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2017-04-27 23:23:23

555を読んで

テーマ:ブログ

八王子みなみ野七国にあります、年中無休の歯科医院 ななくに歯科サポートスタッフ助川です。

~院長のFacebookの投稿より~

 

今日の555!!!(第1586回)

ちょっと、問題です(^^)/ 

金貨の入った袋がふたつあります。...
なんと!
片方の袋には、もう一方の2倍の金貨が入っています。
ある人が、あなたの前に現れて、こう言ったとします。

「どちらかひとつを選んでください。それを差し上げましょう」

あなたは、左の袋を選びました。中には10枚の金貨が入っていました。

「袋を変更することもできますよ。どうしますか」

左の袋が金貨10枚だったということは、右はその倍の20枚か、半分の5枚のどちらかです。

さて、あなたは、そう言われたとき、右の袋を選び直すでしょうか。

ここが、幸福と不幸の分かれ道です。

幸せな人とは、「左の袋を選んでよかったのだ」と思える人のことであり、

不幸な人とは、「右を選んだほうがよかったのではないか」
と悩み、くよくよと後悔する人のことでしょう。

右の袋を選び直すなら、はじめから右を選ぶのと同じことです。

そういう人は、もしはじめに右を選んでいたなら、やはり左に変更していたでしょう。

右の袋が左の倍だったのか、半分だったのか。
それはたいして重要ではありません。

どちらにしろ、多い金貨が入っているほうの袋を選ぶ確率は2分の1なのです。

重要な問題は、どちらを選ぼうかと考えているうちはわくわくしていたのに、
金貨10枚という具体的な数字を示されれば、それがとたんに色あせて見え、新たな欲が出てきてしまうということです。

もしふたつの袋から選ぶという方法ではなく、
単に「金貨10枚を差し上げましょう」と言われていれば、
悩むことも悔やむこともなく、心からありがたいと思えたことでしょう。

多いほうを選ばなかったからといって、損をしたのではありません。

金貨10枚をもらえたことがまるまる幸運だったのです。

もっと金持ちの家に生まれたかった。
もっと美しい容貌に生まれたかった。
もっと頭がよかったら。
もっと親に愛されていたら。

不運を嘆き、
「別の人間に生まれ変わりたい」という叶わぬ夢を見ている人もいるかもしれません。

しかし、
「今の自分の境遇が気に入らないから」という理由でそう思うのであれば、仮にその願いが叶ったとしても、
神様はきっと、そのごう慢さに気づかせるために、半分の金貨の袋、すなわちさらに厳しい運命を与えるでしょう。

そのときになって、はじめて自分がどれだけ恵まれていたかを思い知るのです。

失ってはじめて気づくことを思えば、失わないうちに気づくことがどれだけ幸せかが判ります。

「貧しい家に生まれるのと、生まれてすぐに病気で死ぬのと、どちらを選ぶか」
と言われれば、誰でも貧しい家に生まれることを望むはずです。

「今、自分は幸せである」
と思えなければ、
どれだけ別の人生を選び直しても、崖のふちを歩いているような不安に悩まされ続けるだけです。

幸せは、「もっとほしい」と願うことでえられるのではありません。

「もし、今より恵まれない状況にあっても、幸せを感じられるだろうか」

と考えてみることで、現在の幸せがくっきりと浮かび上がってくるのです。

誰かを憎んでいる人は、

「世の中には、もっとひどい仕打ちを受けているのに、それを許している人もいる」

と考えてみてください。

「毎日が退屈で、将来の希望もない」
とこぼしている人は、
「もし自分が明日死ぬと判ったら、何をするだろうか」
と考えてみてください。

「もっと恵まれた状態にあれば」
という欲望には、きりがありません。

「今でも充分に恵まれている」
と思う以外に、幸せになる方法はないのです。

「恋人がもっと私を愛してくれたらいいのに」
といくら願っても、よけいに愛されることはありません。

要求してえられた愛は、しょせん本物の愛ではないのですから。

逆に「もう充分です。ありがとう」
と感謝すれば、相手はもっと愛したいと思うようになるのです。

自分の心に余裕ができると、他人に優しくなれます。

他人に優しくできる人は、感謝され、認められ、ますます心に余裕が生まれます。

心に余裕をもつために、
背伸びをしたり、自分をごてごてと飾りつけたりする必要はありません。

電車で席を詰めて座るように、ちょっと隙間をあけてやればよいのです。

そこには、まだまだ多くの幸せが入り込む余地があるのです。

私たちの心には、自分でも気づいていない余分の隙間がたくさんあるのです。

(感想)

最後の「私たちの心には、自分でも気づいていない余分の隙間がたくさんあるのです。」という言葉に共感できたので、この555を選びました。

失ってはじめて気づくよりも、失わないうちに気づくことがどれだけ幸せか判るということを本当に理解していれば、私が普段生活していることのすべてに感謝することができるし、貴重な時間だと気づくことができるのだと思いました。ご飯が食べれること、働けること、家族がいて元気に過ごしていること、支えてくれる友人や仲間がいること、好きなことができる時間があること、数えあげたらきりがないと思います。それなのに、それらは当たり前のことと思ってしまっていて、「もっとこうだったら良かったのに…」と不満が口に出てしまうことがあります。

物事や自分のことを考えるとき、ついネガティブな考え方をしてしまいがちですが、そうではなく、良い面やプラスの捉え方をして感謝の気持ちを常に持つことが大切だと思いました。

私が最近心掛けていることは、院長のおっしゃっているように背伸びしないで自分に素直でいることです。何か思い通りにいかなかったり、失敗したりしても次に生かせるようにすること、自分の興味があることにはチャレンジしてみることです。私の心にもまだまだ幸せが入り込む隙間があると思ったので、日々たくさんの幸せを感じていきたいと思いました。

 

