2005-09-26 11:39:11

「教師は五者(六者)であれ」の五者ってだれのこと?

テーマ:高校の先生という仕事と立場について考える
 この問いは、教師とか教員というものを考える上でそれなりに面白い質問だし、また、うまく教員の仕事を割り切って整理するのに役に立つ質問である。こういう言葉があるということは、教員の仕事というのは多面性があるということを表しているのかもしれない。
 教員とか塾講師などの研修会・教員同士の雑談の中でたまに出てくる話題である。近所の飲み屋でたまに教育の話になった時などでもこういうことを知ってると便利な面はある。
 四者までは、わりとすらすら出てくる。役者・学者・医者・芸者の四つだ。もっとも人によっては芸者というのが少し抵抗があるという人がいるかもしれないし、芸者があるということは「教師は五者であれ」ということばはかなり前からあったということかもしれない。
 あとの一つがやや難しい。「記者にするか、易者にするか?」というところだが、どちらも捨て難いところである。一応「五者」というのがきりがいいので、どちらかを捨てることが多いが、両方入れて「六者」にすることもある。
 役者というのは、日々教壇に立って行う授業における「表現力」ということを問題にしている。というのが、比較的単純でわかりやすい解釈であろう。教室で大勢の生徒を相手にして、「舞台に立つ役者のように何かを伝えることができないといけない」という見方だ。
 もう少し広くとらえて、教員は役者のように、「完全にその教員をしている人間の個性そのものではなく学校の中で教師という役割を演じている。だが、その中でその人間の個性も生かされている」というようなこと言っていると考えることもできる。これはこれで非常に重要なことなのかもしれないが、少しわかりにくい難しそうな解釈ではある。
 学者というのは、「教科指導等における専門性」ということを言っていると考えるのが一番自然だろう。○○科教育(○○のところは、国語とか数学とかそれぞれの担当教科が入る)法の学者ということである。「自分の教えている教科について、絶対の自信がもてるように日々よく勉強しなさい」というような意味である。これは比較的わかりやすい言葉ではないだろうか。
 もっとも、少し天の邪鬼かもしれないが、○○科教育法の学者ということではなく、文化人類学者・社会学者・心理学者といった意味にとることもできる。それはそれで面白い解釈だが、最初に「学者であれ」といい出した人の意図とは違うかもしれない。文化人類学者や社会学者は、後に述べる「記者」という言葉で表されるものに近そうだし、心理学者の方は「芸者」または「易者」という言葉で表されることに近いことを言っていると考えられるので、ここでは詳しく考察しない。
 医者というのは、「個別指導」とか「生徒一人一人の適性・能力・学力・状況に合った指導」ということを言うための言葉と考えられる。医者が患者の症状・体質に合った処方箋を書くように、教師は生徒の適性・能力・学力等にあった指導を行う必要がある、ということを表している。
 医者の仕事を表す言葉に、「病気を治したために患者が死ぬことだってある」というものがあるが「生徒の学力を上げたために、その生徒がだめになることだってある」というふうに言い換えても、それなりにもっともらしい言い回しになる。人間を相手にしている仕事である点では、医者も教師も共通点があるのだろう。
 役者という言葉の単純な方の解釈と対比できる言葉で、「役者であるだけでなく医者でもある必要がある」などと言えば、なんだか収まりがいい。要するに40人くらいの生徒を同時に相手にするだけでなく個別指導的な要素も重要ということである。
 四番目の芸者という言葉であるが、これが一番含蓄があり、面白い言葉だと思う。
 他の何と対比できるかと言えば、学者(○○科教育法の学者)ではないだろうか。「教師は学者であるだけでなく、芸者でなくてはならない」と言うとなかなか収まりがいい。勉強ができるだけでなく、営業的な面、世慣れていなければいけない面、生徒や保護者の心理が読める面、必要なときには口が堅かったりバランス感覚に優れていなければいけない面が必要。というようなことを表している。
 それと、芸者は芸事をやっているし、「出しゃばらないが話術がうまい」という人が多いらしいので、「生徒や保護者を楽しませるような話術などの能力も必要」という解釈もできる。
 分野的には、教科指導というよりは、クラス運営や保護者とのつきあいなどについて言っている言葉なのだろう。
そして、記者と易者であるが、どちらかと言えば易者よりは記者の方がよく使われる。
 記者というのは、新聞記者とか週刊誌記者の記者のことである。この言葉は、「聞く耳の力」とか「情報を集めることの重要性」ということを表している。アウトプットに先立つインプットということで、役者の単純な解釈の方の「表現力」と対になる考え方だ。
 集める情報は、例えば、「校内のつっぱりグループに誰と誰がいるか?」とか「今年の入試問題の傾向は?」などいろいろある。
 それと、「目の前の事件に巻き込まれないで、新聞記者のような客観的な視点を失わないようにしよう」というふうな「客観性も大事だ」ということを言っているようにもとれる。
 最後の易者というのは、「一人一人の生徒の話をよく聞く」とか「『君は将来こうこうこういう力を発揮するかもしれない』というような話をする」といった占い師の仕事のカウンセラー的な部分に注目した言葉だと考えられる。医者とやや重複するところもあるが、医者に比べれば、「口先三寸」といったら言葉が悪いかもしれないが、営業的な力や心理学者的な力を重視した言葉だ。
こうして見てくると営業的な能力を重視した言葉が多く、「五者(六者)であれ」というのは実践的・現場主義的な発想から出てきた言葉ではないかと思う。アカデミックな教育学から出てきた発想ではないだろうし、教育書や教育学の本などでこの言葉を見たことはない。「そもそも教師の仕事とは何なのか?」という問いの答としては網羅的で絞り込めていないとも言えるが、教師の仕事の多面性があらわれているということも言える。
 アカデミックな教育学における答では、教育学者村井実氏の「魂の世話をするのが仕事」という言葉とか、それに類する表現をわりとよく目にする。者のつくもので言えば「聖職者」または「牧者」ということになるのだろうか?
 聖職者・牧者の仕事もカウンセラーのような要素がありそれなりに使えそうな表現だが、「聖職者」とか「牧者」という言葉は使わないで「医者」「易者」という言葉にしているのが面白いところである。もちろん「労働者であれ」などというのは聞いたことがない。



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