中村繁夫のブログ

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 パート①とパート②は、ルワンダの紛争鉱物について書いた。同時に欧州の宗主国がアフリカを植民地として搾取する構造についても深掘りしたつもりだ。ではこの20年間、積極的にアフリカ進出をしている中国はどのような戦略と考え方でアフリカ進出しているのだろうか? このパート③では、中国のアフリカ進出と日本のあるべきアフリカ外交についても現場情報から分析してみたい。

 なぜ日本はアフリカ貿易で中国に先を越されるのか?

 去年、当社のアフリカ貿易が飛躍的に伸びてきたので、需要家にアフリカの最新情報を報告する機会が増えた。質疑応答の時間に「なぜ日本はアフリカ貿易で中国に先を越されるのか」、「アフリカで中国に負け続ける日本がどうすれば良いのか?」といった質問をしてくる日本人が増えている。少し前までなら良い質問なのだが、今となってはマスコミの誤った情報を真に受けているようなケースが少なくないので返答に困っている。


 率直にいえば今の日本にはアフリカに貢献できるような大型予算も無ければ民間企業も「石橋を叩く」ばかりで開発力と実行力が無いために中国と比較することは無意味であることが分かってないのである。

 

 欧米の論調にしても、今や日本人はいつまでも昔の「Japan as No.1」を本気で信じているのは滑稽だ。と率直に言ってくれる友人も増えてきている。日本に力が無くなっているのは我々日本人が一番知っているはずなのに、事実を認めたくないのか「そんなはずはない」と思っている経済人が多い。

 

 昨年12月にアフリカを回って思ったことは「中国はアフリカでよく頑張っている」という事実である。商社マンを長くやっていると身の程知らずな意見を言っても、誰も相手にしてくれないことを熟知している。従って、日本がアフリカ市場で中国と同じ行動パターンをとるのは明らかに間違った認識であることを言っておきたい。

 

 政治家も経済人もアフリカに対してこれまでも綺麗ごとや、外交辞令は度々口にするが正直に言えば「おためこがし」の口先だけのボランティアをしているに過ぎない。

 「羹に懲りて膾を吹く」日本のアフリカ進出

 1960年代のコンゴ民主共和国(DRC)カタンガ州での日鉱金属(現JXグループ)の銅鉱山開発の失敗が日本人のアフリカ開発のトラウマになった。「羹に懲りて膾を吹く」ということわざがある。以前の失敗に懲りて度を越して用心深くなるということである。日本の産業界はアフリカといえば悪いイメージしか持っていない。

 

 シャバ紛争が起こって日鉱金属はDRCから退却した歴史は日本の非鉄業界にとって痛恨の経験であった。高度経済成長時代にせっかくDRCに投資した約600億円(今でいえば軽く6000億円以上)がパーになってしまった。日鉱金属の岡田昌徳前会長にDRCの話題をすると「中村さん、コンゴの話だけは勘弁してくれ。せめてもの慰めは一人も死者を出さずになんとか全員が帰国できたことだ」と答えられた。岡田前会長にとってみると、アフリカ開発には余程辛い思い出があったのだろう。


 アフリカを舐めていた訳ではなかったが


 暗黒大陸アフリカは飢餓の大陸であり、独裁政治の暴力国家が多く、マラリアや疫病の巣窟だと普通の日本人は思っている。南米のチリやペルーには銅鉱山に多額の投融資をしてきたが、アフリカだけは例外だったようである。あまりにも文化が違いすぎるし、あれだけ勢いに乗っていた日本企業もアフリカ市場だけは二重三重の障壁に阻まれたのだ。今から思えば当時の日本企業は経験不足のために歯が立たなかったのかも知れない。

 

 JICA(国際協力機構)やJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)は地質調査にDRC(コンゴ民主共和国)やアフリカの周辺国家に行くが、非鉄企業が果敢に鉱山開発のためにアフリカに投融資した話は聞いたことがない。学術的な資源調査と馬の目を抜くようなビジネスの「騙しの現場」とは大違いなのである。その意味でも現場主義の日本人がいなくなってしまったのでアフリカ開発の難易度は更に高まっているのだ。日本人には突破力が無くなってしまったのだろうか?

 日本人は引きこもり
 中国人はアフリカへ出しゃばりだした

 日本的な経営手法は「手堅く、技術力を生かして正攻法で真面目」にやれば、最後には成功すると真剣に考えている経営者が大半だ。貿易立国日本は、商社マンが先兵となりアフリカでも南米でも中東でも、どこへでも飛び出していった。バブル景気の時には調子に乗っていた日本人も、その後の失われた20年にはすっかり自信を無くしたようだ。「石橋を叩いて渡る」のが手堅い経営だという内向きの守り一辺倒の経営手法が日本的美徳だと信じる人が大多数になった。なかでもアフリカ市場は「石橋を叩いても叩き過ぎることはない」とのコンセンサスが出来上がっているためにアフリカ市場における日本人の「成功体験」は皆無といっても過言ではない。

 

 一方の中国はまったく逆の発想でアフリカ進出に力を入れ出したのである。実は日本は中国に対する政府間援助(ODA)で1979年から2013年までの間に3兆円以上の資金協力を行ったが、一方の中国はそれ以上の資金援助をアフリカにしている。私に言わせれば、日本は中国に対して長年にわたって「政治的死に金」を使い、中国はアフリカ諸国に対して「政治的生き金」を使っただけの話である。

 

 日本政府は国連安保理の常任国入りを目指しているというが、常任理事国の中国が反対すれば実現しない訳で、率直に云えば勝てないゲームに時間を掛けるのは無駄と思うのは私だけだろうか?

