921) 583系の引退によせて(その2) 「ゆうづる」「はくつる」の夜間の車内 | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 919)の続きです。

 

 なつかしい583系の夜間の車内の様子を古いネガからさがしてみました。

 S49(1974)年3月の上野駅、まずは外観

 S49.3.23 5013Mゆうづる1号 上野19番線に19:24に入線したところを20番線から撮っています。

 2号車がグリーン車なのがわかります。

 東大宮→上野の回送は 回5063Mと+50のナンバーが付番されていました。

 5013M 上野(19番)19:50発→5:03 青森

 

 むこうの旧客は、回5063M到着と入れちがうように 19:24に発車の8103レ「八甲田52号」 EF57牽引。

 

 5013M ゆうづる1号

 13両編成(8M5T)のうち、10・8・5・3号車には モハネ582形が連結されており、パンタ部の屋根高さがこんなに違います。

 10号車は11号車とユニットを組んでいました。サハネ581形が12号車に、サロ581形は2号車に、サシ581形は7号車、計13両編成です。

 モハネ582形の後位にはごらんのようにドアおよびデッキがありますが、前位(奇数方)はドアは無し。従ってそのパンタ下部の2区画は2段構造で上段が無い。その分中段の上下が高く、2段寝台の広さに3段寝台の料金で乗れるので、お値打ちでした。

 

 正方形が特徴の方向幕は明るくとんでいますが、「青森」がかろうじてわかります。

 

 20:00発の13M「ゆうづる2号」は19:12に20番線に入線、と S49.3.25改正の時刻表(4月号)には載っているのですが、当日は「ゆうづる1号」が発車して動き出したときに20番線に到着したようで、静止状態での2本の並びは撮れませんでした。動いてしまっています。25日の前々日だったので、49.3.25改正前は19:50入線だったのでしょうか?

 

 20:00に 20番線から発車する 13M「ゆうづる2号」に乗車しました。

 以下、その車内です。

 

 13M車内検札のようす。上段のかたの切符を受け渡しているところです。

 私も上段から撮っていますが、隣の区画のかたのコートにちょっとさえぎられてしまいました。

 

 津軽弁と思われるなまりが混じった車内アナウンスだったので、車掌は青森車掌区の担当だったと思われます。

 

 この日の車内アナウンスをカセットテープに録音していて、その後にMDにダビングしてあるので、今でも聞くことができます。「汽笛一声」のオルゴールのあとに続く 長~いアナウンスをかいつまんで紹介すると・・・・

 ・「水戸、平停車の青森行き 全車指定『ゆうづる2号』です。上野を発車すると水戸まで止まりません。くれぐれもお間違いのなきよう 今一度切符をご確認ください」と繰り返し言っていること。

 ・「高速で運転しますので揺れることもあります。上段・中段に乗り降りするときは転落しないよう十分ご注意ください。ご旅行中にケガをされますと大変でございます」と繰り返し言っていること。

 ・「車内が混んでおりますので、スリ、置き引き、すり替えには十分ご注意ください。とくにハンガーに掛けたオーバーの内ポケット、ご婦人のハンドバッグなどに貴重品を入れないように十分ご注意ください。貴重品は、寝るときは体に身に着けるか体のそばに置いてお休みください。ご旅行中に盗難にくれぐれも会わないようにご注意ください。万一盗難、置き引きに会われたかたはすぐに車掌までお知らせください。3両に1名 担当の車掌がおります。車掌室は2号車、3号車、7号車・・・・にございます」

 ・「連絡船で北海道へ渡るかたは、車掌が乗船名簿をお配りしております。ご記入のうえ、連絡船乗船口で係員までお渡しください。青森での連絡船乗船口は前の方になります」

 ・「洗面所に眼鏡・腕時計などの忘れ物が大変多くなっております。お忘れなきよう充分ご注意ください」

 ・「水戸、平を発車すると青森まで止まりません。青森では2番線の到着で、お出口は右側です。連絡船は5:25出航の十和田丸です。連絡船乗船のかたは前13号車のほうへお進みください。青森下車のかたは反対側1号車のほうへお進みください」

 ・「青森での接続は、津軽線油川・蟹田・三厩方面は6:05発の三厩行き、浪岡・川部・弘前方面弘前行きは6:30発の弘前行き、急行『しらゆき・きたかみ2号』金沢行きと奥羽・北上線周りの仙台行きは6:50発車です。お時間がございますので、待合室の方でお待ちください」

 

 津軽弁まじりの素朴で温かみのある車内アナウンスは10.分以上続きます。

 

 

 深夜の7号車。食堂車は営業休止中。サシ581-28。

 サシ481などと違って、天井が高いです。

 昼行特急の「はつかり」「ひばり」ではサシ581が営業していましたが、夜行列車では非営業。

 このころ、夜行特急で食堂車が営業しているのは、もう東海道・山陽スジのみとなっていましたが、そちらは客車列車。

 

 

 サシ581の厨房部の片側通路。

 583系は左右両側が寝台なので、20・14系でおなじみのこのような通路はここにしかありません。しかし通路然としていて、おりたたみ式の腰掛けはありません。窓のすぐ下に手すりがあります。

 ここまでは、おそらく常磐線水戸~平間で撮ったものと思います。平停車時はベッドにいたと思います。

 

