銭湯 × 沢尻エリカ × 高城剛

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ここ数日、会社に泊まり込む日々が続いている。

事務所内は当然シャワーなんてないので、銭湯でもと考えるわけだが、ここはなんてったって南青山。

ベンツやポルシェがトヨタのカローラのごとく走っている街であり、こんなところに銭湯なんてあるのか!?と、半信半疑でググってみたら。。。

自転車で5分くらいの距離にそれはあった(笑)。

$35歳名古屋人の人生改造=起業日記(スカイプ編)-銭湯1


一見すると、ただのマンションのように見えるけれど、れっきとした銭湯である。

中も清潔そのもので、まるでフィットネスクラブのよう。

でも驚いたのがその料金。


$35歳名古屋人の人生改造=起業日記(スカイプ編)


普通に銭湯だけ使っても450円かかる。

銭湯に最後に入ったのは10年くらい前になるけれど、その時は確か300円くらいだったような気がするので、かなりの値上げだ。

もっとも、青山という立地も関係しているかもだが、まぁとにかく驚いた。


銭湯の内部はさすがに写真は撮れず、ただ脱衣室の扇風機(?)がこれまたオシャレだったので、一枚撮影。

スピーカーではなく、これは確かに扇風機だった。


$35歳名古屋人の人生改造=起業日記(スカイプ編)-銭湯3


お湯の温度が40度と、結構低いのにこれまた驚いたのだけど、普通なのだろうか?

でもでも、広々とした湯船につかるのは気持ちがいいなー。






おっと、前置きが長くなったが、今日は銭湯より大事な話があり、それは今日たまたま見たブログについて。

ハイパー・メディアクリエーターの高城剛さんのブログだ。

最近何かとお騒がせの沢尻エリカさんの旦那さんとしても知られ、彼が今日のブログでとても感動的な文章を紡いでいた。

久々に仕事に復帰する妻である沢尻さんに宛てた内容で、ともかく一読頂きたい。


「君が仕事に復帰すると聞き、僕は誰よりもうれしく思います。」



実はこの沢尻エリカさんという人を私はほとんど何も知らないけれど、彼女は素晴らしい旦那さんを手に入れた、ということは良く分かった。

別に夫婦の会話としてではなく、書かれている内容を自分に置き換えて読んでみるといい。

高城さんを上司や先輩、先生、あるいは親友とみたて、自分に言われているように読むと共感が増すはずだ。



ということで、高城さんのブログのご紹介でした。
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女子フィギュアスケートが終わった。

浅田真央さんとキム・ヨナさんの19歳対決の行方は、ご存知の通りキム・ヨナさんに軍配が上がった。

浅田さんもよくがんばった。日本国民にたくさんの感動を与えてくれ、私も勇気をもらった一人だ。


個人的に一連の対決において思うところが色々あり、興味があって情報も集めてみた。


結論から言うと、「キム・ヨナさんは勝つべくして勝った」という印象が私は強い。


オリンピックに先立ち、その数日前にNHKで浅田真央さんの金メダルへの闘い、というような番組が放送されていた。

浅田さんに密着し、ライバルであるキム・ヨナさんの動向も交えながらの内容で、見応えがあった。


まずは戦略面の話。

キムさんは演技の曲を「007のテーマ」にした一方、浅田さんは重厚なクラシック曲を選んだのだが、キムさんが007を選んだ背景には、緻密な計算があったようだ。


1. 誰でも知っている曲

2. ポーズや効果音をうまく使える曲である

3. 007の映画は時折東洋の美女がキャスティングされることがあり、キム・ヨナさんとその点重ね合わされやすい(これは私の一方的な見方)



演技を見たらわかるけれど、最初の方はそれが007の曲だと気付かず、ある時に突然切り替わる。後半に入れる指をパチンとする仕草や、最後に銃で撃ち抜くような仕草も、見ていてインパクトがある。

自分が好きと言うよりも、審判にいかにアピールできるかを最優先した選曲であり、事実目で見ても耳で聴いても印象に残る、そんな曲構成であったことがまず一つ。


次に、営業活動。

風の噂では、キムさんはオリンピックに照準を合わせ、国を挙げてフィギュアスケート界に働きかけてきたそうである。

そういう地道な営業活動を、始まるずっと前から行っていた一方、日本にはそういうことをしていたという話は耳に入ってこない。


最後に「経験」のはなし。

これも裏を取った話ではないけれど、キムさんはテレビ番組にもよく出演していた時期があって、これはコーチの指示による度胸をつけるさせるための訓練の一環だったとか。

一方の浅田さんは、悪い意味でスケート一色の生活だったのではあるまいか?

