なめらかな心意気~Love&Peace~

中国で和室内装専門店を展開しています。毎日が悪戦苦闘。だから面白い!

なめらかな心意気~Love&Peace~

イ草インテリアSHOP 「タタミズキ」


なめらかな心意気~Love&Peace~

世界に畳を! ~G・I (グローバル・イグサ)プロジェクト進行中~


テーマ:
1:事実に対して仮定を持ち出す 
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」 
2:ごくまれな反例をとりあげる 
 「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」 
3:自分に有利な将来像を予想する 
 「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」 
4:主観で決め付ける 
 「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」 
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる 
 「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」 
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める 
 「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」 
7:陰謀であると力説する 
 「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」 
8:知能障害を起こす 
 「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」 
9:自分の見解を述べずに人格批判をする 
 「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」 
10:ありえない解決策を図る 
 「結局、犬が卵を産めるようになれば良いって事だよね」 
11:レッテル貼りをする 
 「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」 
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す 
 「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」 
13:勝利宣言をする 
 「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」 
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる 
 「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」 
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする 
 「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない


議論の中でこれらを折り込んでこられた場合は、面倒だが一度その言葉を拾って潰しておくのが正確。そうすることで「雰囲気論破」の芽を摘んでおく。
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むか〜し昔。
日本では、食事中に会話をするのはとても下品な事とされておった。食事の時は姿勢良く、無言で速やかにいただく。子供が食べながら喋ったら、なんて下品なと怒られておったのじゃった。

時代は変わり、食事の時間は家族のコミュニケーションの時間じゃと言いだすようになった。完全に、欧米文化に影響されてのことじゃった。

昔の日本は、襖で仕切られた空間で家族がそれぞれ過ごし、お互いの存在や、お互いの動きなどがふんわりと意識されており、ふんわりと共存しているが故に、特に食事の時間をコミュニケーションの場として特定せずとも、家族は常にお互いの存在を感じながら生活しているものだったのじゃ。

ところが欧米的個々人の権利重視、プライベート重視の文化が入って来るにつけ、そして何よりも欧米式の室内居住空間設計が当たり前になるにつけ、家族はそれぞれバラバラに、お互いの存在を意識することなく生活することが当たり前となり、食事の時間に家族揃って食事をすることくらいしか日常の中での家族共存を意識する時間が無くなってしまったのじゃった。

そうなると、食事中にテレビを観るのがダメだという話になった。家族がみんな、それぞれテレビを観て、家族の会話がなくなるからじゃ。今でも食事中のテレビが禁止だという家庭は日本に結構あるのじゃ。

で、親は子供に「今日学校はどうだった?」とかなんとか、クソみたいな質問をして無理矢理に親子のコミュニケーションを図るのじゃった。子供はそれに当たり障りのない無難な答えを返し、めでたく親子のコミュニケーション成功というわけじゃ。

子供は観たいテレビ番組があるから、親の質問に適当に答えながらとにかくサッサと食事を済ませ、テレビのある部屋に移動する。これが日本の家庭の普通の光景だったというわけじゃ。これは日本の古き良き時代の話じゃ。

かくして現在。

テレビ視聴は寧ろ、親子や家族が時間を共有する数少ないチャンスになってしまった。テレビを観ている者が全て、得る情報を共有し、お互いの反応を認識し、更には感想を述べ合うことさえ可能な、コミュニケーションの手段の一つであったということなのじゃ。

そうつまり、現代は既に、お互いが空間的には共存しているにも関わらず、スマホやタブレットを使って全員が別々の情報を得、別々の対象とコミュニケーションを取り、別々の時間を過ごす時代になってしまったということじゃ。

食事中に話をするんじゃありません→食事中にテレビを観るんじゃありません→食事中にスマホ弄るんじゃありません

と、変換してきたというわけじゃが。

個人主義を尊重するが故に家族間の関係を維持するための個人への縛りを増やしていくという、なんとも言えない矛盾が生まれ、矛盾が悪化しているように感じませぬか?