 ジブチ共和国の中国の軍事基地には
 中国人が殺到している

 アフリカに来る中国の若者は仕事を探しにきているような労働者タイプが多い。今回もアディスアベバからジブチに行く飛行機の隣に座っていた30歳前後の中国の若者に「何しに来ているの?」と聞いたら、今回ジブチに来るのは初めてで「北京の会社からマネージャーとして派遣されてきた」と言っていた。

 

 帰る予定も聞かされていないし、給料が良いから来たとだけしか、言わないのだ。完全に仕事モードで不安も無ければ期待もしていない雰囲気である。兎も角、ジブチ行きの機内には中国人の乗客が多くてジブチに押し寄せているとも聞いた。アメリカやフランスや日本もジブチに小さな軍事基地を置いているが中国はその数倍もの軍事基地の建設に乗り出していると聞いた。

 

 ジブチ共和国の人口は90万人しかいない小国であるが、その地政学的な価値は計り知れない。ソマリア海賊の退治という名目で中国は軍事拠点を設ける事をジブチ政府と合意した。今やジブチ国内ではジブチのGDPを超える規模の建設をどんどん始めている。中国人労働者の投入数は正確には統計がないが、今は数万人でも、その内にジブチの人口の1割とか2割になるのは時間の問題であろう。

 

 米国の定員が3000人のところを4500人の海兵隊がいる。日本の自衛隊の駐在員数は570名(洋上隊を含む)のようだが中国人の数は直ぐに10万人単位になると予見する。ジブチという抜群の軍事拠点は将来のアフリカでの軍事力拡大の橋頭保になると予想される。中国が常に戦略的にアフリカ開発を実行している好例である。


 日本の政界にもアフリカを愛してやまない国士がいる


 さて、昨年の12月5日から22日まで日本アフリカ友好議員連盟の三原朝彦ミッションに合流してアフリカ諸国を歴訪する機会に恵まれた。三原朝彦団長と山際大志郎副団長は心からアフリカを愛し同時に日本の経済界にも資する発想と支援体制を構築するために毎年アフリカ諸国を訪問している。三原アフリカミッションの毎日の予定は殺人的な過密スケジュールであった。今回はジブチが最初の訪問国だが、政府高官はもとより、自衛隊員への激励会、エネルギー大臣、ODEGG総裁との会食会議、国民議会議長への表敬訪問、アッサル湖サイト訪問、青年海外協力隊とジブチ在留民間企業との意見交換会と目白押しなのである。それだけの日程をこなしても中国のアフリカに対する行動に比べるとまだまだなすべきことは多いとの意見だ。


 三原団長の意見によると、中国の要人がかなりの頻度でアフリカ訪問を繰り返しているが、日本政府はアフリカ外交にもっと関心を持って推進するべきだと強調されている。

 

 中国はアジアの代表国日本のアフリカ支援を基礎にしてアフリカに乗り込み上手にアフリカの支持を取り込んだという見方もないではない。だが、本当のところをいえば、中国は50年前からアフリカへの援助は行っている。ある外交官は言う。「日本の外務省はアフリカ人が日本に来ても、予算がなくて接待もできない。中国は大接待をするからそんなつまらないことで日本はけち臭いといわれる」と。日本の外交官は認めたくはないだろうが中国政府はアフリカ諸国に対して日本よりも余程努力をしてきているのが事実である。欧米のマスコミも日本の報道機関もなぜ中国のアフリカ支援を過小評価するのかが私には疑問である。

 新しい日本の若者たちがアフリカに賭ける心意気

 日本の企業はアフリカにリスクをかける気はないし、本格的に開発するには、まだまだ時間がかかるだろう。一方、アフリカに挑戦したい若者が意外に多いことが今回のミッションへの参加で分かった。海外青年協力隊の若者は当初はアフリカに来た理由を聞いてみると、電車の中の中吊りを見て軽いノリでアフリカにやってきたと云っていた。初めはそれ程の志を持ってアフリカにやってきた訳ではないのだが2年ないし3年間のアフリカ滞在中に考えが変わってくるというのだ。


 今回のエチオピアやジブチやルワンダで会った協力隊の若者たちはそれなりにボランティアをやりながら自分も挑戦したい気持ちになってくるようだ。私自身も23歳の頃に2年間の海外でのバックパッカーの生活が自分の考え方を変えたようにJICAの海外青年協力隊の経験は今の日本の若者たちにとっての自己改造のツールになっているのかもしれない。一方、意外な事にエチオピアなんかでは圧倒的に女性隊員が多いのに驚いた。男子の隊員が少ないのは偶然だったのかもしれないが若い日本の女性の迫力は相当のものであった。昔のバックパッカー崩れの「何でも見てやろう」みたいなタイプは今は流行らないらしいが数年たって帰国する頃にはチャレンジ精神の強い若者になってアフリカと日本の架け橋になってくれることを期待した次第である。

