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2015-08-19 06:03:26

「集団無責任体制 = 集団責任体制」と終戦秘話

テーマ:ものの道理

8月15日近辺では、TV番組も終戦にちなんだ番組が多くなります。


その一つ、「日本のいちばん長い日」という映画が放映されました。


今まで何度か原作を読み、また映画も数回観ました。
最初は「こんなことがあったとは!」という驚きが大きかったのですが、
何回目かの今回は、特に感慨深かったです。



あらすじは、


天皇の玉音放送で戦争は終結した、と考えられているし、その通りであるが、
実際には終戦はそんなにすんなり実現したわけではなく、
軍部の猛烈な抵抗があり、
8月14日から15日にかけては
ほとんどクーデターに近いことが内部では起こっていて、
玉音放送のレコード盤も非常に危うく押収される寸前だった。
一つ間違えば終戦の詔の玉音放送もどうなっていたか分からないほど
非常に際どかった


という実話です。




今回、非常に感銘を受けたのは、驚くべき姿でした。


あれほど絶対的神聖な存在として崇めていたはずの天皇陛下の御聖断が下されても、
自分の信念と合わなければ断固として従わず、
それどころか上官を殺害し、命令書を偽造してまで、徹底抗戦を貫き、
自分の意志に天皇までを従えさせようとした人たちが多くいた、ということです。


なぜそんなことが出来たのか?




通常考える指揮系統であれば、
天皇陛下の御決定は絶対的なものですから、
その瞬間にそれに従うはずです。

しかし、そうではありませんでした。



それはなぜなのか?

暴発、独走、という一面的な言葉で片付けられるものではありません。



日本の伝統的文化は、特定の権力者の決定に盲従するという土壌ではなく、
一人一人が当事者意識を持っている、
それが図らずも表れているのだ・・・。


私は、日本固有の文化、美徳が、図らずも、こういうところでも、こういう形で現れる、
ということに「戦慄」を禁じ得ませんでした。


驚き、悲しみ、哀悼・・・




京セラの創立者でJAL再建の立役者の稲盛さんが提唱する「アメーバ経営」。
http://www.kyocera.co.jp/inamori/management/amoeba/


「組織を小集団に分け、市場に直結した独立採算制により運営し、経営者意識を持ったリーダーを社内に育成し、全従業員が経営に参画する「全員参加経営」を実現する経営手法です。」

と説明されています。


確かにアメーバ経営として提唱したのは稲盛さんですが、
実は、「集団的無責任体制 = 集団的全員責任体制」
がその原型にある、と思います。


それぞれがアメーバのように状況に対処しながらもバラバラにならないのは、
一人一人に深く無意識にしみこんでいる当事者意識、
即ち「全員参加経営」なので、無責任なバラバラ体制になりにくい、
ということがあると思います。



そして、そのつなぎ役になっているのが「空気」です。
有名な「空気の研究」という名著もあるくらいですが、
それについてはまた触れましょう。



文化にはさまざまな要素や方向性、地域性がありますから、
当然異論もいろいろと出ると思いますが、
大筋は間違ってない、と思っています。

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2015-08-17 22:53:21

集団的無責任体制は素晴らしい!

テーマ:ブログ

このタイトルを見て、

えっ   何かの間違いでは?

と思われた方もきっといらっしゃると思います。



今話題の新国立競技場。
一体誰の責任で決めたのか?
一体誰が責任を取るのか?


誰もいない!!!



一体誰が戦争をすると決めたのか?


誰もいない!!!



それは何だ!
信じられない!
けしからん! 
という話になっています。

これが、俗にいう集団的無責任体制です。



「集団無責任体制」、と書くと、非常にマイナスのイメージです。

しかし、実は、これが日本を素晴らしい国にした原動力なのです。


えっ!!!
なぜ???