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2017-04-27 18:15:29

~今日の555!!!を読んで~

テーマ:ブログ
八王子みなみ野七国にあります
年中無休の歯科医院ななくに歯科のサポートスタッフの島崎です。   
 
今日の555!!!(第1587回)
毎日が孤独で耐えられない・・・そんな相談を受けました。
...
  職場に行っても話す友達はおらず、ただ黙々と仕事をするだけ。昼休みも独りぼっちで食事をとります。
まわりの同僚たちを見ていると、なぜあんなに明るく生き生きとしていられるのか、不思議でなりません。
自分も輪の中に入りたい。
誰か声をかけてくれないだろうか。
そう密かに願いつつも、
もし本当に声をかけられても、うまく話すことができず、変なやつだと思われるだろう、
という不安も拭えません。
もっと自信をもちたい!!
と思うが、
これといった才能も特技もなく、
容姿も人並み以下の自分が、
いったい何を心のよりどころにすればいいと言うのか。
考えはいつも堂々巡りで、
「自分は、ほかの人たちのように楽しい人生を送ることはできないのだ。決定的に何かが欠けているのだ」
という違和感だけが頭をもたげるのです。  
                     』
相談をしてくださった方のありのままの声です。
さて。
どうすれば、人は、自分に自信がもてるのでしょうか。
自信とは、いわば、「自分はここにいてもいいのだ」という、どっしりとした安心感といってもよいでしょう。
「他人とうまく会話ができるか」
が問題なのではなく、
「他人と一緒にいても、居心地の悪さを感じない」ということ
が重要です。
自分に自信のない人は、
心理的な「自分の居場所」がなく、
つねに不安定な台の上に立っているような不安と緊張にさいなまれているのです。
友人や恋人をつくりたい。
生きがいとなるような仕事や趣味を見つけたい。
そして、自分に自信がもてるようになりたい。
しかし、失敗してよけいに傷つくのも怖い。
はじめの一歩を踏み出すきっかけがつかめず、ためらってばかりいる人も多いのではないでしょうか。
そういう人は、
「何か新しいことをはじめなければならない」と焦るよりも、
手始めにまず、
「何をやめるべきか」を考えてみてください。
第一にやめるべきことは、
「どうせ自分なんか」と「できない言い訳」を探して自分を責めてしまうということです。
どうせ私は何の取り柄もないから。
どうせ私は臆病で引っ込み思案だから。
親がちゃんと育ててくれなかったから、私はこんな情けない人間になってしまったのだ。
自分を憐れむような言い方をすれば、自分が傷つきます。
しかしそれでもなお、自分を卑下してしまうのは、
「自分は特別な事情を抱えているのだから、仕方ないじゃないか」
と開き直ることで楽になれる、と無意識に考えているからです。
自分の心にナイフを突き立てる痛みと引きかえに、
「まだ行動を起こさなくてもよい」というつかの間の猶予をえて、安心しているのです。
しかし、そうして自分を卑下することが、
ますます行動を起こす勇気をくじいているのだということに気づかなければなりません。
自分を責める癖がついている人は、生真面目な性格である場合が多いので、
「楽な道を選ぶな」と言われれば、
よけいに自分を追いつめ、自分を傷つけてしまうかもしれません。
「こんなに苦しんでいるのに、もっと苦しめというのか」
と反感をもつ人もいるかもしれません。
「楽をしてはいけない」というのは、正確に言えば、
「一見楽に見えるが、後でよけいに苦しくなるような、安直な方法を選んではいけない」
という意味です。
目的はあくまで、苦労することではなく、幸せになることです。
本当に楽な方法があるなら、ぞんぶんに楽をしてもよいのです。
その方法が、
一時しのぎにすぎないのか、
本当に心が楽になれるのか
をよく見極めなければならないということです。
「どうせ自分は」という言い訳を封じれば、
「なかなか行動を起こせない、情けない自分の姿」
と向き合わざるをえません。
しかし、それを乗り越えて、
自分を認められるようになることのよろこびに較べれば、
そんな痛みなど蚊に刺されたくらいにしか感じないでしょう。
自分を責めたくて責める人はいません。
本当は皆、自分が好きなのです。
自分が好きだからこそ、
思い通りに自己実現できないもどかしさから、
やけになって自分を傷つけてしまうのです。
「本当は自分が好きなのだ」
という正直な気持ちに目覚めるまで、
静かに自分を信じて待ってみてください。
自分を責めることをやめれば、
自信や安心感は、自然にふつふつとわいてくるものです。
「そうしなければならない」ではなく、
「そうせずにはいられない」という衝動に突き上げられたとき、
本当に楽に行動できるようになるでしょう。
できるできないは別として、
行動を起こそうという意欲がわいたことが自信となるのです。
「私は自分が好きだ」
という気持ちに気づいたら、
「この自分の正直な気持ちだけは絶対に裏切らないぞ」
と心に決めてください。
そして、焦らず、親鳥が卵を温めるように、
その気持ちをじっくりと大切に育てていってください。
自分で自分を好きになれば、それだけで「自分は存在する価値がある」と思えるようになるのです。
 
【感想】
僕も自信をなかなか持てず「自分の居場所」がなく、
つねに不安定な台の上に立っているような不安と緊張を感じているような気がします。 
言いたいことがあっても声に出す前に喉で止まることがしばしば・・・
「これを言っていいのだろうか、自分ごときがこんなことを言ったら嫌な顔をされるのでは」と考えてブレーキがかかってしまいます。
そしてあとで、あの時言っていればと後悔する繰り返しです。
この悪循環をなんとか止めるべくまずは‘自分を好きになるところからはじめる‘
小さなことでも積み重ねて大きくなりたいです。
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2017-04-25 23:48:12

555を読んで

テーマ:ブログ

八王子みなみ野七国にあります
年中無休の歯科医院ななくに歯科の 
保育士 原です。
555の感想を書きたいと思います。

今日の555!!!(第1580回)

期待した結果に、多くの人が苦しみ悩み、心痛めます。
例えば、恋人にいろいろ尽くしてきたのに、急に別れを告げられて、腹が立つことがあります。
誕生日に高価なプレゼントをあげたのに。わがままな頼みもきいてあげたのに。不満があっても文句を言わず、我慢してきたのに。
いったい私のどこが気に入らないというのだ。

また、親は、子供を精一杯育ててきたのに、思春期になって突然反抗され、訳が判らず戸惑います。
我が子のためを思って、高い月謝を払って塾に行かせ、習いごともさせ、必要なものは充分に買い与えてきたのに。

