「バベル」恥毛見て吐き気?

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 ニュースを見ていたら、映画「バベル」を見て吐き気に襲われた人たちがいたそうだ。なんとなくわからなくもない。特に“不要な”日本でのシーン ? は、そのような状態になるかもしれない。菊池凛子を追うように描写する日本のシーンは「ドラッグ酩酊気味」であり、聾少女の描写だから無音だったり、いきなりでかい音が聞こえたりするからだ。特にクラブでの照明の明滅にプラスして前述の様な音のOn、Offは、まともな者(差別してるよ)ならば気分が悪くなってもおかしくないだろうな。
 
 また凛子嬢の表情が「あまりにも不細工」(演技状???)であり、オーバージャスチャーな演技+いきなり自分の「恥毛」見せたり、痛々しい全裸シーンは...あまりにも無意味で、普通の日本人であるならば...また最近の若者のような合法ドラッグ世代でなければ...気分が悪くなっても不思議はないかも?

 それでも僕は、凛子嬢の...演技力はともかく「いきなりの恥毛」見せたり意味なく全裸になったりする素晴らしい度胸には、感心できないこともない。
 
 さらに...映画全体が時間軸で動かないので、観客はイライラがつのるばかりであったと思う。この映画、見る必要はない。せめて時間軸で物語が進み、意味のない日本シーンを削除して、モロッコの兄弟とブラピの子供たち...メキシコ人乳母に焦点を絞れば、いい映画になったに違いないと残念無念である。
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昔、言葉は一つだった。
人々は神に近づくために天に届くほどの塔を建てようとした。

神は怒って、言葉を乱し、世界をバラバラにした。
やがて、その街はバベルと呼ばれるようになった。


(旧約聖書 創世記日章)


*内○裕也が植木先生の葬儀「お別れの会」にて歌詞も知らないくせに「スーダラ節」を歌いやがって、本当に腹が立つ。「植木さんに暖簾分けをされた」と言う中○秀征も前席で出席。なんじゃこいつ? ナベプロというか業界で強い力を持ちつつあるのだね。植木先生も不幸だ。

*湯島は「がっつり」という言葉が大嫌いである。
*なぜ日本の芸能人には「在日」が多いのか?なんで岩○滉一は「俺は在日だぞ」って記者会見で凄んでみせたのか?

*日本人のルーツはモンゴル、中国、朝鮮などの人種である。単一民族であるはずがない。でも、理想右翼思想の湯島は、できるだけ異血導入を行ってほしくないのである。理想は鎖国。そして百姓王国として自給自足可能な国づくりである(笑)。外人とSEXしたり恋愛したり結婚する奴はやはり「売国奴」であり、湯島は優しいから死刑にはしないものの国外退去処分である。湯島が提唱するのは「尊国攘夷(国を尊び外人排除)」である。

 さて、本題。 BABELは最低の映画であった。
 
期待していた。封切り日を首を長くして待ったのだ。ほんで初日に鑑賞できた。鑑賞場所は久々の千葉ニュータウン・ワーナーマイカルである。

 BABEL...期待して鑑賞したら、冒頭からがっかり。なんじゃこっりゃ? 大学の「映画研究会」ぐらいに金かけてつくらせたような商業映画としては最低の映画である...と思う。なんでこんな映画がうけるのか理解できない。この映画の上映中、ナマコとおしゃべりばかり。それだけ集中する事ができない。音楽と映画をまじめに鑑賞するあたし...こんなこと、めったにそんなことはない。

 モロッコで旅行中の夫婦(ブラピとケイト・ブランシェット)。窓際で居眠りしている奥さん、いきなり窓ガラスが割れ...首から血が噴き出す。外部から銃撃を受けたのだ。土地柄...テロか? なかなかいい出だしである。

 モロッコに住む幸せそうな山羊飼いの家族。父、母、姉、兄、弟の5人である。兄はまじめだが、弟の方は姉の了解のもとに、その姉の裸を覗いて自慰したりしている。ある日、父が銃を持って帰ってくる。知り合いから買ったのだ。父は銃を兄弟に渡して撃たせる。父と兄は下手なのだが、弟だけは天性の才能があるようで命中率が高い。

