• 28 Jun
    • 優しい世界への扉は「自分のほんとう」を分かち合うことで開く、という話。その1

      「自分のほんとう」を分かち合うコミュニケーション・スキル というタイトルと、どちらにしようか迷ったんだけど 今日はこちらにしてみた。   このひとつ前のブログを書きながら、 優しい世界への扉は、 「自分のほんとう」を、とりこぼさずに分かち合う、 というところから開いていくなぁと感じました。   「自分のほんとう」には、 いろんな階層があります。 顕在意識と潜在意識のグラデーションの間にお いろいろな「自分のほんとう」が転がっている。   そして、階層ごとにも、複数の「ほんとう」がある。   たとえば、自分の気持ちを相手に伝えるときも、 その気持を伝えることで、相手を傷つけるのではないかという不安や怖れ それを伝えることで、自分が嫌われるのではないかという不安や怖れ、 でも伝えなければ、自分もどんどん苦しくなってしまうという追い詰められた気持ち、とか そういうもの全部が「自分のほんとう」なんです。   まずは、自分自身の中にある 「自分のほんとう」を、とりこぼさずにつかんであげる。   これが始まりだと思います。 つかんでみて、その「自分のほんとう」を よく感じてみたら、 実はそれは自分のものではなかった、 ということもよくある話です。 でも、自分のものでなかったことに気づくにも、 まずは一旦は、それを自分の中にあるものとして キャッチしてつかむことから。     話は戻りますが、自分の中の「自分のほんとう」を 取りこぼさずにつかむこと、 つかもうとすること、がまずファーストステップ。   最初から上手くやれなくてもいいんです。 ただ、そうしようとして、自分の内がわに深く降りていき 自分の心の声に寄り添って、捉えてあげることを 繰り返すことで、 だんだんと上手になっていきます。 大切なポイントは、複数の「自分のほんとう」の声の どれか一つに引っ張られずに、 それぞれに寄り添ってあげる、もう一人の自分を 意識することかな。 ついつい、大きな声の主張の染まりがちになるけれど、 (たとえば、怒りとか)、冬ならば暖かいおコタにでも入ってもらって みかんとお茶を出してあげて、そこに座っていてもらうイメージ。 夏なら、木陰のガーデンテーブルにアイスティーでも。   なんだか気味の悪い感情ほど、 狭くて暗くて窮屈な倉庫のようなところに 押し込めてしまいたくなるんですけど そうすると暴れます(笑)   おもてなしの心を大切にしてください。       そうやって、もう一人の私が それぞれの「自分のほんとう」について 居場所をあげていくことで、 こんどはそれを人に伝える、 というステップに進む時が来ます。           ああ、今日はここまでかな~。   なんだか寝つけず、言葉が溢れてきてたので、ブログ更新。 溢れてきてた割には、あんまり書けず完結しなかったよ・・・ まぁ、いいか。   私はもともと、ものすごくコミュニケーションが苦手。 だからこそ、その大切さ、それが自分に与えてくれる 滋養や暖かさ、を痛感しています。   まだまだ未熟者の私が、 コミュニケーション・スキルについて語るのは おこがましいことこの上ない気持ちもたくさんあります。   でも、道の途上の者が分かち合うことで、 伝わるものもあるかも知れない。 そんな風に考えるようにしました。       私と今の夫とは、 お互いに傷だらけの状態で出逢ったので、   それこそ最初は自分の痛みや傷からの反応で、 お互いにたくさん傷つけあってしまった。   でも、その時に感じたこと、 それを今はどう受けとめているか、 ということも含めて、すこしずつ   「自分のほんとう」を分かち合えるように、 コミュニケーションを重ねてきたと思います。       もちろん、どれほど、自分のほんとうを分かち合うことを願っても、 それができない関係性というのもあることも、私は知っています。   自分の魂の望む道を進もうとした時、 どうしてもやってくる別れというものもある。 最初の離婚がそうだった。   だから、私と夫がそれを重ねてこれたということは、 いろいろな幸運が手助けしてくれた結果だと思っています。 私の提案どおりにすれば、どんな関係性も改善するとは これっぽっちも思いません。   だから、自分の心が指し示すものを 一番の羅針盤にしてほしい。       全てにおいて、人の変容には 見えざる大きな手が関わっているように 私は思っています。   夫と私の関係にしても、その変容には もちろん自分たちの努力や取り組みはあるとしても 人智を越えた恩寵も働いていると思う。   その恩寵的な要素を 意図的にどう創り出すのか、ということについて、 私は未だ語るに値するものを持っていません。       でも、泥臭くても、地をはうように、 地道に「自分のほんとう」を分かち合う、 ということをやっていると、だんだん世界は優しくなっていくと思うんです。   人ってね、ほんとうに優しいんです。本来は。   困っている人がいたら助けたい。 泣いている人がいたら寄り添いたい。 痛んでいる人がいたら一緒に痛い。 そして喜んでいる人がいたら一緒に嬉しい。   そんな生き物なんだって思うんですよ。       だから、自分が困っていること、 泣きたいこと、痛いことを そのまま分かち合うことができたら、   それを助けようとする人 寄り添おうとする人 一緒に居てくれる人は 必ずあらわれる。       たとえ、差し出されたものが 不器用だったり、自分にとって不完全であっても。 その不器用さや、不完全さと コミュニケーションしていけばいいのです。 「自分のほんとう」を、とりこぼさずに。       でも、自分のほんとうの気持ちに 蓋をしていたり、 それを伝えることが難しい状況にあるとしたら 世界はどんどん、嘘つきで信頼できないものに なっていってしまう。   自分のほんとうを分かち合っていく道の途中には 困難もたくさんあります。   でもその先には必ず、魂の喜びと充実があるのです。 私はそれを知っている。   だから、それを伝えていきたいなと思います。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 いつも応援クリックありがとうございます! とても励みになっています。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    • エンパスや共感覚者のための「世界が優しくなるコミュニケーションスキル・トレーニング」を考える

