• 29 Jun
  • 26 Jun
    • 色模様に変化。

      50年ぶりに京都の花街復活をめざす島原に「太夫」が誕生した。 その名は「葵太夫」。 2014年11月26日、禿(かむろ・太夫の身の回りを世話する おつきの童女)、振袖太夫(ふりそでたゆう・太夫の見習い、芸妓に対する舞妓のようなもの)の修行を経て誕生、現在、島原で活動する太夫として6人目である。 そもそも太夫というのは、豊臣秀吉が、都を活性化するためにつくった始まりとされている。とくに島原は江戸時代に栄えた花街で、いまでいうテーマパークのような存在だったようだ。町人商人はもちろんだが、武家や公家さんたちも散在したようだ。 そこの最大の人気キャラクターで高見の華的存在が、歌舞、茶道、華道、俳諧などの多彩な芸と豊かな教養を持つ芸妓の最高位が太夫である。 短い袖の豪華な打ち掛けに島原結びの帯といういでたちで、内八文字と呼ばれる独特の歩き方もさることながら、若々しい妖艶あふれる葵太夫独特の艶深さに惹かれる老若男女は多いようである。 ある方の写真に目がとまり、それ以来、小生の色模様にも変化が生じてきた。 写真は、小財郁男さん他

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  • 08 Jun
    • 文人茶のおあそび「闘茶」を楽しむ。

      5月中頃から1ヶ月間行われている大阪・東横堀川周辺のまち巡り「e-よこ逍遥」のイベントの一環として、一茶庵易社の稽古 “文人茶を愉しもう” 体験会が2週連続で行われた。 昨夜は、佃宗匠の計らいで茶歌舞伎といわれる「闘茶」を楽しんだ。闘茶というのはいくつかの異なる種類お茶を飲み、最後に飲んだお茶が、最初にいくつか飲んだお茶の中から同じものを当てる「利き茶」的な遊びである。 稽古場に行くと、宗匠からお点前は小生がするように言い渡され、急遽お点前席に座った。そこで初めて「闘茶」をするということ告げられた。飾り棚の上に小さな茶心壷(茶葉入れ)が4つ並べてあった。最初の3つの茶心壷には種類の異なる茶葉が入っている。残りの1つには、3つの中の1つと同じ茶葉か、または全く違うものが入っている、という内容の説明が宗匠からあった。 ようは「お茶当てクイズ」のようなものある。そうなると、淹れるのが難しい。4煎とも一定の淹れ方が要求されるわけだ。でないと、同じ茶葉でも淹れ方によって味が変わるくらいだから、異なる茶葉ならなおのことである。 宗匠からは「湯気の上がり具合をみて自分で判断してください」と指示があった。初めての方たちに淹れるので緊張感を持ちながらも、そこは年の功である。 10人中半数近くの方たちが見事当てられた。それも見事だけど、お点前した小生の淹れ方が安定していたのかも、と自画自賛。 小生の隣の席に宗匠の奥様(先生)が座り、小声でサポートしていただいたお陰なのである。実は。

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  • 02 Jun
    • 急須で淹れるお茶の効用。

      稽古で2週続けて「新茶」楽しんだ。立春から八十八夜目の頃に摘み取られる一番茶を「新茶」という。 この時期、飲料水関連の企業が、ペットボトルのお茶のコマーシャルで新茶をアピールするのをよく見かける。いままでは家で飲むお茶、外出時に飲むペットボトルのお茶はあくまでも水分補給でしかなかったが、品質向上や嗜好品としての価値を訴求してきているようだ。 それが原因かどうか分からないが、残念ながら急須を使ってお茶を飲むという昔からの伝統的な飲用慣習が失われつつある。ペットボトルなどで飲用するお茶では、まだまだ嗜好品として香や味の変化などは楽しめない。 急須で淹れてこそ、お茶の量や湯の温度、時間、そして淹れ方も含め味の変化を楽しめる。いわゆる嗜好品として、喉を潤すというよりも心の渇きをみたし、一息の寛ぎを促進するものになっている。 日本茶のルーツはもちろん中国である。奈良・平安時代に遣唐使によってもたらされたと言われ、安土桃山時代には、宇治で覆下栽培も始まり、高級な碾茶(てんちゃ)に加工された。江戸時代に入り、宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)が製茶方法を改良し、優良な煎茶の製法(宇治製法)を編み出し、全国にそれが拡大していった。そしてその後、海苔で有名な山本山の創業者である山本嘉兵衛が玉露の製法を生み出しお茶の領域拡大に貢献している。。 生産地としては、京都・宇治で生まれ、全国にそれが拡大していった。現在では、生産量の全国一位は静岡県である。富士山麓に広がる茶園が、この時期はとくに青々としている。