キムさんも当然厳しい練習は積んできただろうが、それ以外のことにも目を向け、体験していたのではないかと容易に想像がつく。


そう、何かを極めるとは、それだけやっていれば実現できるわけではないのだ。


これとも関連する話として、オリンピックに限らず、浅田さんの演技を見ていて「何かが足りない」とずっと思っていたのだけど、キムさんの演技を見ていてそれが分かった。


「色気」だ。


それがどこから来るのか分からないけれど、浅田さんもスケート一色ではなく、いろんなことに目を向けてみたらいいと思う。

楽器を弾く人によると、演奏者が恋をしていれば、音にそれが表れると言う。

浅田さんも胸が焦がれるような恋をしたら、演技にも深みがきっと出るのではないかと、素人ながらにそう考える(浅田さんにしたら、余計なお世話だなw)。


識者が今回の結果をどう見ているかという記事も少し紹介しておこう。

本日付の日経朝刊にて、技術審判の岡崎さんという方がコメントを寄せていた。


「(キムさんは)緻密な戦略の勝利だった。持っている7~8割の力でのびのパーフェクトにやりました、という感じ。精神的なストレスもなく、得意なものを高い精度でこなして、プラス評価を得ようとする計算がうかがえる」。

フリーのプログラムでは苦手な技は入れないか、入れても最小回数に抑え、その代わりパーフェクトの演技を目指す。

これは、男子で金メダルを獲ったアメリカのライサチェク選手と同じ考え方のようだ。





以上まとめると、今回の金メダルの背景にあったものは次の3つに集約されるように思う。

1. 戦略
2. 営業力
3. 様々な体験



お気づきのように、これは会社経営というかビジネスの現場にそっくり置き換えることができる。


結局のところ、良いモノを提供すれば売れる、というのは幻想だ。

キム・ヨナさんをはじめ、ビジネスの現場における最近の韓国の奮闘ぶりには私たちも大いに見習うべきだろう。
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今日もまた、印象に残った動画のはなし。

Films of Patrick Boivin- Ninja's Unboxing(音量注意)


忍者のフィギュアを使った携帯電話のCMのようだ。

なんでも、カナダの映画制作者の作品だそうで、この人は忍者に限らず、フィギュア全般を使った作品を作っているのだとか。

作品の中には、あのストリートファイターをモチーフにしたものもあったりして、かなりの人気を集めているらしい。

たとえばこんな感じ(端が切れているのでURLも掲載しておく)。

http://www.youtube.com/watch?v=SfR_GFWXaWI





忍者の作品もこのストリートファイターのそれも、少しずつ部位を動かしながらの撮影で、相当手間がかかるようだが、いやはやこれは確かに面白い。


世の中にはオモシロイこと考える人がいるんだなぁということで、何事もアイデア次第だと再認識したそんな動画のご紹介でした。


(できれば、日本発であって欲しかった。。。)


あ、忍者作品についての詳細は、WIRED VISIONで読むことができるので、そちらからどうぞ。

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表題そのままの動画を最近観た。

とても有名なスピーチだそうで、すでにご覧になった方も多いと思う。

他の方のブログでも取り上げられているはずだが、自分への備忘録の意味も込めて、ここに書き記すことにする。

これは、アップル創業者のスティーブ・ジョブス(以下、ジョブスさん)が2005年にアメリカ・スタンフォード大学の卒業式にて学生たちに話した内容である。

かいつまんでその内容を説明すると、ポイントは以下の3点。


1.「点をつなげる」

2.「愛と喪失について」

3.「死について」



ジョブスさんは、自分のやりたいことが分からず高い学費を払い続けていることに疑問を感じ、大学を半年で辞めてしまう。

その後、自分が興味を持てそうな授業に出、そこで美しいフォントに興味を抱き、その後そのフォントを搭載したマックを開発するに至るわけだが、これはジョブスさんが意図して計画した道ではない。

大学を辞めたことも、フォントの授業を受けられたのも、そしてマックをその後開発したことも、後になってはじめてそれらがつながっていたことが分かるけれど、「先を見て点をつなげることはできない」ということである。