      魂の羅針盤を手にして翔べ、の林です。   普段とはちょっとテイストの違うタイトルで書く今日の記事。 この数日間のうちに自分が関わったコミュニケーションの中で 強く実感したことを書きます。   いわゆるエンパスや共感覚者、あるいは 霊媒体質だったり憑依体質だったりする人たち。   私もどちらかというと、その部類ですが、 この類の人たちは、子供の頃から 言葉を介したコミュニケーションがとても苦手なことが 多いと思うんです。   苦手でももちろん、いいんです。 得意になる必要はない。   ただ、こういう生まれつきの性質の人は (というか、本来はみんな多かれ少なかれエンパスだと思っていますが) まだ幼い頃に、世界は嘘に満ちている、信頼できない場所だ という確信を持ってしまっていることが多いような気がするんですね。 周囲の大人が言っていることと、自分が彼らから テレパシー的に感じ取ることが乖離しているとき、 そう考えるようになるのは、自然な流れなのかも知れない。 私たちは、世界が安全でないと感じるとき、 その不安や痛みを、幼いながらもどうにかやりくりするために 皆、健気な取り組みをします。 心を閉ざしてみたり、 自分の力を必要以上に大きく見積もったり、 逆に自分の力を誰かに委ねたり、 感じていることを麻痺させたり、 誰かを攻撃したり、自分が被害者になったり、   人間の創造性のバリエーションが これほど発揮されることはないだろう というぐらい、様々な方法で その痛みをどうにかしようとするのです。   だって、自分が生きるこの世界が 嘘だらけで信頼できない、と感じ続ける痛みに 正気で向き合うのは、とても大変なことですから。 でも、私は思うんです。       テレパシー的に受け取る 人の感情や感覚や状態についても いろんな層があって、   心の発達にともなって、 その層についての理解も 本来なら深まっていく。       自分のことを振り返ってみるとわかると思うのですが 一つのことについて、矛盾した気持ちが いくつも同時に存在していることって ありますよね。 そして、いくつもの矛盾した気持ちが 同時に存在してる層の さらに下層には、 もっと根本的な大きな気持があったりする。   下層に降りていく途中には、 心の傷があったり、防衛があったり、 無自覚に周囲の文化から吸収した世界観があったりします。   いろいろある。       こういうものは、本来、自分以外の誰かと 心を開いて、率直なコミュニケーションを重ねることで だんだんと見えてくるようになるのではないか と思うのです。 でも、エンパス要素の強い子供は 子供なりに一番強く感じられた部分だけを 相手や世界の真実だと思い込みやすい。   そして、周囲の嘘や欺瞞に傷つき怖れ、   早い段階で、率直なコミュニケーションを 諦めてしまったり、できなくなってしまったりすることが 多いのではないかと思うんです。     でも、そのままだと、世界はなかなか優しいものにならない。   どうしてかというと、世界が優しくなるときというのは、 自分のほんとうの気持ちを、 矛盾したものや階層の異なるものも含めて、 全部を伝えていけるようになった時だから。 もちろん、伝えることを全部言葉でする必要はないです。   そして、たしかに自分のほんとうを全部伝えることが 難しいコミュニティや人間関係も存在します。 だとするなら、そういうコミュニティや人間関係を 自分のために、離れることにする もしくは、それ以外のコミュニティを求める、 ということができるといいと思うんです。   そうやって、自分にとって安全なコミュニティや人間関係を 見分ける力というのは、 自分の中に安心安全を感じられるスペースが 育っていくにつれて、一緒に育っていくような気がします。   自分の内側への働きかけと、 外側への働きかけを 同時に、ちょっとずつしていく。     そして、ある程度安全なコミュニティや人間関係を見つけたら そこで、「自分のほんとう」を全部分かち合う、という コミュニケーションを少しずつ試していく。   やがて、そのスタイルが、 自分の暮らしの全てのコミュニケーションに 広がっていったとき、 世界はすっかり優しくなっているんだと思うのです。     だって、私たちの「自分のほんとう」の一番底には 神さまのやさしさが、どんと構えているのですから。   今日は具体的なスキルの話までかけませんでしたが、 次の機会に、具体的なスキルの話もしたいと思います。   ブログランキングに参加しています。 いつも応援ありがとうございます! にほんブログ村

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  • 25 Jun
    • ヨガティーチャー大澤智美の掲げた魂のかがり火

      スピプロを通じて出会った、 まっすぐな受けとめ力を持つ ヨガティーチャー大澤智美さん。 私は今日、彼女の掲げた魂のかがり火を ここに目撃した。 ただまっすぐに使命を受け止める言葉に 深くこころを動かされた。         あのね、内緒の話ですが、 とーみーの受け取り力、ほんとにすごいんだよ!   受け取り力の底力は、 受け取るスペースがどーんとあることで 自然に相手からいろんなものが引き出されちゃう。 真空に、いろんなものが吸い寄せられるように とーみーの受け取るための空間にむけて 周りの人のギフトがどんどん吸い込まれていき どんどん発揮されていく。         呼吸は、吐くからこそ 吸うことができる。   受け取るスペースがあるからこそ ギフトを届けることができる。         私はどちらかというと発信の力の方が強く、 とーみーのような受け取り力を前にすると 拝みたくなるくらい。   本当に素敵なヨガティーチャー。   ブログランキングに参加しています。 いつも応援ありがとうございます! にほんブログ村

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  • 23 Jun
    • ”心ってなんですか?”

      心の中に、同じ想いを持っている人がいる。 そう感じることのできる発信に 距離を越えて出会えることが インターネットの意義深さだと思う。   沖縄のライフ・ソースカウンセラー 比嘉要さんは、いつもそんな風に、 距離を軽々と越えて、 私の心の深くに届く記事を発信なさっている。   今日は、小林麻央さんの訃報に寄せて 要さんが発信なさった記事を紹介する。   私は、この要さんの言葉の中に 人の尊厳を深く敬うということが どういうことなのかを見た。   ひとりひとりの生きた時間に どんな想いがあり、 どんな繋がりがあり、 どんな積み重ねがあったのか、   私たちは、推し量ることさえ 難しいのだ。       ともすると私たちは、 人の尊厳を足に踏み敷いて それに気づかない。   そして、そんな時、 私たちは自分の尊厳を 踏み敷かれても気づかない。   わたしは、ひとりひとりが 自分の尊厳を 徹底的に打ち立てる世界を望む。   誰かの尊厳を踏み敷いて 消費してしまわないためにも。     にほんブログ村  

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    • 『永遠に循環する誕生の祝ぎ』私はそのギフトを100人を越す仲間たちからもらった、という話

