京都に行ったら晴明神社に行ってみたいと思う人もいるのではないでしょうか。
実は中坊進二は、京都に住んでいるわけでもないのに一年に一回必ずお参りに行くようにしています。最初に行った時から、なんだか他の神社にはないものを感じたから、と言えばいいのでしょうか。とにかく、行かずにはいられなくなってしまったのです。

たくさんの神社がある京都の中で、晴明神社はそれほど大きな神社ではありません。むしろ、中坊進二も初めて行ったときにはこぢんまりとした感じに少しびっくりしました。もうちょっと大きいところかなと思っていたんです。それに、境内は新しい感じで古くからある神社という重々しさのようなものも一見すると感じにくいんです。

でも、お正月に行くとそんな小さな境内がものすごい人で溢れていて、近くの駐車場の前にも車が並んで待っているような状態なんです。それほど魅力があるということなのですよね。

もちろん、中坊進二も一年に一度訪れてしまうくらいですから、その混雑に一役買っているわけです。こぢんまりとして重々しさは無いと言いましたが、なんというか独特の凛とした雰囲気があの場所にはあるような気がします。それに加えて、地元京都の人たちに愛されている感じがすごく伝わってくるんです。
京都のバスはみんな晴明神社のステッカーを貼っているくらいなんですよ。最初に見た時すごく嬉しかったのを覚えています。

これからもきっと毎年、中坊進二はあの場所に行くつもりです。
 

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久しぶりに訪れた京都の「阿弥陀寺」は山門前に戦国武将の織田信長の本廟の石碑があり、1555年が創建とされています。創建したのは織田家に縁があったといわれる清玉上人で、最初は近江国坂本に建立されたのですが、その後信長の帰依を受け、信長の上洛と共に今出川大宮に移転されています。かつては京都でも広大なお寺で、13もの塔頭を持っていたといわれています。中坊進二はこの阿弥陀寺に興味を持ったのは清玉上人が実は本能寺で自刃して果てている信長の遺体を発見し、その場で荼毘にふした上で遺骨をこのお寺に持ち帰り、供養をしたという伝説があるためです。ただしこれはあくまでも言い伝えで、実際に信長とその息子の信忠の遺体を回収できたかということに関しての真実は定かではありません。信長・信忠親子のお墓の隣りには同じく有名な森蘭丸やその兄弟のお墓が3つ並んでいます。

それだけ織田家との縁のあるお寺ですから、至る所に織田家の家紋である「木瓜」を見つけることができます。人気の武将である信長縁のお寺というだけに本堂前のチケット売り場は混雑しがちなので、中坊進二は早い時間帯に訪れるようにしました。本堂の左の間は普段非公開となっていますが、信長と嫡男・信忠の木像が安置されています。たまに特別公開をされており、これを見るのも中坊進二が京都を訪れた目的の一つでした。この木像は数ある像や肖像画などの中でも最も本来の信長に近い姿といわれていて、信長没後1年ほどに製作されたものであるだけに作者も近しい人物であったのではということも言われています。


 

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紫式部の邸宅跡として知られる京都市上京区の廬山寺(ろざんじ)は、中坊進二が大好きなお寺の一つ。
神宮丸太町駅からなら徒歩で15分ほど、京都御苑の東にひっそりと建っています。
こちらの見どころは、なんといっても清浄な雰囲気漂う「源氏庭」。
この庭は、紫式部が生きていた頃の様子を歴史学者の角田文衛博士らが考証し再現したもの。
敷き詰められた白川砂と、濃い緑の松、そして軽やかな黄みを帯びた苔。
白と緑が紡ぎ出す清明で簡潔な庭園には、西欧とは違う独特な清浄な雰囲気が漂っています。
夏になると、薄紫の桔梗の花が庭を彩ります。
6月末~9月頃まで咲いていますが、見頃は7月中旬。
源氏物語に出てくる朝顔は、実は今の桔梗なんですよね。
満開になっても押しつけがましい華やかさがなく、清楚な可愛らしさを漂わせる桔梗が中坊進二は大好きで、満開の時期に合わせて廬山寺を訪れるようにしています。