 日本の若いアントラプルナー(起業家)も
 ルワンダを目指す

 一方、在ルワンダ日本大使館の主催で鉱業セミナーの後に三原団長とともに、ルワンダで事業を始めている若手の起業家を囲んだ夕食会に参加させてもらった。参加した日本人の若手の起業家はITビジネスや食品ビジネス、レストラン経営、教育ビジネスなど多様性のある挑戦をしていた。古い世代が「羹に懲りて膾を吹く」あいだに日本人の起業家がアフリカを目指しているのだ。日本の大手企業は自己保身が先に立ち「石橋を叩く」が若者たちは自由な発想で新事業に着手しているのだ。

 

 聞くところによるとルワンダはアフリカの中で最もビジネスチャンスの多い市場であり多くのディアスポラ(離散者)が故国に帰国してビジネスを成功しており、アフリカでは成功率が最も高いという事である。彼らからの情報ではルワンダがアフリカの中で最も起業しやすい国のNo.1になっているとの事だった。多分、政府のインセンティブも後押しをしているに違いない。


 私の結論はこうだ


 今回のルワンダにおける鉱業セミナーではかなりの手ごたえを感じた。これまで、欧米も中国もルワンダやDRCコンゴの鉱山経営者たちとのセミナーは実行したことがないので、日本(AMJ)の鉱業セミナーは大変に勉強になったとの反響があったからだ。ルワンダでは手掘りの鉱山も多く、中小企業の鉱山主が採掘権を政府から得て少量のコンフリクトミネラル(紛争鉱物)を選鉱しているに過ぎない。コンプトワールという仲買人に販売して資金力のある欧米系の輸出業者が買い占めるという構造になっている為にルワンダ人の産業資本は資金不足でいつまで経っても利益が蓄積できないのだ。ルワンダに必要な事は流通革命である。

 

 産業インフラや物流インフラの整備もこれからである。日本企業が協力するべき部分は支援の出し惜しみをせず、一気通貫で合理的な流通経路を整備してあげる事である。セミナー終了後に簡単な立食パーティーを行ったが、今回招待した経営者が一様に期待しているのはつなぎ資金の供与である。ルワンダは他のアフリカ諸国と比べるとビジネス環境は整っている方だが、残念ながら金融資本の合理的運営にはまだ時間がかかっているようだ。要するに制度金融が整備されていないので起業家が育たないのだ。日本政府の制度金融や信用保険制度を利用すればこの問題はブレークスルー出来ると直感している。日本の若い起業家に負けないで、われわれ民間企業も知恵を使って合理的にアフリカ開発を推進する方法は幾らでもあると思う。

「ABEイニシアティブ」とは何だ?

 鉱業セミナーと夕食会の席上で三原団長から、日本型の支援制度である「安倍イニシアティブ」の話題が紹介された。「安倍イニティアティブ」とは2013年の第5回アフリカ開発会議(TICADV)で「アフリカの若者のための産業人材育成制度」のことである。JICAを通じて5年間で1000人のアフリカの若者を日本の大学や大学院の教育の機会を与え、更に日本企業のインターンシップの機会を提供するものである。2014年9月からすでに始まっている制度で昨年のルワンダ大使館主催のパーティーでもIT系の研究生が来日していたので着実に効果は上がっていると思っている。

 

 なにも日本人が中国人と対抗心を燃やす必要はない。日本は日本流の交流を進めて行けば良いのである。別の見方をすれば、中国と日本がタッグチームを組んで一緒にアフリカ支援をすれば更に効果は上がるのではないかと考えている。日本は日本の良いところを発揮し、中国は中国の得意分野を生かして行けばよいだけの話なのである。



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2016.1.6 WEDGE Infinityの「山師の手帳~”いちびり”が日本を救う~」に掲載されました。原文はこちら をご覧ください。

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 ルワンダを初めて訪問した時にルワンダ人の友人が「虐殺記念館」に私を連れて行った。記念館は我々日本人の感性から云えば気持ちが悪くなるほどの虐殺写真の陳列がなされてあった。記念館の案内人によると1994年4月6日に発生した大統領暗殺から約100日の間にフツ系の過激派によって約100万人のツチ族が虐殺されたと説明を受けた。ルワンダの友人は吐き捨てる様にこう云った。「大虐殺の張本人はベルギー人だ」と。

 ジェノサイドの真実 

 ウィキペディアによると「ルワンダ虐殺は部族対立の観点のみから語られることがあるが、ここに至るまでには多岐に渡る要因があった。まず、フツとツチという両民族に関しても、この2つの民族はもともと同一の由来を持ち、その境界が甚だ曖昧であったものを、ベルギー植民地時代に完全に異なった民族として隔てられたことが明らかとなっている。

 

