私は朝起きてまずすることが、音楽のスイッチを入れること。

 

テレビを見る習慣をやめた10年前以前は、テレビのスイッチを入れることだった。

 

朝という時間が大好きで、できるだけ気持ちよく過ごしたい、

1日の始まりをできるだけいい気分で迎えたい、

そんなところから自然とできていた習慣。

 

多くの人が、朝はニュースを見ることで1日を始める中、

私はあえて意識的にそれをやめた。

 

メディアで取り上げられるニュースはほとんどが、

悲劇・社会問題・噂、など

知っておくことは重要だと思うが、

やたらと”ネガティブ”なことが多い。

 

新しい1日を迎える時に、

一番最初に自分の中に取り入れたい”音・情報”、だとは思えず、

ニュースは後でインターネット上で読み物という形で取り入れている。

 

朝起きてから最初の1時間の過ごし方で、残り1日の過ごし方が決まる

と言われているように、

”始まり”の過ごし方は大切にしたい。

 

 

小学生の時に母がクラッシックミュージックのCD100枚セットを買ったきたことがあった。

妹とピアノ教室に通っていたので、

いい勉強になれば、とかいう気持ちで買ってくれたものだと思っていた。

でも、先日母が本当の理由を教えてくれた。

 

「毎朝クラッシックミュージックを聴きながら、優雅に朝を過ごすことが夢だったの」

って。

 

林家では、そんな優雅さとは程遠い、

とっても田舎スタイルな、

どっちかというと演歌とかがしっくりくるような

環境だった(し、今でもそう笑)。

 

強く、たくましく戦う強い女というイメージの母が、

そんな、繊細というか、女性らしい夢をもっていたことを知り、

とても愛おしく思い、

なんだか涙がこみ上げた。

 

 

朝、気持ちいい音楽を聴きながら、

大好きなコーヒー入れたり、

朝ごはん用意したり、

朝の準備していると、

本当に気持ちよく朝を楽しめる。

 

 

よければ、皆さんの気持ちいい朝の過ごし方のおすすめも聞きたいです。

 

今日もありがとうございます。

奈那

AD

最近仕事で久々にプログラミングをしていて、

コードやデータベースを扱う機会がある。

 

そして感じること。

 

システムというものはとてもオーガニック・有機なものだということ。

 

過去にSE やってた時は1度もそういう風に思ったことなかったし、

むしろその逆を思っていた。

 

コーディングにもいろんなスタイルや哲学があり、

コードをした人のキャラクターが強く出る。

 

そのキャラクターが、

システムの動き方、

ハードウェアとのシナジー、

ユーザーとの関わり方、

他のシステムとの相性や柔軟性、

将来の変化や成長の考慮、

いろんなところで影響する。

 

 

そこからいろいろ考えてたどり着いたところが、

 

全て人間が作るものは、オーガニックなんだ!

ということ。

 

この世に存在するものは全てエネルギーだ、

ということは認識していたけど、

”モノ” のエネルギーをそこまでオーガニックなモノと感じたことがなかった。

 

 

日本に帰ってきて改めて感じていることの一つが、

日本人のモノ造りに対する情熱と愛、そして

モノの扱い方の丁寧さと感謝の気持ちの強さ。

 

まさにそれが世界が認め賛賞する

日本製品のクオリティーの高さを裏付けるモノではないかと思う。

 

 

仕事で音楽を扱っている中で、

CD vs デジタル

というトピックは今避けて通れない課題。

 

世の流れとしては、デジタルがどんどん強くなっている。

アメリカで私が最後にCDを買ったのは学生時代の15年前くらいで、

今ではDVD・ビデオレンタル屋さんを見なくなったのと同様に

CDショップを見ることがなくなり、

ほとんどの人がデジタルで音楽を入手する。

 

そんな中、

日本とヨーロッパ(特にドイツ)ではCDのセールスが根強く存在し、

働き先でも、CDの売上がとても強い。(ありがとうございます☺️)

 

それは音楽という目に見えない”モノ”への価値を、

CDという目に見える形にしておくことによって

感謝の気持ちや、思い、愛や情熱がみえやすくなるからかな、

とも思ったりする。

 

 

先日12月8日は 針供養の日だということを知り、

対人だけではなく、

対モノへの感謝の気持ちを表す

そのような日本人の心と伝統が、

私の中で感動、気づき、納得を生んだ。

 

 

アメリカ生活の中で、いつの間にか

モノを大切にする、という心が薄れていってたような気がする。

おおざっぱな性格、というのが加わり、

扱いもどんどん雑になっていた。

 