 ある日、兄弟は銃を持って山羊を放牧しながら射撃の練習をする。岩を的に射撃競争である。どうしても弟に勝つ事ができない兄。挙げ句の果てには「この銃は遠くまで命中させる事ができると言ったのに近くの岩に当てる事もできない」と言い訳する始末。「お兄ちゃんは下手くそなだけだ」と言って馬鹿にする弟。「よし、今度は遠くを撃ってみよう」と言う兄。眼下を走る車を狙って撃つ兄。下手だから当てる事ができない。弟が代わって次に走ってきたバスを撃ってみる。何事もなく走り続けるバス。「ほら、オマエにも当てる事ができない」と溜飲を下げることができた兄。とかなんとか言ってるうちにバスが止まって「撃たれた撃たれた!」と騒ぎ出した。その様子を見た兄弟は怖くなって自宅に戻ったが自分たちの罪の深さに引きこもってしまう。

 もうおわかりであろう。ケイト・ブランシェット演ずる奥さんは、この弟によって撃たれたのだ。

 ブランシェットを撃った銃はモロッコにハンティングに来た日本人観光客ヤスジロー(役所広司)のものであった。役所はガイドを務めてくれた現地の男にプレゼントしたのだ。銃はその男から兄弟の父に渡ったものだった。

 銃の元持ち主である役所は、聾障害を持つ娘のチエコ(菊池凛子)と二人暮らし。かなりのお金持ちであるようだ。東京湾岸の高層マンションに居住し、眼下には東京の夜景が広がっている。最近、奥さんが銃で自殺したばかり。役所と娘の菊池は、そのせいで役所との精神隔絶状態。聾障害者なのに鼻ピアスした不良友達と超ミニスカートにノーパンで男あさりに出かけたりする。菊池は処女で、自分の寂しさをとりあえずは異性に好かれる事やSEXで満たそうとする。まずこんなことは考えられない。日本人の生活表現や聾障害者のありえない生活描写は...無意識の“差別意識”が働いているとしか思えない。

 モロッコ→役所がハンティングに訪れる→使用した銃を現地ガイドにプレゼント→日本→役所の奥さんが銃自殺→役所と菊池との隔絶→アメリカ→ブラピとブランシェットの間に生まれたばかりの子供が死ぬ→ブラピとブランシェットの隔絶→ふたりは仲直りのためにモロッコに出かける→モロッコ→役所の銃が転売される→銃を買った男の息子たち→弟は姉の裸身を覗き見し自慰→兄はそんな弟をなじる→ 兄弟の隔絶(兄は弟が姉の了解の元で行為に走っていることに嫉妬しているのかもしれない)→モロッコに到着したブラピ夫婦はバスで荒野を走る→(なんでこんな不便な土地に夫婦の溝を埋めに出かけようとしたのかが理解できない)→銃を買った父は息子たちに射撃練習させる→兄弟の射撃力の差→銃を背負って兄弟喧嘩しながら山羊の放牧→幼稚な兄弟間抗争→走る車を撃つ→弟の撃った弾がバスに乗るブランシェットに命中→バスを近くの村に止めてブランシェット治療→バス乗員たちもそこで助けを待つ→熱射のなかバス乗客はプラピと隔絶→バスはプラピ夫婦を残して発射→なんだかんだの末に救急ヘリが到着→病院でブランシェット手術→助かる→アメリカ→ブラピ夫婦の残りの子供たち...兄と妹(エル・ファニング/ダコタ・ファニングの実妹)とメキシコ人の乳母(アドリアナ・パラッザ)→ブラピがモロッコから自宅に電話→約束の時間まで帰れないから子供たちを頼む→ところがその日はメキシコで息子の結婚式に出席しなければならない
 
→子供たちを連れて家政婦仲間たちを訪ねて子供たちを預かってほしいと頼むパラッザ→誰も預かってくれない→しかたなく子供たちを連れてメキシコ入りするパラッザと甥(ガエル・ガルシア・ベルナル)→メキシコでの結婚式→楽しく飲み食い踊るパラッザとブラピの子供たち→パラッザは男に誘惑され久しぶりに女として楽しむ→式はお開きとなり夜間にアメリカのプラピ宅へ戻ろうとする→メキシコ国境→ベルナルは飲酒運転でありアメ公の国境捜査官?によって訳の分からない差別的な聴取を受ける→逃走する→怯え泣きじゃくるブラピの子供たち→砂漠に置き去りにされるパラッザと子供たち→翌朝→パラッザは弱っている子供たちを「ここで待っていなさい」と言い残し助けを呼ぼうと砂漠を放浪→国境警備隊のパトカーが来る→容疑者として逮捕されるパラッザ→子供たちのいる場所に案内→子供たちがいない→子供たちが無事に発見される→国外退去処分を受けるパラッザ
 