私たちが「人のため」と思ってやっていることは、
実は、自分の欲求を満たすためにやっていることが多いものです。

結局は、相手の気を引きたいからであり、自分が必要とされたいからなのです。
だから、その要請に相手が応えてくれなければ、怒りや不満を感じるのです。

好きな恋人と少しでも長く一緒にいたいと思うのは当然ですし、
親が我が子をかわいがり、心配するのも当然です。

しかし私たちは、愛情という美しい言葉を盾にとって、
知らず知らずのうちに、
他人を自分の自由になるものとして扱ってしまうことがあります。

他人を自分のものにしたいという我執が、私たちを苦しめるのです。

とは言うものの、見返りをいっさい求めず、
純粋に「人のため」に何かを行うということは、ほとんど不可能なことです。

「人のため、人のため」と考えすぎれば、それもまた、一方的な押しつけとなってしまいます。

できないからといって、何もしないのもよくありません。

本当は自分のためでも、その行いが実際に他人の役に立っているなら、やらないよりはやったほうがよいでしょう。

では、どうすればよいのかというと、
「人のため」などとごまかさず、
はっきり「自分のため」と自覚しながら行動するしかないのではないでしょうか。

「自分のためにやっていることなのだから、思い通りにならないからといって他人を責めるのはお門違いだ」
ということさえ認識していれば、それでよいのです。

他人のために何かをしてあげたなら、
その報いは相手に求めるのではなく、
天にまかせるのがよいでしょう。

せっかく他人のために何かをしてあげたのに、
まったく感謝されないこともありますが、
逆に、自分の気づかぬうちに他人の善意を無にしたり、
他人を傷つけたりしていることもあるものです。

よい行いをすることによって、悪い行いが相殺されたと考えるくらいがちょうどよいのです。

他人から認められたい、他人から愛されたいという欲望を完全に捨て去ることはできないかもしれません。

欲望を捨て去ることはできなくても、
その欲望にとらわれている自分の弱さをはっきりと認め、
他人に対して申し訳ないという謙虚な気持ちをもって接することはできます。

他人に申し訳ないという気持ちで接するというのは、
けっして卑屈に自分を責めるということではありません。

「他人のためにしてやっている」という態度ではなく、
「させてもらっている」
という感謝の気持ちをもつということです。

何かをしてもらったことに感謝し、何かをさせてもらったことに感謝する。

すべては自分の喜びのためなのだと思えば、
他人への押しつけや不満は消えていきます。

「欲望にとらわれている人」と、
「欲望にとらわれていることを自覚している人」は、
同じではありません。

自分が自分の心の主となり、欲望に振り回されないよう、しっかり制御することが肝心ですよね。

感想
最近私も同じようなことを経験しました。
相手の為と思って協力したはずなのに、
釈然とせず、どこか違和感を感じていました。
私は偽善者?自己満足?と思ったりもしたのですが、違和感の理由は、無意識のうちに見返りを求めていたからだと気がつきました。
常に謙虚に、万物に感謝する気持ち、つい調子に乗って忘れてしまいがちですが、念頭に置いて生きたいと思います。
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2017-04-25 20:18:45

555を読んで

テーマ:ブログ

こんにちは。八王子みなみ野七国にあります、年中無休の歯科医院

ななくに歯科のサポートスタッフ安藤です。

 

 

今日の555!!(第1585回)

勇気を出して、
「自分が幸せである理由」を見つけてみませんか?
もう、自分で、自分の不幸をみることを、やめてみませんか?

...

人にはそれぞれ、恵まれている点とそうでない点があります。
あらゆる点において恵まれている人はいませんし、すべてが不幸な人もいません。
一見恵まれているように見える人でも、その人なりの苦労や悩みがあるのです。
しかし、自分を好きになれない人、自分を卑下してしまう人は、
「私は何もかもが最悪」で、「この世で私だけが不幸」だと思い込んでいます。

そういう人は、幸せが目の前に転がっていても、見えていません。
いえ、見ようとしないのです。

「健康な身体があり、住む家があり、家族がいる。与えられたものに感謝すべきではないですか」
と言われると、
「そんな当たり前のことに感謝などできない」
と反論します。