なんでも欧米文化が優れているわけでもなく、本来持っていた自国の優れた文化を蔑ろにすることで、失っていってる幸せがあるかもしれんのじゃ。

つまりは池彦和室で和室を作れってことなんじゃなあ。むか〜し昔の話じゃ。昔は、食事中に話をするのは下品なことだったんじゃなあ。昔むかしは、食事の時間を特別視しなくとも、家族は常に時間や空間を共有し、精神的に共存していたから、という話じゃ。それは襖で仕切られた和風の住居だったからという話。ぽこぺん。

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日本人の素養の高さを表現する際に

よく使われるエピソードとして

日本では、紛失した財布が戻ってくるという話があるよね。

上海でも日本人が中国人に対して

日本の良さを自慢したい時によく使われる。

 

これは間違いない。

日本は、世界で一番失くした財布が戻ってくる国だ。

 

しかしなぜか日本人、

傘と自転車だけはやたら盗む。

傘と自転車に関しては日本では天下の廻り物扱い。

 

なぜ傘や自転車はさほど罪悪感無く盗めるのか。

そのくせ、拾った財布はネコババしないのは何故なのか。

財布も傘も自転車も、盗まれた人は絶対困るのに。

 

これは思うに

「拾った財布は警察に届けましょう」

と子供の時に教育されるからだ。

拾った財布を警察に届けないと、罪悪感で落ち着かなくなるのが日本人。

 

しかし残念ながら

「他人の傘は盗んではいけません」

「置いてある自転車を盗んではいけません」

と子供の時にわざわざ教えない。

そして、自分のもしょっちゅう盗まれていく内に

傘と自転車に関しては罪悪感が薄くなっていく。

 

素養が高いというか、

単なるバカなのかも?

いやいや、結論を出すのはまだ早い。

 

そしておそらく、というか確実に、

日本は世界で一番、女性の下着が盗まれる国だ。

日本の男の、女性の下着に対する執着心は異常だ。

あの布っ切れに欲情する

屈折した性癖が結構一般的なのは日本人の特徴だろう。

 

素養が高いの?

変態が多いの?

 

変態が多いのではない。間違いない。

素養が高いのだ。

 

直接的表現よりも、間接的な表現による感情伝達を好み、

相手の心情を察しあうことがコミニュケーションの基本にある日本人は

世界的でも稀にみる、社会や集団へ溶け込むことで安心感を求める民族だ。

 

社会や集団から外れることを極端に恐れ

社会や集団の和を乱す者を極端に拒絶する。

 

傘や自転車はその社会の中の共有物であるというだけなのだ。

自分も盗むことで社会の中で循環させる、なんという気遣い。素養の高さ。

 

そして下着。

直接的コミニュケーションが基本の諸外国では下着はただの布。

しかし、情緒、ワビサビを解し

間接的なコミニュケーションを旨とする日本人にとって

下着はただの布ではない。

 

女性の隠したい部分を包み隠す

触れてはいけないもの、見てはいけない淫靡なもの。

そのワビサビを膨らまして性欲へと昇華させる

高度な感受性の成せる業なのである。

 

なんて素養の高い日本人。

外国人に対して自慢するならば

今後は財布が出てくるとかつまんないこと自慢してないで

傘・自転車・下着が超盗まれることを自慢しよう!!

 

 

 

 

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日本料理は、素材本来の味をいかに引き出すかという技法が発達している。それに対して、中国の料理は、様々な味や調味料を複雑に組み合わせていく技法が発達している感じ。

例えて言うなら、日本料理はピアノソロ。中国の料理はオーケストラ。

どちらが優れているとかじゃなくて、どちらも素晴らしいのです。しかし中国は広く、所変われば料理の特徴も激しく変わる。

では、成都の料理はどうか?
ロックですよロック!
ていうかヘヴィメタ?

日本人が認識している、人間が感じる味覚の種類は、甘み、苦味、しょっぱ味、旨味、辛味…

これに対して成都料理は、辛味を極端に強くし、更に麻椒という口が痺れる調味料をふんだんに使う。これってなんて呼べばいい味覚なの?痺れ味?更に刻んだニンニクなんかもあまり火を通さずに、辛味たっぷりの調味料的に使ったりして。

ん〜激しい!ヘヴィメタだこれ!
怒濤のリズムとノイジーなエレキのリフの中に隠された意外とメロディアスな旋律の味わいに慣れると、他じゃ物足りなくなる、まさに料理界のヘヴィメタルやあ〜(彦摩呂風)
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スターウォーズのエピソード7「フォースの覚醒」。
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スターウォーズの第1作、エピソード4が日本で劇場公開されたのは1978年だから…実に38年前!

