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2016-11-14 21:24:37

できればやり直したい焼豚のはなし

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 ラーメンは好きだが焼豚は苦手だ。注文のときに焼豚要らないです、と一声かければ焼豚を抜いてくれ、少し間抜けになる表面を覆う為にゆで卵を半切れ入れてくれる場合もある。ただその一声を忘れてしまうことが多い。その場合は勢いでなんとか食べるか残してしまうか。まあたいした問題ではない。

 が、それが故に足が遠のいたラーメン屋がある。家のすぐ近くのラーメン屋。比較的あっさりした豚骨スープと麺のコシがちょうどよい。ビールケースをひっくり返してそのまま椅子としているシャビーな作りだが、若者が言葉少なくきびきび働いている。食券制で店員と言葉をかわさなくて済むのも良い。

 1人のれんをくぐりビールケースに腰掛けると、湯切りをしている店員と目があった。「お、久しぶり」目がそう言っている。軽く会釈で答える。コミュ障の私もそれくらいはセーフ。しかし出て来たラーメンを見て仰天した。焼豚が2枚入っているのだ。咄嗟に左右の客の焼豚枚数を確認しさっきの店員を見ると、こちらを見て小さく頷いた。無言のメッセージは間違いなく「お客さん、サービスしとくよ!」と伝えている。そして小市民の私は自分にとって最悪の、のちのち禍根を残す行為をしてしまう。小さな感動の笑みを返してしまったのだ。

 

 その日私は焼豚を2枚食べた。

 

 私は普段会社の経営とかをしていて忙しい上に記憶力が悪いので、その日の出来事はわりとすぐに忘れてしまい、数週間後にまたそのラーメン屋に行った。入った瞬間同じ店員と目が合い、全てを思い出すと同時にちょっと嫌な予感がした。現実は予感を更に上回る展開で、今度はものすごい厚切りの焼豚が2枚入っていた。「今日もサービスしとくよ!」という無言のメッセージがアイコンタクトと共に送られて来た。

 薄切りはなんとかなる。でも厚切りはキツい。歯を食いしばって私は厚切りの焼豚を2枚食べた。ぎこちない感動の微笑み返しも忘れなかった。

 この展開が何回か繰り返された。その兄ちゃんはまさかの正社員なんだろうか。ものすごい出現率で私にサービスをしてくれた。厚切りはどんどん分厚くなり、最初のものすごい厚切りは実は普通の厚切りだったことも判明する。3枚目が乗ることもあった。もう、相手から見たら、「例の少しシャイで焼豚好きのおばさん」である。

 家の近くで唯一気に入っているラーメン屋だ。このままではまずい。今日こそは言おう、そう思って入っても、あの秘め事チックなアイコンタクトにやられてしまう。それに今更…。いったい今まで何だったんだと言われてしまう。ものすごくがっかりさせてしまう。特別に目をかけてくれていたのに。やっぱり人は期待に応えたいし、私のような傍若無人な人間も人を喜ばせたいという気持ちが強いのである。

 結局足が遠のいてしまった。ウォーキングでもなるべく店の前を通らないルートをとるようにしている。やむを得なく店の前を歩くときは思い切り下を向いて足速に通り過ぎる。

 

 誰かの期待に沿うように頑張っているとこのような顛末になることがある。ちょっとしたサービス精神から始まった小さな演技でだんだん身動きできなくなり、イップスになり、生産性が落ちる上に自分の好きなものを手放さなければならなくなる。一人として悪意ある人はいないのに、誰も幸せにならない。

 焼豚は嫌いだが大事なことを教えてくれた。なるべく嫌なことは嫌だとあらかじめ言って、これからはできるだけ正直に生きようと思う。

 

 

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2015-10-07 15:47:22

祝)DeNA Games Tokyo 設立!社長の全てを明かします

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DeNA Games Tokyo 開設@Akiba。
社長は社内有名人T川。
久しぶりのエントリーでT川の全てを明かそうと思う。

ビッグマウスと言えばこのオトコ。とにかく話が無駄にでかい。

2008年新卒入社。入社1年後に「日本中の同期の中で一番成長した」と豪語していたのは記憶に新しい。

何になりたいの?