      100人を越す人と、ハートを開いて一緒にいると それはそれは大きな変容が起きることを知った。   それがスピプロ6期ファイナルでの体験。   私は、最終日の前日 自分で思っても見なかったところから 「再誕生」を体験することになった。         私は自分の生まれたことを どこからしら嬉しいと喜びきれずに 生きてきたと思う。   だから、誕生日を祝われるのが どこかしら居心地が悪く、 誕生日を祝福する言葉を 受けとめきれずに来た。   誕生日の歌を聞くと、 生まれたことを悲しむ気持ちが 心のどこかに湧くのだけれど   だからといって、 どうしてあげていいかもわからず   生まれてよかった、と 呟いてみても それは白々しいだけで、   なんだかいつも すこし困ったような 戸惑うような気持ちで 誕生日の歌を聞いてきたように思う。     でもね、もう何回も何回も何回も、 この誕生の悲しみについては 取り扱ってきているの。   どれだけ掘り下げてもキリがないし、 いまの私は充分幸せなのだから その気持が湧いたら ただそれと一緒にいればいい、 そんな境地になっていた。   最終日前日、 スピプロの仲間がその日誕生日を迎え、 皆が祝福の誕生日の歌を歌った。   もちろん、私も心から祝福して歌った。   その時にね、 ああ、私もこうやって、 私の誕生日を祝って ハッピーバースデーの歌を 歌って欲しい、という 小さな声が聞こえたの。   私は、その小さな声の 希望を叶えてあげたい、と思った。       状況的には、そんな流れでもないし その希望を伝えるのは とても勇気がいったのだけれど、   ハートを開いてつながっていると 感じている人が100人もいるところで 誕生日おめでとうを 歌ってもらえる機会なんて、 もうきっと一生無い! 今勇気を出さないで いつ出すんだー!!!!   と自分を励まして、 「はい」と手をあげた。   もうね、絶対泣いちゃうと思ったから 最初から、泣いちゃうと思うんですけど、 と話したので、   泣いてしまったことには くつろいでいられた。       そうか、私はこんなに涙を ためていたんだなぁ。 そんな風に、 もう一人の私が 泣いている私に寄り添っていた。       そしてね、皆が私の希望を受けとめて 誕生日の歌を歌ってくれた。 喜んで歌ってくれた。   もう、その時のことを書いているだけで 涙ぐんでしまうくらい 私は充たされた。       これから私は、 娘や息子たちを育てていく間に 我が子だけでなく、 たくさんの子供たちに 誕生日の歌を歌うだろう。   その時に私は、 ハートからつながった 100人を越す仲間たちの 歌声を思い出すだろう。   彼ら・彼女らの腕に 全身を委ねて、揺られながら 再誕生の産道をくぐった あの瞬間を思い出すだろう。       その度に、私のハートからは あの時の暖かさ、優しさ、甘さ、力強さ そして喜びが、溢れ出すだろう。     あの瞬間のバイブレーションは、 私が誰かに誕生日の歌を歌うたびによみがえり ハートから溢れ出し、だれかに届くだろう。   その響きは、私の子供たちに受け継がれ、 その次の世代へと続くかもしれない。       『永遠に循環する誕生の祝ぎ』 私はそのギフトを 100人を越す仲間たちからもらった。     あの場を創造した、 わが師 本郷綜海さんへ 心からの敬意と感謝を。   そして、あの再誕生の場を 共同創造してくれた仲間たちへ 溢れる愛と喜びを。   人生とは、煎じ詰めれば 人との出会いである、 という言葉を噛み締めています。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 いつも応援クリックありがとうございます! とても励みになっています。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    • わたしたちは、いくつもの世俗の別離によって『死』を少しずつ死んでゆく。

      私は、ニュースも新聞もほとんど読まないので、 小林麻央さんの訃報は先ほど知った。       それを知る前に、すでに今朝は 空気の中に、母と子の間に流れる 悲しみや嘆きの香りが漂っていた。   今日は末子をおんぶして 長女の小学校の授業参観であったのだが、   小学校まで往復する道すがら、 じりじりと太陽に焼かれながら 人気のないアスファルトの道路を歩いていると わけもなく、背中の幼子を 「守れなかった」という悲しみがやってくる。       私はその時、具体的には 何一つそんな体験をしていない瞬間だったので、 きっとそれは、次元の隙間に漂っている 過去の母たちの嘆きに感応しているだろうと思った。   例えば先の戦争で、 夜な夜な空襲警報が鳴り響き 防空壕に避難しなければならないような そんな環境で幼子を守り育てることが どれほどの心労だったろうか、   と私は思った。   焼夷弾の雨の中、 幼子を背負って炎の中を逃げ延びて 振り返ったときに、子の頭が なくなっていた時の母の痛みは どれほどだったろうか、   と私は思った。   世界では、たった今も、 そんな風に、戦火や動乱の中で 幼子を守りきれなかった 母の痛みは続いている。   私は過去から現在に続く 世界の母たちの痛みを思った。       それぐらい、 空気の中に満ちていた 悲しみや嘆きは大きかった。   私は、それに身を委ねて 悲しみ、嘆くことを選んだ。       私たちは、潜在意識という名の泉に 膝下まで足を差し入れて、 泉に溢れる全てのものを 本当は共有しているのだろう。       そんなことも思ったのだった。       今日、なぜだか知らずとも 大きな母の嘆きや悲しみに触れたのは   幼子の残してこの世を去った。 小林麻央という若き女性の死に触れて、 私たちの中で揺りおこされたものが 空気のなかに満ちていたからだろうと 私は思った。       幼子を残して この世を去る母の心中は いかばかりかと思う。   言葉にならない。 胸がつぶれる。       私たちは、世俗を生きる間に 愛するものとの別れを いくつもの通過する。   その度に、 私たちの中で、 一部が死ぬ。   私たちは別離を通して 小さな死を通過し 少しずつ、最期の『死』へと近づいてゆく。   死の先には 何があるのか、 ほんとうには誰も知らない。       でも私はおもう。   『死』の先には、大いなる虚無があるのだと。   その虚無は、限りなく豊かな虚無だ。 私たちの生きた軌跡のすべてが 素粒子となり充満している虚無だ。   私たちの魂は、その充満した虚無へと融け、 限りなく豊かな神の抱擁のなかで くつろぐ。     幼子を残して この世を去ることを選んだ 偉大な魂のために祈る。   ブログランキングに参加しています。 いつも応援、ありがとうございます。 にほんブログ村  

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  • 22 Jun
    • Gacktのメッセージよりリブログ”人見知り・・・。”

