急がば回れ

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速成の弊害に対する心構えを

鄭曼青先生は次のように述べています。

 

速成では目的が達せられない。

まさしく急がば回れの諺の通りである。

 

水が流れて掘割りを成すには、無理して求めてもできない。

古代の人が文芸について、次のようなことを語っている。

 

沈め浸透し、草木が茂り香気が盛んである。

精英をを含み精華を咀嚼して深い意味を味わう。

時が至れば氷のごとく一瞬にして溶けてしまう。

自然に楽しく理に従う。

 

私に言わせれば太極拳を習うのも、

亦欺くの如くあらねばならない。

 

この拳術は体用兼備、

健身と武術の功用を兼ね備えているのみならず

心も体も同時に磨かれるものである。

 

充分に哲学の原理を悟り、

実用面の推手が科学的に活かされて

始めて益すること無限である。

 

『鄭子太極拳自修新法(日本語版)』

鄭 曼青 (著),‎ 徐 憶中 (監修),‎ 邱 秀雄 (翻訳)より

 

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余計なことをしない

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速成を求めることの害悪を

鄭曼青先生は三病の一つに数えています。

 

孟子に「助長」という話があります。

二字熟語にある助長の出展になった一節です。

 

宋人有閔其苗之不長而揠之者。

芒芒然歸、謂其人曰、今日病矣。豫助苗長矣。

其子趨而往視之、苗則揠矣。

天下之不助苗長者寡矣。

以爲無益而舎之者、不耘苗者也。

助之長者、揠苗者也。

非徒無益、而又害之。

 

宋の国に苗が全然成長しないのを気にして苗を引っ張った人がいた。

彼は疲れて家に帰り家族に言った。

「今日は疲れた。早く育つように全部の苗を引っ張って助けてやったよ。」

その人の子が驚いて田に行ってみると苗は全て枯れてしまっていた。

世の中にはこのように苗を引っ張るようなまねをする者が多くいる。

すぐに効果が現れないと投げ出すのは苗のために草取りをしないようなものだ。

また無理に助けて育てようとするのは苗を引っ張るようなものだ。

そんなことをすれば良くならないばかりか、かえって害になる。

 

太極拳の功は薄布を重ねるよう積まれるといわれます。

特に初心のうちは目に見えて効果が現れるものではありません。

 

進歩していないように思えても稽古を続けていれば

少しづつ着実に習熟に近付きます。

 

しかし間違ったことをすれば取り返しのつかないことになってしまいます。

 

ブルース・リーの言葉にもあります。

 

“Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. 

Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”

 

考えるな、感じろ。それは月を指差すようなものだ。

指にとらわれるな、さもなければ全ての宝を失うことになる。

 

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山水蒙

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名人や達人といわれる人でも

最初から上手であったわけではありません。

最初は誰でも初心者であり

師の教えを受けて練習を重ねることで

功を培っていくのです。

 

知識や理解が足りない人を導き

教え諭すことを“蒙を啓く”といいます。

 

二字熟語では啓蒙です。

 

易経六十四卦の一つに山水蒙という卦があります。

山水蒙は新妻が嫁いだ家のしきたりを学ぶことに例え、

先生と生徒のように師弟関係をあらわした卦です。

 

以下、山水蒙の本文です。

 

蒙、亨。匪我求童蒙。童蒙來求我。

初筮告。再三涜。涜則不告。利貞。

彖曰、蒙、山下有險。險而止蒙。蒙亨、以亨行、時中也。

匪我求童蒙、童蒙求我、志應也。

初筮告、以剛中也。再三涜、涜則不告、涜蒙也。

蒙以養正、聖功也。

象曰、山下出泉蒙。君子以果行育徳。

 