「ぼくは社長になりたいです。Global impact ナンバーワンのときの社長。それからオリンピックで金メダルとります。
守安さん(DeNA社長)がオリンピックのメダル持ってたらカッコいいですよね。スティーブジョブズがオリンピックのメダル持ってたら、もっと多くの子供たちが起業家になりたいと思いますよね」

幕の内弁当にダルビッシュのサインボールがついてたらもっといいのにみたいな話だ。

オリンピックに出るっていったい何の種目?と一応尋ねてみると、ぐっと乗り出して、カヌーです、と答える。

しゅ、種目決めてるんだ、すごいね。
——
そもそも競泳で北島に負け、、、(事実註:種目も順位も遠く異なる)、大学では物理学専攻で電子顕微鏡の電子ビームを拡大させずに、小さいモノをなるべく大きく語る、じゃない、見る研究をしていたという。
就活で経済評論家の波頭亮さんのセミナーで最初に手をあげ、「NTT研究所もマッキンゼーももの足りない。俺にあてはまる会社がない」と質問をすると、波頭さんは「おまえが社会に当てはまらないだけだろ」と真実を諭したりはしなかった。「とことんやりたいならDeNAに行ってみろ」

素直に見に来てDeNAが気に入った。どこが気に入ったかって、面接官が皆バラバラなことを言うのが良かったという。Execution excellenceについて熱く語る先輩がいたかと思えば、「横文字とかわかんねーし。そもそもオレ(execution excellenceとか)もともと持ってるから」と「語る意味ナシ」と全否定する先輩もいた。てんでバラバラ。まっとうだと思った。それだけらしい。

2008年に入社するとすぐに法人営業に配属になった。

「えーっと、月次の獲得件数ですか?
5、10、13、13、10、14、15、22
結構覚えているもんですね。」

伝説の先輩を超えたいと頑張ったが、結局新しい伝説を築くことは出来なかった。それでも同期ではダントツトップ。
なにがポイントだった?
「深追いしない」「クレーム受けたときは本気だす。全力で聞く」
初めてまともなことを言った。

目立ったT川はその後、ECの新規事業を任される。大手企業との提携をまとめあげるが、DeNAの経営会議で最後に否決されて見送り。一緒に盛り上がった相手の会社さんに上司と二人で頭を下げに行った。

「辛かったです。」

暗さはない。
否決の理由は納得できた。
今でもその会社の交渉相手の方とはときどき飲んでいる仲とのこと。

その後エンジニアになることを志望し、3年目で2年下の新卒とともに研修を受ける。合格した者から順に「卒業」となり、現場に配属される。もちろん誰にも訊かれてないのにT川は宣言した。「1番で卒業してみせます」

しかし約40人中7~8番目という煮え切らない結果。まあオレ、プログラミング経験ないし。。と思いたいが、1位は経験ゼロの1年生O野くん(法学部卒)。
「結構地アタマの良さがわかる研修なんですよ。もしかしてオレ、地アタマ悪いんじゃねーかって疑惑が出ました。O野、あいつ賢いですね」

ゲームが作りたくなったと社内で吹聴していたら、ゲーム事業担当取締役のコバケンに呼ばれた。

「やるか」
「やります。」

こうしてコバケンのもとでゲーム企画担当に。

「もっぱらコバケンさんウォッチングでしたね。
コロスゾって言われたんですよ、コバケンさんに。競合ゲームのヘルプ画面のこまかーいところを読んでなかったら、”オレよりゲームに詳しくならなかったらコロス”と。
初めてですよ。コロスって。
愛❤を感じました。」

前向きだ。

その後他社から転職して来たばかりの大物ゲームプロデューサーW(現ゲーム事業担当執行役員)に指示を出しまくって社内でも話題になる。歳も役職も上のWは毎夜毎夜T川からの宿題で夜なべ。
「Wさんっ!!キャラクターのセリフ変えれば数字あがるかな、とか言ってる場合じゃないですよ(怒)」とWに迫る。この頃、ツメキャラが形成される。

同時に、「オレすげんじゃねーか」と思い込み始める。まあ、前からだけど。営業、エンジニア、新規事業、ゲーム開発、ひととおりやって自信がついた。

会社もその自己認識に応えるようにとうとう1つの新規ゲーム開発プロジェクトをT川にぼこっとまるごと任せた。伝説の大コケ「Urban Surviver」だ。

「自分のエゴを押し付けた。」
そう振り返る。
出来ないなら出来るまでやれ。完璧以外は受け付けない。そういう考え方を押しつけるとチームの士気が下がって行った。それを見るとさらに怒りがこみ上げる。オレの考え方が分からないなら、いいよ。オレが全部やるから。だってオレ、スーパーだから。