「世の中には、もっと恵まれない立場の人もいるのですよ」
と言われれば、
「自分より恵まれている人もたくさんいるではないか。不公平だ」と言い返します。

「他人の役に立つことをすればどうですか」
と言われれば、
「自分のことで精一杯で、他人のことを考える余裕はない」。

まるで、自ら幸せになることをかたくなに拒否しているかのようなのです。

自分を不幸だと嘆いている人は、なぜわざと幸せから目を背けようとするのでしょうか。

その理由は、

「自分にも恵まれている点がある」
ということを認めてしまえば、
自分の人生がつまらない(と思っている)ことに対して言い訳ができなくなってしまうからです。

「私は容姿がみにくいから、愛されないのだ」

そう言っておけば、自分が愛されないことについて、

「自分の努力ではどうしようもないのだ。自分が悪いのではない」

と言い訳ができます。

「容姿が美しくなくても、皆から愛されている人はたくさんいますよ」

と言われれば、今度は、

「そういう人は、優しい親に愛されて育ったからだ。私は親に愛してもらえなかったから、自分に自信がもてないのだ」

と、新しい「不幸の理由」を主張します。

「親に見捨てられても、立派に生きている人はたくさんいますよ」

と言われれば、

「そういう人は、たまたま才能に恵まれていたからだ。私には何の取り柄もないのだから、仕方がない」

と、さらに言い訳をつくろいます。

私は不細工で、しかも貧しくて何の取り柄もなく、そのうえ誰からも愛されずに育ち、なおかつ幸運の女神にも見放され……。

いきおい、自分だけが世界中の不幸を背負い込んでいるかのように、
言い訳に言い訳を重ねてしまうのです。

「自分は何も悪くない」ということを証明するために、
徹底的に自分を卑下するという、矛盾したことをやっているのです。

しかし、そのような理屈は、どうしても筋が通りません。

自分が一番不幸であるなら、もうとっくにこの世にはいないはずです。

いろいろつらい目にあいながらも、
何とか生きてこられたということは、
充分に幸福であったということなのです。

自分の努力が実ったか、
誰かの助けがあったか、
たまたま幸運が重なったおかげなのです。

「不幸である理由」を数え上げればきりがないのと同じように、
「幸福である理由」も探せばいくらでも見つかるのです。

自分を改めようと思えば、
いやでも

「これまでの自分の考え方が間違っていた」

ということを認めざるをえません。

言い訳ばかりして先に進もうとしない人は、

「自分が間違っていた」

ということを認めてしまえば、自分の価値が完全に否定されると思い込んでいるのです。

「自分が間違っている」ということを認めたくないから、他人のせいにする。

他人のせいにしている自分の卑しさを認めたくないから、自分を責める。

その堂々巡りで、いつまでたってもうっぷんは晴れず、心は疲れ果ててしまうのです。

「自分が不幸であること」のどんな言い訳も、

突きつめれば「自分の考え方が間違っている」

という結論にたどり着いてしまいます。

自分を好きになれないという人は、

「間違いを認めようとせず、言い訳をしている自分」

が好きになれないのではないでしょうか。

自分の間違いを認めようとしない人は、正確に言えば、

「間違いをあまりにも深刻にとらえすぎている」

のです。

「間違っていた」といっても、道徳的な罪を犯したわけではなく、
単に「やり方が間違っていた」というだけのことです。

別にそれは怖れるほどのことではないのです。

自分の考え方が間違っていたために、
自分が損をした。

ただそれだけのことで、
悪意をもって他人を傷つけたりしたのではないかぎり、
誰からも非難されるいわれはないのですから、
罪悪感や自己嫌悪を感じることはありません。

数学の公式を間違って覚えていた人が「悪い人」ではないのと同じことです。

間違いに気づいたなら、それを改めればよいだけのことなのです。

うまくいけば、よし。
うまくいかなくても、それもまたよし。

思い通りにならなくても、人間はそこそこ幸せに生きていけるのです。

勇気を出して、
「自分が幸せである理由」を見つけてみましょう。

間違いを改めないことを非難されることはあっても、改めて責められることはないでしょう。

 

 

~感想~

私は自分は幸せだと思っています。

なぜなら私は沢山の友達に恵まれているからです。

ありがとう、ごめんなさいが言える友達

笑わせてくれる友達、一緒に泣いてくれる友達、本気で怒ってくれる友達

挫折を共に経験した友達、それを一緒に乗り越えた友達

その子がいるだけで安心できる友達

挙げていくと限りないくらいの大切な友達がたくさんいます。

「ああ、つらいな...」「本当にいやだな...」

などといったことがあっても、友達と一緒に話していたり、過ごしていると

本当に小さなことで悩んでいたのだな。と思うことが出来ます。

そんな私の事を理解して、一緒にいてくれる友達がいる事が

私が幸せだと思う理由です。

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2017-04-24 21:28:55

555!を読んで

テーマ:ブログ

こんにちは。八王子みなみ野七国にあります、年中無休の歯科医院

ななくに歯科のサポートスタッフ茅野です。

 

今日の555!!(第1584回)
今週もなんとか苦手な人との時間を過ごすことができたけれど、来週もまた同じような時間を過ごすことに憂鬱さを感じていませんか?
人と人の関係には相性がありますから、嫌いな人、苦手な人というも、世の中には少なからずいるものです。
...
嫌いな人、苦手な人と関わるとどうしても気持ちにストレスがかかりますから、なるべく付き合わないのが一番ですが、
そうもいかない関係も多いものです。
(職場の上司だったり、親戚だったり、ご近所付き合いだったり・・・etc)
そんな、嫌い/苦手だけど、関係を切る訳にはいかない相手と、
もっとストレスなくつきあえればいいのに・・・・と思う毎日ではないですか?
こんな逃げられない関係で悩む人へは、嫌い/苦手な人とうまくやっていくためにどうすればいいのでしょうか?
そもそも、
どうしてその人が嫌い/苦手なのでしょうか?
ほとんどの場合、誰かを嫌いになったり苦手意識を持つのには、具体的な理由があります。
「あの人は、××をしたから」というように、
その人の何らかの行動だったり、
「あの人の××が嫌い」というように、
見た目、声、話し方、などなど、その人の特徴や癖に嫌悪を感じていたり・・・
共通するのは、その人の「ある部分」が嫌いなのだということ。
相手の全てを知る事は不可能ですから、
あなたは、相手のある部分に注目して、それを嫌っているに過ぎません。
そして重要なのは、
「その人の部分」は、「その人そのもの」ではない
ということです。
しかし、
人は、他人の行動や特徴に嫌いな部分が複数重なると、その人全体と嫌いな部分を結びつけて、「嫌いな人」として扱ってしまう癖があります。
だから、
この癖のせいで、相手が何をやったとしても、何を言ったとしても、
全て「私の嫌いな○○さんが、××をしている。××を言っている」
という風に、嫌いなものに属する要素としてとらえ、相手の全てにストレスを感じてしまうのです。
嫌いだと感じる相手とストレス無く接するためには、
相手を「嫌いな人」として扱うのをやめて、
「私はあの人のもつ、××な部分が嫌い。私はあの人がやった、××な行動が嫌い」といったように、
まずは、相手と、相手の嫌いな部分を分けてとらえるようにすると、
相手全体を嫌いだという気持ちが和らぎます。
今、嫌い、苦手と思っている相手との未来が、全て苦痛なことはないのであり、
本当は、ほんの一部の嫌い、苦手なことだけなんです。
本当に見なければならないのは、
未来の自分であり、未来に対して効果的な自分の行動の選択なのであります。
また、嫌いな人との関係でストレスを感じる大きな理由の一つは、あなたが無意識に、相手に好かれたいと思ってしまうこと。
人は誰でも、愛されたい、自分の存在を周囲に認めてほしいという願望がありますから、
たとえ自分の嫌いな相手であっても、その相手から嫌われたくない、好かれたいという気持ちが働いてしまうんです。
だからこそ、嫌いな人、苦手意識のある人に対しても、
変に気を使ったり、
無理に喜ばせようとしてしまうのですが、
そんなことをしても、無理をした分ストレスが溜まって、
なおさら相手と接するのが苦痛になっていきます。
あなたの嫌いな人、苦手な人と、上手くやっていきたいと思えばこそ、
その相手から好かれることは一旦諦めましょう。
そちらの方が、ストレスが減るし肩に変な力が入らず、その人とうまくやっていける可能性も上がります。
でも、
あなたからは、あなたの苦手な人・嫌いな人は、欠点だらけに見えるかもしれません。
だからといって、その人のことを、あなたの力で変えようとしないでください。
相手を批判したり、
逆に相手をおだてたりして、
相手をコントロールすることは、ほとんどの場合失敗し、
その相手との関係に取り返しがつかないほどのダメージを与えます。
また、たとえうまく行ったとしても、
あなたは相手をコントロールし続けることにストレスを感じて、
ますます相手を嫌いになってしまうでしょう。
相手と上手くやっていきたいと思うのならば、その人を変えようとするのはやめましょう。
僕は元々八方美人なところがあって、
嫌いな人とでも、にこやかに接することが出来る、器用に振る舞える・・・というのが昔は自慢だったのですが、
ある日、そんなことをしても自分にストレスが溜まっているだけだ!
ということに気づき、それ以来、あんまり無理はしなくなりました。
その結果、今の方が間違いなく、嫌いな人/苦手な人が少ないです。
苦手な人・嫌いな人と上手く付き合っていくには、
その人の部分と全体を分けておくこと、
その人に好かれようとしないこと、
そして、相手を変えようとしないこと
が重要ですよ。
 