集団的無責任体制とは、実のところ「集団的責任体制」なのです。


つまり、特定の「責任者」だけでなく、
全員が当事者意識を持って事に当たっている、ということです。


日本人は、みんなが当事者意識を持って事に処しています。
「責任」ではなく、当事者意識です。


一人一人が無意識に持っている当事者意識こそが、
「集団的無責任体制」の正体です。



一人一人が自分事として、事に当たる。


だからこそ、素晴らしい品質の製品を作り、
遅刻がほとんどない鉄道ダイヤ、
そして大震災の時の、見事な処し方をできるのです。



それに対して、特定の誰かが責任を取る体制とは、
裏を返せば、他の人は一切責任を取らない体制です。

つまり、特定の責任者以外は、当事者意識がない、ということです。


「集団無責任体制」の本質は、全員が当事者意識を持っている
という驚くべき姿なのです。



(余談ですが、「責任」という概念は実のところ不毛です。

なぜなら、誰も本当に「責任」を取ることはできません。


本当に責任を取る、とは原状回復することです。
しかし、そんなことは誰もできないのです。
例えば人が亡くなった時、原状回復は誰もできないのですから。


そこまでいかなくても、時を戻すことは決してできません。

責任を取るなど、誰もできません。


だから、誰も責任を取らなくて済むように細心の注意を払い、
万全の体制にすることこそ、真に責任ある態度です。

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2015-08-17 10:33:47

天皇陛下のお言葉と安倍首相の談話 (2)

テーマ:ブログ
「日本はいつまで謝り続けなければならないのか?」

よくこういう論調が見られます。


しかし、私はこう問いかけたいと思います。

日本は、今まで真摯に謝罪したことがあったのですか? と。



おそらく、今までの中で一番真摯な謝罪は、村山談話でしょう。
村山元首相の思いは真剣だったと思いますし、新しい時代の幕を開いた画期的な談話でした。
そして、中国も韓国も非常な好感を抱きました。
謝罪らしい謝罪は初めてだったからです。



ところで、人は、どれくらい謝罪されたら、十分に謝罪された、と思うでしょうか?

例えば、ちょっとぶつかった時には、一度謝ったら十分でしょう。
しかし、家族を殺された時にはいかがでしょうか?


しかも、相手はずっと50年も謝罪せず、50年経ってようやく謝罪したとしたら。
そしてその後は謝りたくない態度が見え見え。
ようやく謝ったと思ったら、今度はいつまで謝り続けなければならないのか? と開き直られる。

それで人は謝罪されていると思うでしょうか?



そうなると、村山談話に対しても、いろいろな受け止め方が出てきます。


まず、村山首相は、自民党ではなく、社会党でした。
錯綜した政治力学から連立内閣で首相にはなりましたが、
あくまで少数党の社会党の委員長でした。

なので、自民党という日本の主流からの謝罪ではありませんでした。


また村山談話を継承した小泉首相は自民党でしたが、
「凡人、軍人、変人」という流行語になったように、
「自民党をぶっ壊す」と公言した変人であり、異端児です。


つまり、日本の主流というか、
戦争を起こした「保守本流」からは謝罪されたことは一度もありません。
一度として。



そして、今は、謝罪の気持ちなど一片もなく、
内心は憤懣やるかたなく、ただ嫌々言わされていることが見え見えなのです。



それが、韓国や中国が謝罪を求め続ける理由です。
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2015-08-16 18:25:07

天皇陛下のお言葉と安倍首相の談話 (1)