 

→東京→イライラを周囲にぶつける役所の娘(菊池凛子)→渋谷の繁華街で男を漁ろうとする凛子→しかし相手の男たちは凛子が障害者と知るとひいてしまう→やけになってノーパンで陰部を大開放→モロッコで使用された銃の件で刑事たちがやってきて「父親に会わせてほしい」と言う→若い刑事(富良野塾の二階堂智)に心惹かれる凛子→凛子が歯医者に行けば歯科医(元一世風靡の小木)にキスしようとしたり自分のコーマンに手を持って行ったりして誘惑し拒絶される→傷つく(なんで?)凛子→鼻ピアスの友達と街を彷徨う→サントリーホワイトにスピードでラリパッパな凛子→それでもブランコに乗ったりしばし楽しさに酔いしれる凛子→夜のクラブ→うっせえエレクトロニカミュージック→目標の男は鼻ピアスの友達とキスしてる→自分は仲間に入れない→傷つき帰宅する凛子→モロッコで使用された銃のことで父に事情聴取にやって来た刑事の二階堂を呼び出す→「父は母に何もしていない。母はベランダから飛び降りて自殺した」と言う→何を言ってるのか理解できない二階堂→「モロッコで犯罪に使われた可能性のある銃はお父さんの銃だった」と言う二階堂→「父はつかまるのか?」と心配する凛子→「大丈夫」と答える二階堂→別の部屋で全裸になって二階堂を誘惑する凛子(なんで?理由がわからない...)→優しく拒否される凛子→メモになにか書いて手渡す凛子→二階堂帰る→マンション玄関で帰宅してきた役所と遭遇→役所に「あなたの銃がモロッコで犯罪に使用された」旨伝える→ついでに「奥さんが飛び降りて自殺した事を娘さんに聞いた」と言う二階堂→「妻は銃で自殺したんだ。放っておいてくれ!」と役所が怒る(なんで?)→帰宅するとベランダに全裸で立っている凛子を発見し優しく抱きしめる(なんで?)→映画はこのシーンが夜景の中に引かれていってEND(なのだが...)
 
→モロッコ→息子が観光客を撃ったことと姉が弟とピーピングごっこしていたことを告白された父→父は息子たちを連れて逃亡→追ってくるモロッコ警察のパトカー→いきなり撃たれる逃亡親子→兄が撃たれ逆上した弟は銃を乱射し警察官を撃つ→ひとりが撃たれ恐怖する警察→思い直して銃撃戦となる→さらに兄は撃たれて死亡(多分)→銃を岩にぶつけて破壊した弟は「みな僕がやったんだ。お父さんとお兄ちゃんは関係ない!」と投降する。銃がなく兄弟仲良く遊んでいた時間がイメージされる。


  
 以上のように監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは、「人種および性および障害者」に対する偽善臭い優しさのオブラートでくるんだ描写を延々と続ける。しかも時間軸で物語は進まない。結末にはなんの意外性もなく、見終わった後に残るのは「期待して損した」という後悔ばかり。

 なんでこんな映画撮るんだろう?これは完成品ではないだろう? ブラピやブランシェットは、なんでこんな映画に出演したのか?なんで日本人のシーンが必要なのか?役所も菊池も二階堂も小木も必要ないではないか?26歳?と、年食い過ぎて、しかも下品な表情の菊池凛子を執拗に性的に撮影していくことがこの映画の正攻法なのか? 監督が菊池を気に入ってるだけだからではないのか(間違ったら野沢直子に見える菊池は、いかにも外人好みである)?ノーパンシーンはなんか理解できない訳でもないけど、自宅における全裸シーンは必要か(ヌードは見たいけど)? しかもクラブで丼ものを箸で食ってる若者たちとか...妙な日本文化を表面だけしか捕らえず...誤った決めつけで!撮影していきやがって!!そういえば総入れ歯、日本のシーンは、なんかリドリー・スコットの“ブラック・レイン”みたいだ。パクりやがって...あの高倉健の住まい描写も凄く間違っていた。愛国者である湯島にはこんなもの許せない。このようなものに出演し威張っている日本人はただの売国奴である。銃殺だ!!!役所広司も菊池凛子も二階堂智も一世風靡の小木も...国外退去だ!!! 今後10年は帰ってくるな!!! レッドカーペットを堂々と歩いて威張ってるんじゃないよ!日本の恥だ!!しかし...惜しげもなく恥部大開放したり、意味のない裸体を晒すなどは、ポルノ解禁AV恥知らず世代の息吹を感じさせるぞ!!!なんじゃそりゃ?   
   