 また、民族の対立要因に関しても、歴史的要因のほかに1980年代後半の経済状況悪化による若者の失業率増加、人口の増加による土地をめぐっての対立、食料の不足、90年代初頭のルワンダ愛国戦線侵攻を受けたハビャリマナ政権によるツチ敵視の政策、ルワンダ愛国戦線に大きく譲歩した1993年8月のアルーシャ協定により自身らの地位に危機感を抱いたフツ過激派の存在、一般人の識字率の低さに由来する権力への盲追的傾向などが挙げられる。

 

 さらに、国連や世界各国の消極的な態度や状況分析の失敗、ルワンダ宗教界による虐殺への関与があったことが知られている」といった説明がある。ようするに植民地支配をしたベルギー人はルワンダのフツ族とツチ族が憎み合うシステムを構築したのである。

 

 当時、なぜかベルギーも世界の警察であるアメリカも大虐殺が発生することが分かっていて止めなかった。わずか、21年前の事件に対して今のルワンダ人は過去の悲劇を忘れる努力をしているというが、やはり日本人の感覚からすると、綺麗ごとに聞こえる。私にはトイレにこびり付いた糞尿のような拭いきれない記憶として沈殿しているような気がする。事実、ルワンダ人のツチ族の友人は今でも悪夢に目が覚めることがあると云っていた。

 ルワンダ人の友人が
 アメリカ軍の原爆投下について聞いてきた

 アメリカが太平洋戦争で原子爆弾を広島と長崎に投下した事実について聞かれてどう答えてよいのか分からなかった。私自身は戦争の話題や質問に対しては嫌悪感が先に立つのであまり話したくないほうである。

 

 実は原爆で広島では20万人、長崎では10万人が被害を受けて死んでいるのが事実である。東京大空襲では10万人の死者が出ている。太平洋戦争の日本人の死者は軍人が230万人、一般人が80万人死亡している。合計日本人の310万人が被害を受けているのだ。

 

 私自身はそんな話を得意になって話せば話すほど気分が悪くなってくるから過去のアメリカや連合軍の「原爆投下の非人道的な罪」を問題視することは止めて「水に流して」しまいたいタイプの日本人である。そんな日本人の僕がルワンダの大虐殺を他人事として処理できなかったのはある理由があった。アウシュビッツ平和博物館が差別と迫害と全ての戦争犯罪を象徴する場所であるならば、ルワンダの虐殺記念館は国連や世界各国(特にベルギーとアメリカ)の積極的無関心とその結果としての「為さざる罪」を象徴する場所であると感じたからだ。

 

 戦争犯罪は殺戮行為の結果の死者の数が何を示すのかは分からないが、アウシュビッツ収容所の約3倍の効率でジェノサイドが起こったルワンダの悲劇を忘れてはならない。


 ルワンダを理解するには
 宗主国(ベルギー)を知らなければ分からない


 今回は4回目のルワンダ訪問である。泊まったホテルは2006年の映画『ホテル・ルワンダ 』の舞台である首都キガリにある「ホテル・ミルコリンズ」である。この映画の内容はホテルに逃げ込んだ1200人ものツチ族を救出した現地支配人を主人公に100日間で100万人が虐殺されるジェノサイドを描いた作品である。

 

 映画ではホテルのプールの水を飲みながらサバイバルするシーンが印象的だったが、今回はそのプールの横に座って21年前を空想した次第だ。

 

 ただし、1994年に起きたジェノサイド(大虐殺)の歴史が信じられないほど今では首都キガリは嘘のように治安のよい街になっている。ルワンダは第1次世界大戦まではドイツの植民地であったが、大戦後はベルギーの委託統治領となった。その後、ベルギーが植民地として現地の住民をツチとフツに強制的に分けてその対立を利用した統治を進めた。故意に8割のフツを2割のツチが支配するという差別構造を産んだことが1994年のジェノサイドの伏線となった訳だ。私が気になるのはこの「為さざる罪」である。

 

 現在のEUの中心はベルギーのブリュッセルに本部がある。ところがベルギー政府が積極的にEUのリーダーになっている訳ではない。私自身、これだけ足しげくベルギーに通っていてもベルギーの首相や政治家の名前さえ覚えられないのは不思議な話だ。裏では色々と画策はしているのだろうが決して表に出てこない陰険な一面すら感じるのである。この事が「為さざる罪」なのではないかと云いたいのだ。

 

 ついでに云っておきたいが、原爆投下の行為は大統領の命令で某戦闘員が何の罪もない一般人をボタン一つで大量殺りくする行為だがアメリカ国民からすれば積極的な無関心からくる「為さざる罪」の典型例でもある。

 京都的な性格を漂わせるベルギー人

 私は20年にわたって毎年ベルギーの首都ブリュッセルに通っている。レアメタルのビジネス交渉のためにベルギー人と密接に付き合っている。

 

 そんなお付き合いの中でベルギー人の性格は、付き合えば付き合うほど裏表がある人が多いように感じている。表面はのんびりしたタイプでビールが好きで食通の人が多く楽しい雰囲気を持っているが、隣国のフランスやドイツに囲まれているので小国として独立性を維持する為に上手く立ち回っているように感じている。ベルギーの文化は超一流で生活も洗練されているが経済力の面から云えばフランスやドイツには及ばない。