だから、「今やっていることが将来必ずつながっていく、役に立つと信じることが大事」とジョブスさんは言う。

次の「愛と喪失」について、これはジョブスさんがアップルの創業者にも関わらずクビになったエピソードについて話されていた。

「自分の好きなことを見つかるまで探し続ける。仕事でも恋人でも同じ」。これが話の要点。


そして、最後の「死」について。

ここが私が最も心を揺さぶられた部分だ。

ジョブスさんは言う。


「一日一日を人生の最後の日として生きるべきだ。いずれ本当にその日がやってくるのだから」。

「死を意識することは、人生において大きな決断をする価値基準になる最も大切なこと」。


前者の言葉は、その後「今日が人生最後の日としたら、今日やることは本当に自分がやりたいことか」という名言につながっていく。


同じとは言わないまでも、私も似たようなことを常々思っていたので、特にこの3点目の話にはとても共感できる。

結局、人間というのは「死」を意識するところからすべてが始まるのではないか(ジョブスさんは、「死は生における最も優れた創造物」という言葉で説明している)。

というか、それが人生の全てであると言っても過言ではないと私は考える。

誰でも死ぬのは怖いから、だからこそ生きとし生ける者(物)の命を大事にできる。

そして、いつ最後の瞬間が訪れるか分からないから、今日この日を悔いのないよう生きようと思えるし、大事な人に大事な言葉を先延ばしにせずきちんと言おうと思うわけだ。





ジョブスさんのスピーチにおいて、締めくくりの言葉を最後にご紹介しておく。

「Stay hungry, stay foolish」(ハングリーであれ。バカであれ)


この言葉の由来というか背景は、スピーチの中できちんと説明されているので、ぜひ動画をご覧頂きたい。

動画は便宜上2部構成になっている。

第一部はこちらから→「Apple創始者・スティーブ・ジョブスの伝説のスピーチ(1)」


第二部は以下に埋め込んでおく。





素晴らしい動画を投稿して下さった方と、そして日本語字幕を付けてくれた方に心から感謝したい。


まずは次の公式動画をご覧いただきたい。




昨日たまたま見つけたのだけれど、しばし仕事の手を休め、見入ってしまった。

出演していたミュージシャンについて、どの人がどんな名前でどの程度有名なのかサッパリ分からなかったことだけ残念ではある。

それはそうと、映像に映っていた子どもたちは、きっとハイチの子だと思うのだけど、悲惨な状況下でも笑顔があり、おどけた様子が見えたのは印象的だった。

笑顔というか、それをもたらす「ユーモア」であったり、「笑い」というのは実は人間にとってとても重要な要素ではあるまいか。

そういえば先月だったか、「その街のこども、秀吾岡宗のすべらない阪神淡路大震災話」。というエントリーをブログで読み、そこに書かれていた内容を思い出した。

少々長いが、そのまま引用させて頂く。

「今日一番話したかったことなんですけど・・・大人になって、他人を見るときに年収とか見た目とか可愛いかとかそんなことが人の価値基準になったりしがちじゃないすか。それ全然関係ないからな!ってのがわかったんですよ、震災で。そんなん一発で崩れるしそうなったらみんな一緒に力合わせるしかないんですよ。震災の特番とか1月17日近辺になるとたくさんやるじゃないですか。そら悲惨な状況や死体も僕もたくさん見ました。でもテレビやメディアはね、そこ全部感動の話にもってくじゃないですか。でも現場で僕らが感じていたことっていうのは、笑い声があちこちでめちゃくちゃ起こるし、なんやそれ!みたいな爆笑エピソードが山ほど起きるんですよマジで。みんなゲラゲラ笑ってるんすよ、身内が死んだ人でも誰でも。そのこといわんかったらね、Xデーだなんだって東京に大地震来たら大変みたいなね、怖いだけやんと!どうしよう、なんとか自分や家族だけは生きたいみたいなことじゃなくてね、ドンマイ!と。悲惨なことになるよそれは。でもそれはしゃあないやん、天災なんだから誰も悪くねえし。それよりその悲惨を乗り越えるには笑うこと、笑える力ってメッチャ大事やぞ!と。それまで嫌ってた人とかまったく知らん人と笑いを共有するってすごいパワーになるんですよ。最後に勝つのは笑いとユーモアやぞ!ってね、そういうことをね、あの震災に関しては誰かそろそろちゃんと言わなあかんぞと思うんですよ」