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  • 01 Jun
    • カキツバタから一転、「ツバメの子」に。

      前回の稽古で掛かっていたお軸の漢詩の冒頭に「燕子花」が書かれていた。 “ツバメの子の花” と漢字で書かれていたので “カキツバタ”と読んだ。いまの時季の花だから当然の流れで話題にのぼった。 そして今回(昨日)の稽古では、前回に引き続いて同じお軸が掛かっていた。てっきり「カキツバタ」の流れになるのだろう、と思っていたが、予想に反しての展開に少々驚いた。 漢詩の読み方としては、七言でも五言でも最初は2文字の意味から始まる。そうすると「燕子花」になると3文字になるので違ってくる。今回の稽古では、 “燕子(ツバメの子)” という2文字でスタート。 “アレっ” と一瞬思ったが、当然の流れで「燕子 花開 幽渚涯」と分けて理解をしていく。訳してみると、渚の行きつく岸に花が咲きツバメがいる。という訳になる。まったくカキツバタのストリーではなくなっている。おもしろい展開になっていった。続きを訳していくと 「南薫 嫋嫋 入書帷」となる。南風が窓から入りカーテンをしなやかに揺らす。 「午眠 初覚 茗醫渇」。昼寝から覚め、お茶で心の渇きを潤す。 「擬和 謝公 池上詩」。謝公(謝霊運/六朝時代の詩人)の登池上楼詩を思い浮かべ和む。 という訳になるが、これを書いたのは日本人で海軍中将とのこと。戦争中にここ一茶庵に立寄り茗(お茶)を嗜みながらその時の心境を、謝公の登池上楼詩を思い起こしながら綴ったようだ。それが写真にあるお軸である。 戦火の中で、一息のときに、我が故郷の子どもたちはどうしているだろう、と思いを馳せる気持ちを「燕子/ツバメの子」に例えたものだった。読み手の想像で、"ツバメ" にもなり"カキツバタ" に訳して楽しむのもよかろう。

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  • 28 May
    • 地球に平和を!!