廬山寺の創建は天慶元年(938年)。
もともとは京都の北山に建立されましたが、応仁の乱で焼失。再建を果たすも、豊臣秀吉の寺町建設により天正年間に現在の地へ移されます。
庭の一角には、天正19年(1591年)に豊臣秀吉が洛中に廻らせた御土居の跡を示す石碑があります。京都上京区で御土居の跡が残っているのは、ここと北野天満宮だけ。歴史の欠片を感じます。
この地にはかつて、紫式部の曽祖父であり、堤中納言と呼ばれた藤原兼輔が邸宅・堤第を構えていました。
平安時代に紫式部が暮らした邸宅の跡地に、お寺が引っ越してきたわけですね。
紫式部はこの堤第で育ち、結婚生活を送り、一人娘を育てながら源氏物語を執筆した、といわれています。
また、源氏物語に登場する花散里の屋敷はこのあたりだと考えられています。

節分には、赤鬼・青鬼・黒鬼が登場する追儺式鬼法楽(通称・鬼おどり)が行われます。
護摩供の秘法や紅白の餅や豆を投げられ退散する鬼がなかなかの迫力で、こちらも中坊進二は大好きです。
 

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京都は日本国内からはもちろんの事、海外の各国から多くの観光客が訪れる人気の街として知られていますが、中坊進二も同じように京都が大好きなので毎年1、2回は訪れます。色々なお寺や神社などの有名なスポットがある中で、特に心に残っているのは高台寺です。このお寺は京都駅からもアクセスが良いところにあるため、時間が無い人にもおすすめのお寺なのですが、豊臣秀吉の妻であるねねのお寺としても広く知られているため、あまり歴史について詳しくない人にとっても親しみを感じる事が出来るというメリットがあります。中坊進二は日本史が好きなために興味があり最初は訪れたのですが、石の階段を上ってたどり着き、憧れの高台寺を実際に自分の目で見る事が出来た時には大きな感動を覚えました。特に冬には、特別拝観として夜にライトアップも楽しめる事があるので、旅行の準備の際に日程などをチェックしておいて、それに合わせて行きました。清水寺や祇園などから近い場所でもあるので、中坊進二が高台寺を訪れる時にはいつもセットにして、このあたりのエリアを楽しむ事にしています。特に石塀小路という、京都らしい細い道沿いには、隠れ家風のおしゃれなレストランや料亭風のお店なども集まっているため、お寺などを見て日本の雰囲気に浸ったまま、素敵なところでお食事をする事が出来るため気に入りました。あまり広く観光客などに知られていない場所のようなので、それほど混雑していなかったのも良かったです。
 

京都には広い敷地を有している沢山の神社仏閣があるだけでなく、こんなに身近な所、普段生活している合間に身構えることもなくお参りさせていただける神社もあるんだということを中坊進二はこのお寺を訪れて再確認することができました。そのお寺が仲源寺です。このお寺には延命地蔵大菩薩が本尊として祀られているのですが、この地蔵菩薩さまの別名を「目疾(めやみ)地蔵」と呼んでいます。眼の病気などでお参りするとご利益があるといわれるお寺です。このお寺がある場所がまた特徴的で、京都の中でも有名な繁華街の祇園にあり、まわりには言うまでもなく沢山の飲食店やお土産物を扱うお店などが並んでいるのです。また近くには八坂神社や清水寺など京都の中でも特に有名な神社がたくさんある場所。観光客で日々賑わっている場所ですが、そんな中で静かに佇んでいるお寺というのが中坊進二の印象でした。中坊進二自身も何度かこの界隈を訪れたことがあるのですが、今までは知らず知らずお寺の前を通り過ぎていたようです。先日、祇園の商店街の喧騒の中、お香の香りに気がつき、お参りさせて頂きました。その時は他にも数名の女性がお参りされていて、カメラを持った観光客の人もいれば、近くに暮らす方が普段通りにお参りをするような姿も見受けることができました。商店街から数歩入れば仲源寺の境内。一瞬にして空気が変わり、神聖な気持ちになれた場所です。きちんとお参りをし、ご朱印も頂き、この日以来、祇園の街を歩く時には素通りすることなく、お参りをさせて頂いています。
 

