疑わしきは罰せよ

和歌山カレー事件...動機は近隣の住民への嫌がらせという軽い気持ちから犯行に及んだ。それが予想外の大事件となってしまった。まさか死ぬとは思っていなかったのだ。苦しむのは誰でもよかったのだ。軽い気持ちと偶然による大事件は、動機の決め手を不明にした。動機は、「目的の人間を殺したり傷つけたりすること」が目的であって、“誰でもいい”無差別さは法的動機を曖昧にしてしまうのだ。

現代の事件は、秋葉原の通り魔事件のように“無差別に人を殺めること”が動機であって、和歌山カレー事件は現代の事件の魁であった・・・否、違う。遠い昔の「津山三十人殺し事件」があった。昭和13年に起きたこの事件は、山間の住民たちを無差別に殺害した事件だ。横溝正史の「八墓村」のモデルにもなった。新潮文庫「津山三十人殺し」筑波昭 著(ISBN$-10-121841-2)を買いなさい。

津山事件も犯人の動機ははっきりとしていない。遺書らしきものがあるのと生き残った住民の証言で動機はある程度見えていた。「近隣住民への復讐」だが、和歌山事件と異なるのは犯人は狭い犯人は犯行後自殺しており、犯人から直接動機を聞くことができなかった。

以上・・・忘れないようにな・・・はい。
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自分のための覚書

野球・・・僕の若い頃は「法外な収入を得るばかりか女たちにモテモテ」のヤクザと同じくらいのインチキ商売だと思っていた。ところがこのスポーツはインチキをやろうにも技術がないとできないではないの? 
そういうところがプロレスやボクシングに国技たる相撲なんかとは違うところだ。だから今では野球選手は大変だなと、その苦しみを思うようになった。立派なスポーツだと思う。ただし、政治家同様の法外な収入は認められない。

ま、それは置いておくことにして、インチキなスポーツを排除しないのかを考えることとする。なぜか国技と言われて保護される相撲は、テレビ画面見てりゃ“下手なヤラセ取り組み”しかできないので、そのインチキさがすぐにわかる。なんでこんなものが国技なのか? 朝廷の“地鎮呪術”としての相撲は既にないのだ。こんなものデブのホモチックな肉体の磨りあいでしかないから気持ち悪くて見ていられない。

おまけに国技と言っているくせに相撲やっている奴らのほとんどは“夷”ではないか? 愛国心からもこんなもの排除せよ。もちろん日本国民は朝鮮や中国からの異血と先住民であるアイヌや隼人などとのかけあわせから生まれた民族であって、単一民族ではないので、愛国心と言っても空々しいが、ま、そこらへんは目をつむってさ、相撲・・・日本から排除せよ。こんなもの相撲取りの優秀な奴が死んだら剥製にして博物館に飾っておくだけでいいよ。 
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