      アメリカのオバマ大統領は昨日(27日)午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。被爆者の人たちを前に所感を述べました。その全文を「NHK NEWS WEB」から転載したものです。 71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。 そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。 なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか? 私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。 この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。 犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。 もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。 戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。 どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。 穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。 それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。 そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。 広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。 これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。 しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。 古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。 私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。 撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。 世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。 しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。 私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。 そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。 物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。 どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。 すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。 国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。 科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。 近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。 そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。 私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。 原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。 広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。 私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。 彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。 しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。 被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。 しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。 その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。 そして、変わることも可能にするのです。 あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。 アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。 ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。 迫害されている人や国々は自由を求めています。 そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。 とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。 私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。 だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。 しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。 私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。 そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。 ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。 私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。 しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。 起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。 もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。 このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。 私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。 そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。 アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。 ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。 しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。 どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。 それが、私たちが広島に来た理由です。 愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。 私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。 亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。 国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。 ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。 それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。 広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。 [English] 71 years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city, and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself. Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder the terrible force unleashed in a not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women, and children. Thousands of Koreans, a dozen Americans held in prison. Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become. It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint, and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by the scarcity of grain, or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated, and liberated, and at each juncture innocents have suffered a countless toll, their names forgotten by time. The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki, was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities, and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice, and harmony, and truth. And yet, the war grew out of the same base instinct for domination or conquest, that had caused conflicts among the simplest tribes. An old pattern amplified by new capabilities, and without new constraints. In the span of a few years, some sixty million people would die. Men, women, children. No different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage, and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity. Yet in the image of a mushroom cloud, that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction, of the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will. Those very things also give us the capacity for unmatched destruction. How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause. Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith is a license to kill. Nations arise, telling a story that binds people together, and sacrifice, and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress, and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease, and understand the cosmos, but those same discovieries can be turned into ever more efficient killing machines. The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well. That is why we come to this place. We stand here, in the middle of this city, and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arch of that terrible war, and in the wars that came before, and the wars that would follow. Mere words cannot give voice to such suffering, but we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again. Someday, the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness, but the memory of the morning of August 6, 1945, must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change. And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that is one, far more for our people than we could ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations want liberation. And the international community established istitutions and treaties that work to avoid war, and aspire to restrict, and roll back, and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons. Still, every act of aggression between nations, every act of terror, and corruption, and cruelty, and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations, and the alliances that we form, must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own who hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear, and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics. And yet, that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mindset about war itself to prevent conflict through diplomacy, and strive to end conflicts after they’ve begun. To see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition. To define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race. For this too is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely, and cruelty less easily accepted. We see these stories in the hibakusha, the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself. The man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own. My own nation’s story began with simple words: all men are created equal, and endowed by our creator with certain unalienable rights, including life, liberty, and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents, and across oceans. The irreducible worth of every person. The insistence that every life is precious. The radical, and necessary notion that we are part of a single human family, that is the story that we all must tell. That is why we come to Hiroshima. So we might think of people we love - the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think, they do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. When the choice is made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done. The world was forever changed here, but today, the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki, are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

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  • 21 May
    • 裏方に徹して。

      今日は、京都宇治 萬福寺で行われた「全国煎茶道大会」に一茶庵社中として参加した。 今回は一切表に立たずお客様用の煎茶をただひたすら淹れる役目だった。 水屋作業は初めてだったので、一煎目、ニ煎目の淹れるタイミング等が合わずしどろもどろ。慣れてくればそれなりに進むものである。 いろんな体験をさせていただく。なんでもそうであるが、やれば楽しいものである。

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  • 20 May
    • いずれアヤメかカキツバタ。

      先日の稽古で、新茶を堪能しながら「燕子花(かきつばた)」の話になった。 この時季の花であるが、 “アヤメとカキツバタ”の違いは分かりますか”という宗匠の問いに、思い出したのが「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉。いずれ劣らぬ美人がふたりいる。優劣つけがたいほど素晴らしいものを例えて使う言葉と理解している。ということはアヤメとカキツバタは良く似て美しい花だが、違うということになる。 女性陣はある程度のことは分かっておられたようだが、小生は、アヤメは何となく想像はつくのだが、カキツバタの形状すらイメージできないありさま。さらに追い打ちをかけられ、“アヤメとショウブは、漢字は同じ(菖蒲)だがこれも違うのですよ”。さらに “菖蒲湯に入れる「菖蒲」は、サトイモ科でまったく別物ですよ。知っていますか” と。どれもこれもピントこない。4つ巴で頭はまっ白。 次回の稽古で使うお軸が掛けられてあった。漢詩の出だしの文字が「燕子花」とあった。写真に撮り予習をと試みたが無理のようだ。