ということで、この「We Are The World 25 For Haiti」を観て、「笑い」というものを深く追求したくなった私である。

上村愛子選手に思うこと。

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バンクーバーオリンピックが始まった。

冬季五輪というのは私自身ウィンタースポーツにまったく興味がないため、テレビにかじりついて観るというわけではないけれど、昨日たまたま観たモーグル競技における上村愛子さんの姿には心をふるわされた。

よく知らなかったのだけど、上村さんは4回目の五輪出場だそうで、これまでの成績は7位、6位、5位。

そして今回は、皆さんもご存知の通り「4位」であった。


「なんで一段一段なんだろう」



競技終了後の上村さんの口から出たこの言葉には、人生の無常を感じざるを得ない。

まったくの推測で話をすると、周囲からの評判を聞く限り、上村さんは十分メダル圏内で実力は申し分ないらしい。

今回はきっと心に期するものがあり、練習も準備も万全で臨んだはず。

でも結果は4位。

表面的には「満足」と話している上村さんだが、そんなはずはない。

さぞかし悔しいに違いない。


一生懸命努力しても、そして実力を備えていたとしても、それを結果として出せないことがやっぱりある。

努力すると必ず報われるというような風潮があるけれど、それは残念ながら正しくはない。

でも、それでもなお、人間は努力せざるを得ないのだ。

努力は結果を保証しないけれど、でも努力がなければ成功の確率はゼロなのだから。



と、このように書くと否定的に見えるかもしれないが、たとえ一段ずつでも着実に高みに登った上村さんを私は深く尊敬する。

4大会連続で世界レベルの大会に出場するだけでもすごいことなのに、その中で成績を毎回上げてきた。

メダルには届かなかったけれど、あなたには人間としての輝きがある。

感動をありがとう。

このところのネットにおける新サービス、技術革新には目を見張るものがあるけれど、先日Ustreamにソフトバンクが18億円もの出資を決め、ほぼ同時にUstreamスタジオを渋谷(表参道)に設けるという孫社長のスピード決断に、私はとても驚いた。

これだけではなく、すでに展開中のホワイトプランへの障害者割引を一般消費者の要望に従って光の速さで取り入れたことに、再度仰天した次第である(参考サイト)。


スタジオを設けるとか、割引プランを作ったとか、それ自体に驚いているわけではない。

孫社長の決断行為そのものにとても興味がある。

これら一連のニュースを見てまず思うのは、孫正義社長には迷いがない、ということ。

私を含め、あらゆる人は何かしらの迷いを持ちながら日々生活、仕事をしていると思われるが、孫社長にはそれが一切見当たらない(少なくとも私にはそう見える)。

これはいったいどういうことなのだろう?


「普通の人じゃないからここまで会社を大きくできたんだよ」。


このことを友人に話したら、このような返事が返ってきた。

まぁそうなんだろうけど、孫社長のように迷いがまったくない人を私は見たことがないので、まるで未知の生物に遭遇しているかのような感覚で孫社長を眺めている。

ビジネスも日々の生活も、程度の差こそあれ決断の連続だ。

だから、いかに決断するかという話は、多くの人にとって避けることができないテーマであろう。

ということで、いま孫社長が「決断力」みたいな本を出版すれば、ベストセラー間違いなしだと私は見ている(笑)。

グランドで本を読み始めた先生。

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昨日の福岡の中学校のはなし。

引き続き昨晩のテレビでも放送されていたので、その内容をシェアしたい。

現在、2年生に問題児が何人かいて、学校全体を揺るがす事態にまで発展しつつあるというその中学校。

日に日に状況は悪化するという中で、先生たちは諦めずに知恵を絞って生徒たちに向き合おうとするのが前回までの内容だった。

今回は、保護者を巻き込んでの話に展開する。

卒業式だったか何かの行事の時だったか忘れてしまったが、ともかく保護者を招いての体育館での行事の最中、何人かの生徒が先生が話をしているにも関わらず外に出て行ってしまった。

