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エイズという病(余談)

2010-08-25 02:53:05
テーマ:どっちかって言うと活動記
ボイツェポが、病気の彼女をケアする時、その辺で座って喋っている、隣人に声をかけた。

「あなたたち、隣人が困っているのに、助けないなんてどういうこと!?
 洗濯物がたまっているんだから、洗ってあげなさいよ!!」

そういうと、ボイツェポは、自分の財布からP10を取り出し、彼女たちに渡した。
P10は、わずか、缶コーラが2本買えるくらいの額だけれど、薄給のボイツェポが自分のポケットマネーから出したことに、まず驚いた。
自分だったら、見ず知らずの人のために、お金をさっと出せるだろうか。

そして、何より驚いたのが、隣人がその言葉を素直に受け止め、吐いた物がついた他人の洋服を、文句も言わず洗い始めたことだった。

日本だったら、どうだろう?そう考えた。
自分のアパートの隣人の、汚物のついた洋服を、たった500円くらいのお金で、素直に一生懸命、洗うことが出来るだろうか。まず、無理だろう。
家族や親戚なら、いざ知らず、ましてや隣人。友人でもひょっとしたらためらうかも知れないのに。

パタパタと風に舞う色とりどりの洗濯物を見ていたら、
日本では多くの場所で、失われてしまった支えあいの精神が、ここにはあるんだなと感動した。
同時に、もし1人暮らしで病気になっても、誰も面倒を見てくれないどころか、気にもかけてくれないのが日本なんだと思うと、すごく淋しく、そして怖いなと思った。


にしても、洗濯時や、入浴介助の時に、ボイツェポも含め、全員が手袋をしていたのが気になった。
うーん、手に傷がなければ、感染しないんじゃ…
そもそも、手袋の口から水がいっぱい入って来ちゃってて、効果ない気がするんだけど…
患者さんは、そういうの気になったりは、しないんだろうか…って気にするのは、日本的な発想かしら。うーん、どうなんだろう…

エイズという病

2010-08-25 02:50:38
テーマ:どっちかって言うと活動記
時間を遡って… 6月上旬 ボツワナ。
活動時期も、残り1週間ちょっとなった時。

同僚(ボイツェポ)と一緒に、Old Naledi地区に、フィールド訪問に行った。
Old Nalediは、スラム等のないハボロネにしては、割合、
貧困層が住んでいる地域で、外国人が1人で行くのは、危険と言われている。

道を歩いていると、1人の男性が前から歩いてきた。
年は、40代前後。おなかが出た、中年太りの普通のボツ人。
親しげな感じで、ボイツェポに挨拶をして、通り過ぎた。

すれ違った後で、同僚が明るい声で言う。
「あの人も、私が助けた人の1人よ。
 具合が悪くて死にかけてたんだけど、ARVのプログラムにのせたの」

ARVのお陰で、元気に生きている人たち。
2年間、私が見てきたボツワナのエイズは、ずっとそうだった。


同僚が、一軒の古びた長屋の前で立ち止まる。
「カナコ、ここにね、Trioの1人がいるのよ。覗いてみよう」
Trioとは、患者、実際にケアする人(家族など)、HIVに関する知識を持ちサポートする人(この場合、同僚)で構成されるものを言う。

窓を閉め切った、8畳程の薄暗い部屋の中に入る。
洋服やら日用品が、雑然と広がっているフロアと、朽ちかけ黄ばんだ壁。
何より、一面に立ち込めるすえた臭いに、一瞬、息を止めた。
入口近くのベッドの中には、薄い毛布に包まり震えている姿があった。

女か男かも分からない。
細い腕。落ち窪んだ目。生気のない顔。

2年前、想像していたアフリカのエイズの姿がそこにあった。
対面した私は、どうすることも出来なくて、ただ見ていた。

ボイツェポの会話から、女性であること、
具合が悪くて、口に膿がたまっていること、
昨晩から何も食べていないこと、
HBCナースが来ず、2日間もお風呂に入っていないことを知った。

そこからの、ボイツェポは早かった。
すぐに病院に連絡し、運び込めるのは、翌々日になると言われると、
食欲のないという彼女に、ひとまず、ヨーグルトを食べさせ、
長屋の住人に、彼女の洋服を洗濯するように支持して、
お風呂に入れる準備に取り掛かった。
啓発活動のプロとして長年やってきた、経験の多さを感じた。