宮川町といえば、京都でも有名な花街。
そんな宮川筋5丁目と6丁目の境目に、ひっそり建つ寿延寺は中坊進二のお気に入りのお寺です。

京都のお寺としては新しく、江戸初期の元和2年(1616年)に日柔上人という方によって開山した日蓮宗のお寺で、もともとは500mほど離れた下京区の富小路高辻に建てられていましたが、1655年に現在の場所に移りました。
ちなみにお寺の住所は宮川町ではなく、京都市東山区大黒町です。

松原橋から鴨川を渡り、松原通を200mほど進むと大黒町通に出ます。鄙びた商店街の風情漂う大黒町通を歩いていくと、古い商店に埋もれるように寿延寺の山門があります。
ごく小さな山門ですが、黒いどっしりした瓦と、山門の下を飾る紅白の提灯が印象的です。(提灯は幔幕に変わる場合もあり)
周囲の建物から少々引っ込んでいるため、注意していないと見落としそうな控えめさ。近くにある建仁寺や六波羅蜜寺のような華やかさはまったくありません。
山門をくぐると、紅白の幟が並ぶ路地のような参道が続きます。
参道の中ほどにあるのが「洗心殿」、寿延寺の目玉「洗い地蔵」が安置されている場所です。
本当はお地蔵様ではなく、「水の徳をもって一切の苦しみを洗い清める」と言われる浄行菩薩様の像なのです。
そのため「お地蔵様(というか菩薩様)に水をかけ、自分の身体の悪い部分と同じ場所をタワシでこすりながら法華経を唱える」と病が平癒すると言われています。
日頃からお腹が弱い中坊進二は、レトロなポンプで水を汲み、せっせとお地蔵様のお腹をこすってきました。中坊進二の横にいたご婦人は肩をこすっていました。
ちなみにお地蔵様は二体ありますが、どちらも浄行菩薩像です。

花街の芸妓は、自分についた旦那の浮気封じの祈願にここへ来たといいます。その際は、お地蔵様の「前」をこするのだそう。
そう聞くと、多くの人に磨かれ続けたお地蔵さんがなんとなく金色に光って見えるのが意味深です。
 

京都には、ものすごく有名な神社仏閣が数多くあります。でも、それ程知られていないものの中にも由緒ある神社仏閣もあるのです。新日吉神宮もそのひとつです。「新日吉神宮」と書いて何と読むのか、正しい読み方を知らない方も多いと思いますが、「いまひえじんぐう」と読むのです。中坊進二も最初は正しく読めませんでした。
元々は、後白河法皇が「法住寺殿」を造営して、厄除けのために、比叡山の守護神の「日吉山王七社」を勧請(神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)したのが始まりです。
これを聞いて中坊進二は、ああなるほどと思いました。よく中坊進二は赤坂の日枝神社へ行くのですが、「日吉・日枝・山王」神社の総本社が滋賀県日吉大社ということで、ルーツが同じなのですね。本殿の脇には、狛犬ならぬ狛猿(こまさる)がいます。神様のお使いなのだそうです。そして、こちらの神社にも日枝神社と同じ様に、可愛い猿のお守りがあります。特にこちらのお守りは可愛いので、必見です。
神社の場所は長い京都の歴史の中で移り変わっていて、今の場所に移ったのは明治30年からとのことです。三十三間堂の向かい側にある智積院の裏側で、京都のこの辺りにしては、静かに参拝できる落ち着いた雰囲気の神社です。境内にあるご神木は「すだじい」と呼ばれる椎の木です。樹齢は500年から800年とも言われていて、とても力強さを感じられる木です。新日吉神宮は、縁結びの神としてもご利益があると言われていますし、ご祭神が多く、家内安全や商売繁盛と幅広くご祈願できる神社でもあります。
 

