋さんから、紹介されたビデオセンターに行きたいと連絡がありました。 急きょ翌日の日曜日、礼拝を休み、新幹線に乗りG市に向かいました。G駅で八木橋さんと待ち合わせし、ビデオセンタースタッフに迎えに来てもらいました。   所変わってもビデオセンターも食口の雰囲気も同じです。 G市のビデオセンターの樫尾さん(仮名)という女性の責任者の方が対応してくださいました。 八木橋さんがビデオセンターに行く気になったのは、実家に戻ってご両親と関係がうまくいかずイライラいていた時、I支部ビデオセンターで見た先祖のビデオを思い出したからだと言ってました。 (小村さんにこのことを伝えたら、「やっぱりあのビデオ見せてよかった。」と言いました。)   G市のビデオセンターで勉強する方向性が決まったので、八木橋さんと私はビデオセンターを後にし、G駅に行き、私は新幹線で帰りました。 八木橋さんとは今後、会ってゆっくり話すことができないので、本当だったらランチでも一緒にしたいところでしたが、その日は湯川さんにメシヤ文ちゃんが証される日でした。私は断食中でしたし、時間的にゆっくり話すこともできなかったので、その日はビデオセンターで話したのみとなりました。   その後、八木橋さんは順調とまではいかなくても、2days、4daysと進みました。 八木橋さんには当時大学生の弟さんがいらっしゃって、I支部の隣県で下宿してました。弟さんが不在の時、そこに八木橋さんが泊まりに行くということが1度ありましたので、私もその日に泊まりに行きました。 その時は、八木橋さんは文ちゃんが証される前でしたので、普通の会話で一晩過ごしました。   その後、直接八木橋さんに会うことはありませんでした。 ずっと、手紙と電話でやりとりしていました。4days参加時は、他のゲストと同じように断食しました。 4days終了後、紹介者やスタッフが集まって(新トレ参加を促すため)ウエルカムを行うのですが、私は行くことはできませんでした。 電話で八木橋さんの4daysでの様子をスタッフ(男性)に確認したら・・・ 「霊的になって大変だった」という返事が返ってきました。   講義中、おいおい泣いて落ち着かなくなり、途中から皆と一緒に抗議が受けられなくなり、食当の手伝いをしていたとのことです。 電話の最初に、「私と八木橋さん、似ているところがある。」と言ったら、「似ていたら大変ですね。」と見ず知らずの男性に言われてしまいました。・・・(ちなみに私は霊的ではないです。) 今振り返ると・・・G市はまだ献身するのが当たり前で、献身できない基準の低い人が霊の親だから・・・と思われたのではないだろうか?と・・・・思います。(被害妄想です。)   八木橋さんは4days後、新トレに行くことなく、どこに所属することなく細々と教会につながっている感じでした。 そんな八木橋さんを気にかけてくださる人がいました。 私がN市の実トレの時(1回目の実トレ)の小隊長だった岡田さん(仮名)です。 岡田さんは家庭をもってG市に行っていたのです。岡田さんの霊の孫の藤野さん(仮名)もどういう理由かわかりませんが、G市に行ってました。N市の青年部で一緒だった井沢さん(仮名)もG市で活動してました。(井沢さんは、実家がG市でした。)   八木橋さんと岡田さんがどういう形で出会ったかわかりませんが、八木橋さんから岡田さんのことを聞いた時は驚きました。(藤野さん、井沢さんのことは岡田さんと連絡とった時に聞きました。)   岡田さんは、実トレの小隊長時代は、(スタッフだったのに)実トレ生の前でカイン的発言(不信仰的発言)をしていて、面倒見がよいわけではありませんでした。(私は親近感があって、けっこう好きでした。) その岡田さんが八木橋さんの面倒をみてくれていたのには、ビックリしました。 井沢さんも岡田さんと一緒に八木橋さんのことを気にかけてくれ、ありがたかったです。   1993年の秋~冬に日本女性16万人対象にした済州島の修練会がありました。 八木橋さんも岡田さんと井沢さんと一緒に参加しました。参加する際、G市教会スタッフから、4daysyの八木橋さんのことがあったので、「大丈夫か?」「参加しない方がよいのでは。」という意見も出たようですが、岡田さんが自分と井沢さんが一緒にいるから大丈夫と言い、参加しました。   参加前に、井沢さんから「八木橋さんは求めている」と手紙に書いてました。 本当は、私も一緒にこの時に参加したかったのですが、当時家庭問題が酷くなりつつあったので、参加はやめた方がよいとアベルに言われ、この時は参加しませんでした。 結局、済州島修練会最終回に参加するよう言われ、参加しました。参加の際、親にはG市に旅行に行くと言い、岡田さんに口裏を合わせてもらい、岡田さんから実家にお土産も送ってもらいました。(八木橋さんと私共々、岡田さんにはお世話になりました。)   八木橋さんは、済州島に行っても変わりませんでした。 教会には何とかかろうじてつながっている感じでしたが・・・・1995年のオウム事件の後、家族でもめごとが起きました。 八木橋さんの弟さんがオウム真理教に入っていたのです。何がきっかけかわかりませんが、八木橋さんが統一教会と関わっていることをお母さんが知り、半狂乱になったそうです。   それからは、八木橋さんは岡田さん、井沢さんとも連絡をとらなくなり、教会からも(元々足は遠のいていましたが)更に足が遠のいてしまいました。     1996年・・・私は脱会後、八木橋さんに脱会したことを連絡しました。 その時、八木橋さんから驚くことを聞きました。 「悪くて言えなかったのだけど・・・実は、結婚したんです。・・・」   学校の先生とお見合いで結婚したそうです。 私は、驚いたけど、ホントによかった~と思い、「おめでとう!」と言いました。 この時は、まだお子さんはいないと言ってました。   それ以降、八木橋さんとは連絡をとっていません。 八木橋さん、あれからお子さんは授かったのでしょうか?   幸せな日々を暮していると信じています。                  

