政治家の言葉が、「軽い」といわれるようになって久しくなります。
なぜだろう、と思う時があります。
政治家が「言葉」を「文字」に変えて、一方通行にしてしまっているからなのでしょうか。
「言葉」で伝えることができないから、「文字」でごまかそうとする。
特に、言い訳文章は「長い」、「支離滅裂」。
あとで読み返して、主張が繋がらなくなっている。
しかも、「世界中が見ている」と勘違い。
議会の質問でも、予め「答弁調整」した原稿しか、読めなくなっている議員も。
でも、議会は「言論」の場。
議員は、言葉で「討論」しなくては。
街頭で、政策を訴えるときでも、原稿を読んでいる政治家と原稿無しの政治家では、立ち止まってくださる方が違います。
ある方に、「中沢さん、最近滑舌悪いわよ」。。。。。
反省しています。
一般質問では、答弁用の質問原稿は作りますが、読み原稿は作りません。
委員会では、原稿そのものを作りません。
すべて、「その場」です。
もっと聞かなくては、もっと違うことも聞きたかった。
そう思うこともあります。
でも、それも「勉強」。
街頭では、原稿はありません。
そうして、「言葉」の持つ「重要性」を感じています。
今、どうしても「文字」に「万能性」を求めてしまっていますが、もう一度「言葉」を考えなくてはと思っています。
「重い」言葉を伝えることができる、政治家になりたいと思っています。