ゆ~ったりの〜んびり、

自分の夢に人生をフィットさせる

FREE LIFEを生きよう!
 

家族を大切にしながら

自分の人生を生きる

4歳の女の子のママで写真家で

フリーライフデザイナーの

鶴賀奈穂乃(つるがなほの)ですラブラブ

 

 

 

わたしの人生を劇的に変えるパラダイムシフトが起きた
『理想の人生』を探す旅

 

日曜日からふと始めたこの連載。

 

 

実は本当に偶然に読んだ

フランス人は10着しか服を持たない

がきっかけで、

わたしも10 Wardrobeにチャレンジしたら、

 

 

「本当のわたし」だけではなくて、

すごくいろいろな

“顔”=アイデンティティ

持っていることに気がついて、

 

 

憧れては見たものの居心地の悪さを感じるとか、

当時はぴったりな気がしたけれど

今の時点では何かズレを感じるとか、

 

 

そういう今のわたしに

ぴったりフィットした感じのしない“顔”を

ごっそり捨てたんですね。

 

 

 

 

そうしたら心がとても軽くなって、

ものすごく気分がよくなって、

 

 

そしてとても自然と、

これまでの人生の中で

とても印象的だったできごとが思い出されました。

 

 

するとその大きなできごとの記憶をきっかけに、

次々と今まで忘れていたけれど

あぁ、そうだった!そうだった!という

小さなできごとや感情の記憶が蘇ってきました。

 

 

 

 

そうしたらね。

あら不思議!

 

 

今までわたしにとって大きかったできごとが、

それまでと全然違った見え方をしてきたり、

 

 

「わたしの本当の気持ち」に気がついたり、

 

 

とにかく、

まるで複数の視点から語られる小説のように、

わたしの人生がまったく違って

見えてきたんですびっくり

 

 

 

 

そんなまるで生まれ変わったかのように

“新しい目”で人生を見られるようになったので、

 

 

これは『理想の人生』を探す旅に出る

ちょうどいいタイミングなんじゃないかと、

この連載を始めることにしました。

 

 

 

 

何かの結論に到達したくて書いているんじゃなくて、

『理想の人生』を探す旅をたのしみ、

どんな発見に出会えるのかワクワクしながら

この連載を書いてみたところ、

 

 

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もしかしたら誰かの『理想の人生』を探す旅の

お役に立てているのかも知れない…ラブ

 

 

 

 

そう思うととてもうれしくて、

今日もわたしの『理想の人生』を探す旅を

シェアしたいと思います!

 

 

 

 

今日は家族を大切にしたいと思い、

4年のパリとロンドンの生活に終止符をうち、

日本に帰国してからの

かなり波乱万丈な4年間を振り返ります!

 

 

 

 

 

一生住むつもりだったフランスから
日本に帰国することを決めた理由

 

22歳でパリに行くことになったとき、

わたしは一生をフランスで過ごすつもりでいました。

 

 

どんな風に???

なんていうことはな〜んにも考えずに爆  笑

 

 

 

 

でもぴったり365日のパリ留学のあと、

ロンドンの大学院を卒業して、

もうこれ以上学生でいるわけにもいかないけど

労働許可証が取れるわけない…という時に、

 

 

本当に奇跡的に取れた

フランスのワーキングホリデービザのおかげで

パリで働くきっかけを手に入れました。

 

 

わたしは絶対にワーホリでの就労のあとに

労働許可証を取ると約束してくれる

会社でしか働かないと決めて就職活動をして、

 

 

結局

大手自動車メーカーのマーケティング部に

お勤めすることにしました。

 

 

 

でもそこで1年近く働いて

いよいよ就労ビザに切り替わるというとき、

会社で取得してくれるはずの

ワーホリから就労ビザへの切り替えが

スムーズにいかず、

 

 

一度日本に帰国した状態で、

いつまでかわからないけれど待機

ということになりました。

 

 

 

 

ただ「そこにいる」ためだけに

誰かの許可が必要な海外での生活…。

 

 

 

 