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  • 30 Jan
    • 一和の高麗人参茶にまつわる話

      統一教会系企業に一和があり、そこで以前紹介したメッコールや高麗人参茶を販売してました。 の商品も販売してました。 ジンセンアップは知っていたけど、炭酸水は知らなかったです。 一和で画像検索したら、トップでが出てきました。一流ブランドなんて笑わせてくれる サッカーチームまであります。   一和の高麗人参茶は、食口だった経験がある人は、一度は口にしたことがあるでしょう。 私は、2回目の実トレに行く前までは、あまり口にしなかったのですが、アトピーがあり献身を断られた時、アトピーを治して献身しようと思っていたため、意を決して購入しました。 この時は、食口価格ではなく、一般価格で購入しましたので、けっこう高値でした。 (確か1本7万円でした。・・・4本セットから割引になります。食口価格は、1万円でした。(?) しかし、画像でを発見してしまいました。)   世間一般でも高麗人参茶は体にいいものという認識があります。 高麗人参を育てた土地は、7年ペンペン草も生えないという位土の養分を吸い取ると、統一教会の高麗人参茶講話で聞きました。 一和の高麗人参茶は、他社のものに比べて良質な高麗人参が多く入っていると説明されました。 (当時、一般と信者向けに高麗人参茶講話が何度か行われてました。私は参加したことはないのですが、高麗人参茶を使った薬膳料理教室なるものも定期的に行われてました。)   病気が治ったという証しもありました。コスモの小隊長だった鍋島さん(仮名)は、一和の高麗人参茶を飲んで膠原病が治ったということでした。 (食口は同年代の人達に比べ、体の調子が悪い人が多く、せっせと高麗人参茶を飲んでいる人も多かったですが・・・調子がよくなったという話しは・・・鍋島さん以外では聞いたことなかったです。)   お得意の信仰話し(オカルト話し)もありました。 心情が神様・お父様(文ちゃん)に近いと高麗人参茶が甘く感じ、神様から遠いと苦く感じられると言われてました。   高麗人参茶、最初飲んだ時に「おいしい」という人は殆どいないでしょう。飲んでくるうちに徐々に慣れてくるのです。私も最初は我慢して薄くして飲んでましたけど、徐々に慣れてきて濃くても飲めるようになりました。 徐々に慣れてきて飲めるようになったのを「信仰が深まってきた」と勘違いするのです。(って、例え食口とはいえ、まともに勘違いする人は殆どいないと思いますけど。)   一和の高麗人参茶を飲むと、御言葉(原理・文ちゃんの言葉)が入りやすくなるとも言われてました。 ですので、高麗人参茶をゲストに購入を勧める時は、御言葉が入りやすくなりますようにという願いも込めてました。 また、アベル的(統一教会に従順になること)になると言われてました。反対する人も一和の高麗人参茶を飲むことで、文ちゃんを受け入れるようになるというのです。   私は、実家に住んでましたので、反対する親が反対しなくなるよう、密かに高麗人参茶を飲ませたり、料理の中に味が変わらないように入れてました。 (最初だけ通常価格で買い、後は食口価格で買ってました。)   家にある高麗人参茶が統一教会の物とは知らなかった母は、抵抗なく飲んでました。 しかし、それをぶち壊したのは統一教会でした。 高麗人参茶販売店の販売員が何を思ったのか、私が不在時に我が家に訪問したのです。 どういう話しをしたのかはわかりませんが、高麗人参茶が統一教会のものとわかってしまいました。 それ以来、私が脱会するまで母は高麗人参茶を口にすることはなくなりました。 (これを当時のアベルに話したら、アベルは激怒して、販売員に文句言うと言ってました。)   