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5歳違いの弟がいます。
いま29歳。まもなくおっさん領域です。

キュートな奥さんと、子(小学2年生)がいて
高校卒業後に就職した会社で、今もはたらいています。資格もいっぱい持っています。
正義感が強く、江戸っ子気質です(長野県人だけど)。


5つも歳が離れていると、
同等の兄弟 というよりも、小さな守るべきもの に近かった弟。
わたしの心境は、プチママだったのではないかと思います。


そんな弟が子供のころに好きだった テレビ番組は『宇宙刑事ギャバン』でした。
「蒸着」という金属表面の加工技術のような名前で 変身する、ギャバン。
(蒸着シーンは、かならずスロー再生されるのです)

当時、弟が愛してやまなかった ギャバン オンエアの日は
もちろんわたしも一緒に観る羽目になっていて。
ベルシャインという地元のスーパーで「ギャバンショウ」が行われる時なんかは
わたしが弟をショウに連れて行ってあげることも
(そしてうっかり、わたしがフーマだかに ステージに連れて行かれそうになることも)。

だからわたしは、ギャバンの主題歌だって歌えちゃいます。
♪胸のエンジンに、火を点けろぉ~ です。

ギャバンは、主題歌の中で歌います。
「愛ってナンだ? ためらわないこーとーさー」
(歌は you tubeでおたのしみください  )



いま、あらためて考えてみると

 “愛とは、ためらわないこと”

本当にその通りだと。

世には、愛に対する定義が たくさんありますが
わたしは、「ためらわないこと」 これが一番しっくりきます。

無償だから、ためらわない
すこしのエゴもあるから、ためらわない
欲望もあるから、ためらわない

愛とは、ためらわないこと。
自分の人生に あんまり ためらわない 私は、
もしやうっかりナルシスト。あら、いやだ。


ちなみにギャバンは、こうも歌っています。
“若さとは、振り向かないこと” うひゃー。

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□ スリリング人


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子、登場の予定日まで1カ月くらいになりました。

おなかは、桃太郎の桃が入っているくらいの大きさに。(想像だけれども)



大きさはあるものの、前へすっと出たので

正面から見た姿は、たぶん 今までとさほど変わらない(とおもいます)

とはいえやはり、横から見ると、厚みが尋常じゃありません。

われながら、びみょうなバランスになっています。洋梨?



予定日とかいっても

あくまでも平均値だろうし。

そもそも、予定日を出すためには、

ある程度の前提条件を 正確にお医者さんに告知する必要があるわけですが

わたしの場合、その前提条件があいまいで、

そういうわけで、そもそもの予定日に信ぴょう性がまるでありません。



というわけで、

いつ、登場してもおかしくない、わがこ。



もはやわたしは、人間時限爆弾です。

なにかの拍子にドカーン!



なんだか、まわりのみんなも

わたしと二人きりになるのを、ちょっと避けているような気が。

そりゃ、そうですよね。

そんなスリリングな人と一緒にいたいわけがない。


そんな様子を見れば見るほど、

わたしとしては、いじわるーな気持ちになって

相手をひやひやさせたくなるもの。

あー、愉快。


こんなにおもしろい状況が

もうすぐ去るのかと思うと、惜しいような気さえしてきます。




あ。登場の前に、いろいろ手続きを済ませなくちゃなりません。

結婚せずに子を持って、かつそれなりに家族を作るというのは

ニッポンでは、なかなか難しいようです。あー、めんどう。

スリリング人になりたい。


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わかったのです。
恥じらいある少女が、やがて おばちゃんになってしまう理由が。

おばちゃんといえば、
図々しくって、自己中心的。見た目を気にせず、人のことなど構っちゃいない。
そんな、女性たちの総称 (か?)。

彼女たちだって、20代の時には さぞ恥じらいある娘さんだっただろうに。


わたしは そんな おばちゃんが嫌いです。おおいやだ。
ぜったいに、ならないと固く心に誓っていました。

が。
わかったのです。おばちゃんになってしまうそのわけが。


やはり というか なんというか。
妊娠・出産・子育て に 原因があるのだとおもいます。

妊娠中、じぶんのおなかには、自分ではない命 を預かります。
このプレッシャーたるや。
今までなら、3駅くらいは立っていて当たり前だった電車も、
自分以外の命 を 預かってからというもの
“どうにか座って、とりあえず こいつを守ろう” などと
思ったりしてきます。
自分のことじゃないから、わからないんですね、立っているのが正解なのかどうか。
だから、大事を取って 座る。


これに加えて、おなかが目立ってくると
「へいへい、妊婦さんのお通りだよー。」と自分の体が自動的に 世間にアピールするので
倫理ある世の人々は、なにかと親切にしてくれてしまいます。
そのため、「あら わたしってば、大事にされている!?」と錯覚し、
図々しい精神が鍛えられてしまうというわけです。

さらに出産となれば、どんなにクールな美女でも
人生でもっとも、てれくさいテンションで 大騒ぎしなければ
大仕事をなしとげることができないのでしょうし。
(みんな多くを語らないけれども)
そんなことをしちゃった後では、
この世の恥ずかしいものなど、80%くらいはカットできてしまっているはずです(経験前比)。

そしてさらに、子育て。
言葉も通じず、融通も利かず、ましてロジカルな説明などまったく意味をなさない
弱々しく小さな命を、24時間見守るわけですから、
そりゃ、他人のことなどかまっちゃいられないわけです。たぶん。

自分自身のことだって。
爪をスクエアカットなんかに整えていたら、赤ちゃんのおしりに傷をつけちゃうかもしれないし、
ドライクリーニングが必要な洋服だって、すぐによだれでドロドロになるんでしょう。
だいたい、最初の数か月は、外出だってままならないと聞いています。



そんな風に過ごして、
“さて、子供に手がかからなくなりました”
と、なったときに ふと我に返って ふたたび恥じらいある少女の心を取り戻すことができるのかというと、
さにあらず。

やっぱしほら、習慣は やがて人格を 運命を作るのです。


………

その状況で、変わらずにいるのは 難しいのかもしれないけれども、
それでもやっぱり、わたしは おばちゃんになってしまうのは、いやだな。
変わるなら、別のベクトルに、、
そう。いっそ、おっさんになるほうが気がラクなくらい。



おぼえていよう。
どんな状況がやってこようとも。
“おばちゃんになるのはいやだなと思っている” 今日の自分のこと。


え、もうなってる?ておくれですか。


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