      Gackt、この人、すっごく面白い。 楽曲をあまり知らないまま、 今に至ってるのだけど、 このブログも深く考えさせるものがあった。   大人になるうえで、欠かせない 『コミュニケーション』について そこに痛みや傷がある人にこそ 読んで欲しい。 読んでるとね、 Gacktさんて、とても 愛が深い方なのだなぁと感じる。 自分に向ける愛、 人に向ける愛、 それが深いほど、 世俗のコミュニケーションに たじろいで、閉ざしてしまう そんなことがあるかも知れない。 でも、閉ざしたままでは 私たちのギフトは 誰にも届かないんだよね。 Gacktさんは、いろんな人に 秘められているギフトが とても強く感じ取れるんじゃないかな。 それを眠らせたままでは もったいないよ! 勇気をもって、 コミュニケーションという 険しい山を越えるんだ! そこには必ず、 豊かな繋がりと、 暖かな充実があるよ、 ボクはそれを知っている。 だからキミにも知って欲しい。 そんな大きくて、まっすぐな愛が 伝わってきて感動した。   ブログランキングに参加しています。 いつも応援ありがとうございます! にほんブログ村

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  • 19 Jun
  • 17 Jun
    • ただ休む、何もしない、でいるために、具合が悪くなったり、鬱になったりする必要はない、という話。

      私は長い間、それこそ小学生の頃から、 体調や情緒がたいへん不安定だった。 安定させるために 様々に試行錯誤してきたし、 エネルギーワークや 鍼灸師になったのも その一貫である。 おかげで、3人の子育てをしながら、 ブログを書いたり、 やりたいことをしたり 出来るようになった。 でも、体調が安定してきた 一番の理由は、 やりたくないことに 淡々とノーが言えるように なってきたからだと思う。 ただ休みたい、何もしたくない、 ということを自分に許すのに、 いちいち具合が悪くなったり、 鬱になったりする必要はない。 でも、なかなかそれを まっすぐに伝えて、 受け止めてもらえる環境に 身を置くことは 難しいこともある。 でも、そう出来る可能性が あるということに 常に開いておいてほしいと思う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 クリックで応援していただけると嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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  • 15 Jun
    • 私たちの心にうちこまれたくさび、【私たちの終わらない戦争】についての話をしよう。

      【閲覧注意】 この文章を公開するのは、とてつもない勇気がいる。   自分の黒歴史を語ることなんて、 今となっては、好きな映画や小説の話を するのと同じくらい抵抗なくできるが、 今日の話を発信するのは、とても怖い。   その怖さとは、 せっかくつながった人たちを 悲しませたり、 怒らせたり、 傷つけたり するのではないか、という怖さだ。   その結果、 その人たちとの つながりを失うことが 怖いのだ。   つながりを失うことは とても怖い。   それでも、やはり 私は今日、この話を しておこうと思う。       本日2017年6月15日、 「テロ等準備罪関連法案」という 国民をテロから守る重要な法律が成立した。 現在、日本国内の主要メディアが こぞって「共謀罪」と呼んでいるこの法案について 今日は私の思うところを書こうと思う。   東京電力福島第一原子力発電所の 爆発事故の時を思い出して欲しい。 あの時、日本の主要メディアは なんと報道していたか。     事故より以前から、 日本のメディアには期待していなかったが、 あの事故の報道を目の当たりして、 私は、日本の主要メディアは 重要な真実を、決して国民には知らせない ということを、はっきりと意識するようになった。       ことに、日本国内の最大の洗脳装置である 「平日日中のワイドショー」。   ここで流されている情報のほとんどは、、 日本国民が自分たちの置かれている状況に 目覚めないための「目眩まし」だと 断言してもいいと思う。   私は、これを原発事故の報道からのみ 判断するようになったわけではない。       ここに至るまでの背景を説明しようと思う。   私は、夫と二人、何年もの間 自分たちの生きづらさ、行き詰まりの感覚に いろいろなアプローチで取り組んでいた。   その過程で、ひとつの考察にたどり着いた。   それは、「先の戦争はまだ終わっていない」 というものである。   この時点で、 このページを閉じたくなる 興味がなくなる、 頭がまっしろになる なんとも言えない嫌な気分になる という方は、もうすこし頑張って 読み進めて欲しい。   心の傷の世代間連鎖があるということは 多くの方がご存知のことと思う。   私たちは、親、祖父母、先祖たちの 美しきもの、善きもの、愛すべきもの を受け継いでいる。   それと同時に、語られなかった 痛ましいもの、忌まわしいものも 地下水脈で受け継いでいる。   語られず、癒されることもなく、 結果として統合されることもなく、 放置された心の傷は、 子孫にそのまま受け継がれる。   先の戦争によって 私たちの親世代、祖父母世代が 受けた心の傷の大きさを 想像したことがあるだろうか。   それが、どんな心の傷であったかを 想像したことがあるだろうか。   私は、自分の、そして夫の 生きづらさの周辺に、 この先の戦争で 親世代が負った心の傷が クサビのように打ち込まれていることを 感じとった。 そして、その正体を知りたいと思った。 その傷を、どのように扱い、 どのように、統合したらよいのか、 その道を知りたいと願った。   その時、システミック・コンスタレーションの 小林真美氏が開催する、あるワークショップの 情報が飛び込んできた。 私の強い願いに、宇宙が応えてくれたかのように それは飛び込んできたのだった。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・ アラサー・アラフォー・アラフィフ世代のための ファミリー・コンステレーション -私たちの共通項-【私たちの終わらない戦争】 http://blog.livedoor.jp/chetna_by_the_river/archives/51917225.html 関連記事 【戦争を知らない世代が背負っているもの】 http://blog.livedoor.jp/chetna_by_the_river/archives/51917268.html#comments ・・・・・・・・・・・・・・・・・   このワークショップをキッカケとして 私と夫は先の戦争の戦後処理と その影響について学び始めた。   その学びのなかで、 日本の戦後ジャーナリズムが GHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 によって歪んでいることを知った。   その流れは修正されることなく 今も受け継がれている。   現在の日本の主要メディアが流す情報は 日本人のひとりひとりが 自分の内なる力に目覚めないように 働きかけているものが主である、       天皇陛下の生前退位についても 日本の国体に関わることが 宮内庁や政府の公式の発表ではなく、 一メディアにすぎない新聞主導で 国民に伝えられる異常性を 考えたことがあるだろうか。   テロ等準備罪関連法案について 「共謀罪」というセンセーショナルな呼称で 主要メディアがこぞってにとりあげ、 あたかも何か「恐ろしいものである」 というイメージを一斉に拡散していることにこそ 私は不気味な印象を持つ。   自分で自分を残念に思うのは、 『では、今どうしたらいいのか』、 という打開案を自分で打ち出せない ということろにある。   今後の大きな課題として、 これからも学び続け 考え続けていこうと思う。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    • 対人援助者が『無力である』という痛みを統合すると、何が起きるかという話をしよう。