チームが誰もいなくなった。

全部自分でやる、と踏ん張った。しかし遅延。1週間や2週間の遅延では収まらなかった。1ヶ月の遅れ。
ユーザーの審判も残酷だった。鳴かず飛ばずの大失敗。大コケだ。となりのチームからは「分かってない人が作るべきでない」とまで言われた。

失意のT川を救ってくれたのは、執行役員のKと、T川がさんざんツメたWだった。

文字通り二人の間に席をおかれ、「しばらく現場に入るな」と指示され、KとWの二人が状況を整理し立て直して行く様を横で見ることになった。

最初は素直になれなかった。
来年オレは取締役になってみせる、上の立場になって喧嘩するぞ、くらいの無駄な鼻息で二人にくってかかったこともあった。

悔しくて、家の前の電柱を思い切り蹴ったら骨折した。松葉杖出勤も悲しさに拍車をかけた。

ところがKとWを見てだんだん分かってくる。うまいな。人の力を引き出すことが、すごくうまい、、と。

成果を出すのが究極のゴールだ。自分のエゴやスタンスを押し通すことより、成果だ。。そのためには人の力を引き出さないと。。。

その後、DeNAが出資させていただいているゲーム開発会社C社に出向になる。

よし、半年の苦悩と学びの成果発表の場としよう。「次は絶対成功します」とKとWに約束して出て行った。

リーダー格の肩書きに関係なく、小さいイベントの仕様書きなど、細かいところを手伝うことから始めた。ツメモードもいったん忘れた(事実註:後に少し復活)。とにかく皆が求めているところ、手が回ってないところを率先して拾うように心がけた。

はじめは、こいつ誰?という雰囲気だったC社の皆さんも少しずつT川を認めて行ったようだ。
皆で成果も出した。既存ゲームの規模が7倍近くに拡大したり。

「それで南場さん、オレの人生で初めてのことが起こったんですよ。”社員旅行に来て下さい”って言われたんです。皆に好かれたみたいです。なんて言うか…」

私から目をそらし、遠くを見てポツリ。

「いいもんだなーって…思いました。」

も、戻って来い、T川!
さらに続ける。

「C社の渡邊社長が”T川さんのマネージメントスタイルは認めている”と皆の前で言ってくれたんですよ。でもその後飲み会でどうやったらもっと良くなれるか助言もしてくれました。」

認めてもらった上で聞くアドバイスには素直になれる。それは自分のマネジメントスタイルの鏡ともなるはずだ。このC社渡邊社長との出会いはT川を更に成長させた。

——

T川の話をあらためて聞いてわかったこと。
こいつは意外と失敗が多い。
水泳でも破れ、営業でも伝説をつくれず、システム開発研修でも1番になれず、EC新規事業も結実せず、ゲーム「urban surviver」で大コケした。

失敗と上司やパートナーとの出会いから学び、成長こそ順調だが、普段のビッグマウスはそのままだ。

「そう、オリンピックでメダルとるんだよね。
カヌーの調子はどう?」

「今、日本で3~4位です。他の選手は皆カヌーしかやってない。ぼくは仕事優先でこれですから、やる気になればいつでもとれます。」

ちなみに、今やっている種目はオリンピックにはない。
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2011-12-22 11:02:41

今年を少し振り返る

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2012年までは社長を勤め上げようと決めていた。
正直、今でも、あと1年はやりたかったと思う。そしてそのあとも社長ではない立場でやっぱり全力でDeNAの仕事をしたかった。
株主や各方面でお世話になった方々は勿論だが、誰よりも、経営陣と社員に申し訳無い気持ちが強い。
大きな目標を定めて1合目を登りかけたところで、沢山の課題を残したままの退任となった。

人生とは思うようには行かないものだ。
でもその分、家族の絆とでも言うのだろうか、私はとても大事な拾い物をした。

家族と言っても子供ができなかった私たちはたった二人の小さな家族だ。
20年前に結婚してからずっと互いに苦楽を共にし、と言いたいところだが、実際は互いに全く干渉せず、もっぱら仕事最優先で、旦那の洗濯物は結婚以来一度も触ったことがない。10年ほど前、旦那が鯖にあたって朝方救急車で運ばれたときなどは、沙汰に気づかず爆睡を続け、その後パジャマと下着を持って来るように病院から指示されたものの、ありかがわからず途方にくれたこともあった。