 

 日本の県民性で敢えていえば京都人的な要素が見え隠れする。表立っては率直には意見を云わず表面的には柔軟なイメージだが仲間内では他人に対して陰口をいう人が多いように感じるのは私だけだろうか。北部は真面目な働き者が多く、南部はラテン気質の社交的なタイプが多いというがこれも見方次第では二面性があると云えなくもない。

 

 ルワンダの悲劇が生まれたのは、こうしたベルギーの国民性の「ご都合主義」が影響しているのではないかというのが私の見方である。


 ジーンマリック氏とディアスポラ(離散者)と
 コンフリクトミネラル(紛争鉱物)


 ジーンマリック氏とは20年近くの知り合いである。彼のルワンダの工場を訪問して以来3年が経っているがジーンマリックは、ルワンダの鉱業組合の会長で自らもタングステンやタンタルの鉱区を持っている企業家でもある。彼が今回のセミナーのプレゼンテーションも引き受けてくれたおかげでパート1に書いた紛争鉱物のセミナーは大成功だった。

 

 また、ジーンマリック氏はルワンダにおける鉱業制度に対する決定権にも影響力を持つ政治家的な側面も持つ経営者である。

 

 この一年間はレアメタルの市況が高騰から下落に転じたために鉱山経営については経済的影響が資金不足となったはずだがルワンダでの鉱山の規模ではトップクラスである。

 

 さて、このジーンマリック氏もディアスポラでルワンダ内乱時期にコンゴ民主共和国に一時期逃げていたが、国内が安定したので十数年前から帰国して鉱山の開発を推進してきた人物である。現在、コンフリクトミネラルを採掘している企業家の大半はディアスポラである。彼らは海外で活動している間に海外の産業資本や金融資本をルワンダに誘導してきたのである。彼らは大変、情報通で海外から帰国した連中たちが海外からの取引先を手玉にとって競争原理を働かすようなところもなかなか強かである。


 ジーンマリック氏は日本からのデレゲーションに彼の鉱山の採掘現場のプラントツアーもアレンジしてくれたのだが、鉱山に到着するなり鉱山の数百人の社員の歓迎はルワンダ式のダンスを披露してくれたので日本の訪問団は度肝を抜かれたほどだった。日本人の強みも弱みも良く理解しているから普通の日本人なら多分相手にならないだろうと実は思っている。

 コルタン盗難事件と内陸国の悩み

 今年になってからほぼ毎月ルワンダ産のタンタルとタングステンを対日輸出している。コルタンとはタンタルとニオブが混ざっている精鉱であるが20トンコンテナ一本が約6500万円もする高価な素材である。当社はルワンダからは従来はベルギー系や英国系のトレーダー経由で輸入していたが、コンフリクト・フリーの証明付きタグとともに直接輸入が可能になったために、トレーダーからの商流を直接取引に切り替えたのである。

 

 初めの数回は順調に輸入がなされたのだが今年の夏に神戸港に到着したロットの中からドラムが巧妙にすり替えられており、中身はゴロ石が入っていた事件が発生した。

 

 AMJの担当者はルワンダの鉱山まで行って立会をし、タンザニアのダニエスサラム港まで確認に行ったにもかかわらず現物ドラムだけがすり替えられていたのである。

 

 本来なら調査のために海上保険事故の求償にかなりの時間がかかるのだが、港湾担当者と輸送会社との内部の犯行であることが突き止められたので保険金の支払いでトラブルになる事はなかったので不幸中の幸いであった。

 

 いまどき、このような「荷抜きの事故」の発生は考えられないのだが、取引関係者は「やはりアフリカリスク」は、なかなか回避できないという感覚であった。ルワンダは内陸国であり、積出港はタンザニアのダニエスサラム港かケニアのモンバサ港になる。南アフリカのダーバン港は距離からみて合理的ではないが内乱の時期にはDRCのカタンガ州からダーバンまで運んだこともある。

 

 いずれにしてもアフリカの輸送インフラの安全性は将来のテーマでもある。


 貧困と密輸のデススパイラル

 

 アフリカ各国を回ると貧富の差が拡大している事が分かる。ルワンダなどはまだマシな方で今回歴訪したエチオピアやジブチそして資源大国のコンゴ民主共和国は大半の貧困層のスラム街に行くとかなり厳しい環境である。2割の金持ちが裕福な生活をして8割の貧困層が極限の生活を余儀なくしているという感覚である。

 

 ルワンダでは正式な公表数字はないが中央労働組合会議によると労働人口440万人のうち女性が240万人で失業率は10%と報告している。但し人口の大半は地方に住んでおり農業従事者の失業率は分からないと聞いた。失業者の仕事が見つからないと反政府軍に雇われるケースが昔は多かったようだが現在は落ち着いてきたようである。

 

 コンゴ民主共和国(DRC)やウガンダやブルンジやタンザニアは更に貧困度が高く犯罪件数は多いようである。事実、今年の夏の荷抜き事件はタンザニアの通関業者と税官吏が共謀した事件であったがコンフリクトミネラルにタグ付けして反政府軍の資金源を断つのはアングロサクソン的な発想だ。