      「 潜在意識や本質という言葉を使った主権の搾取者から、内なる王座を奪還せよ」   という拙ブログの記事を リブログしてくださった縁でつながった 沖縄のライフ・ソース・カウンセラー 比嘉要さん。   この比嘉要さんの記事に 『”アンチ・スピリチャルジプシーに想うこと”』 というものがある。 スピリチュアルなジャンルかどうかに関わらず、 対人援助を生業とする人達にとって、 クライアントに対し害を与えない、 という大きな命題に関わる いくつかの大切なエッセンスが詰まっている記事なので、 一読をすすめたい。 私は比嘉要さんの記事を読みながら、 対人援助者が、 自分が援助しようとする対象に対して 無力であると感じるのでときに生じる 大きな痛みをどのように統合するのか、 ということについて、 言葉にしたいという衝動を感じた。 これはかねてから暖めている テーマなのだが、まだまだ 錬成が足りないという想いだ。 おそらく、今後も 何度もとりあげていくことな なると思う。 ひとつ、はっきりと 私自身がつかんでいると 感じていることを書く。 自分が無力である、 と感じるときの心の痛みは、 孤独や寂しさと並ぶ 大きく、かつ原初的なものだということ。 孤独や寂しさは、 その大きさや原初性ゆえに、 感じている『そのものの大きさ』で、 受けとめることが、 極めて難しいものだと 認識している。 自分が無力であると感じることの 大きな強い心の痛みを回避するために、 人はいろいろな様態をしめす。 そのうちのひとつに、 自分の力では導き切れなかなった対象を 否定する、批判する、という心の働きが あるのではないか、 と私は考えている。 比嘉要さんがとりあげている、 アンチ・スピリチュアルジプシーの メンタリティの一側面には、 このような、 対人援助者側の 無力であることの痛みの回避、 が関わっているように 感じられることが多い。 本来、そこには、 ひとりも残さず、 助けたい、導きたい、という 菩薩の請願にも似た 魂の願いがあったのかも知れない。 もちろん、自分の幼いエゴを 満たしたいという願いだけで、 そのような否定や批判をする場合も なくはないだろう。 しかし、その否定や批判の 源になる『憤り』が、 汲んでも尽きず湧いてくるならば、 その『憤り』の源流には、 痛みがあり、 痛みの源流には 大きな愛があるはずなのだ。 愛が大きく深く、 地上の菩薩として生きようと 請願を立てた魂ほど、 無力であることの痛みは 堪えがたいものと なるだろう。 しかし、この痛みを回避していり間は 私たちは、スピリチュアル・ジプシーに限らず、 助けや導きを見いだそうと、 意識的、もしくは無意識に 様々なものを試みる人たちに、 否定や批判に、心を囚われ続けるのでは ないのだろうか。 自分の愛するものが、 内なる力を忘れ、 傷つき、苦しみ、尊厳を失っていることに 自分が何もできず、無力であると感じるときの 大きな痛みを、抱えておける器が 内側にできたときに、 私たちは、 自分の大きな愛の源流につながりながら 痛みを嘆くことができる。   対人援助者が、こうして 『無力である』という痛みを統合したとき、 すべてをありのままにみる、 という、最も力のある状態に 一歩近づくのではないだろうか。         と、ここまで書いたが、 実は、この結論では、 まだまだ本質に触れられていないという 感覚を持っている。   まだまだ、掘り下げ、突き抜け、 その向こうにある真実に触れたい。 そう願っている。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加してます。 クリックして応援していただけると とても嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

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    • 魂の縁でつながるためのツール、ブログランキングの豆知識。

      Facebookの投稿にて、 私のお願いに応えて、ブログランキングへの クリック応援してくださったフレンドの皆様 ありがとうございます! すごーい効果でした。 皆さんの応援の力を感じて とても嬉しかったし、励みになりました。 ブログランキング、 スピリチュアル・メッセージ部門で 24位だったのが、 11位までアップしました。   ランキングの順位があがると ページの上に表示されるので それだけ、今までつながりが なかった方の目に触れる機会が増えます。   私も、内容のある 内側に深く響く記事を 発信していけるよう、 日々、取り組んでいきますので、 これからも、応援のほど うぞよろしくお願いします。     ところでここで、ご協力くださった皆さんに 豆知識的に、ブログランキングの仕組みを 簡単にお伝えしてみますね。 ブログ記事にまとめましたので 必要な方は、お役立てください。     まず、様々なブログが、 ランキングサイトにて、 自分のブログのテーマにあう カテゴリーに登録して、 そこでアクセス数をランキングしています。   ランキングサイトも数多くありますが 共通する仕組みとしては、 アクセス数が多いブログが、 カテゴリーに登録しているブログ一覧の 上位に表示されます。   つまり、アクセス数が多いブログが 必然的に、他の人の目にとまる可能性が 高くなる、という仕組みです。   ボタンをクリックしてくださった方は ご存知かと思いますが、 ランキングボタンをクリックすると このカテゴリーに登録しているブログ一覧の ページに飛びます。   大体、上位50位くらいまでが 最初のページに表示されます。   自分の発信を通して、 魂の縁でつながりたい、という願いを 実現していく上で、まずは 上位50位にランクインすることが 最初の目標といえましょうか。       ここで注目するべきアクセス数には インポイント、アウトポイント、 という区別があります。   インポイントは、 自分のブログから ランキングページに「イン」してくれた数、   アウトポイントは ランキングページから 自分のブログに「アウト」してくれた数、 です。       ラインキングページでは ブログのタイトルと、直近のいくつかの 記事のタイトルが表示されます。   ですので、アウトポイントというのは 他のブログからランキングページに 「イン」した人などが、   自分のブログのタイトルや記事に 興味をひかれて「アウト」してくれた数、 ということになります。     「イン」にくらべて「アウト」が少ないのは そのカテゴリーを訪れる人の中に 自分のブログのタイトルや記事に 興味をひかれる人が少ない、ということです。   「イン」数にくらべて「アウト」数が 他のブログに比べて極端に少ない場合は、 登録しているカテゴリーが マッチしてない可能性がある、 ということですね。       私は現在、日本ブログ村というランキングサイトの 下記の3つのカテゴリに登録しています。 ちなみにこんな感じ↓   ■スピリチュアル・メッセージ11位/約340中 ■スピリチュアル・ヒーリング23位/約440中 ■スピリチュアル・精神世界51位/約2300中   「イン」と「アウト」の比率でいうと   スピリチュアル・メッセージの方が スピリチュアル・ヒーリングにくらべて アウトの比率が高いです。 スピリチュアル・メッセージのカテゴリの方が 登録サイトが少ないということもありますが、 こちらの方が、結果的にじわじわと 順位があがっていきています。   アウト数も増えてきているので ランキングサイトを通して 魂の縁でつながる可能性が高いのは メッセージのカテゴリの方だと思います。       今思うと、ライキングサイトをもっと調べてから 登録すればよかったかな、とちょっと思っていますが、 初めた時は、右も左もわからない状態だったので、 これはこれで縁ということで。   ブログ、ランキング、上位、コツ、 などでググると、他にも役立つ いろんなコツが紹介されています。   ・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 クリックで応援していただけると嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・