 軽い興奮で覚醒してしまってなかなか眠れなかったし、眠ってしまってはもったいない気もしていました。

 寝台区画の一方に、小さい、カバーのかかった蛍光灯の灯具がありました。ボタンを押すと点灯するので、ふつうはそちら側を頭側に横になるのでしょうが、私はそちらを足元側に、反対になって横になっていました。そうすると小窓が目の前に来るからでした。

 中段ではこの小窓が寝台区画の上のほう(1区画の天井付近)にくるのですが、上段で寝そべると目の前に来ます。私は上段でした。

 

 ずっと飽きずに外を眺めていました。目が慣れると、真っ暗な野ずらにかすかに山の稜線が見えたり、田んぼの雪が徐々に増えてゆきました。

 常磐線内でも結構速く、踏切のカンカン・・という音が1つだけ聞こえるときと、2つ聞こえるときがあり、速度の違いがわかりそうな感じです。普通に座って、あるいは寝そべっていては踏切の音は聞こえなかったとおもいますが、小窓に顔をぴったり接近させているとわずかに聞こえたと思います。

 

 単線から、丈夫な複線に進入するといっそう速くなったようでした。岩沼を通過したのでした。

 

 時刻表によると、上野19:50発の 5013M「ゆうづる1号」は仙台に0:32着、0:34発。上野→仙台間は常磐線経由で 4時間42分。一方「ゆうづる2号」は仙台は運転停車で、時刻表上は平→青森間はノンストップです。

 ただし、この頃(s49年)には東北新幹線の仙台駅工事が始まっており、乗車した3月23日(暦日で3月24日の未明)までは、深夜は上下とも仙台駅を通らないダイヤに変更されていました。「ゆうづる1号」は長町(仙台の1駅手前)を0:30発、とあります。「ゆうづる2号」の運転停車も、おそらく長町で0:35ごろとなっていたと思われます。その後、仙台駅の東部を迂回(というかショートカット)の宮城野貨物線に入ってゆきました。初めて通ったので、どこをどう走ったのか、いつ東北本線に合流したのか、よくわかりませんでした。

 翌日からは深夜の仙台停車は一時復活しますが、春休みの混雑期間に深夜の工事を中断して客をさばいたものと思われます。のちにまた工事で長町停車に変更されました。ほかの列車も同様です。仙台~長町間には連絡バスが23:30から5時ごろまで、接続列車に合わせて運行されました。所要12分です。

 

 東北本線特有のタテ長のあんどん式駅名票が たまに窓外を飛んでゆきますが、高速で通過しているので、どうしても小駅のは読み取れません。「今のは何駅?」と予想するのにしばらく興じていました。時折聞こえる「ピーーッ」というホイッスル。そして明るい大駅(一ノ関とか北上とか)を通過するときに答えあわせをするのです。

 

 盛岡では2分くらい運転停車したと思います。また高速に戻り、「今のは御堂?奥中山?」と想像しつつ、そのあたりで眠ってしまったような気がします。3月24日というのに、窓の外は真っ白になりました。のみならず降ってきました。

 

 

 「どなたさまもお目覚め願います。どなたさまもお目覚め願います。」という津軽なまり混じりのアナウンスがして、まもなくゆっくりと青森2番線に到着。

 

 青森2番線には10分ほど遅れて着きました。途中の雪のせいだったようです。

 4番線に見える583系は、ダイヤどおりなら5分前に青森に到着した 5013M「ゆうづる1号」のようです。1号との上野での10分差を青森では5分に縮めます。

 

 このあと、十和田丸が出航して、津軽湾での朝日を甲板で撮ったあと、爆睡。

 函館で 9:35発の3D「おおぞら2号」を皮切りに北海道旅行(ほぼSL撮影)は続きます。

 

          ◆           ◆           ◆

 

 次は、S63年9月12日の11M「はくつる」

 

 モハネ582のパンタ下は番号をいくつも書き出して申し込みましたが取れませんでした。この日も満席だったようです。

 サシ・サハとMM’ユニットの1組、計4両を抜いて、9両編成となっていました。モハネ582である 2・4・7号車の上野寄り1列(1・2番) と青森寄り2列(11~14番)が上段が無く中段の上下方向が広いのです。

 

  3号車モハネ583-97。進行右側の13番上段に乗車。

 濃紺だったか濃い緑だったかの分厚いカーテンがうす紫色に替わって、雰囲気が明るくなっていましたが、他は特に変化は無いようです。特徴的な階段の形状もそのまま。上段に居ると 音がややうるさいエアコンの吹き出し口もそのまま。

 浴衣の色が紺色の柄からこれ(紫色?)に替わったかな。

 

 

 s63(1988).9.12  上野17番線 11M「はくつる」 こちら側 9号車クハネ583-15。

 向こう18番は「ひたち53号」 9連 クハ481-313。

 

 

 1988.9.13  八戸に6:07定着。

  6:09に発車してゆく11M「はくつる」  1号車クハネ583-16。  

 目的地は三沢(古牧温泉)から西へ出ている「十和田観光電鉄」だったのですが、「はくつる」は盛岡、八戸、つぎは終着青森なので、八戸から三沢までは12系客車の鈍行に乗換えたのでした。

 

   923) の記事 へつづく