高麗人参茶を3人の人に購入させてしまいました。 一人は前記事の湯川さん(仮名)です。 もう一人は、2回目の実トレ最後にビデオセンターに連れて行くも、精神科通院中のためコース決定できなかった男性です。 そして、もう一人は、コスモ時代に街頭伝道からビデオセンターに即動し、4daysまで行った人です。(ビデオセンターに行き始めた時に購入させてしまいました。)   ゲストに高麗人参茶を勧める時は、高麗人参茶を販売する店舗に動員します。 高麗人参茶販売店の販売員がゲストの身体状態を簡単にチェックし、高麗人参茶の説明と必要性を話し、購入を勧めていきます。 他の展示即売会と同じように、目標をたてます。動員カードなるものに目標とゲスト情報を書き、アベルに提出し、アベルから販売員に動員カードが渡ります。   目標は3倍の目標をたてるようにと言われていた為、いつも3倍の目標を私は記載していました。ですので、4個とか7個とか12個とか記載していたと思います。 当然、そんな数を購入するわけもなく、湯川さん除いて1個の購入でした。(湯川さんも後に1個に変更しました。) 実践課の時は、7個だか12個だか書いたのに、1個しか購入しなかったので、真壁隊長(仮名)にすごい分別されました。(怒られました) その後、樋口基台長(仮名)に「すみませんでした」と悔い改めたふりをしてしおらしく謝ったら、「1個でも購入してよかったじゃないか。これから、「体の具合はどうですか?わからないことがあればいつでも聞いてください。」とフォローして喜んで飲んでもらえばいいのだから。」という言葉が返ってきました。   樋口基台長は献身していませんでした。 ホントにできた方で、人間的に素晴らしい人でした。   コスモ時代に購入させてしまった人は、目標4個と書いたと思います。 橋田隊長(仮名)より、「マナ(※1)4個達成したら、古井(仮名)基台(当時私が所属していたコスモの基台の中の一つ)トップになるのじゃないか。(※2)」と期待されてました。   (※1)一和の高麗人参茶のことを統一教会ではマナと言ってました。 (※2)I青年部では、基台ごとに目標を決め、その達成度を競わせてました。   期待を裏切り1個でしたが、橋田隊長は、「ビデオセンターでの勉強も喜んでいるようだし、マナも喜んで授かったのだから(統一教会系の物を購入したら、授かると言ってました。)よかったじゃないか。」と言ってくれました。 (これが、実績に対する実践課とコスモへの期待度の違いです。隊長の性格の違いもあるかもしれませんけど・・・)     さて・・・・   私が脱会後も自宅には一和の高麗人参茶が残ってました。 母は、私を拉致監禁する程に統一教会を嫌っていました。自宅にある高麗人参茶は統一教会のものとわかってから、母は飲まなくなっていたのですが・・・   何を思ったのか、母は残った高麗人参茶をどうしたらよいか、販売店に電話して聞きました。(販売店も統一教会と当然わかっていながらです。) 販売員から親切に、「お風呂にいれたらよいですよ」とアドバイスをもらったようで、お風呂に入れちゃいました。   お風呂に入れたからと言って何が変わるわけではありません。 ただ、母は「あれをお風呂に入れたら、肌がすべすべになった」と言ってました。 (私以上に暗示にかかりやすいかもしれません。もしかして・・・私でなく、母が統一教会に伝道されていたら・・・・ちょっと怖いです。)     PS: 高麗人参茶説明する時、が提示されます。 脱会して、10年以上経って、某所に旅行に行った時、高麗人参茶を販売していました。(一和ではありません。) こんなところに瓶詰の高麗人参が~・・・とちょっと懐かしかったです。                  