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  • 14 Jun
    • 魂の縁でつながるためのツール、それがインターネットだと思う、という話。

      発信の力というものを、 ここに来て強く感じている。   血縁、地縁を越えて、 魂の縁で繋がるために、 このインターネットという ギフトはあると私は思う。       かれこれ15年くらい前になるが フライング・ドラゴンという 詩と絵のサイトを公開していたことがあった。   ヒーラー廃業宣言をして 自分はアーティストとして生きるんだ! と宣言して、フラドラを始めたのね。   で、ほんとに心血注いで 詩と絵と、日記的な文章をUPしてた。   ロザリオづくりを始める さらに前だね。       ところで『ちひろ』というコミックを みんな知ってるかな? ドラマになったショムニの原作者、 安田弘之氏の作品。   ちょうどショムニがドラマ化されて ちょっとブームになっていた頃だったと思う。       『ちひろ』を読んだ感想を フラドラにUPしてあったんだよね。   詳しい内容忘れちゃったんだけど、 私がちひろという人物像から感じたことを 書いたの。   それは世間一般のもの印象とは ちょっと違っていたと思う。       そうしたらね、ある時に、 安田弘之氏ご本人から、メールが来た。   もちろん、なりすましの可能性もあるけど 私はご本人からだったと思っている。       内容としては、   『僕がちひろを通して伝えたかったのは、 あなたが日記で書いていた内容そのものです。   こうして、自分が伝えたかったものを そのまま受けとめてくれる人がいる、 とわかっただけで、すごく嬉しかった。   今、ショムニブームで、 ショムニ以外の作品も多くの人に読まれ、 自分の意図とは違うちひろ象が 広がっているように感じていた。   だから、『ちひろ』でググって ネットサーフしていたら、 あなたの日記にたどり着きました』       と概ねそんな感じのもの。   もうメールの実物もないし、 安田氏ご本人の名誉のために添えると これは当時のメールの内容とは 全然違っているかもしれない。   何度かメ-ルのやり取りを させていただいて お会いしたいと思ったけれども 当時の夫が断固反対だったから そのまま交流は途絶えてしまった。       ただ、自分の発信の力、 というものを考える時 絶対に思い出すエピソードなんだよね。       さらに、去年くらいから少しずつ Facebookで発信を再会して、   それからやはり ビックリするような、 そして魂の家族に再会するような そういう出逢いが 発信を通じて 響きあったところで生まれている。       私にとって、発信する言葉とは 魂の家族に再会するための かがり火のようなものだ。 私はここにいる。 あなたに会うのを ずっと待っていた、と。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 クリックで応援して頂けると嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    • それは「お金のブロック」なのか、精査した方がいいと思う、という話。

      お金のブロックと、 よく言うけども、   自分の課題がほんとうに 『お金のブロック』なのかは、 よく精査した方がよいと思う。       何千人も観察したわけじゃないから、 なんとも言えないけど、 あなたの課題は お金のブロックじゃないのでは? と感じることは、たびたびある。   私の感覚が妥当かどうかも 確かめようがないから、 わざわざ『違うと思う』とか 言わないけど。       じゃあ、なんなんだっていうことだけど。       コミュニケーションの課題が、 お金の課題として捉えられてることが 多い気がする。   コミュニケーションの課題っていうと、 ライトな感じだけど、奥深い。   社会のなかに 等身大の自分を どう位置づけていくか、 だと思うから。       自分の本音を自分で汲み取って、 自分の周囲に誠実に伝える、 そして受け止めてもらう、 フィードバックを受け止める、 受け止めた上で、 自分の中で起きることに気づく、 そして最初に戻る。       この繰り返しの中で、 自分の本音と等身大を 少しずつ自分で つかんでいくんだと思う。   そこを見ないで、 お金のブロックとして捉えて お金を受けとることの 恐れとか罪悪感だけにフォーカスして それを解放しようとすると なんだか不思議な金銭感覚に なってしまう気がする。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 クリックして応援して頂けると嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    • 心の庭の枝葉をはらって調度良く保つのも、人の手だろう、という話。

      小さいながらも庭の手入れなどをしていると、 植物と人との関係、そこから 人と人との関わりのことなどを 重ねて想うことが出て来る。   里山の林は、人が手入れをすることで保たれる。   小さな庭も、落ちた葉を 適度に取り除いて病気を防いだり、 茂りすぎた枝を払って 風通しを良くしたり、   限られたスペースであるがゆえに、 手入れをすることで 美しく健康に保たれるところがある。... 決して、放ったらかしがいい、 というわけでなないんだよね。       なんというか、自然に手を入れることが恐ろしい、 と感じる心もちもわかるの。 恐ろしいというか畏れ多い、 という感覚なのかな。   庭仕事にも、いろんなやり方がある。   私の庭仕事なんて、ほんとに素人のものなので、 そこからあれこれ言うのもおこがましいんだけど、 それなりに長年続けてきているので、 想うことも多くなる。       人と人とが関わることも、 お互いの心の庭の手入れをする、 みたいなところがあるんじゃないかと思うんだ。   ときには傷ついたと感じたり、 怒りを感じたり、 踏み込まれちゃったり、 踏み込んじゃったりする感じが するかも知れないけれど、 人間同士なんだから、 それもいいじゃん、と思う。       心優しい人、 思いやり深い人、 礼節を知る人ほど、   境界線に心を砕きすぎて、 どうやって人と関わったらいいのか、 関わる意味があるのか、 という気持ちになってしまうことが あるような気がするけど、   踏み込んでいいじゃん。 踏み込まれてこその関わりじゃん。   と思ったりもする。   そうやって、私たちの心の庭も、 茂りすぎた枝葉がはらわれたり、 日の当たらない場所に 日があたるようになって   花がさいたり、 するのかも知れないよ。   心の庭の枝葉をはらって 調度良く保つのも、 やっぱり、人の手なんだろうな、 と思うんだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 クリックで応援していただけると嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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  • 13 Jun
    • 傷つきやすい、その心の痛みの奥底に、あなたの魂の美しさと愛の深さが待っている、という話をしよう。

