人間の首 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 古来、戦争になると相手の首をとって勝利としました。記録に残っていますが桶狭間の合戦のときには3千の首が並びました。不気味でしょう。それを見ると日本人は「首狩り族」ともいえるのです。

 「土人の首狩り族と何が違うのか?」という面もありますが、戦とは過酷なものだとわかります。侍が大小の刀を持ちます。小さい刀を右手差しといいます。この刀は首を斬る刀です。長い刀では首は斬れません。

 相手は死んでいますから、首は掻っ切るのです。相手が弱ったところをのしかかって右手差しを抜いて首を掻っ切るのです。そうしないと首は斬れません。壮絶なものだとわかります。戦になると首を取ってしまうのです。桶狭間の戦いでは、ずらっと3千名の首が並んだのです。それを見て大将は首実検を行います。大変な労働です。

 「これは●●軍の田吾作の首であります」と確認していきます。女は首を洗って、髪の毛をとかします。死んでいるのですから顔色が悪いのでお化粧をします。白い粉を塗って傷があった場合は、米のノリを使い詰めます。

 髪もきれいに整えられた首がお盆に載り、それを殿が見るのです。「はい、次」と首が運ばれてくると殿がそれを見て「よし!」と言うのです。

 考えてみると殿様も首と隣り合わせです。いつ自分が首を取られる側に回るのかもわかりません。戦争とは首とり合戦です。悲惨です。相手の首を取ったということは、相手の領土を盗ったということです。

 首を取られた侍は自分の田畑を持っていたのです。それを頂くのです。すごいですね。侍は強盗です。喧嘩で押しかけて首を斬り、手柄を立てれば大きな土地がもらえるのです。その欲望に燃えてみな戦うのです。欲なのです。

 侍には正義感など全くありません。その根底にあるものは欲だけなのです。恐ろしいことです。人の領地を盗るのです。首が3千も並ぶと「自分の領地が増えたな」ということです。そのために戦争をします。首取り合戦です。

 しかし、日本のすごいところは取った首をきれいに洗って髪の毛をとかしてお化粧までして香水までたいて殿の前に出します。首は殿と対面するのです。「お前はもう口も聞けなくなったな。ウワッハッハッ!」となるのです。

 よせばよいのに、織田信長は浅井長政の首をドクロにしてしまったのです。ドクロにするのは簡単です。首を煮ます。首を煮て肉をはがして、骸骨に漆を塗るのです。漆を塗って頭に鉢をつくってそれで酒を飲んだのです。

 「お前は長政か、ドクロになったのか」ということです。信長は変態ではありませんが、見せしめの意味でそのようなことをしたのです。人の命など本当に軽い時代です。命を取り合うのです。

 お百姓さんがいるところへ「俺が今度の領主になった」と言うのですからお百姓さんは納得しません。「獲れたお米の4割はもらうぞ!」と言うのです。お百姓さんは「なんで4割も払わなければいけないのか?」と思ってもそんなことは言えません。

 そのために家来がいるのです。「4割よこせ」と言うのです。ヤクザと同じです。ヤクザは働きません。「これは俺の縄張りだ。お前達、俺に金を持ってこい」と言うのです。第二国家のようなものです。

 「居酒屋をやっている奴は1月5万円出せ!」と言うのです。税金と同じです。「パチンコ店を営業している? お前は40万円出せ!」そのようにやっていくのです。そこで一つの組ができて、縄張りができて収入が上がります。

 侍と同じです。そのために若い衆を置いて、逆らう奴がいると若い衆が出てくるのです。そうやって抑えるのです。

 この縄張りはおいしいから縄張りを一つ持っていれば食べていけるのです。それは美味しい仕事ですから縄張りを巡って争いが起きてくるのです。他の組のヤクザが「お前、いい縄張りをもっているな。俺にくれよ」と言うのです。あげるわけがありません。「では、喧嘩だ!」と喧嘩になってしまうのです。

 そして殺し合いになるのです。勝ったほうが縄張りを拡大していくのです。構図が全く同じです。一生懸命働いて物をつくっている人に「おい、税金を出せ!」というのです。ヤクザもそうです。「お前達、誰のおかげで平和に商売をやっているのか。俺たち組のおかげだぞ。みかじめ料を払え!」と言って、税金を盗るのです。

払わない奴がいたら徹底的に苛めるのです。潰すまで追い込むのです。古来から同じです。「私は侍の子孫だ」と言っている人は馬鹿なのです。お百姓さんが一番偉いのです。物を造っている人は偉い人です。武士は物をつくりません。大義名分に生きているのです。「守ってやっているのだ。俺は大和の守だ」「俺は阿波の守だ」と守の名前を名乗るのです。

 朝廷からもらった名前をもって「安房を守る」というのです。実は搾取なのです。それを正当化するために天皇が必要だったのです。源氏は誰から源氏の姓をもらい征夷大将軍になったのでしょう。征夷大将軍は天皇からもらったものです。

 「俺は征夷大将軍だ。天皇からもらったのだ。だから税金を取る資格があるのだ」ということです。従何位という天皇から与えられた位を大事にしたのです。かってに名乗ってもダメです。「安房の守」とは誰からもらったのかというと天皇です。

 京都にいる天皇に対してお金を払い「私を守にしてください」とお願いしたのです。もっともらしい単なる暴力団が正当性をもった集団に変わったのです。日本の歴史をみると非常にやり方が上手いのです。

 天皇から守様の名前を与えられたのですから、天皇が「戦争へ行け」と言えば戦争に行かなければいけません。戦争に行かなければ「守」を取り消すこともできるのです。天皇が「あいつをやっつけろ!」と言ったら戦争にいかなければいけません。

 何しろ、人が人を殺して首にして相手の領地を奪ったのです。戦国時代はいつ自分が首になるかもわかりません。すごい時代です。日本人と首はそのような関係があります。

日本人は首を斬って腰にいっぱいぶらさげて戦場を駆け回り、槍にも首がくくりつけてあったのです。首を何個ももっているほうが偉いのです。腰に5つも首をぶらさげて走り回っていたのです。それが実際の武士の姿です。


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