テーマ:政治

毎年繰り返される靖国参拝問題、歴史観の問題、
今年は安保法案、70年談話、など多くの議論を呼んでいます。


70年談話、多くの議論があります。
さまざまな意見がありますが、


懐疑的な人は、
「キーワードは確かに入っているが、主語が私ではなく引用ばかりで自分の意見がない」
「妥協の産物」、「未来志向をはき違えている」


賛成派の人は、
「よく練られバランスがとれていて素晴らしい」

という意見が多いようです。



私個人の感想は、「安倍さん、精一杯頑張ったね」でした。



安倍総理に対して大いに批判的な私からこのような「好意的?」感想が出てくるとは
意外で驚かれる方も多いと思いますが、
実は正直な気持ちです。


安倍総理の心は、幼い男の子の心です。

つまり、自分が本当には思ってないことを
どうしても無理に言わなければならない羽目になった時の心の状態です。


事の是非はともかくとして、最大限に努力したのだろうと思います。
安倍首相の世界観には賛同できませんが、
彼なりに努力したことは確かです。



安倍さん個人にある戦争にたいしての「反省」というのは、
泥棒が捕まった時に、泥棒をしたことへの反省ではなく、
「捕まらないようにもっとうまくやればよかった」
というレベルの反省なのだろうと思います。


それにはそれなりの理由があります。
日本がやったことは、アメリカ、英国、フランスなどの戦勝国がやったことと
基本的に何一つ違いがないからです。


戦勝国は正しくて、敗戦国は間違っていたのか、
ということになると、
ユダヤ人大量虐殺をしたドイツは次元が違いますが、
他の戦勝国も植民地で多くの民を殺戮や虐待していましたし、
ベトナム戦争や中南米諸国で行ったこと、
そして今なお中東諸国で行っていることは、
本当にどうしようもない、
残虐非道としか言いようのない犯罪行為だと思います。


つまり、日本が反省しなければならないならば、
同様のことを行った米英も同様に反省をしてしかるべきである、
ということです。



正直なところ、私もそう思います。

戦争に負けなかった国の運命は決して明るくありません。


成功しても反省できる人はわずかです。


残念ながら、人間は失敗にしか学ぶことはなかなかできないのです。

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2015-07-09 07:29:45

がん治療の「常識」「非常識」

テーマ:医療

先週土曜日朝に、リアリTVで「がんって、不幸ですか?」という番組がありました。
7月10日(金)まで視聴できます。


http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=10145#__utma=1.279200891.1435963556.1436262230.1436392947.3&__utmb=1.2.9.1436392958161&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1436392947.3.3.utmcsr=google|utmccn=%28organic%29|utmcmd=organic|utmctr=%28not%20provided%29&__utmv=-&__utmk=80816151


多くのことを考えさせられる番組でした。


今のがん治療に苦しみながらも懸命に頑張って、同じがんの方に勇気を与えたいと考える人、がんになってもっと幸せになった、こんなに健気に頑張っている人を見ると、本当に胸が詰まる思いです。



しかし、また同時にものすごい怒りも湧いてきます。
医療という名のもとに、医療の常識として、
「堂々と」無意味で苦しみを与え続ける今の「標準的がん治療」。


抗がん剤は、日本人のがんの10%にしか有効ではないのに、
製薬会社のシモベとなって抗がん剤という名前の毒を注入し続ける医師。


あれほどの苦しみを「生きるためには仕方がない」
という思いで何とか克服している素晴らしい患者たち。


「毒ガス」から始まった抗がん剤をやり続け、
10%しか効かない科学的現実を無視して、
無意味で苦しみだけ与えるので欧米では固く禁止されている手術後の「念のため」の抗がん剤の投与。


患者さんの苦しみと、生きる力に感銘を受けると共に、
こんな「医療の常識」という名の「非常識」に
本当に怒りと憤怒を改めて感じました。


100年後に今の医療を振り返ったら、
信じられない野蛮な治療と思われることは必定です。


しかし、人間の常識に基づいた、普遍的な医療は、
現代医学や科学的見地からも始まっています。


これは、その一つ。
極めて重要な番組です。

まずはご覧ください。

http://www.ted.com/talks/mina_bissell_experiments_that_point_to_a_new_understanding_of_cancer?language=
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2015-07-08 22:29:08