そんな私には当然多くは期待されず、自由にさせてもらっていた。会社を起こすときも、借入金の個人保証はしないという約束だけさせられたが、それ以外に家族の約束ごともない。
次に生まれたときは三つ指ついてお帰りなさいと迎えてくれる妻と結婚しようか、とは時々言っていたが、指などその気になればいつでもつける、と気楽にやって来た。

ところが今年4月30日。どこも痛くないというのに怖い病名を告知され、「放っておいたら6ヶ月後には痛くなるのですか?」と尋ねると「それどころか、ご存命かどうかわかりません」と言われたその瞬間に、私の優先順位はDeNAから家族の命にバッシャンと切り替わってしまった。

アタマが真っ白になっている旦那を引き連れてその日のうちにセカンドオピニオンの段取りをつけ、お世話になる病院を決めた。写真が挿入できるマグカップを買って、二人と一匹の写真を印刷して家族マグをつくり、犬を眺められるように家中に何台かWebカメラを設置して入院。5月10日に手術を行った。
ーー

多くの方にご心配をかけてしまったが、術後は良好な経過をたどり、今ではほぼ普通通りの生活をすることができるようになった。再発が怖い病気なため、病院の治療から半分民間療法のようなことまで含め、できることは全部やろうとふたりで前向きに取り組んでいる。沢山の方々のご支援のお陰でここまで再発なく、明るい気持ちで年を越すことができそうだ。

このブログは長らく更新していなかったが、ご心配をおかけした皆さんに近況のご報告とこれまでの顛末を自分の言葉でお話させていただきたいという気持ちから、久々のエントリーをすることにした。
ーー

告知をされてから「アタマが真っ白になっている旦那を引き連れ」などと上に書いたが、実際は自分も動転しきってしまい、とても社業どころではない状態になった。社長がこれではまずいな、と思ってはいたが、はっきりと退任を決意したのは5月10日の手術の日だ。

長い長い待ち時間に考えた。なんで病気にしちゃったのか、これからどうするか。
手術が成功しても5年間は再発防止のバトルがある。簡単には治ったと言えない病気だ。

親御さんの介護をしながら仕事を続けている社員、障害を持つ子供さんをケアしながら頑張っている社員のことを思うと頑張れない自分は情け無いが、でもやっぱり社長は無理なんじゃないだろうか。刻々と変化する状況の中で舵取りをする社長はいつなんどきでも社業を最優先できないとまずいだろう。事実、告知を受けてからの10日間はすでにお粗末な状態ではなかったか。少し休業する、というのもある。でも来年には若い世代にバトンタッチしようと自分の中で決めていた。こればかりはズルズルしたくない。

いろいろ考えた結果、ここで退任し、今まで甘えて好き勝手にやって来た分、これから5年は旦那を最優先にしようと決意した。そうしたかった、ということだ。

ユニクロに行くと言うからヒートテックを買って来てと頼んだら数ある色の中からババシャツ色を選んで買って来た旦那に失望を超えて衝撃を受け、あと何年この人と一緒に暮らすんだろう、なんて思ったのは数年前。そのワタスがこんなふうに決めるなんて、人はずいぶんと変わるものだ。。

守安と春田に切り出す前に旦那の了解をとろうと、意識がしっかりするのを待った。

術後2-3日後に旦那に話すと、そうか、悪いな、とだけ言って受け入れてくれた。そこからまず春田と守安それぞれに伝えた。二人ともとにかく驚いた。それでも理解してくれて、あとは発表や次の体制の準備に取り組んでくれた。取締役の川崎と小林、アシスタントの原、それから一緒に起業した川田に伝えた。

4月下旬にCTOの新任を決め、CEO,CFO,COO,CTOを改めて世間に発表したばかりというのに突然のCEOの退任ということになり、やはり退任理由をある程度具体的に公表せざるを得ないということになった。病気の本人も気持ちよく了解してくれた。

入院中はできるだけ病院で付き添いながら退任の準備と最低限の挨拶回りをした。それから私は国内外の専門家に術後の治療法について相談してまわった。問題は病気や治療法の勉強が追いつかないことだった。先生方に相談しても、専門用語についていけない。
「樹状細胞を成熟させ、抗原を提示してT細胞を活性化させ」って。。。すみません、成熟も提示も活性化も全くイメージがつかめません。。。
本を読みあさっても体系がないので理解が遅く、アタマに残らない。退院するころには化学療法が始まるが、本当にそれだけでいいのか、このまま国内にいて良いのか、まともな意思決定をするためには早急に体系的な知識を身につけなければならない。