パリでもロンドンでも、

そうして不法滞在者になったり、

ビザの問題で悩む多くのひとたちを見てきて、

 

 

そして私自身も、

いつ労働許可証が出るのか、

もしかしたら出ないのかもわからず、

息をのんで会社からの連絡を待っていて、

 

 

自分の人生を自分でコントロールできない感覚が

わたしの思う「自由」とは全然違う

感じてしまったんですね。

 

 

 

 

さらに日本に本帰国しようかということを

両親に相談したら、

絶対に帰国してほしいと

両親が泣いて喜んでくれたんです。

 

 

 

 

わたしの居場所がある。

自由に帰れる場所がある。

 

 

 

 

それまではずっと

 

 

「自由」=「フランス」

「不自由」=「家族」

 

 

と感じていたのに、

 

 

「フランス」=「不自由」

「日本の家族」=「自由」「愛」

 

 

というように、

その図式が変わったように感じたんです。

 

 

 

 

こんなにわたしの帰国を

両親が待ち望んでくれている…。

 

 

 

 

中学生の時からずっと、

 

 

「どうして両親が望む生き方を、

 わたしは望むことができないんだろう…」

 

 

その想いがわたしを苦しめてきたけれど、

(詳しいことは第2夜で!)

 

 

とうとう!

本当にとうとう!!!

両親とわたしの望む方向が一致して、

わたしはこころからうれしかったんです爆  笑

 

 

 

 

こうしてわたしは4年間のヨーロッパ滞在に

終止符を打って、

日本に本帰国することを決めました。

 

 

 

 

 

ようやく両親が望む生き方をできるようになった
かと思えるようになったけど…

 

26歳でフランスから帰国して

さて、これからどうしようかな〜と考えながら、

実家で新しい生活を始めました。

 

 

 

 

26歳にしてわたしは

小学生の時からの夢を叶えてしまっていたので、

 

 

まずは実家でゆっくりと

家族の時間を楽しみながら

これからのことを考えようと思っていたけれど、

 

 

4年ぶりの実家ぐらしに

すぐに猛烈な「不自由」を感じるように…ガーン

 

 

 

 

来る日も来る日も両親と喧嘩するようになり、

わたしはなんとか早く就職をして

実家を出ようと決めました。

 

 

 

 

フランス系の大手メーカーに

就職活動をしたところ、

 

 

娘はまたフランスに行くことを

企んでいるのではと父の気に入らず、

知らないうちに内定辞退のお電話を

入れられていたとか、

 

 

お付き合いしていたひととの結婚には

とにかく猛反対されるとか、

 

 

もう当時のわたしには、

両親はわたしのすることやること

すべてが気に入らないのだとしか

思えなかったんですよね。

 

 

 

 

それでも希望していた

フランス系の大手化粧品メーカーに就職し、

実家を出て恵比寿でひとり暮らしを始め、

親元を離れてたのしく暮らせるようになると、

 

 

やっぱり

「家族」を愛したくなる。

「家族」に愛してほしくなる。

 

 

 

 

そしてわたしは父が経営していた

世界中の自然療法を教える学院のお手伝いに

入ることを決めました。

 

 

 

 

 

とうとうノイローゼになるまで追い詰められて…

 

早稲田大学を卒業してから

さまざまなビジネスを起業し、

人生の酸いも甘いも知っている

人生のアップダウンの多い父でしたが、

 

 

48歳で大きな負債を負った状態で始めた

ビジネスが成功し、

業界でもトップクラスの売上を誇る

自然療法の学校の経営者でした。

 

 

 

 

わたしは父の学院に

副学院長待遇で入ることになり、

主にPR・マーケティング役員として

学院に貢献することになりました。

 

 

当時、外資系最高級ホテルが

10年以内に日本参入することが発表され、

5つ星を獲得するのに

高級スパを導入するのが必須条件だったことを知り、

 

 

わたしはこうした高級スパが

学院の生徒の主な就職先になるよう、

新しい生徒さんの獲得や

まったく新しい新講座の開設、

広告戦略などを企画しました。

 