「常識」と「ふつう」

テーマ:ブログ

今日の最初のブログでこう書きました。


「常識」とは、
世の移り変わり、流行り廃りにかかわらず、
常に真実であるもの、
即ち「常なるもの」「普遍的な真実」である。


小林秀雄は、それを「常識」と呼びました。
デカルトは、それを「良識」 bon sens と呼びました。


田中佳医師は、それを「ふつう」と呼びました。

http://ameblo.jp/emkanayoshi/entry-11997972085.html


今の「医療島」の常識は「俗説」に過ぎず、
普遍的な真実には程遠い。


医療島の常識は、「ふつう」ではない。
尋常ではない。
普遍的な真実ではない。


「日進月歩」という名の「朝令暮改」。
今日なされている治療は、明日はもう否定される。


今の医療で50年後に残っているのは、
ほとんどないかもしれない。


ホメオパシーは、200年前から変わらない。
変わる必要がない。


人間の常なるもの、普遍的な真実に基づいているから。

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2015-07-08 08:54:00

「常識」について

テーマ:ブログ

随分と久しぶりの更新です。


パソコンが新しくした時に、パスワードがどこかにいってしまったというお粗末な話でした・・・

申し訳ありませんでした。



「常識」という言葉があります。
この言葉は、使う人によって千差万別の意味に変わります。

社会の多くの人が共通的に有している価値観、知識、判断力、共通感覚
これが、一般的な意味での「常識」だろうと思います。


小林秀雄は、そういう定義の「常識」に真っ向からチャレンジしました。
小林秀雄にとって、通俗な「常識」は常識ではありません。
「常なるもの」つまり、普遍的な真実を追求していた小林秀雄にとって、
通俗的な「常識」は、むしろ「非常識」です。
小林秀雄はそれを、「俗説」と呼びました。

確かに言い得て妙だと思います。



私は小林秀雄にはものすごく影響を受けています。
小林秀雄という巨大な光と「一心同体」のように感じています。


そういう感覚を持ったのは、
森有正、小林秀雄、ハイゼンベルク、そしてヘッセの「シッダルダ」でしょうか・・・

今まで500回以上読んだ本は幾つかあります。
ヘッセの「シッダルダ」とハイゼンベルクの「部分と全体」です。
森有正は、全集をずっと「入り浸る」ように読んでいたので、
回数はそこまでありませんが、時間的には一番長かったかもしれません。


日比谷教養講座、

シッダルダは大阪と名古屋で開催されました。


回を重ねる毎に、内容が深まっています。
いよいよ東京でも今週末にあります。

http://global-wings.co.jp/lab/


楽しみにしています!

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2015-04-29 18:46:34

日野原先生とベーチェチョルさんのジョイントコンサート

テーマ:芸術
4月21日、夢のようなコンサートがありました。


今年104歳になる日野原先生と、奇跡の復活を遂げた韓国の歌手ベーチェチョルさんの
ジョイントコンサート です。

大阪、名古屋、東京で行われますが、その最初が大阪です。


場所はシンフォニーホール。
以前来たときは、何だか冷たく取り澄ましたような雰囲気でしたが、
今回はとても心温まる雰囲気でした。

聞くと、オーナーが変わり、以前の朝日放送から、
滋慶学園という専門学校の一大コンツェルンに変わったそうです。

この日は、新入社員の研修中だったようですが、
ハンディキャップを負った人も安心して鑑賞できるように、
全国にある滋慶学園グループ の学校からボランティアの方々が集まって、
ホールのあちらこちらに車椅子の方々が見られました。
とても気持ちの良い風景でした。


ベーチェチョルさんの奇跡をサポートした輪嶋東太郎さんと、
日野原先生の対談のトークが始まりました。

日野原先生のご講演も楽しいですが、
輪嶋さんが日野原先生の話をうまく引き出して、
とても楽しいトークになりました。

特に昨年公開された映画「The Tenor」の試写会をご覧になった日野原先生が、
直後にお話になられた一言。
「私の短くない人生の中で、今日が最も素晴らしい日になりました」
私も昨年その場で大きな感動をもって聞いたことを思い出します。