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  • 27 Jan
    • 喘息ありながら4days、新トレまで頑張った霊の子ー湯川さん(仮名)

      湯川さんと出会ったのは、実践課の戸田基台の時でした。 日曜日の礼拝後の伝道は、戸田基台長がその日の伝道地を伝え、それぞれペアを決めて出発します。 その時は、戸田基台長が全員に何か質問して、それに対して手を挙げたら、その手の拳げ方が同じだった澤さん(仮名)とペアになりました。   澤さんは、I青年部の実践課に長くいて、入教もしていました。 ほんわかしていて、バリバリ実践するタイプには見えないですけど、内には闘志を秘めてました。 お互い熱く信仰的なことを話すことはなく、「頑張りましょう。」とあっさり二人でプチ出発式と祈祷をして、伝道地のO駅前でそれぞれ道行く人に声かけました。   開始して、比較的早い時間に湯川さんが止まってくれました。 湯川さんは、私より3歳下でOLをしているソバージュヘアの可愛らしい女性でした。 私が手相を見ている最中、澤さんが「一緒に勉強しているので、一緒に見させてください。」と入ってきて3人で話しをしました。(手相伝道で協助に入る時は大体このパターンです。)   澤さんの年齢は憶えてないですが、私より年下だったのは確実なので、湯川さんとそう変わらなかったと思います。 年齢の近い女性3人ですので、それなりに話しは合いますし、湯川さんも警戒してませんでしたので、楽しく3人で話して、そのままビデオセンターに行きました。   ビデオセンターに行ったらいつもの流れです。 湯川さんはすんなりコース決定しました。 ビデオセンターには定期的に通い、順調に2daysに参加し、中級トレーニングに進みました。   湯川さんは、私と同じ高校出身でした。 3歳下ですので、私が卒業した年に入学したので、接点はなかったです。 実家暮らしでしたので、家からビデオセンター・中級トレーニングは遠かったのですが、頑張って通ってました。 特に何に感動するわけでもなく、ビデオや講義の内容にマッチすることはなかったですが、嫌がることもなく、むしろ楽しんでいるように見えました。   4days前に、統一教会と文鮮明がメシヤということが証されれる特別講義があります。 湯川さんが証された時は、3万双が騒がれる前でしたので、(世間は統一教会を知らない人の方が多かったです。)何の抵抗もなく受け入れてました。 4daysに予定通り、参加しました。   湯川さんは、喘息がありました。 時々、発作を起こしてると言ってました。 2daysの時も、参加中発作が起きたら・・・と私の方がドキドキだったのですが、大丈夫でした。   湯川さんを伝道した頃くらいから、文鮮明と統一教会が証される時、4daysに参加する時に蕩減条件として1日、もしくは40時間断食を行ってました。 証される時は、「文鮮明をメシヤとして受け入れることができますように」。 4days参加時は「○○さんが神様、お父様(文鮮明)につながることができ、○○さん家族、先祖も救いの道につながりますように。」という願いを込めて行ってました。   湯川さんは、喘息発作も心配でしたので、喘息発作も起きないようにという願いも込めてました。   4days中、湯川さんは喘息発作が起きました。 近くの病院で処置をして、すぐに治まり、4daysに戻ることができました。 皆と一緒に帰ってきて、帰ってきた時もとても元気でした。   4daysも特別感動したこともなかったようですが、すんなり新生トレーニングに参加すると言いました。 しかも、仕事を辞めるつもりだったので、入教して参加すると言ったのです。   今思えば、湯川さんは不思議な人でした。 誰に何を言われたわけではないのに、文鮮明が証される前に、髪をばっさりと切ってショートヘアにした・・・その後もどんどん短くなりました。 (統一教会ではロングヘアは、良しとされていませんでした。