そのせいか、お気に入りのモノをよく無くした。

それが起きると、

どうせモノだし〜、私はモノに執着心ないから〜”、

ととてもショックな気持ちを感じながらも、

それを紛らわすようなことを言い聞かせてた。

 

でもそれは Vicious Cycle、悪循環、をつくり、

気に入っているモノは特に、

次から次へと 

逃げていった

というのが正しい表現かもしれない。

 

 

最近は意識的に

モノへも感謝の気持ちを言葉にして出している。

 

一つ一つのモノも、

いろんな人が関わって完成し、

自然界で与えられたものがあってこそ存在し、

縁があって私と今という時と空間を共有し、

私の生活に、世の中に価値を与えてくれている。

 

ありがとうございます。

 

 

AD

ハグのススメ

テーマ:

職場で毎朝朝礼をするんですが、当番はみんなの前で短いスピーチをします。
先日初めて当番が来た時に、”ハグのススメ”というトピックでお話しさせていただきました。

アメリカ生活で得た大好きな習慣の一つ、ハグ。

林家ではその習慣を早々と輸入し、両親、祖父母、妹家族と会う時、別れる時、ハグをします。

そのハグをオススメする3つの理由。

1。相手とのつながりを深めることができる。
ハグ、スキンシップから感じることができるつながりは深くあたたかいです。

2。お互いにいたわり、愛おしさがわく。
ハグをすると、その相手に対して持てる気持ちは、いたわり、愛おしさ、感謝、以外難しくなります。

3。みんな同じ人間、一人じゃない、ことを実感できる。
ハグをすると、みんな同じ一人の人間なんだ。
そして、みんな一人で生きていない、つながって生きているんだということを認識できます。

優しいけど
効果はとってもパワフルなハグ。

ある方が、「子供とは(ハグ)するけど親とは気持ち悪い」とブログでおっしゃってました。
日本人独特の照れ臭さなどの表れでもあると思いますが、
だからこそご両親とハグをして頂きたいです。


毎回両親と会うたびに
身体がどんどん小さくなっていくのを、
目で見えるだけでなく、
身体で感じます。

子として親に求める期待が大きくて、
イライラしたり、
時にはきつい口調で話してしまったりします。

でもハグをする時に改めて気づきます。

彼らも一人の人間なんだ。
一生懸命育ててくれたんだな。
彼らの愛のおかげで今の私がある。
一人で生きていないんだな。
ありがとう。

照れ臭さや、
単純にそんなことできない、というこだわりで、
ハグから得ることができる恩恵を逃すのはもったいないと私は思います。

短くてもいいんです。
最初はぎこちなくていいんです。
(私も妙に腰が遠く不自然な位置でハグするところから始まりました笑)

親御さん、パートナー、お子さん、親友、同僚の方…
身近な人から始めてみて下さい。

ハグで人とのつながりが深まり、あたたまり、
日本の社会がもっとあたたかく優しくなることを願って…

ありがとうございます😊

AD

❤️感謝の気持ち❤️

テーマ:

感謝の気持ちをなるべく言葉で表すことを日頃心がけています。

その中の一つとして、意識的にやってることが、
ビジネスのメールでは必ず
 ”ありがとうございます” で締めるようにすること。

英語ではよく、”Thank you, [名前]”, と締める習慣があり、
それを知ってて、私がその名残でやってるのだろうと思われる方に、

”日本ではあんまり(メールの締め言葉として)言いませんよ”、

と言われたことが何回かあった。


その度に、

”わかってます〜。でも私は言いたいんです〜☺️。”、

と言って続けてきました。

そうです、頑固な私はこだわってるところはそう簡単には折れないんです〜。

その、”ありがとうございます” には実は沢山の感謝の思いが入っています。

相手の方の存在とその方とのつながりに感謝。

私の書いたメッセージを読んでいただいたことに感謝。

自分がそのメールを配信できたことに感謝。

お互いがそこで何かしら意思の疎通が図れたこと、そこから生まれる何かに感謝。
それを可能としたテクノロジーに感謝。
…リストし始めると長くなるのですが、

その一言に私の💖熱い思い💖が入っています。

だから、シグネチャーの一部と設定せずに、毎回必ずタイプしています。

プライベートのメールは、
Love, XOXO (hugs&kisses), など、

感謝を愛という表現にして同じ思いを込めています。一緒です。

❤️ありがとうございます❤️

これを読んでくださった方に感謝します。
読んでなくても、こういう気持ちにさせてくれた全ての存在、出来事、今という時と空間に感謝します。

ありがたや〜ありがたや〜。

{1BBDCAC9-D6A9-4837-AEF3-A3EA7DE85D1F}

私を生み育ててくれた両親にも常に感謝です。

I love you all!