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  • 18 May
    • 「新茶」を堪能。

      昨夜の稽古は新茶を淹れた。上投法といわれる淹れ方で、急須で湯を沸かし湯気が立ってくると急須のふたを開け新茶を入れる。入れた瞬間に "ジュ" っていう音がたつ。火からおろし茶碗に注ぎ分ける。美味しそうな薄黄色。口に含むと新茶らしいまろやかな味が口の中に広がる。 新茶は「茶摘み」の歌にあるように立春から八十八夜目に摘みとる一番茶のこと。その味は、冬の間に養分を蓄え、春の芽生えとともにその栄養分がたくさん含まれ瑞々しい。いつもながらこの時季は、新茶を堪能させていただいている。 こんな写真を見ると「茶摘み」の歌を思い出す。子どもの頃、どうして覚えたのか定かではないが、いまでも不思議と歌えるのである。 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅(すげ)の笠 日和つづきの今日このごろを 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ 摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ

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  • 17 May
    • 「コミック三国志」 にはまる。

      2004年に世界文化社から「週間ビジュアル三国志」50巻が発刊された。原作・吉川英治氏、画・石森章太郎氏の超豪華作家による “コミック三国志” として話題になったことは記憶している。 多くの人たちは、社会人になりたての頃、現実社会を乗り切っていくため歴史から学ぶ大人の参考書として、日中の戦国武将の伝記や小説を読みふけった人は多いと思う。 多くの武将伝や人物伝の中でも、中国晋王朝が成立するまでの戦乱の世をかけて天下統一の野望に燃えた英雄豪傑たちのストーリーである「三国志」は外せない本であろう。 小生もその当時、吉川英治「三国志」を読んだ。中国の歴史に関心が薄かったときなので文字を読んだだけでは充分な理解や想像ができなかったという記憶がある。 時の流れの中で、劇画やコミックブームで育った人たちにとって、歴史上の人物列伝まで画を中心としたコミック誌が台頭してきたので、関心度も高まっていったようだ。それにより歴史への興味が深まっていったのも事実ではないだろうか。しかし、文字に馴染んだものに者にとっては、やはり劇画やコミックは躊躇してしまう。 先日、何気なく「週間ビジュアル三国志」を立ち読みする機会があった。12年前のものであるが、実にしっくりくるコミック誌だった。原作が吉川英治、画が石森章太郎だからということもあるが、前半の頁が、登場する人物、戦いのあった場所の写真や地図などが掲載され、当時の戦場となった場所を写真で見ると想像が膨らんでくるのである。それを見てからコミックのページに入っていく。 頭が硬くなった者にでも、中身の材料によって感度が悪くなったアンテナを響かせてくれるものだ。ちょっとの間の愛読書として離せそうにない。

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  • 15 May
    • こんな光景をみて、改めて「人間としぜん」の関係を思う。

      いまこんな光景を見るのは少なくなった。 建物を建てる前に行う地鎮祭の祭壇である。家を建てる前には必ずこの儀式がされるのだろうか。 それとも、そういう慣習がなくなりつつあるから目につかないのだろうか。いずれにしてもよくわからない。もし行われていたとしても、神を祀って工事の無事を祈る儀式となり安全祈願祭と呼ばれているようだ。 日本には古来から、人間はしぜんの一部として大地に住まわせてもらっているという考え方あった。 それが時の流れのなかで、この地球は人間中心の宝島のようになっているような気がする。 本来の地鎮祭は、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得るものが主なるものである。 久しぶりの祭壇をみて、そんな思いがこみ上げてきた。

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  • 14 May
    • ブラシに似た「ブラシの木」。

      今朝、通勤路でこんな花を見つけた。あまり見たことのない花なのでとりあえずシャッターを切った。 見ての通り、形はビンを磨くブラシにそっくり。そして花序は赤。それが理由で目に留まり気になったのでネットで調べてみた。名前が「ブラシの木」。学名は違うようだが、ブラシに似ているからそう呼ばれるようになったのだろう。 おもしろい写真があった。つぼみから花を咲かせ、花が散って枯れ、そして新たに芽生えていく姿が撮られていた。 写真は「季節の花300」から転載。