中坊進二の京都観光で三十三間堂を訪問した際に、東隣にある法住寺に立ち寄ってみました。中坊進二の旅では初めて訪問するお寺で、三十三間堂正面にある道路を渡ってすぐの場所に位置しています。このお寺は後白河法皇とゆかりが深く、平安時代末期になると寺の境内や隣の「Hyatt Regency 京都」を含む場所に、後白河法皇が広大な御所を造営して院政を行いました。後白河天皇が崩御した後も、明治維新までは境内の東隣にある後白河天皇の御陵を守り続けていました。かつての法住寺は栄華を誇り、世界遺産で有名な三十三間堂も、このお寺の数あるお堂の一つにすぎなかったほどです。
江戸時代には「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助が、江戸の吉良邸討ち入りに先立ってこの寺で参拝をしました。
法住寺の見どころには、大石内蔵助が参拝したことが縁で安置されている四十七士木造があります。
さらに当寺は漫画「サザエさん」や「いじわるばあさん」の作者である漫画家長谷川町子の菩提寺としても知られています。長谷川町子が生前に平家物語ゆかりの地を訪問した際にこのお寺にも訪れたことがあり、住職と親交を持つことになりました。1992年に亡くなった後に分骨という形で長谷川町子の墓所が境内に置かれました。境内の入口には「サザエさん長谷川町子菩提寺」の札が掲げられていて、長谷川直筆のサザエ・ワカメ・タラちゃんを描いた色紙が展示されていました。
四十七士木造は撮影禁止だったので、姿を見るためには実際に訪問しなければなりません。
今回の中坊進二の京都旅は、三十三間堂付近のエリアの観光スポットを訪問しました。この周辺には京都国立博物館や方広寺、豊国神社、智積院などが徒歩圏内にあり、1日では全部回りきれないほど多くの観光スポットがあります。
 

京都旅行の目的は人それぞれです。寺院が好きな方、歴史に興味がある方、そして昨今ではアニメやゲームの影響で京都を訪れるなどさまざまです。また、各神社で行われる例祭に注目する方も。中坊進二は各地で行われる例祭の中で秋元神社を知ることができました。秋元神社とは八瀬の御所谷山麓にある八瀬天満宮の境内にある末社です。元禄元年、幕府の老中であった秋元但馬守喬知に恩恵を受けた村民が報恩を偲び創建されたそうです。当時比叡山と八瀬は境界争いをしていました。これを村民側に立ち、解決させた人物なんだそうです。ここでは喬知を偲ぶ赦免地踊というものがあります。赦免地踊は京都の秋の風物詩でもあり、毎年10月の第2日曜日に行われています。室町時代の風流踊りの面影を残すと言われている灯籠踊で頭に切子灯篭を被り踊るものです。中坊進二はこの切子灯篭に目を奪われました。高さ70センチほどの赤い紙に武者や花鳥風月などの透かし彫りが施され、どこか神秘的な雰囲気を醸し出しながらも力強いものを感じる切子は暗い闇の中で異様なほどの存在感を現していました。華やかで歴史ある、有名観光名所を巡るのもいいですが、秋元神社のように厳かで厳粛な例祭が行われている場所もおすすめです。もちろん昼間に訪れても趣のある景観を見ることもできます。苔むして歴史を感じることができる灯篭や切子を掲げた狛犬、境内の生命力に溢れた木々など見どころがあります。中坊進二が再び京都旅行をするならば、次回もこの神社を訪れたいと思います。
 

中坊進二は京都が大好きで今までに何度か訪れています。神奈川に住んでいるのですが、ついこないだも新幹線を使って日帰りで京都へ行ってきました。一番はじめに行ったのが修学旅行のときで、その次は家族で訪れました。3度目は成人して働けるようになって、お金を自分で稼げるようになったときに一人旅で訪れました。そのときは清水寺や金閣寺などの定番コースではなく、もう少し山のほうへ行ってみることにしました。その一人旅で行ったのが鞍馬です。そのとき中坊進二は直接鞍馬寺に行ったのではなく、まずは貴船神社によってから鞍馬へ続く山道をハイキングしていくというコースを取りました。あまり深く考えずにこのコースにしたのですが、今考えるとこれでよかったと思っています。
中坊進二が鞍馬寺でおすすめしたいのは、奥の院です。奥の院は遠い昔源義経が牛若丸だったころに修行したところであるといわれています。今では貴船神社から鞍馬へ続くハイキングコースとなっていますが、ハイキングコースのわりには山深くて薄暗いところです。道の一部には木の根道になっており体力がない人だと少々大変な道ですが、義経堂や魔王殿などがあり風情があってとてもよかったです。あと鞍馬寺は義経だけではなく、与謝野晶子ゆかりの地であり境内には与謝野晶子が実際につかった冬柏亭という書斎があります。お茶室のようなとても小さな建物ですが風情があってよかったです。京都旅行は市内を回るのもいいですが、鞍馬など山のほうへ行くのもまたおすすめです。