-感想-
私は人間関係で悩む事がよくあります。

「その人の部分と全体を分けておくこと、その人に好かれようとしないこと、そして、相手を変えようとしないこと。この三つを参考にし、自分が変わっていければ良いなと思いました。この555を読んでなるほどなと思いました。私にも自分が好かれたいというような願望があるため、相手をコントロールしてしまうんだと気付きました。

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2017-04-23 12:46:14

555を読んで

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八王子みなみ野七国にあります、年中無休の歯科医院

ななくに歯科のサポートスタッフ島田です。

 

今日の555!!!(第1575回)

ほどほどに生きることも大切なんじゃない?

「自分はいったい何のために生まれてきたのだろう」ということは、誰でも一度は考えたことがあると思います。

...

「人間にはひとりひとり、生まれてきた意味があるはずだ」
ということがさかんに叫ばれますが、
それはとりもなおさず、
本来、人生には意味などないからこそ、そう強調せざるをえないのだということかもしれません。(笑)

「人間にとって、空気は大切だ」
とことさらに主張する人はいません。

そんなことは当たり前で、誰でも判りきっていることだからです。

生きる目的が見つからないからといって、
悲観することはないんじゃない?

だって、それでもともとなのですから。( ◠‿◠ )

意義のある人生を送りたいと思うのは当然ですが、
それにとらわれるあまり、
意義を求めて苦しむだけで人生を終えてしまっては、
元も子もないと思うの。

「固い友情で結ばれている」と思っていた親友が、
急に自分を避けるようになると、
逆に殺意を抱くほどの激しい憎しみを感じてしまいます。

「自分が会社を支えている」と思っている仕事人間は、
降格させられただけで、
自分のすべてを否定されたかのように落ち込んでしまいます。

「子供をきちんと育てなければならない」という思いが強すぎる親は、
思い通りにならない子供につい手を上げてしまい、後悔にさいなまれることになります。

考え方はいたってまっとうで、けっして間違ってはいないのですが、枝葉末節にこだわりすぎて、かえって全体を台なしにしてしまっているのです。

深く考えず、不真面目に生きればよいというのではありません。

人生は真剣に生きるほうがいいと思う。

しかし、
「いくら考えても、正しい答えなど見つからない」
ということも知っておかなければなりません。

どんなに悩み苦しんでも、
「人間はある日突然、この世にぽんと生まれてきて、食べて寝て、いずれ死んでいくだけのはかない存在にすぎない」
ということも事実なのです。

大量殺戮を行った独裁者も、
原子爆弾をつくった科学者も、
自爆テロを起こしたテロリストも、
クソがつくほど真面目な人だったのでしょう。

「自分が生まれてきた意味は何なのか」
「生きた証を残したい」
「社会を変えたい」
と真剣に悩み抜いたに違いありません。

しかし、その真面目さが生み出したものは、
新たな悲劇だけです。

真面目であることは人間の長所には違いありませんが、
度が過ぎればまわりが見えなくなってしまうという危険ももち合わせています。

人は結局、
「自分に合った生き方をする」
というところに落ち着くしかありません。

自分の人生に目的があると思うことで幸せになれる人は、
そうすればよいし、
そうでない人は、無理にそうする必要はないのです。

肥満ぎみの人は運動をするべきですが、
心臓の弱い人ははげしい運動は控えるべきです。

クラシック音楽は、好きな人にとっては、心をリラックスさせるものですが、
退屈な人には、かえってストレスを感じさせるかもしれません。

何ごとも、一律に「こうすればよい」という方法はないのです。

「親を敬うべきだ」というのは正論ですが、親から虐待を受けて育った人にまでそれを強いるのは、酷な話です。

虐待を受けただけでもつらいことなのに、親を愛せない自分に罪悪感をもってしまっては、二重の苦しみとなってしまいます。

家族に恵まれなかった人は、ほかの幸せを見つければよいのです。

「仕事に生きがいをもつべきだ」
「夫婦は愛し合うべきだ」
「親友をもつべきだ」

これらは至極もっともなことですが、
できる人はそうすればよいというだけのことであって、
できないからといって自分を責めたり、卑屈になったりする必要はありません。

人は、何かが足りないことの不都合によって苦しむのではなく、「足りないことはいけないことだ」と思い悩むことによって苦しんでしまうのです。

自分の背中に羽根が生えていないからといって嘆く人はいません。

もし人間に羽根があって、空を飛ぶことができたなら、便利には違いないでしょうが、
もともとないものは、それが当たり前のこととしてすんなり受け入れられるのです。

不満も絶望も劣等感も、
「本来こうあるべきなのに」
という思い込みが引き起こすものだといってよいでしょう。

世の中に絶対に正しい考え方というものは存在しませんが、
ただひとつはっきり言えることは、
「偏りすぎてはいけない」
ということです。

何ごとも、ほどほどが一番なのです。

「ほどほどに生きる」ということは、怠惰で中途半端な生活を送ることではありません。

平均台の上を歩くには、バランス感覚と集中力が要求されます。

バランスよく生きるということが、実はもっとも難しいことで、挑むべき価値のあることなのです。

 

<感想>

わたしがこの555を選んだ理由は、今自分の将来が思い描けず迷子になっていたからです。

「ほどほどに生きる」という言葉はとても印象的でした。

わたしは物事を決めるのが苦手で、答えを出すまでに時間がかかる事が度々あります。

そのため、自分の方向性が決まるまでは「本来こうあるべき姿」を軸にしてしまいます。

そうして、自分の足りない部分にばかり目が行き、自信もなくなってきてしまいます。

今後は、こういった自分の傾向を受け止め、良くできた像に偏り過ぎるのではなく、広い視野を持ち、「ほどほどに生きる力」をつけたいです。

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2017-04-22 18:19:10

555を読んで

テーマ:ブログ

八王子みなみ野七国にあります、年中無休の歯科医院

ななくに歯科のサポートスタッフ大野です。

 

今日の555!!!(第1579回)

成長することが、自分を苦しめていませんか?
よくなりたい!!という自分の気持ちが、自分を苦しめていませんか?
人に優しくする!!という自分の気持ちが、自分を苦しめていませんか?