このあたりで、ようやく我に返り、入浴の手伝いをする。
ボイツェポが、お風呂の温度を調節しながら言う。
「ほら、この写真が、少し前の彼女だよ」
長身の健康的な10代後半の女の子が笑顔で写っていた。
きっと、彼女は、今、20代半ばくらいなのだろう。

ベッドから1人で起き上がれない彼女に腕を貸し、支える。
老人のように小刻みに震える手足、張りのない肌と胸、
浮き上がって見えるあばらの骨。

ああ、これがエイズなんだな。
そう思った。
瞬間、ものすごく違和感を感じた。
いや、癌でも何でも、病気になったら、こうなるんじゃないだろうか。
エイズだから、この状態になるんじゃなくて、病気だから、この状態になるんだ。

エイズだからって特別視して、感傷的に見るのは違う。
エイズは、あくまで1コの病気であって、それ以上でも以下でもない。
観念で分かったつもりになっていたことが、またひとつ、すとんと落ちた瞬間だった。

エイズって病気は、概念・知識として知っていることと、本心で思っていることに違いが生じやすい病気だと思う。
HIV陽性者は、見た目には分からない…と知っていても、内心、‘いや、実際は湿疹とかで分かるでしょ’と思っていたり、
コップの回し飲みでは感染しない…と知っていても、‘いや、やっぱり…’だったり、
HIVは性行為で誰でも感染する…と知っていても、‘いや、自分は遊んでないから大丈夫’だったり、
エイズは特別な病気じゃない…と知っていても、‘エイズは、やっぱりこうだから’だったり。
2年の活動は、その自分の知識と本心のギャップを埋める作業だったように思う。

後にも先にも、ボツワナで活動してきて、あんなに弱りきったエイズ患者に会ったのは、この1回だけだった。
エイズ対策の最先端、見えにくいエイズの国にあって、帰国直前にしたこの経験は、
『ARVの影響で、解決したように見えるエイズ問題だけど、まだまだ、こういう実態はあるのよ』
という、ボツワナからの最後の教えな気がした。

私が、彼女に会ったその1週間後。
彼女は、病院で静かに息を引き取ったと聞いた。

あらしの後の静けさ

2010-06-30 22:59:04
テーマ:どっちかって言うと生活記
ボツワナから帰国して、3日間のあたふたした研修が終わった。

NTC(二本松訓練所)で過ごした濃ゆい2ヶ月、
ボツワナでの、これまた濃ゆい2年、
そして、あっという間に終わった帰国後研修。
久々に会う世界中の仲間とゆっくり話す時間もないまま、
みんなが‘協力隊’という一緒の枠から外され、散り散りになっていく。

ずっと会っていなくても、協力隊という枠でつながっていた何かが、
すっと薄くなったような気がして、何だか1人になったと感じた。
1人というか、自分だけになったなぁと。
協力隊とか、ボツワナ隊とか、そういうカテゴリーが全部外れて、
ラベルのない自分になった感覚。
そういえば、教員を辞めた翌朝も、こんな気持ちになったっけ。
淋しいわけでも、嫌なわけでもなく、ただ、そうであるということ。
2年が何だったとか、そんなこと今はよく分からないし、
2年が自分やボツワナにどれだけ有益だったかも分からないけれど、
あーだこーだ文句言いながら過ごした日々は、何だかんだで楽しくて、
ほんわかと幸せで、ボツワナのこと好きだったんだなと今思う。

帰国後研修の受講者は、200ー300名もいるのに、
マイナーカントリーボツワナのことを知っているのは、
私たった1人だけで、そのことがとても不思議に感じた。
日本人がたった40人位しかいない国にずっといたから、
日本国民全員がボツワナのことを知っている気に、
どこかでなっちゃっていたけれど、そんなワケないよねー。
それを思うと、ボツワナに行けたこと、知れたこと、
トホホなことも多かったけれど、やっぱり良かったなと思う。

新しい1歩を踏み出す時は、その足をどこに着地させるか、
いつも悩むけれど、今回は何となく見えているので、
そこに向かって、ゆっくり歩み出して行けたらいいなあ。

にしても、たかだか1週間で一気に環境が変わりすぎて、
さすがの私も、ちょっとビックリ・・・というか呆然?
これが世に言う、帰国後ショックかしら?
ま、実家でリハビリリハビリ♪

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