ICU高校で、高校生と語り合ってきました。
テーマ:日々の出来事。昨日は、ICU高校 で、講演というわけではなく、高校生と「かたり場」のような雰囲気で、車座で語り合ってきました。
タイトルは、「ディスレクシアを知っていますか?」でした。キリスト教週間のマルチイベントということで、著名な方々の中にありがたいことに入れていただき、高校生と語り合う機会をいただきました。
最初、ディスレクシアの話をさせていただいた後、車座になって、臨機応変に質問を投げかけていきました。
いつも通り、原稿を作らずに、その場の雰囲気を重視して、お話しさせて頂きました。
自分の率直な感想として、「この子達は、とっても、素直なんだな。」って感じました。
反対意見を言う子=素直ではない子という意味ではありません。
自分が投げかけることに対して、スマートに受け取り、スマートに返してくる。
まさに爽快なやり取りでした。
今回は、ステージ上からではなく、高校生との距離もわずか何メートル。
いくら、年齢が近いとはいえ、いきなり来て、「ディスレクシア」というわけもわかないもの(知っている人もいましたが。)の説明と議論を交わす。時間をかければ、話は別なのでしょうが、よく、真摯に受け答えしてくれたと思います。
僕が心がけたことと言えば、はっきり言って、特にありません。
そして、手を抜いたわけでもない。
つまり、「無から有を生む」ということを自然に出来るように意識をしただけなのです。
だって、「それはダメ」「それはイイ」という場ではないのです。
それは、「ディスレクシア」をより身近に感じてほしいということだけ、考えたからです。
こちらが、あまりにもメッセージを持ちすぎると、相手の言葉が入る隙間がなくなってしまう。
メッセージがあるのは、みな、同じです。
ただ、そのメッセージに縛られてしまうと、新しい発想や視点が出てきません。
そして、それに縛られ、相手の声を聞く余裕がなくなる。
だから、結構、ゆるやかに語り合ってきました。否定も肯定もせずに。
案外、この「否定も肯定もせず」という場がない気がするのです。
いつも、「答え」を求められるから、子ども達は萎縮してしまう。
「間違って、怒られたら、どうしよう。」と。
でも、答えなんて、どこにもないのです。
もし、答えがあるとしたら、その人の心の中にある。
だから、それを素直に出してほしかった。
おかしな言い方かもしれませんが、ディスレクシアというものの温度を感じて欲しかったのです。
「ディスレクシア」=「読み書きが苦手」だけ、植え付けてしまうと、それを持っている人と遭遇した時にどうしても、そこばかりに囚われてしまって、肝心の「その人」に目が向けられない恐れがあるからです。
これは、「高校生」というのも同じです。
確かに立場は「高校生」というものですが、僕は「高校生」と一括りにするのは何か違う気がします。
高校生とはいえ、ICU高校の一人一人かけがえのない存在、それぞれ色んな光を放つ人達と会ってきた、という感覚がしっくりきます。
高校生達が今回の「かたり場」で、何かを感じてもらえただけでも、本当に嬉しく思います。
個人個人の名前はここでは出せませんので、「みんな」という括りにしてしまうのは、申し訳ないけど、
みんな、ありがとう![]()
感謝を込めて。










1 ■無題
先生のブログは勇気づけられます。
年が近いからでしょうか(汗
先生の記事の中に書いてあったように本当に私たちは答えなんてないんだから答えてみて。って言われても実際は答えがあるのはわかってるのです。だから自分の考えを言うのが怖かったりして。
「かたり場」ではいろいろ言えなかった事もたくさんありますが、楽しかったです!
ありがとうございました。