天皇皇后両陛下による行幸啓こそは最高位の訪問外交です!
フィリピンはなぜスペイン由来の名前を名乗っているのかな?

なでしこりんです。今日は天皇皇后両陛下によるフィリピン行幸啓がありました。行幸啓(ぎょうけいこう)とは天皇、皇后、両陛下がご一緒に外出される時に使う特別な言葉です。29日には還幸啓されるご予定とのことです。ご無事のお戻りをお待ちしたいと思います。

 

さて、フィリピンの話を少し。フィリピンという国名は16世紀のスペイン皇太子フェリペ由来のものなんだそうです。スペインは1529年、勝手にフィリピンを領有宣言します。この時代は「大航海時代」とも呼びますが、実際には「大侵略時代」であり、フィリピンの中にも抵抗勢力はありましたが、スペインの強大な軍事力には及びませんでした。

 
日本軍の捕虜になったアメリカ軍兵士

スペインは 新興国家アメリカと戦争を始めますが敗北。その結果、スペイン領だったフィリピンは今度はアメリカの領土になります。もちろんフィリピンの人たちは独立を目指したわけですが、ここでもアメリカの強大な軍事力に弾圧されます。この時の在フィリピンアメリカ軍司令官こそがダグラス・マッカーサーの父・アーサー・マッカーサー・ジュニアですよね。マッカーサー家にとってのフィリピンは「マイコロニー」だったわけです。だから、ダグラス・マッカーサーが日本軍に追われた時に「I shall return!」と言ったとか。ダグラス・マッカーサーにとっては「フィリピンは俺の領土」だったのでしょう。

 
マッカーサーにとってのフィリピンは私物でしかない!

「フィリピンは親米」と思っている人がいますが、現在のフィリピンには米軍基地はありません。以前はあったのですが、ピナツボ火山噴火で米軍基地に被害が出たため一旦米軍が撤退し、米軍が再使用をフィリピン政府に求めるも、フィリピン上院が拒否。米軍基地は1991年11月26日にフィリピンに完全返還されました。これでも「フィリピンは親米」と言えるでしょうか?

 
ネイティブアメリカンを大虐殺したアメリカ軍が今度はフィリピンでも大虐殺

フィリピン の人たちにとっては、やはり日本軍の上陸は「白人追放」の意味もありました。もちろん日米の戦闘に巻き込まれたフィリピン人がいたことは間違いありませんが、フィリピンは日本とは戦争はしていませんが、フィリピンはアメリカとは戦争をしているんですよ。私たちは学校で「米比戦争(1899年~1913年)」と習いますが、フィリピンの人々たちから見れば「フィリピン独立戦争」でしかありません。この戦争でフィリピン人150万人がアメリカ軍に殺されましたから、フィリピンの人たちにとっては「忘れがたい歴史」でしょうね。

 
  大東亜共栄圏のポスター(フィリピン) 自衛隊によるフィリピン救援活動

戦争には いくつもの顔があります。日本の戦争を侵略戦争と教える人がいますが、日本の戦争は同時には「白人植民地主義者を駆逐する戦争」でもありました。フィリピンは1946年に独立します。このことも日本軍がアメリカ軍を駆逐したことが大きな要因になったことは間違いありません。フィリピンは2度の植民地支配を受けました。スペイン植民地時代(1565年-1898年)とアメリカ植民地時代(1898年-1946年)です。フィリピンがスペイン由来の国名を今でも名乗るのは「将来、植民地支配を受けないための戒め」だそうですよ。私の知る限りフィリピンの人たちには反日意識はありません。 By なでしこりん
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