 湯島はこんなものまどろっこしくてイライラして見ていられない。人間の当たり前の“異常性”をまるで「私だけが知っている風」に、運命と時間を交錯させてしょうもない物語に仕立てあげた失敗大作である。
 
 ついでに「実写版 ゲゲゲの鬼太郎」は、配役が間違っているから見ないのだ。猫娘はいい。田中麗奈がはまり役である。鬼太郎が神木隆之介くん以外ない、しかも撮るならば彼が子供である今のうちである。ネズミ男は泉谷しげる、笹野高史、浅野忠信(嫌いだけど)、高田純次のいずれか、砂かけババアは菅井きん、子泣きじじいは赤星昇一郎、決まってるじゃないか!!
 なんでウエンツが鬼太郎なのよ?井上真央なんかとの恋愛なんかなくてもいいじゃんか? 鬼太郎を馬鹿にするなよ!大泉洋は全然違うし、室井滋も少し違う。現代的なヤクザみたいな狐に狙われるってのも大分違う。まじめな恋愛や悲劇なんか一切関係ない。鬼太郎はほのぼのとしたとぼけた妖怪闘争話にいい知れぬ悲しみがあるんだわよ。
 あまりにも悲しいので、劇場売店で目玉オヤジのキーホルダーを購入した。

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[FXBCB-1163]

ほんとに何度も言うけど、さんまの引き笑いは不快だ。ガラスを引っ掻いた音みたいだ。ああ、気持ちが悪い。
 
 20世紀FOXの「ROLLING 60’&70’」というDVDシリーズがリリースされた。「明日に向かって撃て!」「ワイルド・パーティ」「フレンチ・コネクション」「マ★ッ★シ★ュ」...なーんだ、既にリリースされているものばかり...。だが、「悪魔の追跡」「ダーティ・メリー クレイジー・ラリー」といった初リリースのものもある。その中に「革命戦士ゲバラ!」(公開時タイトルは「ゲバラ!」)のタイトルがあった。これが長らく僕が探していたゲバラ映画だったのだ。ということはこの映画はアメリカン・ニュー・シネマの流れを汲んでいるのだな? ある意味驚きだ。
 
 僕が中学生の頃、学校をさぼって映画を見にいったことは何度も書いた。といっても「千夜一夜物語ともう1本のアニメ2本立て」に「猿の惑星と続:猿の惑星の2本立て」...それに...この「ゲバラ!」の3回だけだ。情けないさぼりだ。ま、僕は頭が悪いだけで凶悪な不良ではないからな。

 僕が記憶しているゲバラ映画は「内容はゲバラがキューバ革命成功の後、カストロと袂を分かちボリビア革命進行中に捕らえられて処刑されるまで」の話であった。なにより一番印象深いのは「ラストシーンはヘリコプターで運ばれるゲバラの死体」というシーンだ。この映画のDVDがないかネットで探していたのだが、なにも情報はなかったのだった。諦めかけていたところにこの朗報だ。しかし、買って見なきゃこれがその映画なのか判別できない。んで...買って見てみた。
 
 見ると...ゲバラの死に顔...有名な机の上に横たわったゲバラの死体...おお、この暗い始まり...民族音楽...「チェッ!」「チェッ!」と正しいリズムで“あいの手”が入れられる。(本名:エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・セルナ。日本ではエルネスト・チェ・ゲバラと呼ばれていたように記憶する。だから「チェ・ゲバラ」の「チェ」を取って愛称でチェと呼ばれていたと思ったら、ゲバラの故郷アルゼンチンでは人に呼びかける時に「チェ」と言うらしい...ウイキペディア参照)