 

 さて、今回のパート2も話が長くなってしまった。ルワンダを見ながらヨーロッパの宗主国「ベルギー」と世界の警察「アメリカ」の話題が気になって中々本題に入れなくなってしまった。

 もう一つの重要テーマ中国

 実はもう一つ重要なテーマがある。それはルワンダやアフリカ各国で繰り広げられている大国中国の挙動である。

 

 日本は長年にわたってアフリカを支援してきたが、過去10年間は日本経済の足踏みと政権の不安定から外交面でのアフリカ政策が「おざなり」になっていた。一方、中国のアフリカ外交は1990年代の後半から天然資源の獲得と本格的な新アフリカ外交政策に舵を切り替えていった。

 

 2005年以降の中国のアフリカへのトップ外交は目を見張るものがあった。アメリカやフランスを凌ぐ力の入れ方で経済的にもアフリカ市場を取り込んでゆくような動きであった。

 

 一方の日本は1989年の冷戦終結時に余裕のなくなった欧米からのアフリカ支援が消えて行く中でTICAD(アフリカ開発会議)を提唱したわけである。アフリカ各国からの要請も強く1993年に始まったTICADⅠは5年ごとに日本で開催する事になり2013年6月の横浜TICADⅤでは39名の国家元首・首脳を含むアフリカ51か国が参加し世界最大級のアフリカ開発会議に成長した。その後のアフリカ外交は安倍首相の2014年1月のアフリカ歴訪からさらに新たな段階に入ったように思われる。

 

 今回の日本アフリカ友好議員連盟のミッションの一員としてアフリカを回ったが各国で中国の風評を聞かされることになった。良い噂も、悪い噂も聞かされたのだが、日本が中国とアフリカで張り合う事はないし、日本は日本らしいアフリカとの付き合い方をしてゆけば良いだけの話である。それでも、こと隣国の中国のことが気になるのが日本人である。

 

 次回の「ルワンダの夜明け」パート3はどうすれば日本からのアフリカ開発が合理的に実現できるのかについて報告させて頂きたい。



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2015.12.30 WEDGE Infinityの「山師の手帳~”いちびり”が日本を救う~」に掲載されました。原文はこちら をご覧ください。


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 2015年度の12月に日本アフリカ友好議員連盟のミッションの一員としてジブチ、エチオピアに次いでルワンダを訪問した。主な訪問目的はコンフリクトミネラル(紛争鉱物)の鉱山見学と契約交渉である。コンフリクトミネラルとはタンタル、タングステン、錫(ティン)のことである。

 

 同時にJICAと経産省の協力を得て首都キガリで鉱業セミナーを開催する運びとなった。その話の前に簡単にルワンダという国家についての簡単な紹介をしてみたい。

 ルワンダとはどんな国なのか?

 ルワンダは中部アフリカに位置する共和制国家で内陸国である。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する。歴史を見るとドイツやベルギーの植民地時代から1962年に独立をするが1990年以降はルワンダ紛争のために混乱状態が続いた。


 1994年のフツとツチの民族間の大虐殺の悲劇の歴史を乗り越え、現在は「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの経済発展を示している国家である。

 

 国土は四国の1.5倍ほどしかない小国でアフリカでは最も人口密度が高い国家でルワンダ経済における鉱山関連のシェアは34%と一次産業の中では最大である。

 コンゴ民主共和国とルワンダとの違いはなにか?

 アフリカの最大の資源国家といえばルワンダの隣国コンゴ民主共和国である。コンゴ民主共和国は世界最大のカッパ―ベルトを擁し、そのとてつもない資源のために宗主国(ベルギーやフランス)からの資源収奪が繰り返されてきたと言っても過言ではない。

 

 彼らは常に紛争を起すことでコンゴの部族間の団結を阻害し、植民地としての支配を強化させることを繰り返してきた。コンゴは1960年6月30日にベルギーからの独立を果たすが、その後のコンゴ動乱から混乱は収まらず、第1次シャバ紛争、第2次シャバ紛争、そして1998年の第2次コンゴ戦争へと発展し、21世紀に入ってからも混乱の極みで、未だに東コンゴの地域には国連軍が介入するなど、状況は好転していない。


 一方、ルワンダも1990年から1993年にルワンダ紛争(ルワンダ大虐殺は1994年)が起こるが、混乱期に海外に逃れたルワンダ人はわずか20年の間に本国に戻って経済発展に寄与し、この10年で経済成長率は年平均8%を実現しており、アフリカの中では最も成長率が好調な国家である。

 

 ルワンダはコンゴと違って小さな国だから、内乱状態が収まれば政治的にも経済的にも統治はしやすいのである。ルワンダの経済発展はカガメ大統領の政治手腕による部分が大きいように思われる。

 