      今日はエッセンティアの洋子さんのブログを、 心の柔らかなところで受けとめながら読んだ。   ”傷つきやすさ。ありのままと愛と勇気が湧いてくるまで”     固くなりがちな、心の表土を 掘り起こすような心もち。 改の、自分の傷つきやすさに触れてみる時間だった。       私の製作途中のHP、そのトップに据えているメッセージがある。   「みずからの美しさと愛の深さにふさわしく生きよ。 魂の聖域は、あなたにそう教えるだろう。」   このメッセージをつかんだ時のことを 私はとてもよく覚えている。       とても癒やしようがないと感じられるような 痛みの在り処に降りてゆき、 その痛みとともに在る、ということをしてみた。   何度も何度も、 自分の生きるということも含めて 投げ出してしまいたい衝動を感じながら、   ただひとつのことを信じて そこに在り続けてみた。       ひとつのこと。       それは、痛みの奥底には 本来、私たちが抱いていた愛があるということ。 私たちの魂の美しさがあるということ。   人は、どうでもいいものには痛みを感じない。 愛の反対は無関心である。   ならば、痛みの源流となるところには 忘れられた愛があるはずなのだ。         私たちは、痛みを道標にして 源流にある愛に降りていくことができる。   傷つきやすい、その心の痛みの奥底に、 あなたの魂の美しさと愛の深さが 見出されることを待っている。   私たちのこころの痛みは、 魂が死んでしまわないようにする 羅針盤でもある。       私たちは、痛みの奥底にある みずからの魂の 美しさと愛の深さに 触れるために、 「このろくでもない素晴らしき世界」を生きている。 (※上記タイトルの洋子さんの記事も読み応えあります。) http://ameblo.jp/akuanaia/entry-12278436840.html     そして、触れたらつかんで 決して離さず、   みずからの美しさと 愛の深さに ふさわしい人生を 創造するのだ。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 応援していただけると嬉しいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村  

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    • ハードルは、高ければ高いほどくぐりやすい、とはどういうことか考察してみた。

      ハードルは、 高ければ高いほど くぐりやすい、   という... ちょっと捻りの効いた 生き方の知恵みたいな話、 聞いたことあるかしら。   私はかなり 好きなのね。       ググると、 意味がわかんない!と 頭を抱えてる人も 多いようで、 解説も諸説あるわけ。       面白いから 暇なときにググってみて。   で、私がざっくり ググってみたときは あまりピント来る解釈が なかったんだ。       ハードルは 越えるものだ、 という固定概念から はずれてみる、   一定のルールの中での 競争という土俵から 降りてみる、   ということをすると、 ハードルと思っていたものは ハードルではなくなるよ、 という風に考えると面白い、   というのが私の解釈。       自分が設定したもののなかで ハードルは、ハードルとして 存在してるだけで そんな自作自演のドラマから、 降りようとおもえば、 発想をかえるだけで いいんだよ、   という知恵でもある 気がする。       ところで、昨日は あたらしい解釈を 思いついた。   自分の身を 低く低くすれば、   自分が小さく 小さくなれば、   ハードルは そのままくぐれる というもの。       一歳の次男が、 立入禁止のロープの下を とことこ歩いて進んでいたのを 見ていて、ふっと湧いてきたの。   自分が小さくなる、 とは、謙虚さとも いえるし、 より大きな世界観を 人生の背景に置きかえてみる ともいえる。       自分が、まるで何もしらない 小さな子供のようだと感じられるくらい 広くて大きな世界観に 自分に生きる世界の背景をかえてみたら ハードルはいつのまにか くぐれてしまっているかも知れない。   2017年5月8日   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングの参加しています。 応援していただけると嬉しいです! にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

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  • 12 Jun
    • この世は尊敬できる人で溢れている!私の人生ウハウハ状態である。

      今日はなんてことない日常にふわふわと浮かんでいる思いを そのままキャッチしてみた。   だからあんまりメッセージ性はないYO。       私たち家族の土日のレジャー鉄板コースに 市原サービスエリア←→東京ドイツ村っていう パターンがあるのね。   市原サービスエリアが、 個人的に好き~なツボが たくさんある。   基本的に「ない」ことがある場所が好きなので サービスエリアの「遊び場じゃない」っていうところで 遊ぶのが、わけもなく楽しいの。   一昔、ふた昔前の「空き地」で 遊んでるみたいな感覚かな。       そういうところで、 バッタやカエルを探してみたり、 溝にそってずーっと歩いてみたり、 打ち捨てられた廃材を分解したり、 ソテツの実を投げて遊んだり、 埋まってるゴルフボールを ものすごい労力で掘り出してみたり、   ヘリポートの「H」のマークの周りを ぐるぐると延々と走ったり、 「H」の文字にそって皆で寝そべったり、   そんな遊びを子どもたちと なんとなーくしていると じわじわ~っと楽しい。     楽しいと感じる前の メタ楽しさ、みたいなのが 体の芯からふわ~っと広がっていく。       空は青くって、 山は緑で、 だいたいの人はのんびり休憩中という このサービスエリアが 好きなんだよねぇ。       でね、上りのサービスエリアの方に すっごく親切気の利くスタッフさんが いらっしゃるのね。   お客さんたちの動きとか、 ニーズとかを ほんとによく見ていて、 とても自然にフォローしてるし 私自身、何度もお手伝いしてもらっている。   それで、ちょっとお話するようになって (なにしろ毎週のように行ってるから)   サービスエリアの季節ごとのかわいい飾り付けを 手作りでつくってる他のスタッフさんの話を聞いたり、 お互い3人の子持ちなので子供の話をしたり、   なんというか、ほんとに何でもないような 話を立ち話的にちょこっとするんだけどね。     彼女から、思いやりとか 責任感とか、ユーモアとか いろんなものを感じて 自然と尊敬する気持ちが湧いてくる。   彼女から聞いたんだけど、 上りサービスエリアの季節ごとの飾り付けは あるスタッフさんが手作りで作っていて、 こちらにも、なんとも言えない 感謝や尊敬の気持ちがわく。     話はとぶけど、幼稚園のママ友さん、 小学校のPTA役員さんや会長さん、 これがまた、ものすんごく素晴らしい 尊敬できる人がいっぱいいるんである。   具体的は話は割愛するけど、 ひとりひとり、とっても魅力的。   もうねぇ、なんというか 石を投げれば尊敬できる人に当たる状態というか、 石を投げるなっていう話なんだけど、 周りじゅう、尊敬できる人で溢れていて 私の人生ウハウハだなぁって思うのね。   リアルで出会う人だけでなく、 Facebookを通してつながっているフレンドたちにも しょっちゅうそう感じている。   お風呂上がりに洗濯物をたたみながら そんな話を夫にしてたら それ、ブログに書いときなよ~って 言ってくれたから書くよ。   夫のアドバイス、大好き。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 応援していただけると嬉しいです♡ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    • 生きることの核心は『宿命』を燃やしきる場所にある。傷を抱え、震えながらでも、そこまで降りてゆけ。