初六。發蒙。利用刑人。用説桎梏、以往吝。 

象曰、利用刑人、以正法也。

九二。包蒙、吉。納婦、吉。子克家。

象曰、子克家、剛柔接也。

六三。勿用取女。見金夫、不有躬。无攸利。

象曰、勿用取女、行不順也。

六四。困蒙。吝。

象曰、困蒙之吝、獨遠實也。

六五。童蒙、吉。

象曰、童蒙之吉、順以巽也。

上九。撃蒙。不利爲寇。利禦寇。

象曰、利用禦寇、上下順也。

 

知識や技術があってもひけらかしてはいけない。

指導者は求められた時には真摯に答えなければいけない。

教えを請う側も真剣に学ばなければいけない。

いいかげんな気持ちで同じ質問を何度もすることは

師に対する冒涜である。

そうであれば教える側も大事なことは言わなくなる。

 

指導者も人に教えることによって

教え方を日々工夫し学ぶ者と共に成長することができる。

 

初六。初心者は道理や理屈がわからないので

基本を厳しく教えなければいけない。

何事も始めが大切である。

九二。包むように優しく教えることができる。

このような先生であれば剛柔の理を説き

生徒を正しく指導することができる。

六三。自分の師を蔑ろにして人気のある他門派を優先する。

このような生徒は破門にするべきである。

六四。師を持たず、教室にも通わない。

誰からも教えを受けなければ実がなく

真理に近づくことはできない。

六五。童のような純真さをもって教えを受けることが

学ぶ者の理想の姿である。

上九。厳しすぎる指導は生徒から敬遠される。

生徒に対し撃つように接していると

恨まれて逆に撃たれることになる。

 

蒙とは物事がよくわからない状態を指します。

深い霧の中で周りがよく見えないようなものです。

 

深い霧は少しづつ時間をかけて晴れていくものです。

一瞬でパッとクリアにはなりません。

 

教育や指導も霧を払うように時間がかかるものです。

 

学ぶ者は速成を求めてはいけません。

 

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山雷頤

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易経六十四卦の一つに山雷頤という卦があります。

 

頤は“おとがい・顎”のことです。

食べることは生命維持の基本であり

体を養うことです。

 

また知識や経験も我が身を養う重要な要素です。

頤の教えは何でもかんでも取り入れるのではなく

よく咀嚼して正誤を分け

自分のものにするということです。

そして自分のものにするには時間がかかります。

 

指導者の立場にある人が伝える物事は

そうやって自分のものにしたものでなくてはいけません。

 

以前も書きましたが

指導者がどこかで聞いたことをよく検証もせずに

人に話すことは害悪でしかありません。

 

以下、山雷頤の本文です。

 

頤、貞吉。觀頤自求口實。

彖曰、頤貞吉、養正則吉也。觀頤、觀其所養也。

自求口實、觀其自養也。

天地養萬物、聖人養賢以及萬民。頤之時大矣哉。

象曰、山下有雷頤。君子以愼言語、節飮食。

 

初九。舎爾靈龜、觀我朶頤。凶。 

象曰、觀我朶頤、亦不足貴也。

六二。顛頤。拂經。于丘頤。征凶。

象曰、六二征凶、行失類也。

六三。拂頤、貞凶。十年勿用。无攸利。 

象曰、十年勿用、道大悖也。

六四。顛頤吉。虎視眈眈、其欲遂遂、无咎。

象曰、顛頤之吉、上施光也。

六五。拂經。居貞吉。不可渉大川。

象曰、居貞之吉、順以從上也。

上九。由頤。厲吉。利渉大川。 

象曰、由頤、厲吉、大有慶也。

 

口實(口実)とは言い逃れや言い訳という意味ではなく、

口を実にすることです。

つまり正しいものを口に入れ我が身とし

正しい言葉を口から出すということです。

 

頤は指導者への戒めとして

読むことができます。

 

自ら口の実を求むとは

自分のためになるもののみを取込むことである。

天地は全てのものを養い、

聖人はその賢さを養い人々を導く。

指導者は大切なものとそうでないものを見極め

言葉を選び伝えなくてはいけない。

 

