むすこ(いよいよ2歳になります)が、
またもや発熱です。

去年のブログを見て気がつきましたが
このひとは、よく夏に熱を出します。



夕方、雨がわっちゃり降っている15時過ぎに
保育園の先生から 申し訳なさそうな電話がありました。
「むすこくんが、お熱で。38.4℃です…」


うわぁぁ。


今日の仕事、まだぜんぜん終わってないですよ。
そして かーさんは今日、大好きなおともだちと、夜のお約束が…。


彼がお迎えも、その後の家でのケアも「どーんと任せろ」と言ってくれたのですが
こんなとき、わたしは飲み会を断るようになりました。今日もそう。

行けないことはないんです。というか、行けたと思う。
お迎えだけ私が行って、あとは彼にお願いをして とか
早めに帰ってくるようにする とか
いかようにもなるのです。行こうと思えば。

でも、ともだちに会いたいのに、話が聞きたいのに、楽しみだったのに
断ってしまう。


それはなぜか。

むすこが今、熱があるということは
あすも保育園を休む確率が高く、
あすは取材や締切の原稿もあり、とうていわたしは余裕などなく。
ならば、今夜のうちに仕事やら家事を進めておきたい。

そういう現実も少しはありますが
それよりもっと大きいのは「無理をしないほうがいい」と思うわたし自身の気持ち。


むすこが生まれる以前は
わたしは無理をしてでもやりたいことがたくさんあった。叶えたいこともたくさん。
無理して徹夜しても、風邪引いて飲み会に参加しても、自分を押し殺してじっと耐えても
それでも成し遂げたいことや、前に進めたいことがたくさんあったのです。


でも今は違う。無理はしません。
できないのではなく、「しない」ことを選ぶようになったかんじです。たぶん。


無理をすると、かならずしわ寄せができるような気がします。
そして それは必ず戻ってくる。
そういうことが、むすことの暮らしでよくわかってきました。

無理というのは、
わたしの能力とか精神力とか体力とかのキャパシティを超えていること だと思います。
あ、ちょっと違う。
わたしたち「家族の」能力とか精神力とか体力とかのキャパを超えている。
だって無理なんだもん。
そして、どこまでが行ける範囲で、どこから先が無理なゾーンか、だんだん見えてきています。

無理をして、力技でどうにかしようとすると
たとえば、
むすこの熱は長引くし、ぶりかえすし、わたしの仕事は粗くなり、おまけにわたしや彼も体調を崩す。
そういうものなのです。
それは穏やかな幸福を、けっこうあっさり奪う。
そりゃそうです。家族としてのキャパシティを能力を体力を超えたことをしたのだから。




それを、「ママになったから、守りに入った」と言うのでしょうか。


守っている?わたしが?え、うそ。


日々、むすこと向き合い、会社とニンプスを愛して、ごはんつくって、原稿書いて、
企画を立てて、保育園に走って行って、時には彼と語り合って…

そんなわたしが、「守っている」なんて
わたし自身はとても思えない。

わりとぎりぎりまで風船を膨らませているような毎日で
むしろ、攻めてるよ。






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□ よい詩がかけました。



いちおう働くママなので
いつまでも、立ち止まっているわけにもいかず
日々に帰ってきました。カムバック、わたし。


新しい悲しみの乗り越え方を覚えたように思います。



そんなこんなで、子育てブログに向かいあったら
なんと、よい詩がかけました。

納豆さまのうた>>
http://www.kosodate-style.jp/blog/kiyono/2010/09/post-5.html



あほみたいですみません。
というわけで、元気です。

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□ おばあちゃん

先週、祖母が他界しまして
なんだか、日々をどう過ごしたらいいものかと
ふわりふわりしています。


週末に、お葬式にも行ってきました。



祖母がわたしの生きているこの世界からいなくなっちゃった日に
ちょうどむすこが発熱して緊急入院したりもしたものですから
心がばらっと 散らかってしまって
なにを心配して なにを悲しんだらいいのか
うまいこと とらえることができずにいます。


大好きなおばあちゃんなのに
まだ
涙がひとつぶもでない。



わたしが子どものころに、もっとも恐れていたのは
お化けでも、怒られることでも、いじめられることでもなく
おばあちゃんが亡くなることでした。


小学校の2年生くらいのときでしょうか。
ついうっかり、ヒトが年齢順で死んでいくことに気がついてしまい、
おばあちゃんは、私より確実に先にいなくなる という事実に泣きました。


どうか「その日」が来ませんようにと
祈ってもしかたのないことを、夜な夜なベッドの中で祈ったときもありました。


わたしとおばあちゃんは、ちょうど50歳違いなので
わたしはおばあちゃんを失った後、
50年もの間、さみしさを背負って生きなくてはいけないのかと思ったら
それはそれは、小学生の私には
気持ち悪くなるくらいの怖さでした。


さみしさやせつなさは、おおむね時が解決してくれると知っている、35歳の今は
さすがに、今日から50年泣き暮らすとは思っていませんが
それでも、年齢順だから。と あきらめられるほど、不惑でもありません。たぶん。



だのに。

本当に「その日」がやってきて
おばあちゃんがいなくなってしまったというのに

わたしはぜんぜん涙がでない。


どうしてしまったんだろう。
心がなにかの塊にでもなってしまったみたいです。
それとも、ロジカルにあきらめがつくほどに
私は強くなってしまったんでしょうか。そんなのどっちもいやだなぁ。



お葬式には
小学生の時からなかよしの友達、アヤとユカが来てくれました。
うちに遊びに来ると、お菓子やらを出したのはおばあちゃんだったから
彼女たちは、おばあちゃんを知っていてくれる。ありがとう。


わたしの前の夫も来てくれました。
おばあちゃんと3人で、むかし、ドームに巨人戦を観に行ったよね。
ピッチャーはおばあちゃんが好きな上原でした。
覚えていてくれて、最後に会いに来てくれてありがとう。


おばあちゃんのお友達もたくさんきてくれました。
幼い頃、通学路やらで会うたびに「あら清ちゃん」と声をかけてくれた
知っている顔の女性たちばかり。
みんなおばあちゃんに負けないくらい、おばあちゃんになっていたけれど。





さみしい、かなしい、後悔、痛い。
どれもなんだか ぴんときません。

私はいま、何を思っているんだろう。



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