小林よしのり氏を批判する! ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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サピオ7月号を読みました。小林よしのり氏は、『天皇論』を書いて、右寄りの論客だったのですが、左の論客になってしまったのです。不思議なことです。どうして左の論客になったのかというと、「女性天皇論容認」だからです。

 小林よしのり氏は、「天皇は女性でもいいだろう。男系に限るというのは、フィクションだ。神武天皇とは、架空の人物だ」と、このようなことを言っているのです。 「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化までの9代の天皇の歴史は捏造されたものである。10代の崇神天皇くらいからが本当の天皇であり、その前はウソの歴史だ。

 神武天皇から始まるということ自体おかしい。古代、日本の国は王と言っていた。中国皇帝に認められたくて、初めに中国に渡ったのが女王卑弥呼である。「親魏倭王」という印鑑をもらった。ここでも「王」という字を使っている。天皇などという字は使っていなかったのだ。歴史というものは、神話の時代があって、捏造された時代がある。だから、神話とつながること自体、意味がないのだ」と言っているのです。

 そこで僕はカチンときたのです。本当の歴史というものは、どのようなものかというと誰もわかりません。100年前の歴史でもわからないのです。「大東亜戦争の本当の歴史は何であったのか?」ということも、未だにわかりません。

  一つ資料が新たに出てくると、「ああ、そうだったのか!」ということで、歴史がひっくり返ってしまうのです。それまでは作った知識で歴史を組み立てていくのですが、一つでも事実が出るたびに、歴史がひっくり返ってしまうのです。

 例えば、「ヒトラーがどのような男であったのか?」とうことは、わからないのです。わずか、100年くらい前の話ですが、わからないのです。すると真実があり、本当の歴史というものはわからないのです。

 次に歴史らしいものが出てくるのは、為政者がつくった過去の物語です。為政者にとって都合のよい神話を持ってきて、「これが俺の先祖の神話だ」と言うのです。「日本の今までの歩みはこうだ」と言って、権力者が歴史をつくるのです。これは創られた歴史です。本当の歴史は誰もわかりません。そこで出来てきた歴史は、権力者がつくった歴史です。

 最後に出てくるのは、小説家がつくった歴史です。小説家の作った歴史は全てウソです。吉川英治や、司馬遼太郎の作った歴史物語は全てウソです。本当の歴史は誰もわかりません。

 我々は、小説家の作った歴史を読みます。それから、教科書を読んで「これが日本国の歴史ですよ」というものを教わっていますが、それは真実ではありません。本当の真実の歴史は誰もわからないのです。

 大部分の歴史は権力者の創った妄想と、都合よく民衆を支配するために作った歴史であり、後は小説家の虚言・妄想で作られた歴史です。『竜馬がゆく』の本当の坂本龍馬は全然違います。『翔ぶが如く』などの司馬遼太郎の小説は、全てフィクションです。

 それを読んで歴史を知っているように思っているのですが、本当の歴史は誰もわからないのです。すると、「神武天皇の神話の話はインチキだ」と言うのです。インチキかどうかわかりません。

 僕はフッと思いました。350万年前のイルカの骨が群馬県から出てきたのです。350万年前にイルカがいたのです。350万年前なのに、イルカはなぜイルカなのでしょうか? 

 進化論が事実であるならば、350年前にイルカはいません。それが何も変わりません。「古代イルカ」というだけで、何も変わらないのです。

 人間もそうです。「350万年前に人間がいたとするならば、その人間はどんな人間であったのか?」というと、多分、今の人間と一緒です。その証拠にローマ時代のコンクリートは2千年も持っています。進化論はおかしいではないですか? 古代の人間のほうが頭がよかったということになります。

 ローマ時代を見て御覧なさい。大理石があり、噴水があり、エレベータがあり、マンションがあり、水道橋があったのです。電力がない代わりに、奴隷の人力が豊富にあったのです。奴隷がいたから電力などいらなかったのです。電気などなくても、現代と同じ生活が古代ローマでは出来ていたのです。

 すると人間は何も進歩などしていません。進化論はウソです。古代に行けば行くほど優れた技術をもっているという面があるのです。ビックリするくらいです。ただ、古代は動力に電気を使っていないだけです。

 まだ解明できていないエネルギーもあります。ピラミッドなど、どのように造ったのでしょうか? 人間があんな巨大な石を担いで登れるわけがありません。どのような動力でピラミッドを造ったのかわかりません。

 すると人間は進歩しているとは言えないのです。2千年前、3千年前にはすでに戦車があったのです。戦車と馬車と自動車とそんなに変わりません。車があってエンジンがついているかいないかのだけで、あまり変わりはありません。