 

 

 

ところがこれがそれまでの父の方針と違うので、

当然のように学院内で軋轢が起きる…。

 

 

 

 

父とわたしはお仕事の上でも

まったく意見が相容れず、

お互いにツライし

学院スタッフにも迷惑をかけるので

わたしが学院を辞めようとすると

絶対に辞めさせてくれない。

 

 

母に味方になってほしいと助けを求めても、

父とわたしの間に挟まれて苦しみたくない、

巻き込まないでほしいと何度も言われ、

深い深い絶望の中に…。

 

 

一度は本当にノイローゼになり、

1ヶ月ほど会社をお休みしたことがあるほど、

わたしは精神的に追い込まれていました。

 

 

 

 

 

29歳にして、大修羅場を迎えることに…

 

ある日、

わたしは母に父との縁を切りたいと

相談していました。

 

 

両親が帰宅する時間になったので、

とりあえず学院に戻り、

わたしはやり残したお仕事をすることに。

 

 

父から少し話さないかという内線が入りましたが、

縁を切りたいほどだったので

内線を切ってそのままにしていました。

 

 

 

 

それから30分もせずに母から

学院の近くで父が発作を起こしたから

すぐ来てほしいと連絡がありました。

 

 

 

 

急いで学院を飛び出して走っていくと、

学院から数100メートルくらいの

西新宿三丁目交差点の手前に

大渋滞の中、

救急車が止まっているのが見えました。

 

 

 

 

不安そうに立つ母をみつけて事情を聞くと、

ちょうど交差点に差し掛かるところを運転中に

突然父が胸の激痛を訴えたのだそう。

 

 

救急車のひとたちの判断では

恐らく心臓発作だろうということで

近くの心臓外科に強い病院に

搬送しようとしたようですが、

金曜日の夜5時の新宿は大渋滞で動けない。

 

 

仕方がないので

父の学院の目の前にある

東京医科大学病院に

緊急搬送することになりました。

 

 

 

 

ほとんど意識のない父の様子と、

尋常ならざる雰囲気に、

わたしはついさっきまで

父に口さえ聞かなかったことが後悔されて、

 

 

すごい勢いで病院に吸い込まれていく

ストレッチャーの上の父に

何度も何度も「ごめんなさい」と

繰り返していました。

 

 

 

 

バタバタと検査が進み、

父の病名は恐らく大動脈解離で、

心臓近くから左の腿まで大動脈が裂けたために

心臓の周囲にお水が周ってしまい、

それで心臓の動きが阻害されて

発作が起きたのだろうと言われました。

 

 

命を救うには、

すぐに心臓からすぐの弓部大動脈を

人工血管に置換する手術が必要とのこと。

 

 

 

 

父の命が助かる可能性は5%。

 

 

 

 

夜10時頃、

ようやく救急手術の準備が整いました。

 

 

 

 

「もしかしたら、

 これが最後になるかもしれないので、

 しっかり声をかけてあげてください」

 

 

 

 

胸にマーカーでいろいろな印が描かれている父に、

「がんばって!待っているからね!」

と母とふたりで声をかけると、

 

 

看護師さんたちが軽く頭を下げ、

父は手術室の自動扉の向こうへと

吸い込まれていきました。

 

 

父を見送り、

手術室へと続く扉が閉まると、

 

 

それまで気丈だった母が

本当にドラマや映画のワンシーンのように、

ヘタヘタと膝から床に崩れるように

座り込んだ姿が

今でも忘れられません。

 

 

 

 

誰もいなくなった病院の広く暗い待合室で

母と祈るように座っていると、

 

 

しばらくして

渋滞に巻き込まれて到着の遅れた

妹と義弟が到着しました。

 

 

あとから知りましたが、

医師のふたりは、

恐らく父はもうだめなんじゃないかと

思っていたようです。

 

 

 

 

翌朝未明に、

真っ暗な待合室にひとりの看護師さんが来て、

なんとか手術が終わりましたと

伝えてくれました。

 