80年代後半からゆるくなり、食口でもロングヘアの人はいましたが、それでもショートヘアの人が殆どでした。ロングヘアの人は、大体新トレや実トレでショートヘアにしてました。) 新トレの入教も自分から言い出しました。 ホントに特別・・・原理にはまっている様子もみられなかったのに・・・・   新生トレーニング前に仕事をやめ、新生トレーニングには仕事をしていない状態で入教して参加してました。日中は、ホームの掃除をしていたそうです。エライ人です。 新生トレーニング中は、発作が起きたということは聞きませんでした。   湯川さんの新生トレーニングの時に、最後の私の青年部のマザーとなる井場さん(仮名)に初めて出会いました。(その時は、新生トレーニングのマザーか班長でした。) 井場さんは教育部所属が長く、新トレやライフトレ・中級トレ・上級トレのマザーや班長をしていましたし、K青年部関係者の霊の子・親でしたので、K青年部の人からよく名前を聞いてました。「ああ、この人が井場さんか・・」と思いました。 この時は、湯川さんを通して一言、二言話しただけでので、勿論悪い印象はありませんでした。 まさか井場さんが20年以上経っても忘れられないわだかまりを残してくれるなんて、この時は想像すらできませんでした。   湯川さんは、新生トレーニング卒業後は、実トレには行かず、青年部のユニティに行きました。(元々原理にはまっていたわけではないので、実践するまでの気持ちはなかったようです。新トレ卒業前の実とれの谷山マザーと面接後、谷山マザーが私に「実トレ来たらビックリしちゃうだろうね。」とまだ実践する段階ではないことを言いました。) 再就職もしました。 入教は新トレの時のみでした。   新トレの最中だったか、卒業した後だったか忘れましたが、マナ(高麗人参茶)購入を勧め、4個購入しました。(結局後に1個に変更しました。) 私もアトピーがあり、購入してましたので、湯川さんの喘息もよくなるようにと購入を勧めました。     何かと縁があった湯川さんで、湯川さんの再就職先は、私が当時勤務していた職場の近くでした。昼休み、待ち合わせて一緒にランチしたこともあります。   教会が嫌になったわけでもないし、私とも疎遠になったわけでもないのに、湯川さんは教会から足が遠のきました。3万双前後のワイドショー報道で躓いた様子もありませんでした。 湯川さんは、美術系の大学を卒業していました。ガラス工芸が好きで、そちら方面の仕事に就けたので、仕事が面白くなったのでしょう。 細々と連絡は取り続けましたが、湯川さんが二度と教会に足を踏み入れることはなかったです。(よかったです。)   私は、脱会後、湯川さんに自分が脱会したことを電話で伝えました。 その時、湯川さんから「私は、教会のことわからなかったから、はまらなかった。もういいかなぁと思って行かなくなった。」と聞きました。 コスモで一緒に活動していて、私より少し前に拉致監禁で脱会した坂口さん(仮名)は4daysで湯川さんと同期でした。 坂口さんにその話しをしたら、「湯川さんみたいな人もいるのにね・・・・」とため息ついてました。(湯川さんみたいにはまらない人もいるのに、何故自分ははまってしまったのだろうという心のため息が聞こえてきました。)   私が脱会したと電話連絡してから、湯川さんには連絡をとってません。 湯川さんも今は40代後半・・・ きっと、今頃幸せな家庭を築いていることでしょう。 ガラス工芸は続けているのでしょうか? 喘息は大丈夫でしょうか?                    

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      テーマ:

プロフィール

ななくさ

性別:
女性
自己紹介:
20代の殆どを統一教会の勤労青年教会員として過ごしました。 2回の拉致監禁による強制説得を受け、脱...

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