その日野原先生は、これからの人生の最大の喜びが、
ベーチェチョルさんと喜びも苦しみも共にしながら生きていくことだそうです。


その後、いよいよベーチェチョルさんの歌が始まりました。
最初は私が一番好きな曲の1つ、「輝く日を仰ぐとき」。
手術を受けていた時に歌っていた曲です。
今まで聞いたことがないほど深々としたテンポ。
私の大好きなテンポです。
敢えて言えば、まるで練習の時のようなテンポです。
もっと言えば、「子宮の中で気持ちよーく気持ちよーく鼻歌を歌っているような歌」です。

ずっとべーさんの伴奏をしているピアニスト松崎充代さんも、
さすがにかなり戸惑っている様にも見えます。

べーさんは、常にチャレンジしています。
今までもずっとチャレンジしてきました。
少しでも自分の芸術的幅を広げ、深めることができるようにチャレンジし続けています。

しかし、今回はまた違ったことを感じたのでした。
今までは「声の制約範囲」の中で最大限の芸術を表現しようとしていました。
そして、そのチャレンジは「声の制約範囲」を広げるためでした。

しかし今回感じたチャレンジは、もはや声の制約範囲を広げるチャレンジではなく、
声の制約を考えない、
自分が歌いたい歌をただ歌う、ということ・・・
途中で息が続かなかったらうまく息継ぎすればよいだけで、
もはや肉体的制約そのものから自由になって歌うのだ、という意志でした。

そこに私はとても心打たれました。

おそらくあらゆるプロの音楽家の中で最も制約がある一人のべーさんだからこそ達した域ではないか、
そう感じたのです。


その後、日野原先生と次男のお嫁さん、手術をされた一色先生ご夫妻、べーさん、輪嶋さん、
滋慶学園グループの長でありシンフォニーホールのオーナーである浮舟総長、
名古屋の篤志家で日野原先生が最も尊敬する一人の高木会長と私という
超豪華なメンバーで食事会 でした。
そこで繰り広げられた数々の珠玉のような会話は忘れられません。
https://www.facebook.com/masa.nagamatsu.5/posts/885355834848219?pnref=story


本当に素晴らしい奇跡のような一日でした。
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2015-04-29 13:08:13

久しぶりです。

テーマ:教養
ずっとブログをサボっていました。

FBには時々書いていましたが、
本来はブログにきちんと書くべきでした。

反省して、これからは、こちらに書いて、FBでご案内したいと思います。


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2013-03-04 21:56:31

またもや冤罪か・・・

テーマ:ブログ
こんにちは。


ベルリンにいるというのに、ベルリンのことは何も書かず、
幕末や日本の冤罪についてばかり書いていますね。

冤罪については、昔「死刑」のディベートをやった時、
調査をすればするほど、
あまりのことに唖然とし、びっくり仰天したことが数多くあります。


最近のPC遠隔操作事件、
私たちはすっかり「真犯人」がついに捕まった、というストーリーを
信じさせられていました。

猫の首輪にメモリーをつけるという「悪ふざけ」で
自分の首を絞めた、というストーリー
その映像が映っている、FBIも認めた・・・
というもっともらしいストーリーは、とても説得力を持っていました。


しかし・・・それが実は何の証拠もない、としたら・・・
逮捕された青年は、ただ江ノ島に行って、寄ってきた猫の写真を撮っただけで、
何もしていなかったとしたら・・・

猫の首輪にメモリーをつけている写真があるという報道は、まったく「嘘」の報道で、
何の証拠写真もないとしたら・・・
使われたソフトを容疑者はまったく使えないとしたら・・・
アメリカのサーバーに痕跡が残っているという報道もまったくデタラメだとしたら・・・

あらゆる「証拠」はすべて捏造、想像だとしたら・・・


そんなことはありえない、と思うかもしれません。
しかし、それはいつも日常的に起こっているのです。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130219-00023545/


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%AD%9D%E5%85%8
1

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130225-00023629/


http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130301-00023691/


http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130303-00023718/


http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20121228-00022866/

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