欝の話題がネットに流れるのがあんまり好きになれない | タダのブログ:ネット内外からいろいろと

欝の話題がネットに流れるのがあんまり好きになれない

ブログ文化の発達で「うつ病」は商品になった』というはてなダイアリーの記事を見てて思った。

自分が欝なら、他人に言えないだろうな、て。
それがネット上であっても言えないと思う。本当の欝であれば。

欝の人が治療を目的にし、ネットを使って、外部と接触をしようとするのは意味のあることなのかもしれない。
けど、それを見て、安易に、自身は欝であると喧伝する人が多いような気がしてならない。

欝というのは、健常者から見れば、腹立たしい存在だ。
嫌なことがあっても、過敏に反応し、義務を怠る、という風に見えてしまう。
そして、異様な執着をみせ、マイナスの妄想を再現なく考えてしまう。
生活のリズムが不規則で、0か100しか許容できず、細かなことにこだわって、挙句何もしないで、他を否定する。

精神科に通ってた彼女がいたことがある。
彼女は、3年ぐらい、仕事もしなかった。

やっぱり思った。仕事してたら、そんな不満言ってる暇ないんじゃないの?と。
その子は、医者の娘だったから、自宅で引きこもってることができた。
自分の欲望が満たされた時は元気になるが、満たされないと不満をあらわにした。
大きな子供と変わらなかった。
夜中の電話も凄い時間になり、電話代だけで何万円とかかった。
職場にも電話かけてきて、延々と泣かれた。
仕事終わってかけつけて、靴を隠された。鞄を隠された。

その子だけでなく欝の人を結構見ることが多かった。
自分だけでなく僕の友達にまで深夜電話したり当り散らすような人もいた。

ある種、自分に共依存の傾向があるのも分かってた。
他者に頼られることが喜びだったし、チカラになってやりたいって思ったし。
でも、それが過剰になってしまうと、自分の精神状態に異常をきたす。
過食症になったりもしたし、睡眠障害も起きた。
本当にしんどい時期もあった。

話を戻す。

もし、自分が欝ならば、他人に言えないと思う。
恥ずかしいことだから。
仕事の出来ない自分。
他人とうまく交流のできない自分。
そういう自分をたとえネット上でも表現することは自分にとって恥ずかしいことだから。
ネットに書く前に、何とか、その自分を改善しようと躍起になるだろう。

電車に乗るのに、頭痛や眩暈がして、仕事が終わったら、足が震えてそのまま座り込んじゃうような状態であっても、仕事をする自分を取り戻そうと躍起になるだろう。
電車を眺めてて、意識が飛んで、たおれそうな自分に驚くことがあったとしても、毎日同じ電車に乗って仕事に行くだろう。
友達の前で強がって、自分に欝の傾向があることを隠そうとするだろう。
それで、そのまま何とかやりとおせることもあれば、もうどうしょうもなくなって、友人や家族、恋人に相談するかもしれない。
周囲の人の勧めで、医者に行くかもしれない。
専門家に、
「その状態のまま仕事を続けてたら身がもたないし、周囲の人に心配かけるし、仕事場にも迷惑かけちゃいますよ。少し休養の必要があると思いますね。」
て言われたら、専門家の人が言うんだし、そうした方がいいのかなぁ、て思うのかもしれない。

何にしても、だ。
欝は、意外と身近なものだと思う。
だからって先の記事で書かれてるように、欝が商品化されてるような(もしくはファッション化してるような)状況はあまり心地よいものと思えない。
先に書いたように、健常者にとって、欝は腹立たしい存在だから。
だから、欝になるのは仕方ないにしても(問題が山積みされたままの社会だし)、それをブログで垂れ流し、安易に欝やメンヘルを自称する輩を僕は好きになれない。