そしてその様子を不安げに眺める保護者たち。

校長先生は行事の最後に、「これが本校の現在の実態です」と保護者を前に現状説明を始めた。

そして、親御さんたちの協力、意見を是非頂戴したいと言う。

数日後、自分の子どもが通う学校の現状を目の当たりにして不安になった保護者の呼びかけで緊急PTA会議が開かれることに。

保護者からは、指導が甘い(と思われる)先生たちに対して厳しい意見が相次いだ。


「できる努力は一生懸命しているけれど、現状はそれを越えた事態に発展している。圧倒的に人手が足りない」。

「体の大きい先生が生徒を力ずくで押さえつけるのは簡単。でもそれをしてしまうと『体罰だ』と言われ、今の時代それはできない。時間をかけて生徒たちの心の中に入っていくしかない」。


学校側はそう説明し、そしてある女性英語教師はこう言った。


「打てる手は出し尽くしています。こんなことを申し上げるのは本当に恥ずかしいのですけど、保護者のみなさんの協力が必要です。お願いします」。


さぞかし悔しかったのだろう、情けなかったのだろう。英語教師の目には涙が浮かんでいた。

見栄もプライドもかなぐり捨てて、先生も保護者もお互い本音をぶつけた。

そして、ここで一つ決まったのが、「保護者が校内を巡回する」というもの。

時間のある保護者が交代で校内を歩き、まずは現状をよりよく理解しようということのようだった。

授業中にも関わらず廊下でフラフラする生徒を目の当たりにし、保護者の顔には驚きの表情が浮かんでいた。





一方、別の男性教諭のはなし。

ある生徒が試験中に教室を飛び出し、グランドでひとり座っている。

早速女性教諭が駆け寄るも、彼女の話にまったく耳を貸そうとしない。

そこへこの男性教諭が現れ、何をするかと思ったら、何もしないのだ。

正確に言うと、その生徒の後ろに座って黙って本を読み始めた。

しばらく静寂に包まれた後、生徒から口を開き始め、先生も応える。

そして、生徒はその教諭に促され、教室に戻っていった。


その男性教諭は、これまでの経験で無理に教室に連れ戻すよりも、辛抱強く相手から働きかけてくるのを待った方が効果的であることが分かったと言う。

それと、この先生が生徒たちと世間話をよくしていたシーンが印象的だった。

勉強がどうのこうのより、生徒の身の回りの話を意識的にしていたように見える。




この番組見ていて大事だと思ったことが二つある。

一つは、一人でできないことは周りを巻き込んで解決を図る、ということ。

そしてもう一つは、相手の身になる、ということ。

今回の場合、一人というよりも学校という組織の中の話だけど、でも学校内で解決できないとなったときに、外に広く意見を求め、保護者の協力を取り付けることで解決を図ろうとしていた。

ビジネスでも、ひとりでするより仲間とチームで動いた方が成果が上がる。

もう一つの方は、結局「強制」からは何も生まれないということだ。

生徒を力ずくでおさえたところで本質的な解決にはつながらないわけで、相手の心を尊重し、相手の身になった指導が結局近道だということ。

なにしろ時間がかかり忍耐力が要求されるので、ビジネスの世界でもこれができる人はなかなかいない。


しかしそれにしても、先生がグランドで本を読み始めたのは本当に驚いた。


みな悩み、それぞれの問題に日々立ち向かっている。
昨日のブログで「不良」について書いたが(「不良」という言葉が適切だとは思っていないものの、他の表現が思いつかない)、昨晩何気なくテレビをつけたら、福岡のある中学校の話が紹介されていた。