焦りと疲労が私を悲観的にし、ロンドンで起業したばかりのDeNA創業メンバーのナベに電話で文字通り泣きついた。医者か医学部生でプロジェクトチームを作りたいが誰か知らないかと尋ねる私に、「ぼくがやります」と言って立ち上げたばかりの会社をロンドンにおいて東京に飛んで来てくれた。ちなみにナベは「思想、社会、文化の3方面から現代の人間を系統的に学ぶ」総合人間学部出身で、医学部ではないが「人間」がつくからまあいいや、と藁をもつかむとはまさにこのことである。

しかしマッキンゼーでも卓越していたナベのリサーチ力はやはりスゴかった。東京に着陸するころにはすでに数十冊の書籍と膨大な論文を読み込んで来たナベがもう一人の北大医学部phDの友人と組んで私のアタマに検討するべき治療法の基礎を叩き込んでくれた。

お陰で情報収集力が格段に向上し、落ち着いてまっとうな判断を行えるようになって来た。並行して病院の先生との信頼関係が築けて来た。検討の結果、まずは国内でいくつかの治療法を試してみようということになった。
ーー

そう、私のすったもんだばかり書いているが、一番大変なのは当の本人である。

不安や恐怖はいかばかりだろうか。

告知されてから今日に至るまで旦那は一度もヒステリックになったり声を荒げたことはない。
穏やかに、静かに戦っている。

了解済みとは言え、公表されて有名な病人になってしまった旦那は、退院して3週間後のマッキンゼーのアルムナイパーティにはどうしても皆に元気な顔を見せたいと言った。あの人死ぬんだ、と思われたくない、だって生きるから、と毎日ベランダで日焼けして真っ黒な顔で出席した。

治療方針がある程度決まったあと私たちは免疫力と生活に関わる本を読みあさり、大学の先生のご指導も受け、生活改善に取り組んだ。
食事は数ある書籍の中で故シュレベール博士の本をバイブルと決めた。水や調味料も一新した。
空気の奇麗な葉山を拠点とし、あとは睡眠、運動、整体、瞑想などなど、それから大事なのが笑い。
♪水のトラブルくらーしあん♪のコマーシャルを手本に、とんでもないトラブルでも笑い飛ばす訓練を重ねている。
ーー

DeNAの仕事はというと、週に1回出勤、あとは月に何回か長い会議に出る。それ以外はビデオ会議で家から仕事。

守安と春田を中心とする新体制には最初から全く不安がなかったが、次々と新しい意思決定をし、予想通り伸び伸びしっかりと舵取りをしている。野球の件は今年も追いかけていると聞いて驚いた。なぜか同じインターネット業界内から反対者が出てすったもんだの大騒ぎになったが、周囲の喧噪とは対照的に春田も守安も真摯かつ冷静に対処し、心から誇らしかった。

20-30億の赤字の会社を95億で買うことについては勿論厳しい議論があった。でも良いことだと思う。これまで、生き残って、黒字化して、成長して、と自社のことだけに一生懸命だった私たちが、ファンや他の球団と力を合わせてプロ野球というひとつの劇場を盛り上げる努力をして行くことになる。DeNAがまた一回り成長する経験を与えてくれるだろう。

私はDeNAが大好きだ。正直で、一生懸命で、いつも新しいことに挑戦していて、若いメンバーにどんどん大きな舞台が用意されるそんなDeNAが大好きだ。この会社が世界で大きなうねりを起こすためには、もっともっと世の中に愛される会社にならなければと思う。そのために私にできることは何かと考える。以前より仕事に使える時間はずいぶんと限られてしまったけれど、家族の大切さも病気の人の気持ちも少し分かるようになった今の私だからこそ出来ることもあるのではないだろうか。

計画より早く、また希望とはずいぶん違った形の退任となってしまったが、この顛末によって拾った物を大切に、新しい自分にできることを地道にやって行こうと思う。

DeNAの皆と、力を貸してくれた方々、温かく見守ってくださったすべての皆様、そして夫に心から感謝し、この年を越す。




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