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  • 12 May
  • 08 May
    • 鉄斎の、壮大なスケールが見えてくる。

      生誕180年「富岡鉄斎~近代への架け橋~展」を観に行ってきた。 画や書の力強さはさることながら、鉄斎の「万巻の書を読み、万里の路を往く」を実践した生き方に魅かれる。その生き方が鉄斎の画をよりダイナミックにさせたのではないだろうか。 人生雑踏でも大きな指標があればその成果は計り知れないと教えてくれている。 そんな想いで抱き観ると光明がさしてくる。

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  • 04 May
    • 「壬生狂言」も歴史の証。

      昨日、京都・壬生寺に行ってきた。いま本堂公開にあわせ「壬生狂言」が行われていた。 平成19年に、知人である友禅作家のあだち幸さんが本堂の障壁画と襖絵を奉納された際に観る機会があった。そして8年ぶりに再び壬生寺訪問が実現した。 壬生狂言を鑑賞するのは、たしか40年前になろうか。残念ながらそのときの観た内容や演目も記憶に残っていない。いまも狂言についての知識などないにも関わらず久しぶりということもあって楽しみにした。 「壬生狂言」というのはそもそもどんなものなのかも理解が出来てないので、資料をもとに少し書いてみると、700年前の鎌倉時代に壬生寺を興隆した円覚上人が創始された。上人が「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会のときに群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうと身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついた。これが壬生狂言の始まりと伝えられている。しかし、一般の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」を用いず無言で演じられる。娯楽的な演目の中にも勧善懲悪、因果応報の理を教える宗教劇としての性格をもっている。 近年は民俗文化財としての評価が高まり、昭和51年に国の重要無形民俗文化財として、京都府下では第一番に指定を受けた。また、狂言を演ずる大念佛堂(狂言堂)は、安政3年(1856)の再建ですが、綱わたりの芸をする「獣台(けものだい)」や鬼などが飛び込んで消える「飛び込み」などの装置を持つ、他に類例を見ない特異な建造物として、 昭和55年に国の重要文化財として指定されている。 といったことが資料にあった。1時30分開演ということで大念佛堂の観覧席に坐り第一演目を待った。その演目が「炮烙割(ほうらくわり)」。節分の際に素焼きの炮烙(茶道で灰を入れるお皿のようなもの)に家内安全を祈願するために名前などを書いて奉納。その炮烙を狂言で割ることで奉納者は厄除開運が得られる、というものである。それぞれの演目を公開する序曲のような演目がこの「炮烙割」である。割っている瞬間をよくニュースなどで見たことがある。 そして二番目が「土蜘蛛」だった。これも壬生狂言ではで代表的な演目のひとつ。土蜘蛛が撒く糸の華やかさがこの演目の醍醐味である。 (いずれも映像(you tube)で紹介しているのでご参照してください。) https://www.youtube.com/watch?v=R2CWxlR1OnA https://www.youtube.com/watch?v=LzrQjeRh-Tc その後、本堂を拝覧した。中央に本尊「延命地蔵菩薩」が立ち、脇侍として右に掌善童子像、左に掌悪童子像があった。本堂を囲む障壁画や襖絵があだち幸さんの作品である。 ここ壬生寺にも歴史の証としていまの世に、次の世に伝えられる貴重なものをが豊富だった。

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  • 03 May
    • 老木にも青葉がしげる。

      葉桜になっている夙川公園の桜が眩しいくらいに青々としていた。 そんな中に老木が目につく。 この写真の老木は「治療中」と表示がされていた。 傷んだ老木にも青葉がしげる。この春は満開に花を咲かせたことだろう。 そして来春も、またきっと。