 半世紀前の独立前後から海外に亡命していた一部のルワンダ人を「ディアスポラ」(離散者)と呼ぶが、彼らは海外で教育を受け、資本を本国に呼び込み、優秀なビジネスマンに変貌した。この10数年の間に約200万人のディアスポラたちの半数が祖国ルワンダに戻り経済活動の中核を担っている。これらの優秀な人材をカガメ大統領はルワンダの復興に登用しているのである。カガメ大統領自身もディアスポラであることは言うまでもない。


 ルワンダはアフリカの

 シンガポールのようになってきた


 さて、私が6年前に初めてルワンダを訪問した時も首都キガリは美しく掃除が行き届いていたが、現在はさらに国を挙げて環境の向上に力を入れている。市内の発展は目覚ましく高層ビルの建設も増えているし、交通インフラも整備され、通信環境(インターネット)も大幅に改善されている。


 私にとってみると今回で訪問回数は4回目だが、現在のルワンダはまるでアフリカのシンガポールのようなイメージに映った。キガリの街は「千の丘の国」と呼ばれるルワンダ共和国の首都であるが、緑も多く道路も綺麗に整備された美しい街並みになっている。

 

 そういわれてみると、カガメ大統領はリークアンユー元首相のように徹底した行政の運営をしているし、何よりも小国(四国の1.5倍の国土)の強みを生かした国づくりを進めているのも事実である。カガメ大統領の風評は一部には独裁者と云う噂も聞こえるが、発展途上国にはその位の強権発動するくらいのリーダーでなければ収まりはつかないものである。

 アフリカでの鉱業セミナーが、なぜ必要なのか?

 今回の訪問中に、アフリカにおける史上初の日本企業(AMJ)による紛争鉱物資源のセミナーをルワンダの首都キガリで行った。なぜ、私がわざわざルワンダのキガリまで行って、セミナーを行ったのかについて説明したい。

 

 レアメタルのような素材の取引に最も必要な条件は安定供給と安定品質と安定価格である。つまり、供給国の政治的な安定性がない限り品質の向上や価格の安定も期待できないのである。 

 

 私はコンゴにも何度も行っているが(実は今回もコンゴの資源調査を4日間も行った)、コンフリクトミネラル(紛争鉱物)と呼ばれるタンタルやタングステンや錫(ティン)が反政府軍の資金源になっていたり、若年労働者たちの人権が侵されている問題が発生しているのだ。ちなみに紛争金属のタンタルとタングステンと錫(ティン)は、そのアルファベットから3Tと呼ばれている。

 

 ルワンダの紛争鉱物に対する政府の規制と管理体制は大国コンゴと較べると秩序があり供給体制が整ってきた。ただし、小規模の鉱山経営者が多いために、仲買人(コンプトワール)を通じて売買するケースがまだ多くサプライチェーンが未確立である。

 

 鉱業セミナーの目的は当社(AMJ)の名前を宣伝することと、ハイテク製品の最終需要家は日本市場である事を理解して貰い、日本市場向けの直接貿易を推進することが今回のセミナーの目的である。


 日本のハイテク産業が必要とする紛争鉱物を巡る戦略


 さて、今回の鉱業セミナーは2011年から当時の経済産業省の安永裕幸元鉱業課長とJOGMECとともに計画したものである。当時は資源危機の最中であり、経産省(JOGMEC)がボツワナにおける地質調査(リモートセンシング)を始めた時期であったがアフリカの資源国に日本が世界有数のレアメタル需要国であることを理解して貰う必要があった。


 特に中国のレアアースの輸出禁止が問題視されていたためにレアメタル資源の安定供給にはアフリカが重要であるという認識は一致していた。ところが、資源大国中国は、10年ほど前からアフリカの資源確保に躍起になっているために、日本のハイテク産業としてもタンタルやタングステンや錫の直接ルートを確保しなければならない戦略が必要となってきたのだ。

 

 その意味でも日本政府としても民間活力を利用したアフリカ諸国への情報活動も必要になっていたのである。日本はアフリカ開発会議(TICAD)などを通じて、2013年にも横浜で第5回アフリカ会議を行ってはいるが、どちらかといえば現場主義ではなく空回りの印象を持つアフリカ人も多いようだ。率直にいえば、ルワンダ側から見ると、日本よりも中国や欧米の方が積極的な貿易相手国であり、日本の重要性に対する意識は少なかったのである。

 

 そんなことで資源セミナーには果たして何人の出席者が興味を持って参加してくれるのかは予測がつかなかった。

 資源セミナーの当日が
 突然、大統領任期更新の国民投票日に

 さらに加えて、偶然ながら鉱業セミナー開催日の当日が大統領再選の可否を問う国民選挙の日に当たった。ルワンダの将来を決定づける重要な国民選挙であるから金曜日ではあったが休日になっていた。

 

 数カ月前から用意していた鉱業セミナーの日程がわずか10日前に決定した大統領再選の国民投票の休日になるとは計算外だったが、仕方のないことである。鉱業セミナー参加者の出席が危ぶまれたが、その心配は杞憂に終わり、インビテーションを出した鉱業大臣を始めとする政府要人と鉱業関係者はほぼ全員が参加してくれた。

 

 日本アフリカ友好議員連盟の三原朝彦議員と山際大志郎議員も来賓として特別参加を頂いたうえに在キガリ日本大使館やJICAからもからも参加いただき盛況な鉱業セミナーとなった。