当時この映画が世界に与えた影響は凄まじかった。まさに宇宙を飛び回り、レーザー銃を打ちあいを観てるかのような映像体験。
当時の特撮映画というとミエミエの合成や、ミニチュアの街並みをヌイグルミの怪獣が壊してまわるような物。例えて言えば人形浄瑠璃の、人形を操る黒子の存在を脳内で消しながら人形に感情移入するような、そういう感じの楽しみ方をするのが当時の特撮映画の楽しみ方だった。

そんな特撮映画の楽しみ方を根本から変えるような、どこまで本物か分からないような映像。まさに革命的な映画。映画史の金字塔の一つであるのは間違いない。もちろん今の基準で観るとチープなんだけどね。

で、当時のそれまでの特撮技術では実現不可能だったスペースオペラ的な壮大なストーリーや、魅力的な登場キャラクターを表現することが可能となり、爆発的な人気となった。今でも尚、スターウォーズマニアともいうべき熱狂的ファンが数多く存在する。

ジョージルーカスの変質的な拘りによって作りこまれた最初の3部作が完結すると、一旦スターウォーズ伝説は終わった。しかしルーカスはこのシリーズは全部で9つあるスターウォーズサーガの中のエピソード4、5、6であると発表。そして1999年、エピソード1が公開される。スターウォーズマニアであった私は、エピソード1を劇場に観に行き、お馴染みのオープニングテーマが流れ出した時に思わず涙ぐんでしまったのだった。

エピソード1、2、3は賛否両論ありながらも完結し、燃え尽きたルーカスは版権をディズニーに売却した。そしてディズニー製作によるエピソード7がようやく公開されたわけだ。

エピソード1~3で一部から酷評されてたとはいえ、創造主ルーカスが全く関わらないスターウォーズの公開は、世界中のファンから期待と不安で迎えられた…

結果どうだったか?

私の映画を観た直後の感想は、「いいじゃん」「でもなんか足りないなあ…あ。そうか」である。

この映画は良い意味でも悪い意味でも、徹底的にファンに媚びて擦りよった映画だ。ある意味、ディズニーのマーケットリサーチの凄さを感じる。

通常、これだけの人気シリーズの続きを受け持った者は、大抵の場合、批判される運命にある。ルーカス本人でさえ後期作品では批判されてきた。熱狂的ファンの思い描くスターウォーズワールドの広がり、新作への期待感を超えるのは作品の生みの親でさえ難しかったわけだ。

しかし今回の作品は、ビックリするくらい批判の声が少ない。なぜか。

もちろん、映像は素晴らしい。エピソード1~3にみられたようなCG映像オンリー感もない。CG感が強いと、凄い映像なのになぜかワクワク感が無い。所詮CGだもの感が極力出ないように、ロケやセットをうまく組み合わせてある。

そして何より特筆すべきは、映画自体の構成が、ほとんどエピソード4、そう、あの金字塔と同じなのだ。登場人物を変えてリメイクしたと言われても通るくらい、物語の展開、舞台設定、クライマックスの展開までもが、ほとんど1作目と同じ。もちろん時系列的には今までのエピソードの後の話だけど、展開から何から、実に巧みに寄せてある。

…なるほどね。うるさい連中の多いスターウォーズマニア達も、これなら納得。だって彼らが大好きなスターウォーズワールドから展開も設定も離れることなく、最先端の技術を駆使した作りものっぽくない迫力の映像、そして何より、懐かしのキャラクター達がしっかり登場して活躍する。文句言うとこなんか無いやん!

というわけでエピソード7は成功したと言える。新シリーズを彩る新キャラクター達の顔見せ的な役割もしっかり果たせた。ここからエピソード8と9ではオリジナリティのあるストーリー展開にしていくこともできる。それは7が受け入れられたから。もしも7からオリジナリティを出してたら、マニアからの批判は必至だったわけだ。決して作品単体では傑作と呼べるものでは無いが、旧エピソードから新エピソードへの橋渡しとして、見事な作品であったと言えるのではないか。
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