 

 

 

手術室から出てきた父は、

まるでもう生きてないんじゃないかというほど

青白い顔をして、

まったく別人のようでした。

 

 

 

 

それから2週間、

父はずっと意識を失ったままでした。

 

 

 

 

当時英会話スクールのNOVAが倒産したばかりで、

生徒たちへの授業料の返金のことが

ニュースを賑わせていました。

 

 

学院も、

父が生きるか死ぬかわからない

なんて噂が流れたら、

一気に倒産してしまうかもしれない…。

 

 

 

 

翌日からわたしは、

何事もなかったかのように学院に戻り、

学院の指揮を取らなければいけなくなりました。

 

 

 

 

図らずも父の入院先は学院の目の前。

病室は完全面会謝絶になりました。

 

 

何千人といる生徒さんたちに

どこで見られているかわからないので、

 

 

意識の戻らない父の御見舞のあと、

真っ赤な目を誰かに見られないように

しばらくひと目のないところに座り、

それから学院に戻るということを

続けていました。

 

 

 

 

そしてようやく2週間後に意識を取り戻した父は、

完全に別人でした。

 

 

自分がどこにいるかわからない。

経営者だったこともわからない。

 

 

左半身は麻痺してしまい、

人相も変わり果て、

人目をはばからずに怒鳴り散らしていました。

 

 

 

 

一命はとりとめたものの、

果たして父が学院に復帰することなんて

ありえるのだろうか…。

 

 

 

 

そんな不安を後押しするかのように、

やっぱり学院内で変な噂が流れ始めました。

 

 

売上が落ち始めましたが、

わたしにはどうしていいかわからない…。

 

 

父が持っていたインターン総論という講義や

学院長面接を代行するたびに、

自分がとても薄っぺらい気がして

自信がどんどんなくなっていく…。

 

 

 

 

あっという間に毎月のお支払い額が

月の売上を超えるようになり、

父や母、わたしの役員報酬をストップし、

社員のお給料の確保を最重要課題にして、

お支払い先に支払期日を待ってもらえるよう

お願いすることに。

 

 

父と会計士さんと経理部長の間で

どういう事になっていたのかはわからないけれど、

税金も滞納していたので

国税局にも頭を下げにいきました。

 

 

 

 

ドウシテコンナコトニ

ナッテシマッタノカ…。

 

 

 

 

次から次へと現れてくる難題に、

なんとか学院が倒産することのないように、

 

 

4600人の生徒さんと

80人近いスタッフや講師の方々に迷惑をかけないよう、

毎日がただただ必死でした。

 

 

 

 

父が65歳。

わたしが29歳の夏でした。

 

 

 

 

 

会社も、実家も、自宅も、すべて手放して…

 

そんなご縁があって

ある大手コンサルティング会社の方と知り合い、

父の学院の譲渡を真剣に考えることになりました。

 

 

父は病院の先生たちも驚くほどの生命力で

一命をとりとめ、

左半身の麻痺や記憶障害も

少しずつよくなっていましたが、

 

 

倒れてから半年くらいでは

さすがに復帰できるだけの気力体力もなく、

わたしは一刻も早い学院譲渡を訴えました。

 

 

 

 

でも、父は猛反対。

今すぐにでも会社に戻ると言って聞きません。

 

 

 

 

わたしも父に復帰してもらえれば

どれだけいいだろうと思いつつ、

 

 

一度死にかけてから半年で現場復帰なんて

ましてこの傾いた学院を立て直すなんて

そんな体力あるわけない!といい、

 

 

またまた父と意見が完全に衝突することになりました。

 

 

 

 

でも今度は単なる親子喧嘩じゃない。

何千人というひとたちの人生も背負ってる。

絶対になんとかしなければ…。

 

 

 

 

そうしているうちに

学院のすぐそばに本社のあった

たかの友梨さんが

学院に興味を持っているというお話が浮上しました。

 

 

たかの友梨さんのご主人さまが、

実は以前学院の生徒さんでいらしたんです。

 