 紛争鉱物の光と影


 ルワンダやコンゴを始め、ブルンジ、ウガンダ、タンザニアなどの周辺国(10ヵ国)には、タンタルやタングステンや錫などのハイテク資源が多く採れる。タンタルはスマホに使う小型コンデンサや光学ガラス添加材に、タングステンは自動車産業用の切削工具材料に錫は、電子工業の集積回路や薄膜材料の用途に不可欠な材料である。

 

 これらの紛争鉱物がコンゴ紛争の原因ともなっており武装勢力が資金源としている鉱山を管理する事が重要となっている。特に2010年から米国金融規制改革法(ドット・フランク法)により、紛争鉱物の使用の報告の有無が義務付けられたために米国のみならず世界中で紛争鉱物のトレーサビリティーのチェックが必要になった訳である。なぜ米国の上場企業がアフリカの紛争と関係があるのかといえば、米国が進めている人権の尊重(子供の強制労働など)や武装勢力やテロリストへの資金源を絶つことが目的になっているのだ。

 テーブルファイヤーの好きな欧米資本

 アフリカ支配に出遅れた米国が金融規制改革法をテコにルワンダ進出を狙っているという見方がある。アフリカの子供がわざと人の靴に泥をかけて、仲間の靴磨きの子供がすり寄ってくるという伝統的な手法と同様である。


 自作自演の架空の火事を起こして保険金をせしめるというクラシックな手法にも似ているのが、コンフリクトミネラルが反政府軍やテロリストの裏金になっているというのは、作り話(フィクション)だという人も多い。


 タンタルもタングステンも錫も市況の値下がりで大した利益も出ないから武装勢力はわざわざ儲からないコンフリクトミネラルを手間暇かけて扱うとは思えない。子供が鉱山現場で不法労働に従事しているのも私は未だ見たことはない。


 実はアフリカ諸国にとって米国の金融法などは何の関係もないので「はた迷惑」な話である。逆に鉱山から製錬段階までの流通経路を証明するためにはコストがかかるだけで何のメリットもないのだ。事実、流通段階におけるタグシステム(鉱山の生産ロット毎にタグをつける管理法)を誘導するのは先進国からの監査組織であり、コストは鉱山や選鉱工場が負担しているのだ。さらに手間暇をかけてコストのかかった分は当然ながら販売価格に転嫁されるだけの話である。


 欧米の監査法人は人権問題やテロリストへの資金源の遮断を言い訳に「上から目線」で資源国を支配するような話である。アフリカ諸国の貧困を救済するというお題目をいうなら、欧米諸国が高い経費で流通の管理をするなどは止めて、その経費を貧困層に還元した方が話は早いという見方もある。


 ルワンダと日本との共通項とは? 


 今回の鉱業セミナーで私自身もプレゼンをする機会があったのでルワンダと日本の共通点について話をさせてもらった。ルワンダは小国だが、森林国の美しい景色を有する。森林地帯が多く農業の耕作面積は少なく奥地に行くと段々畑が続いている。日本にとってもわずか70年前の太平洋戦争の記憶が生々しいようにルワンダの大虐殺の悲劇はわずか21年前の出来事である。日本が戦後の飛躍的な経済成長を経験したように、ルワンダもこの20年間のGDPの伸びは平均7%から8%であり「アフリカの奇跡」といわれるほどの経済発展が続いている。


 日本企業は遵法精神はあるが、欧米企業のようなフィクションを使って支配するような考えはない。JICAやJOGMECが技術支援を惜しまないように当社も融資買鉱を通じてレアメタルの増産に協力してゆく事を提案してゆきたい。セミナーではルワンダと日本の損益は一致しており同じ船に乗っている事を強調させてもらった。

資源不況の今こそ
日本企業はアフリカ資源を取り込むべきだ

 2015年はもうすぐ終わり2016年が始まるが、資源不況が終わりレアメタル市況が上昇に転じるにはまだ数年はかかると予見している。

 

 しかし、一方ではこれだけ資源価格が安くなったのは資源貧国日本にとってはチャンスではないか。中国は過去10年間アフリカ資源にも積極的な投資を行ってきた。最近ではその勢いが落ちてきたようにみえる。中国の国内景気が落ち込み、アフリカ向けの投融資も資源投資については暫くは見直しの動きさえ見える。

 

 逆に日本企業は企業内の含み益がパンパンに膨れ上がっているが国内での投資案件を探すのは難しい状況に陥っている。アフリカの人口は10億人だが21世紀内には2倍にも3倍にもなるという予測もある。貿易立国であり技術立国を標榜するなら今こそ、日本企業が蛮勇を振るってアフリカ資源の開発に挑戦する時が来たと思っている。正にルワンダの夜明けに賭けたいと思うのだ。

 

 次回の「ルワンダの夜明け」パート2では、「ルワンダ虐殺」の真実についてお伝えしたい。



、、、、、、

2015.12.29 WEDGE Infinityの「山師の手帳~”いちびり”が日本を救う~」に掲載されました。原文はこちら をご覧ください。


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