初九。たいして実力も無い人が達人を見てうらやみ

表層のみを真似るのは凶である。

六二。自分より若い人に教えられるのが恥ずかしく

縁の無い他流派に学ぼうとすると凶になる。

六三。自分の考えに長年固執し

正しい物事を取り入れなければ凶である。

六四。これから育ってくる者をしっかり見極め

力を発揮させるようにサポートする。

そうすればやがてその者が流派を背負う実力をつける。

六五。自分の実力の無さを恥ずかしく思う。

その自覚を持つことで冒険をせず

教えに従う正しさを守ることができる。

上九。実力があるので誰に遅れをとることも無い。

しかし指導の現場にいないのであれば

指導者をないがしろにして直接あれこれ教えてはいけない。

 

理解というのは段階を経て深まっていくものです。

 

上級者が常識と思っていることでも

初心者には理解できないことが多くあります。

 

指導者の立場でない上級者が真理を語ったとしても

簡単には伝わらないばかりか誤解を招くこともあります。

 

指導者はそれを噛み砕きわかりやすくして

初心者に伝えることが仕事です。

 

管理人は上級者でも指導者でもないので

人に分かりやすく伝えることはできません。

教わるということ

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1年半ほど前でしょうか、自宅から少し離れた公園まで散歩した時に

楊式八十五式套路を打っている人がいて暫く見物していたら

今度は孫式太極拳の套路を打ち始めました。

 

どちらも癖のある動きだったので

どこで習っているか訊ねたところ

誰かに習ったことは一度もなく

youtubeを見て一人で覚えたとの事でした。

 

管理人は「そうですか、お邪魔しました」と言い立ち去りました。

 

名古屋でも探せば楊式や孫式の教室は見つかります。

人それぞれ事情があるので

教室に行かないことをどうこう言うつもりはありません。

 

どこの教室にも通わず、師匠にも就かず

一人で長い套路を覚えるのは大変ですが

自分だけで楽しむには全く問題の無いことです。

 

しかし套路を全てと思い込み

それ以外のことを知らないのであれば悲しいことです。

 

昔、吉本新喜劇で岡八朗が

「こう見えても昔、空手やってたんや!通信教育やけどな!」

というギャグを言っていました。

 

通信教育の空手が本当にあるのかどうかは知りませんが

誰からも教えを受けない自己流は

通信教育よりも中身が薄いことは確かです。

 

荘子に“古人の糟粕”という話があります。

 

「聖人のありがたい言葉といえども

書物に残っているのはカスのようなものに過ぎない。

生きた人から直接教えを受けることの足元にも及ばない。」

という意味の内容です。

 

この話は書物を全否定しているわけではありません。

そうであれば老子や荘子もカスのようなものということになります。

鄭曼青先生も「鄭子太極拳十三篇」や「自修新法」を記されています。

先生がいるのであれば生きた教えを直接請うべきだということです。

 

時中学社の劉錫亨先生(管理人が所属する団体の直系の先生)は生前、

自身の太極拳を映像に撮られることを

たいそう嫌がられたそうです。

 

劉先生は「人は生きています。ビデオは死んでいます。

生きている学びをしましょう」と仰っていたようです。

これは指導者として練習生と直接向き合うことの大切さを

知っていたからのことばでしょう。

 

太極拳には言葉では伝わらなことが多くあります。

 

間近で先生の動作を観察したり、

手を合わせたときに伝わるものを感じたりしたことが、

その時には分からなくても、

やがて理解し大きな意味を持ちます。

 

鄭曼青先生も指導する時は多くを語らなかったそうです。

 

太極拳は感覚を鍛え、感じることを磨く武術です。

先生の見た目以上、言葉以上に大切なことを感じ取ることができなければ

太極拳を学んだとは言えないでしょう。

 