 

 

 

譲渡条件はわたしたちにとって

かなり厳しいものでした。

 

 

学院を譲渡し、

成城学園前の実家を売却し、

すべての負債を返し、

旧経営陣は完全に退陣しなければいけません。

 

 

 

 

それでも、

わたしはいいのではないかと思いました。

 

 

それしか、

学院を救う方法はないんじゃないかと思いました。

 

 

譲渡契約が完了するまで

当たり前ですが

信頼しているスタッフにも一切口外できないのは

本当にツラかったけれど、

 

 

いつか感謝してもらえるようになれば…

そう思っていました。

 

 

 

 

父は最後の最後まで納得しておらず、

言ってしまえば

あれから12年近く経った今でも

恐らく心から納得はしていないのですが、

 

 

30歳だった7月の終わり、

父が倒れてからほぼ1年後に、

 

 

わたしたちは学院を去りました。

 

 

 

 

 

両親に共感してもらえる人生を
歩もうとしていたのかもしれない…

 

29歳から30歳にかけてのこの1年間は、

わたしの人生の中でも

本当に大きな経験をした1年で、

 

 

父が倒れたときのこと、

変わり果てた父と病室で再開したときのこと、

別人のようになった父から言われた言葉、

学院譲渡をめぐる口論など、

 

 

いろいろなことを鮮明に覚えているんですね。

 

 

 

 

でも今回、

今までのわたしとは違う

新しい"目”を持って

この大きなできごとと、

その周りの小さなできごとを思い返すと、

 

 

ものすごく大きなことに

気が付きました。

 

 

それは多分、

これからのわたしの人生を

大きく変えてくれる

最大のパラダイムシフトに

なるんじゃないかと思います。

 

 

 

 

それは、

 

 

わたしは両親に共感してほしくて、

両親がした苦労と同じ苦労の道を

自ら選んで歩いているんじゃないか

 

 

ということです。

 

 

 

 

わたしにとって「家族」は、

本当にかけがえのない

心から愛したくて、

愛してもらい存在なのだけれど、

 

 

わたしにとって本当に大切と思えることを

両親にわかってもらえないという気持ちから、

 

 

両親のようなアップダウンの激しく、

成功も失敗も大きい人生を歩くことで、

両親に共感してもらいたい

と思っていたんじゃないか

ということに気づきました。

 

 

 

 

実はこの気付きは、

この間の日曜日の朝、

この連載を始めた日に

ズドンとわたしの中に

突如降ってきました。

 

 

 

 

「両親は、

 あるがままのわたしを

 愛してくれているから、

 世界で一番わたしを

 応援してくれているから、

 大丈夫」

 

 

 

 

そう気がついたわたしは、

自分を自分で抱きしめながら、

こうわたし自身に言い聞かせてみました。

 

 

 

 

すると、

わたしを守ろうとしてくれていた

両親の姿ばかりが

脳裏に浮かんでくるんです。

 

 

 

 

わたしは約1年前に

マインドを徹底的に学んで、

 

 

今は心の底から両親が大好きで、

両親のことを信頼していて、

 

 

だからこそこの連載も

ブログに書く勇気をもてたのですが、

 

 

今回のパラダイムシフトで、

わたしのお金やビジネスに対する

マインドも劇的に変化をし始め、

 

 

まだ数日しか経っていないのに、

明らかにいろいろなことが

変わってきているんです。

 

 

 

 

明日は、

いよいよ夫との劇的な再開と

スピード婚で始まった

グアム生活について深掘りしていきたいと思います!

 

 

 

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  • 私のストーリー 第4話~家庭とは…のマインドセット~

    ■私のマインドセットのきっかけ全てはこのブログから始まりました なほのさんに感謝です。私のストーリー~私の中の私を探してみよう、はじまりは一つのブログから~ 自分の人生をひとつずつ見つめていったら、どんな気持ちが隠れているのか今現在の夫婦間の問題を解決するために、過去の私に原因が隠れていると思って…

    peco☆

    2018-01-10 12:47:26

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