...

今までの自分を変えたくて、
自らの意志に目覚め、
「これからは明るく前向きに生きよう」
と心を入れ替える。

そんな前向きな気持ちは、もちろんすばらしいことですが、そういうときに陥りがちな過ちがあります。

それは・・・

「前向きに生きようと決めたのだから、これからはネガティブな感情になることは、絶対に許されない」と考えてしまうことです。

そういう人は生真面目である場合が多いので、
自分が決めたことは完璧にやり遂げなければ気がすみません。

少しでも腹を立てたり、
暗く落ち込んだりしてしまえば、

「せっかく明るく生きようと決めたのに、なぜできないのだ」

と自分を責め、以前よりもストレスを増大させてしまうのです。

自分を責めないと決めたのに、やはり責めてしまう。
そして、「責めてしまう自分」をまた責めてしまう。

こんなふうに、

『やっぱり自分は、自分を愛することも明るく生きることもできないのだ・・・』

と自信を失いかけてしまったとき、立ち止まって深呼吸をし、考え直してみてください。

それは生まれ変わるための一時的な苦しみであり、
確実に進歩している証拠なのです。

あと一歩のところまできているのですから、
焦らず、
疲れたら休みながら、
少しずつでも前進していってください。

「自分を責めない」
「明るく笑って生きる」
という目的意識をもつことは大切ですが、
理想的な姿で自分をがんじがらめにしばってしまうのは、
本当に自分を受け入れていることにはなりません。

自分を愛せない、
明るくなれない、
と殻に閉じこもっている人が怖れているのも、

「明るく前向きな自分へと一線を踏み越えてしまえば、二度と泣き言をいえなくなってしまう」

という不安でしょう。

自由な大海にあこがれながらも、

「一度泳ぎ出してしまえば、溺れても引き返すことができない」

という恐怖心を抱き、
それならいっそのこと、

「どうせ自分はダメな人間だ」

とせまい檻の中に閉じこもっているほうが安全だ、と考えてしまい、勇気を出せずにいるのです。

どんなに明るく生きている人でも、
ときには腹を立てたり、
落ち込んだり、
そんな自分を責めてしまったりすることはあるものです。

人間には必ず陰と陽の部分があり
、つねに強く明るく生きることなど不可能です。

「自分を責めない」ということは、「自分を責めてしまう自分」さえも責めないということです。

怒りや悲しみという不快な感情を抱くことは、とてもつらいことです。

しかし、そういう不快な感情は、いくら抑えつけても打ち消すことはできません。

表面的にごまかすことはできても、
「誰も自分を理解してくれない」という傷跡となって心に残ってしまいます。

「怒ってもいいのだ」
「悲しんでもいいのだ」

と、感情をありのままに受け入れ、自分を許すことができれば、深い傷とはならないものです。

「変わらなければいけない」
と必死で自分に言い聞かせていては、たとえ変わることができたとしても、

「他人に好かれたいために自分をとり繕っている」

という嫌悪感は拭えず、自分を好きになることはできません。

口下手な人は口下手なままに
、孤独な人は孤独なままに、
怒りをためている人は怒りをためたままに、
「明るく生きる」ことは可能です。

世の中には、ほとんど行ってもいいぐらい
陽の部分と、陰の部分が存在します。

それが自然というものであります。

どして、人間の私たちが、陽の部分だけの恩恵を受けることができるのでしょう?

自然は、どちらも、私たちに、与えているのであります。

決して、それについて、あがなうことはできません。

だから・・・

陰の部分も陽の部分も、

両方の自分を受け入れるということが、

本当に自分を愛し、自信をもって生きるということなんじゃないかな? (^^)/

 

感想

僕も成人になったのでいろいろ変えたいと思って日々過ごしています。

変えたいと思って気持ちを変えようとしますが、中々上手くいかないと

「結局、自分の弱い所があるから上手くいかないんだ」と

自分を責めては、その繰り返しが続き

最後は自分自身落ち込んで辛くなる時があります。

陰の部分も陽の部分も受け入れるって中々難しいことだなと思います

でも、陰の部分も受け入れないと同じことの繰り返しですよね

すごく難しい事だとは思いますが

陰も自然に受け入れるような自分に変わろうかな

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2017-04-21 19:54:38

今日の555を読んで。

テーマ:ブログ

八王子みなみ野七国にあります、年中無休の歯科医院

ななくに歯科のサポートスタッフ大木です。

今日も院長先生の「今日の555」を読ませていただいた

感想を書きたいと思います。

 

今日の555!!!!(第1574回)

人を動かすものって何なんでしょうね?

この時期になると、歯科医院には、多くのお子様が、学校での歯科検診の結果をもって、歯科医院へご来院されます。...
いろいろなご相談がありますが、お父様お母様が不安そうに相談されるのが・・・・

歯並び、かみ合わせ・・・・そして矯正のご相談。

お母さまたちは、口をそろえて、こうおっしゃります。

『変な所から歯が生えてきた・・・歯並び悪くなりますよね』

って。

そう、わかっていらっしゃるのです。

お子様の歯並びがお悪くなることを。

そして、

その結果、

矯正をする親御様もいらっしゃれば、お悩みになられる方もいらっしゃれば、しないという選択をされる方もいらっしゃります。

ちなみに、矯正をする、しないに関わらず、どの親御さんも!!と言っていいほど、

お金のこと
期間のこと
痛みのこと

をご質問されます。

では、

矯正をやる!!と、選択された方ってどんな方のでしょう?