これから太極拳を始めようと思われている方は

教室に通って指導を受けることをお勧めします。

 

【天火会】は経験者の練習の場であり、

教室ではないので教えることはしていません。

 

鬼ごっこ

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少し遅めですが

明けましておめでとうございます

 

まだ松の内なのでお許しください。

 

管理人は正月休みの間

昼間っから酒浸りで

食っちゃ寝、食っちゃ寝していたので

社会復帰が大変です。

 

年末年始は天気もまずまずだったので

近くの公園では小学生が元気に走り回っていました。

 

管理人も子供の頃は公園で遊ぶことが多かったですが

足が遅かったので鬼ごっこでは

いつも鬼になって終わってしまいます。

 

そこで鬼ごっこを改造して

幾つかバリエーションを増やしました。

 

その1、コンクリート鬼

コンクリートしか踏んではいけない鬼ごっこです。

花壇の縁やコンクリートのベンチ、

飛び石に配されたコンクリートの上を走り回ります。

この鬼ごっこは足の速さだけの勝負ではなく、

平均感覚や逃げる際の場所選びなど他の能力が要求されます。

 

その2、ジャングル鬼

ジャングルジムの上だけでする鬼ごっこです。

ジャングル鬼は最早足の速さは関係ありません。

いかにすばしっこくジャングルジムを移動できるかが

勝負の分かれ目です。

 

その3、コマ鬼

この季節の究極の鬼ごっこです。

手のひらでコマを回し、

回っている間だけ走れる鬼ごっこです。

管理人はコマの空中キャッチが得意だったので

コマ鬼では無双状態でした。

 

もう何十年もコマ回しなどしていません。

公園でもコマを回している子供を見かけません。

 

今はどこでコマを売っているのかもわかりません。

昔は駄菓子屋で売っていました。

 

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管理人は約10kmの道程を自転車通勤しています。

 

今朝は雪がちらほら降っていましたが

雲の切れ間に青空が見えたので

大丈夫かなと思い自転車で出かけました。

 

甘かったです。

途中で大雪に遭遇して引き返すこともできません。

ベチャとした雪なので体にくっついては溶け

ビショビショしなってしまいました。

 

おまけにチェーンまではずれ

朝から散々な目にあいました。

 

天気予報だと夜は大丈夫そうです。

 

夜に雪が降ると積もるので

朝の雪かきが大変です。

 

名古屋は年に1~2回程度雪が積もります。

 

管理人の家は北玄関でスロープになっているので

雪を放置するとなかなか溶けず

下手をすると凍結するので非常に危険です。

 

まだ冬になったばかりなので

これからどんどん寒くなっていくいきます。

寒いと野外での練習も厳しいので

早く暖かくなってほしいです。

 

今年も残すところわずか、

年内の更新はこれで最後です。

 

来年も宜しくお願いします。

 

良いお年を。

 

冬は鍋

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めっきり寒くなってきたので

鍋料理が恋しいのですが野菜が高いですね。

 

最近は鍋スープもいろいろ出ていますが

管理人は昆布だしでポン酢につけていただくスタイルが一番好きです。

 

火鍋やキムチチゲなどの辛い鍋はあまり食べません。

 

辛いものが苦手というわけではありません。

むしろ大好物です。

 

しかし冬場は温まるために鍋をたべるので

唐辛子系の辛いものは逆に体が冷えてしまいます。

 

食材には体を温めるものと冷やすものがあります。

 

簡単に言えば、

夏に成る野菜や果物、南方の暑い地域の食材は体を冷やし

冬の野菜や根菜、北方の寒い地域の食材は体を温めます。

 

これが旬のもの地場のものが体い良い理由です。

 

辛い料理はインド、タイ、ベトナムなど暑い地域のものです。

中華料理で辛さが特徴の四川も南方です。

 

唐辛子などの香辛料は

食べた直後は汗が出るほど急激に熱くなりますが

直ぐにおさまり汗とともに熱を奪います。

 