 まさしくこの映画に間違いないが...ラストにチャプターで飛ばす。ん? ヘリコプターで運ばれない。こりゃ違うのか? がっかりして、最初からきちんと見たら...冒頭にゲバラの死体がヘリコプターに運ばれていく。眼下には険しい山脈が連なる...。これだあ!!!!この映画が僕のゲバラ映画に間違いない!!!そこでやっとわかったのだ。当時の映画館は、今のように入れ替え性ではなく、一日中同じ映画を見ていても怒られなかったのだ。だから僕は半日は映画館のなかで繰り返し同じ映画を見た。上映時間なんか気にせずに入館するもんだから上映途中の場合も多かった。僕が記憶する“ヘリコプターで運ばれるゲバラ”がラストシーンだと思いこんでしまった訳は...多分、上映途中に見始めたために上映が終わっても、僕は席を立たずに再度、最初の方を見たためだろう。文章下手だからわかりにくいな。ま、そういうことだ。
 
 中学生の頃には「ゲバラがキューバ革命に成功したのにカストロを残して、ひとりボリビア革命に向かって、そして失敗する理由」がわからなかった。キューバ革命が成功→アメリカ(ケネディ政権時代)のキュ-バ侵攻を恐れるカストロ→ゲバラがソ連を説得しキューバを核ミサイル基地にすればアメリカは手を出さないと勧める→キューバにミサイル基地が完成→攻撃を恐れたアメリカはソ連、キューバと和解する→あくまでもミサイル基地をキューバに置き、アメリカを脅威の下に置けとゲバラは言う→カストロにとってはゲバラは目の上のたんこぶとなる、邪魔である→ゲバラは密かにボリビアに入国→山岳部は自然なる基地となるとゲバラは考える→ゲバラは現地の農民を説得してゲリラ兵士になれと説得していく→ゲバラは一緒に入国したキューバ兵士のみ指揮官として、原住民たちを軽蔑し、扱いにも差別があった→現地農民兵たちが反抗、脱走→ゲバラは厳しく罰した。大半は銃殺される→さらに離れていく現地農民兵の心→焦るゲバラ→周囲にも厳しくなり、嫌われるゲバラ→不足する兵士→農村を襲い略奪→略奪の後、農民たちにゲリラ兵士になれと説得する「敵を肉んで戦うのは生まれ変わることだ」笑止...である→さらに焦るゲバラ→カストロにも弱みを見せられない→孤立するゲバラ→ゲバラ著の「ゲリラ戦争」を暗記している兵士のひとりがゲバラに「あんたに失望した、あんたは農民の心を理解していない」と罵る→「ゲリラ戦争」を教科書として訓練された敵兵たちに愛する女兵士タニアが殺される→焦心のゲバラ→追いつめられ捕われるゲバラ→ボリビアは死刑を廃止したのでゲバラを裁判にかければ死を逃れられる→アメリカの指令により銃殺(暗殺)されるゲバラ。

 銃殺直前、敵兵が農民のじいさんを処刑場に呼び入れる。じいさんは「頼みもしないのにやってきて銃をぶっぱなし...わしらは自由になりたいのだ。あんたたちは、なぜ放っておいてくれないのだ」と言う。

 キューバ革命に成功した後の敵兵士処刑の場面。カストロが革命成功パレード&群衆の前で演説をしている最中に続々と(4人ずつ)銃殺していく。それを中止させようとしたフォスティーノに宣教師? にゲバラは「彼らを処刑せずに大衆に任せたら何千人も死ぬんだ。処刑が救いとなることがわからないのか?」と言う。

 革命といって正義感に燃え戦争をし、結局は大勢の人を殺戮する行為...これは革命なのだろうか。殺戮は人を救うのだろうか? 核ミサイルを持ち大国を脅迫し続け、常に武装し、緊張状態を保つことが平和につながるのだろうか? 

 脱線するが、銃社会のアメリカで銃乱射事件が続発しても「銃を持っていれば助かったのに」という思考になってしまうことが平和なのだろうか? アメ公は全員救いようのない精神病である。
 
 アメ公は「何かことがあってから」偽善的なお祭りのように大勢で悲しみにくれる...。しかし、そこからはなにも生まれない。悲しも一時的な物語の偽主人公感であり、大概は嘘だ。だって、あいつら馬鹿だもの。

 ということで、ロッキー3見ようっと。あら? バカアメ公の映画じゃない? いいえ、スタローンはイタ公でしょ? イタリアは日本とは戦友であったわけですから...おほほ。

 ゲバラが憎んだアメ公は自分たちの立場がわかっていない。いまだに地球の代表であると自惚れている。もうすぐ彼らは地球の代表ではなくなることがわかるだろう。
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