 進化論が正しいならば、何千年も経っているのだから、当時の人間たちよりも進歩していなければいけません。ところが、進歩などしていません。同じことをやっているのです。

 古代ローマのセメントは、2千年経ってもビクともしません。今のセメントは100年経つとボロボロになってしまいます。すると今の橋もビルもコンクリートで造っています。100年経ったら、ボロボロになってしまうので、つくりかえないとダメなのです。

 マンションも造り変えないと安全性は保障できません。当時のコンクリートは海砂を使っていますから、鉄骨が塩で腐ってしまうのです。だから、現代のコンクリートは100年くらいしか持たないのです。100年経ったら、全てのコンクリートを入れ替えです。

 コンクリートのマンションに住んでいる人達は、話し合いなどつきません。「このマンションを建てなおすか、壊すか、どうするのか?」と協議して、お金を持っている人は、「マンションを建て替えましょう」と言います。お金を持っていない人は、「マンションの建て替えなどできない」と言いますから、話し合いなどつきません。

 あと、50年経つとマンションは耐久性が大問題になってきます。それを見ても人間は何も進歩していません。昔は立派な大理石で建物を造っていますから、大理石の優雅な生活です。ギリシャも、ローマも、エジプトも大理石の生活です。何も変わっていません。

 古代のイルカも350万年前と同じで何も進歩などしていません。進化論で言うならば、350万年経っているのですから、相当進化していないとおかしいということになるのです。

 古代のイルカと、現代種のイルカは実は違うのです。350万年前のイルカはもう絶滅しているのです。今いるのは現代種のイルカです。すると、人間は進化して生まれてきたのではありません。「人間が猿から進化した」と言っているのは、唯物論の連中です。それはウソです。人間は猿から進化しません。人間は最初から人間です。(②に続く)    

 

■神武天皇がいた証拠

「先代旧事本記」より
「即ち遷りて大倭国鳥見白庭山に坐す。饒速日尊(ニギハヤヒ)、長髄彦妹御炊屋姫を娶り妻と為す。宇摩志麻治誕生」
(鳥見は長髄彦の館があったところです。ニギハヤヒは長髄彦に婿入りしたということです。

神武天皇と戦いの最中に、長髄彦(ながすねひこ)は使いを送って、次のように言上している。

ときに、長髄彦は使いを送って、天孫に申しあげた。「昔、天神の御子がおられて、天の磐船(いわふね)に乗って天降られました。名を櫛玉饒速日尊(くしたまにぎはやひのみこと)と申しあげます。このかたが、わが妹の三炊屋姫(みかしきやひめ)を娶って御子をお生みになりました。御子の名を宇摩志麻治命(うましまちのみこと)と申しあげます。そのため、私は饒速日尊、次いで宇摩志麻治命を君として仕えてきました。いったい、天神の御子は二人もおられるのですか。どうしてまた、天神の子と名のって、人の土地を奪おうとするのですか。饒速日尊以外に天神の御子がいるなど、聞いたことがありません。私が思うに、あなたは偽者でしょう」天孫は仰せになった。「天神の子は多くいる。お前が君とするものが、本当に天神の子ならば、必ずしるしの物があるだろう。それを示しなさい」

長髄彦は、饒速日尊の天の羽羽矢(ははや)一本と、歩靫(かちゆき)を天孫に示した。天孫はご覧になって、「いつわりではない」と仰られて、帰って所持の天の羽羽矢一本と、歩靫を長髄彦に示された。

 長髄彦は、その天つしるしを見て、ますます恐れを感じた。けれども、兵器の用意はすっかり構えられ、その勢いは途中で止めることはできなかった。そしてなおも、間違った考えを捨てず、改心の気持ちもなかった。宇摩志麻治命は、もとより天神が深く恵みを垂れるのは、天孫に対してだけであることを知っていた。また、かの長髄彦は、性質がねじけたところがあり、天神と人とは全く異なるのだということを教えても、分かりそうもないことを見て、伯父である長髄彦を殺害した。そして、その部下たちを率いて帰順された。

 己未年の春の三日、天孫は詔して仰せられた。「天孫饒速日尊の子の宇摩志麻治命は、伯父の長髄(以下脱文) 

天皇は饒速日命(ニギハヤヒ)が、天から降ったことが分り、いま忠誠心を尽くしたので、これをほめ寵愛された。これが物部氏(もののべし)の先祖である。 

※物部氏は、長髄彦を殺し、天皇の側近になったのです。長髄彦の兄の安日彦大王は、奥州に退去したのです。安日彦大王の子孫が安倍貞任です。538年仏教が伝来して物部氏と対立して、蘇我氏に滅ぼされると物部氏は秋田に逃げたのです。まさに因果倶時ですね。

 

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