なんでも、1年にわたる取材を試みたようで、内容もそれなりに充実していた。

その中身は、2年生に何人か問題行動を取る生徒がおり、その対応に苦悩する先生たちの様子を追ったものである。

トイレでのタバコはもとより、授業中に突然火災報知器がけたたましく鳴ること数知れず。

授業を抜け出した彼らのイタズラであることは明白な一方で、その現場を押さえることは簡単ではない。

イタズラと分かっていても、警報ベルが鳴れば先生たちは毎回全生徒の安否を確認して回る。

そしてその都度中断される授業。。。

大部分の生徒たちはまじめに過ごしているのだが、一部のこうした生徒に先生たちは振り回され、そして連日対応策が協議される。

ただ特効薬はないわけで、地道にその生徒と対話を試みるよりないという、そんな姿が映し出された。


で、本題はここからだ。

先生たちはこの状況をただ指をくわえて眺めているわけではなく、ある一つの工夫をはじめた。

それは授業のない先生が廊下の各所に毎回立ち、目を光らせるというもの。

と言っても、ただ配置しているわけではなく、廊下に座り込んで床に本やら書類やらを並べている。

職員室でできないので、ここで仕事をせざるを得ないのだ。

それでも、この見回りを始めてから、先生たちは残業が増えに増え、夜9時過ぎになっても職員室に灯りがついている。

「土日もなくなってしまった」というナレーションに胸が痛む。




決して諦めずに、「何かできないか」と工夫を続ける先生たちの姿に私は感動した。

必死で考え、自分たちのできることを精一杯する。

果たしてこの2年生の生徒たちに先生の想いは届くだろうか?

でももし在学中には分からなくとも、きっと卒業後に分かるはずだと信じたい。

子どもを持ってはじめて自分の親の気持ちが分かるように、彼らもいずれは先生たちの愛情、苦労に気づくはずだと、そう祈るばかりである。


それにしても、諦めずにひたむきに工夫を重ねる人の姿って本当に美しい。

そしてそんな人が、自分は知らないだけで世界中に大勢いるのだろう。

自分の努力なんてまだまだだと恥ずかしくなる。
先日、「クローズ」という小栗旬主演の映画を今さらながらに見た。いまから2年ほど前の映画だけれど、自分から「見たい」という気持ちが全然なかったので、まったく見ないまま今日に至る。

で、テレビでたまたま放送したのを見てチラチラ画面に目をやっていたら、だんだん引き込まれて結局最後はテレビの前で正座して見ていた。

内容は、荒くれ高校を舞台とする青春映画、いやそうじゃないな、暴力映画? う~ん、これも違う。

ともかく、いわゆる「ワル」ばかり集まるそんな高校における、親分の座を巡る壮絶な争い映画である。

クローズの話はいずれまた別の機会にするとして、この映画を見て中学時代のことを思い出した、というのが今日の話である。

私が通っていたのは普通の公立中学で、クラスは10クラスあり、各クラスに40人くらいいた。

で、「不良」と呼ばれる子もクラスに一人ずつくらいいて、独特の学ランにヘアースタイルと異色を放っていたワケである。

私は別に不良ではなかったけれど、そのグループの何人かと結構仲が良かった。

一緒に遊ぶことはなく、ただ学校で話をする程度だったけれど、ともかく彼らの近くにいて感じたことがいくつかある。

それは、ある一分野について、かなりの能力があったということ。

不良というと一般に「成績が悪い」、「頭が悪い」というイメージがある。

しかし、当時中学生だった私の見方は違っていた。

たとえば、A君。

かれはグループの中でも「頭」のような存在で、見た目メチャクチャこわかったが、私は彼が小学生の頃、近所の公共図書館で何度か会っている。

あの時からすでに異様なオーラを放っていたけれど、ともかく熱心に本を読んでいた姿が印象的だった。彼は本が大好きなのだ。

次にB君。

彼とは中1の時同じクラスで、あの時からワルだったけれど、国語の時間になるとよく発言していた。

道徳の時間も、かなりユニークな意見を言っていたように思う。

そして、C君。

彼とは小学校で一緒のクラスで、中学になってから突然「グループ入り」した。

彼は小学校の時ものすごく頭が良く、学校内でトップ10に入るほどで、私は彼の頭の良さを陰で羨ましく感じていた。

さらにD君。

この彼とは直接の交流はないけれど、数学の能力が秀でていると人づてに聞いたことがある。

この他Eさんに至っては、家庭科の時にものすごい裁縫さばきを周囲に見せて、それ以来クラスメートはEさんのことをただの不良少女と思わなくなった。


このように、私は「ワル」と呼ばれる彼らを少し近くで見て、「誰でも一つはすごい能力を持っている」ということを強く感じたのである。


「あいつらはどうしようもない」。


先生や周囲は異口同音にそう言う。

でも私に言わせれば、本当の姿を見ていないのだ。

見ていないというより、きっと関心がないから見ようとも思わないのかもしれない。

全体的な成績は悪くても、キラリと光る分野を見極め、そこを伸ばしてくれる先生なり教育システムがあれば、彼らはきっと違う人生を歩んでいるはずである。


あのマザー・テレサの言葉に「愛情の反対は憎しみではなく無関心」というものがある。

愛情のある日本社会であってほしいし、自分もそうしたい。