生姜のように緩やかに持続的に体を温めるものではありません。

 

寒い地域でありながら好んで辛いものを食べるのは

韓国くらいでしょう。

 

今夜は鍋に決めました。

鳥にするか、豚にするか、魚貝にするか、

仕事帰りにスーパーに寄って決めようと思います。

 

地雷復

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地雷復は易経六十四卦の一つです。

 

陰が極まり陽が伸び行く始まりであることから

縁起の良い卦とされています。

 

以下、地雷復の本文です。

 

復、亨。出入无疾、朋來无咎。反復其道、七日來復。利有攸往。

彖曰、復亨、剛反也。動而以順行。是以出入无疾、朋來无咎。

反復其道、七日來復、天行也。利有攸往、剛長也。復其見天地之心乎。

象曰、雷在地中復。先王以至日閉關、商旅不行、后不省方。

 

初九。不遠復。无祇悔。元吉。

象曰、不遠之復、以修身也。

六二。休復。吉。

象曰、休復之吉、以下仁也。

六三。頻復。厲无咎。

象曰、頻復之厲、義无咎也。

六四。中行獨復。

象曰、中行獨復、以従道也。

六五。敦復。无悔。

象曰、敦復、无悔、中以自考也。

上六。迷復。凶。有災眚。

用行師、終有大敗、以其國君、凶。至于十年不克征。

象曰、迷復之凶、反君道也。

 

地雷復は時と兆しの象徴となる卦で

反復や繰り返しの法則を知り

場合において突き進む事よりも引き返す事の大切さを説いたものです。

 

復は“返る”“引き返す”という意味です。

行っては返る反復循環は

太極推手の教えとして読み解く事もできます。

 

推手の攻防は疾く動いてはいけない。

同じ教えを守る人と反復練習をすれば成果を得る事ができる。

剛を押し出さず動きに順いゆっくり練習すれば咎を受ける事はない。

朝には日が昇り、やがて中天を過ぎ日が沈む。

夜には月や星がが天空をめぐる。

このような天の運行のように法則に沿って反復練習を繰り返せば

やがて功が長じていく。

 

初九。教えの原点を守り身を修めてこそ得るものがある。

六二。良い人に付き従って正しく練習すれば上達する。

六三。間違えた事をしても、その事に気づき初心に返れば

それ以上悪くなる事はない。

六四。周りが力任せに攻めてきたり疾く動いたりしても

頑なに教えを守れば、大変な目にあったとしても正道を行く事ができる。

六五。中庸の道を行い修練すれば太極拳を完成させる事ができる。

上六。最後まで迷い、力に頼ってしまえば全てを失う。

正しく太極拳を使う人に力で攻撃をしても敗北する。

 

明日は冬至

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明日12月22日は冬至です。

 

冬至はかぼちゃを食べてゆず湯に入る日と思われています。

 

一般的には冬至はこの程度の認識ですが

易経を知っている人にとっては冬至は特別な日です。

 

冬至は

十二消息卦の1つ“地雷復”にあたり“一陽来復”の別名があります。

 

冬至は陰が極まり陽が生じる日です。

冬至を境に昼の時間(陽)が長くなっていきます。

このことから昔は冬至を1年の始まり、正月としていた時期もあったようです。

 

易を学んでいる人は冬至の朝に1年の運勢を占う

冬至占という占いをします。

 

冬至占に興味がある方は検索すれば

親切に解説しているページが幾つかありますので

調べてみてください。

 

管理人は冬至占はしません。

“君子占わず”を気取っているわけではありません。

初詣に行ってもおみくじもひきません。

 

特別な理由はありませんが何故か占いに興味が持てないだけす。

神社に行った時はおみくじの代わりに宝くじを1枚買います。

 

こちらの方が運試しとして分かりやすいでしょう。

管理人は今まで3000円以上当たったことはありません。