お金持ちなのでしょうか?

確かに、お安い値段ではありません。

ちなみに、矯正をされると決めた方々は、

全員が、すごーーーーーーーーいお金持ちっていうわけではありません。

矯正を選択されたご家族が特別お金持ちというわけではなく、一般的なご家庭の方々も、お子さんに矯正をさせることを選択しております。

では、

お金持ちとか、そいうこと関係なく、矯正を決断した親御様は、なんで、お子様に矯正をしてあげることを選択できたのでしょう?

それは・・・

ビジョン

なのかもしれません。

ちなみに、

車も

家も

現金でお支払いする方は、そうそういません。

車も、家も、買う時は、ほとんどの方が、現金で支払うことはできない

『お金はありません』

という状態です。

でも、買うんです。車も家も。

つまり、

『お金はない』

という理由で、物を買わない選択をしておらず、

むしろ、

『お金はない』

のに、

『借金』をしてまで、買ってしまうのであります。

矯正も

家も、

車も、

『お金はない』

のに、お金をはらう選択をするのであります。

なにが、そうさせるんでしょうね?
なんで、決断できるんでしょうね?

『お金はない』状態なのに。

だって・・・

それは・・・

その方に

ビジョンがあるから。ヽ(^。^)ノ

人は、ビジョンがあれば、動くのであります。

人は、ビジョンで、動くのであります。

ビジョンは、今の不安を押しのけて、未来のための選択をする勇気を支えてくれます。

逆の言い方をすれば、

ビジョンがなければ、今の不安に負けてしまい、今の不安を解決する決断を選択させます。

ビジョンがなければ、今、わかりやすい目の前の問題に、今の行動が、束縛されてしまいます。

人が動く理由は、お金ではないんです。

人が動く理由は、時間でもないんです。

人が動く理由は、痛みの有無、苦痛の有無ではないんです。

お金の問題も、

時間の問題も、

痛み、苦痛の問題も・・・

ビジョン

が全て解決し、

それを乗り越えることができるのであります。

ビジョンがなければ、

お金の問題も

時間の問題も

痛み、苦痛の問題も、

『今、大切な問題』

となってしまい、

人生、すべてその問題解決のために、生きていくことになります。

ちなみに、親が、お子さんが大人になるまで、いろいろなものをプレゼントすることができます。

楽しい想い出。

将来役立つ学問。

すくすく育つ環境。

1人で生きてくための技術。

スポーツや芸術ができるような知識と経験。

いったい、どれくらい、子どもから大人になるまで時間とお金をかけていくのでしょうね。

すべては、将来のビジョンが、

いろいろなものや事を、将来の子どものために、これらのことを、ご提供する動機となるのでしょう。

なので、

ぜひ、お父様、お母様は、お子さんの為に

健康な体

を意識してもらえると、僕は、1人の歯科医師として、

とてもとても嬉しく思います。

『健康は、全てではありませんが、

健康を失うと全てを失います』

ビジョンは、

正しい情報と

そして、

ご本人の気付き

によって、創りだされます。

ぜひ、お子様の歯並びの悪さに気が付いたその時・・・

お子様の大人になった時の最高の健康状態のビジョンを

歯科医院で、

描いてみてください

ヽ(^。^)ノ

 

<感想>

私もつい最近、息子の歯科矯正をするか迷い、受診したことがあり、

共感したのでこのブログを選びました。

息子は8歳ですが、3歳児検診のころからずっと将来の歯並びについて指摘をうけていました。

当時は「矯正は高いし、期間も長いし、子供の身体的負担も大きそうだし…でも、子供の将来を考えると歯並びは大切だし…」と表面的な不安ばかり考えて、はっきりしたビジョンまで見据えていませんでした。

しかし、息子が小学生になり本人が「将来こんな大人になりたい!」というビジョンが少しずつ見えてくると、私の考え方も変化してきました。

何よりも大切な息子が目指している目標を手助けするために歯科矯正が必要ならば、費用や期間などは不安要素ではないと、気づきました。

そして、矯正相談を受ける決心をしました。もちろん息子と話し合って予約を取りました。

結果的には他に治すべき内科的疾患を優先させ、歯科矯正はまだ様子をみることになりましたが、親子共々とても清々しい気持ちで診察を終えることができました。

院長先生のブログを拝見して、今の私と重なる部分がたくさんありました。

同じように悩まれている親御さんがたくさんいらっしゃると思います。歯科矯正を通してお子様の将来なりたい姿がかなえられるかもしれません。

少なくとも私にとってはとてもよい悩みの時間でした。

 

 

 

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2017-04-20 01:16:55

555を読んで。

テーマ:ブログ

こんにちは。

八王子みなみ野七国にあります年中無休の歯科ななくに歯科の保育士兼サポートスタッフの前田です。

院長のブログより、心に残ったものについてかきます。555!!!(第1580回)

期待した結果に、多くの人が苦しみ悩み、心痛めます。
例えば、恋人にいろいろ尽くしてきたのに、急に別れを告げられて、腹が立つことがあります。
誕生日に高価なプレゼントをあげたのに。わがままな頼みもきいてあげたのに。不満があっても文句を言わず、我慢してきたのに。
いったい私のどこが気に入らないというのだ。

また、親は、子供を精一杯育ててきたのに、思春期になって突然反抗され、訳が判らず戸惑います。
我が子のためを思って、高い月謝を払って塾に行かせ、習いごともさせ、必要なものは充分に買い与えてきたのに。

私たちが「人のため」と思ってやっていることは、
実は、自分の欲求を満たすためにやっていることが多いものです。

結局は、相手の気を引きたいからであり、自分が必要とされたいからなのです。
だから、その要請に相手が応えてくれなければ、怒りや不満を感じるのです。

好きな恋人と少しでも長く一緒にいたいと思うのは当然ですし、
親が我が子をかわいがり、心配するのも当然です。

しかし私たちは、愛情という美しい言葉を盾にとって、
知らず知らずのうちに、
他人を自分の自由になるものとして扱ってしまうことがあります。

他人を自分のものにしたいという我執が、私たちを苦しめるのです。

とは言うものの、見返りをいっさい求めず、
純粋に「人のため」に何かを行うということは、ほとんど不可能なことです。

「人のため、人のため」と考えすぎれば、それもまた、一方的な押しつけとなってしまいます。

できないからといって、何もしないのもよくありません。

本当は自分のためでも、その行いが実際に他人の役に立っているなら、やらないよりはやったほうがよいでしょう。

では、どうすればよいのかというと、
「人のため」などとごまかさず、
はっきり「自分のため」と自覚しながら行動するしかないのではないでしょうか。

「自分のためにやっていることなのだから、思い通りにならないからといって他人を責めるのはお門違いだ」
ということさえ認識していれば、それでよいのです。

他人のために何かをしてあげたなら、
その報いは相手に求めるのではなく、
天にまかせるのがよいでしょう。

せっかく他人のために何かをしてあげたのに、
まったく感謝されないこともありますが、
逆に、自分の気づかぬうちに他人の善意を無にしたり、
他人を傷つけたりしていることもあるものです。