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  • 01 May
    • おじさん、らしい。

      散歩の帰り道、ケーキショップ「エルベラン」の前を通った。ここのケーキは美味しとの評判は聞いている。20年近く前、娘が中学生の時にトライアルウィークでお世話になったこともあり親しみを持っている。 それよりここのご主人はサービス精神旺盛な方でだれにでも気軽に声をかけ気さくなおじさんで通っている。ご主人の人柄を気に入り通いお客さんも多いはずだ。 店先に「今日の売上げは全て熊本地震の義援金として寄付いたします」の張り紙が掲げてあった。”売上げ全て” というのがおじさんらしい。そんな気がした。 店内から見える厨房におじさんの姿がなかったので、定員さんに ”おじさんは?” と聞いてみた。すると、”オーナーは午前中だけなんです” 。 ホッとした次第である。

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  • 30 Apr
    • 歴史の、たしかな証。

      今日は大阪市立美術館へ行ってきた。「王羲之から空海へ」というタイトルで日中の書聖たちの大傑作が一堂に展示されていた。 パンフレットには、王羲之に始まる書法の伝承を、中国・日本それぞれの名品によって回顧する展覧会、と記されてあった。 歴史や書蹟にうといものにとっては、1回程度の鑑賞では、この展覧会のストリーが把握できるわけもない。ただ、関心をひいたものがいくつかあった。中国書蹟では唐、宋、元、明、明末でそれぞれの書の大家の個性あふれる書法。そしてもう一つが、最澄と空海の淡交を示す真筆書状。最澄が空海に宛てた、自筆の手紙として現存する唯一のものや、空海から最澄に送られた書状を実際にみると歴史の確かな証をみた思いであった。 下段の写真は、空海が最澄に送った真筆書状。(別冊太陽 日本のこころ187「空海」)から転載。

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  • 28 Apr
    • 「折楊柳」にふれて。

      春は、昔から新しい出会いに喜び、悲しい別れに沈む季節と言われる。 年を取ると、そんなことで一喜一憂することが極めて少なくなっている。というより、当たり前という現実的なものの考えに馴染んでしまってくるのか。 一方、年を取ることで、遠く離れた故郷を思う気持ちが一層膨らんでくるのは不思議なものである。 そんなときに中国古典の漢詩「折楊柳」などに触れると、故郷を思う気持ちが増幅される。とくに李白の有名な詩「春夜洛城聞笛」が心にしみてくる。 誰家玉笛暗飛聲。散入春風滿洛城。 此夜曲中聞折柳。此夜曲中聞折柳。 何人不起故園情。 いったい誰だろう、暗闇の中を笛の音が響いてくる。 笛の音は春風の中に乱れ入り、洛陽の町中に広がる。 この夜、曲の中に「折柳」の調べを聴いた。 これを聴いて故郷を偲ばない者があろうか。 といった訳になる。 当時、李白が30代半ば、洛陽に半年ほど滞在した時の作とされる。 夜、洛陽の宿屋に泊まった李白が、部屋の天井をながめながら、俺の人生これからどうなるのか、と考えていたとき笛の音が聴こえてきた。 そのときにこの詩を書いたと言われている。 むかし中国では旅立つ人に柳の枝を折って送る習慣があったようだ。別れの悲しみを歌った「折楊柳」は、いつ日かまた元気で戻ってくるように、という願いを込めた詩である。その歌が、笛で奏でられていたので、故郷を遠く離れて、洛陽の地にいる李白も、思わず涙ぐんだという。 そんな情感に浸ることは、小生のいまの通常の暮らしの中であるだろうか。皆無に近い。有り難いことに、一茶庵の佃宗匠の導きで、非日常空間や時間をいただいている。さらに中国の古典に触れることでイマジネーションの世界を堪能させていただいているのである。

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  • 25 Apr
    • 京都壬生寺の「襖絵・障壁画」の特別公開。

      友禅作家のあだち幸さんの描かれた京都 壬生寺「襖絵 障壁画」がこの4月 29日から5月 5日まで特別公開されます。この期間中は壬生狂言も同時に行われているようです。京都にお住まいの方に、京都へ行く予定をしておられる方にお勧めします。

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