人前で話す

テーマ:

私は人前で話すのがとっても苦手です。

 

って言うと、”え゛ーっ?!そんな風に見えない〜!!”、とよく言われる。

 

でも、毎回人前で話す時は、心臓が口の中から出てくるんじゃないか、とか、

眼球がビクビク拡張してそこから脈拍取れるんじゃないか、

と思うくらい緊張する。

 

デルタの時の機内アナウンスも、最初の頃は、タイミング”良く”毎回トイレに逃げてしまおうか、と思うくらい嫌だった。

 

妹の結婚式のスピーチの時は、お酒で緊張を麻痺させて、酔いで勢いつけてやり遂げた。(Akiちゃん、例のPinky & The Brain スピーチですわ〜。)

 

緊張状態でなくても、自分の考えをまとめて論理的に人に伝えることは得意ではないのに〜。

 

でも、私は大きな野望を持っていて、いつか、TED Talk とか、大きな講演会とかで、堂々と話せるようになりたい、話す機会が持ちたい、と思っている。

 

昨日からヒューマンアカデミー新宿校のNLP Master Practitioner コースが始まり、これから毎クラスでみんなの前で発表する場が与えられる。

 

早速初日から頭が真っ白になるようなことを経験したけど、

緊張との上手な付き合い方を学び、

一歩、その野望への距離が縮まったのを感じれた。😂

 

達成まで何千歩、何万歩あるのかわからないけど、

一歩一歩、歩き続けていきたいと思う。

 

時には大好きなサルサステップも取り入れて、

クルクル回って楽しむのもありかな。

Acceptance of Everything

テーマ:
Acceptance of everything.
Accepting everything and everyone being the way they are right at this moment.
Accepting you are where you are, doing what you are doing, being who you are, thinking what you are thinking, feeling what you are feeling, experiencing what you are experiencing and not experiencing what you are not experiencing...

Everything is perfect.
Everyone is perfect.
Just the way they are.
There is no right or wrong.
There is no good or bad.
Everything is complete.
There is no lack or excess of anything.

Wanting something more or less starts when not accepting.

Can something be "better" or "more"?
Yes, it can, depending on the perceiver's perspective.
"More" can be an illusion, however.
"More" money, "more" love, "more" time, "more" friends, ....

What's the definition of "more"?
Bigger number of something that you believe you possess or own?
Can you actually "own" or "possess" more money, love, time or friends?
What does the ownership of those things mean?
Having freedom and responsibility of those things?
Does ownership of those things even exist...?

Can something be "better" for everything and everyone?
It can only if everything and everyone speak from the same perspective.
Can sharing the same perspective be good?
If everyone shares the same perspective, would it break the balance of the universe?

I think and speak of unity, oneness, connection of everyone and everything often.
If all is one, does it matter what kind of perspectives each may have...?

In a bigger scale of things, no matter what one may or may not think, it does not matter.
No matter how much or how little one may or may not have, it does not matter.
It's okay to accept and be at peace with everything and everyone as they are.
Living starts from acceptance.

Random thoughts of the day...

Importance of Invisibles

テーマ:
Importance of invisibles.

Love, energy, wisdom, compassion, ambition, beliefs... all those things are not really "visible" by themselves.
We can "see" the reflections of them onto one's actions, behaviors, words, environment and things/events he/she attracts in life.

We tend to wish for differences in invisibles by differing visibles.
But it actually works the other way around.

If we want to "see" something different, we have to change what's invisible.
And more importantly, what's invisible is what matters in life.
Love is what keeps us alive, connects, moves and elevates us.

I think LOVE is just like WATER in life.
Water gives us life and protection, creates energy flow, connects lives and cleans toxins.
If you try to grab water by hands with force, it slips away.
Love does the same.
It requires tender and gentle care and handling.

The more you have, the more you can share with the world.
The more you give, the more space you make allowing for it to come back to you.
And, do not look to get it from where there's less than you already have.
It's a simple physics law.
Energy flows from bigger to less.
Cold water cannot not make warm water warmer.
Warm water makes cold water warmer.

And this cycle of love/water does not stop unless the whole world stops or you stop the flow to/from the world.
You can experience it when there's movements.

I want to always be in the flow of love, experiencing the love I send to and receive from the world.

Thank you, Love.