よい行いをすることによって、悪い行いが相殺されたと考えるくらいがちょうどよいのです。

他人から認められたい、他人から愛されたいという欲望を完全に捨て去ることはできないかもしれません。

欲望を捨て去ることはできなくても、
その欲望にとらわれている自分の弱さをはっきりと認め、
他人に対して申し訳ないという謙虚な気持ちをもって接することはできます。

他人に申し訳ないという気持ちで接するというのは、
けっして卑屈に自分を責めるということではありません。

「他人のためにしてやっている」という態度ではなく、
「させてもらっている」
という感謝の気持ちをもつということです。

何かをしてもらったことに感謝し、何かをさせてもらったことに感謝する。

すべては自分の喜びのためなのだと思えば、
他人への押しつけや不満は消えていきます。

「欲望にとらわれている人」と、
「欲望にとらわれていることを自覚している人」は、
同じではありません。

自分が自分の心の主となり、欲望に振り回されないよう、しっかり制御することが肝心ですよね。

 
感想
何かをしてもらったことに感謝し、何かをさせてもらったことに感謝する。
とても素敵だなとおもいました。
まずは、私も自覚をする一歩から始めようと思います。

 

 

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2017-04-18 00:00:00

555を読んで

テーマ:ブログ

こんにちは。

八王子みなみ野にあります年中無休の歯科医院ななくに歯でサポートスタッフをしております伊藤有子です。

 

今日の555!!!(第1580回)

期待した結果に、多くの人が苦しみ悩み、心痛めます。
例えば、恋人にいろいろ尽くしてきたのに、急に別れを告げられて、腹が立つことがあります。
誕生日に高価なプレゼントをあげたのに。わがままな頼みもきいてあげたのに。不満があっても文句を言わず、我慢してきたのに。...
いったい私のどこが気に入らないというのだ。

また、親は、子供を精一杯育ててきたのに、思春期になって突然反抗され、訳が判らず戸惑います。
我が子のためを思って、高い月謝を払って塾に行かせ、習いごともさせ、必要なものは充分に買い与えてきたのに。

私たちが「人のため」と思ってやっていることは、
実は、自分の欲求を満たすためにやっていることが多いものです。

結局は、相手の気を引きたいからであり、自分が必要とされたいからなのです。
だから、その要請に相手が応えてくれなければ、怒りや不満を感じるのです。

好きな恋人と少しでも長く一緒にいたいと思うのは当然ですし、
親が我が子をかわいがり、心配するのも当然です。

しかし私たちは、愛情という美しい言葉を盾にとって、
知らず知らずのうちに、
他人を自分の自由になるものとして扱ってしまうことがあります。

他人を自分のものにしたいという我執が、私たちを苦しめるのです。

とは言うものの、見返りをいっさい求めず、
純粋に「人のため」に何かを行うということは、ほとんど不可能なことです。

「人のため、人のため」と考えすぎれば、それもまた、一方的な押しつけとなってしまいます。

できないからといって、何もしないのもよくありません。

本当は自分のためでも、その行いが実際に他人の役に立っているなら、やらないよりはやったほうがよいでしょう。

では、どうすればよいのかというと、
「人のため」などとごまかさず、
はっきり「自分のため」と自覚しながら行動するしかないのではないでしょうか。

「自分のためにやっていることなのだから、思い通りにならないからといって他人を責めるのはお門違いだ」
ということさえ認識していれば、それでよいのです。

他人のために何かをしてあげたなら、
その報いは相手に求めるのではなく、
天にまかせるのがよいでしょう。

せっかく他人のために何かをしてあげたのに、
まったく感謝されないこともありますが、
逆に、自分の気づかぬうちに他人の善意を無にしたり、
他人を傷つけたりしていることもあるものです。

よい行いをすることによって、悪い行いが相殺されたと考えるくらいがちょうどよいのです。

他人から認められたい、他人から愛されたいという欲望を完全に捨て去ることはできないかもしれません。

欲望を捨て去ることはできなくても、
その欲望にとらわれている自分の弱さをはっきりと認め、
他人に対して申し訳ないという謙虚な気持ちをもって接することはできます。

他人に申し訳ないという気持ちで接するというのは、
けっして卑屈に自分を責めるということではありません。

「他人のためにしてやっている」という態度ではなく、
「させてもらっている」
という感謝の気持ちをもつということです。

何かをしてもらったことに感謝し、何かをさせてもらったことに感謝する。

すべては自分の喜びのためなのだと思えば、
他人への押しつけや不満は消えていきます。

「欲望にとらわれている人」と、
「欲望にとらわれていることを自覚している人」は、
同じではありません。

自分が自分の心の主となり、欲望に振り回されないよう、しっかり制御することが肝心ですよね。

 

~感想~

この555を選んだ理由は子育てや人とのおつきあいにおいて自分の中で大切にしているものと通じることだと思ったからです。特に子育てはこの「やってあげている」というある意味愛情ではあるけれども不満を持った時に出てきてしまう感情がやっかいであります。こんなにやってあげているのになぜ?と思った瞬間に思いどうりにならない怒りと不満でいっぱいになりもやもやしてしまう。そんな時期もありました。しかし自分がそうしたいからやっている、それが自分の幸せにつながるからと思うことで子供が頑張っていればサポートしたり応援する。そしてその結果色々な幸せを運んできてくれる子供たちに日々感謝することが出来るようになりました。人付き合いも仕事も同じだと思います。考え方一つで気持ちが変わることを実感できるのでこれからも大切にしていきたいと思います。

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