      私たちが生きることの核心とは 『宿命』を燃やしきる場所にある、 と私は考えている。   生きることの意味や価値とは 手に入れた暮らしの安逸を 基準としてはかるものではない。   また、霊性を高めることも、 精神性を高めることも、 人として成熟したり、 幸せになったりすることも、 生きることの核心ではない、 とさえ思っている。   かつて占星術家から聞いた話がある。     それまで代々築いた財産や地位を 取り潰すような星回りがあるそうだ。   なぜそんな星回りがあるのか。 ただのアンラッキーなのではない。   世俗的には破滅や破綻でしかないことも 御霊の世界からみると、 家系のなかで累々と蓄積された業を 一挙に昇華するため英雄的な 星回りということがあるのだそうだ。     私は占術家ではないので、 それが嘘か真か、知らない。       しかし、これは 本当のことだろうと 私は深く得心したのだった。       人がどのような『宿命』を 背負っているのか。 それは人智を超える時が あると思っている。   世俗的には安逸から 遠く見えるような在り方さえ その『宿命』の一部であることが あるのではないだろうか。       もちろん、 安逸であることで、 人は生きることを楽しみ、 寛ぎやすくなる。   心も体も安心して寛ぐことで、 人は魂の奥に宿っている ほんものの願いを 表に出していきやすくなる。   しかしだ。   安逸であることは 手段にすぎない。       生きることの核心は 『宿命』を燃やしきる場所にある。   だから私たちは 傷を抱え、震えながらでも、 その場所まで降りてゆくのだ。       もしあなたの宿命が 激しい嵐の中を 向かい風を受けながら 進むようなものであるのなら、   そのように生きることでしか あなたの『宿命』は燃えない。       もしあなたの宿命が 痛みや傷を抱きながら わだつみの深みに降りていくようなものなら   そのように生きることでしか あなたの『宿命』は燃えない。     宿命の炎は、燃え尽きて 真っ白な灰になるまで 消えることはない。       だからもし、 あなたが幸せや安逸に向かうことに 意味も気力も見いだせないのなら   その闇深き人生の 偉大な創造者として 堂々と降りてゆくがよい。   そこで、あなたの宿命を 灰になるまで、 完全に燃やし尽くすのだ。       あなたの命を全てを注いで 宿命を燃やし尽くせ。     しかるのち、 灰の中から不死鳥が飛び立つように まったく未知の運命に向かって 飛び立つ朝がくることを 私は予言しよう。   私たちは誰も、 その時の蒼穹を知らない。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログランキングに参加しています。 クリックで応援していただけると嬉しいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

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  • 11 Jun
    • 潜在意識や本質という言葉を使った主権の搾取者から、内なる王座を奪還せよ、という話。

      こころの仕組みやスピリチュアルなことを探求しはじめると、 潜在意識や本質、という言葉に出会うようになる。   潜在意識というと、「自分では気づかない感情や意図」 本質というと、「今は見えてない自分の真の姿」 といった印象を、探求して間もない頃には 抱くのではないだろうか。       事実、潜在意識や本質というものは、 自分のほんものから離れて生きてきた時間が 長ければ長いほど、そういう側面を持つようになる。   そして、自分よりも潜在意識や本質について 見通せる人に、自分のことを教えてもらいたい、 と考える時期がある。       これは、ごく一般的な発想だと思う。       占星術や手相占い、 クレアボヤンスの透視セッションや アカシックリーディングのセッションなどは こうした手段のひとつだと思う。   私も、数多くのリーディングを受けてきたし、 それを道しるべにすることで、 人生の質を変えてくることができたと思う。   一方で、手痛い経験も幾つかしている。       中でも、スピリチュアルな世界を 探求しはじめた、極めて初期に、 小さいながらもカルト化してしまったグループに 身をおいた経験は、   「自分の主権の王座」を護るということについて 私に多くの智慧を授けてくれたと思う。       潜在意識や本質というものは、 本来、自分以外の誰かに 「こうである」「こうでない」と 判断されるような性質のものではない。   ただ、現代社会の中にあって、 あまりにも長い間、 自分のほんとうの感情や願いを 忘れて生きてきた場合、   それを感じとるためのヒントとして 専門家の手を借りることは大いに役立つ。       一方で、専門家の一部や素人が 自分のパワーを感じるために 潜在意識や本質という言葉を使って、 あなた自身の主権をないがしろにして あなた自身のことを決めつけるとしたら、   それは一種の虐待でありアビューズであると 私は思うのだ。       アビューズとは、聞きなれないかも知れないが、 直接的には「濫用」という意味であり、   圧倒的な力の差がある関係の中で 適切な境界線や立場を越えて、 相手を利用したり搾取したりすることだ。       潜在意識や本質という言葉を使って、 あなたの主権をないがしろにして あなたの「何か」を決めつける者は、 主権の搾取者である。   私たちは、この搾取に 断固とした「否」を示さねばならない。   私たちはそもそも、 自分自身で潜在意識にアクセスし、 本質に触れることができる存在なのだ。       今こそ内なる主権の王座を 搾取者から奪還しなくてはならない。   主権の王座に座るのは、 他でもない、私、なのだ。       長らく王座を他の者に譲ってきた時、 それはとてつもなく勇気がいることかも知れない。   内なる目を凝らし、 王座に居るのは誰なのかを はっきり見るのだ。   そこに居るのは、 母親かも知れない。 父親かも知れない。 世間かも知れない。 常識かも知れない。 痛みや傷にかも知れない。   搾取者は、王座にあなたが居ないことを 目ざとく見抜き、後釜に座ろうとする。       主権の搾取者に出逢った時とは、 これすなわち目覚めの合図である。   勇気を奮い立たせ、 自分を信じ、 あれやこれにクソクラエ!と言ってやるのだ!   そして、内なる王座を奪還せよ。 あなたが、あなたの王国の王である。   ・・・・・・・・・・・・・・・・ この内容が響いたら、ワンクリックで 応援して頂けると光栄です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・  

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プロフィール

林桂子

性別:
女性
自己紹介:
インナー・サンクチュアリ主宰 19歳で慶應義塾大学経済学部を 心身の極度の不安定性から自主退学。...

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